第38章 辺境伯の娘の脚を戻します。 欠損部位の再現魔法です。
第38章 辺境伯の娘の脚を戻します
案内された部屋には、15歳くらいの少女が寝台の上で身体を起こしていました。
顔色は悪くなく、高熱が続いている様子もありません。呼吸も落ち着いています。
辺境伯が入ると、少女が少し姿勢を直しました。
「お母様」
「そのままでいい」
ハイエルフの侯爵は、すでに何度もこの部屋へ来ているようです。少女も侯爵には慣れています。
初めて見るオリビアの長い耳へ、少しだけ視線が止まりました。
「オリビアです」
「よろしくお願いします」
オリビアは寝台の横へ行きます。
「いつ怪我をしましたか?」
「8日前です」
「今、痛いところはありますか?」
「切ったところが少しだけ。でも、熱はもうありません」
「では、見せてもらってもいいですか?」
少女がうなずきました。
大腿部の上の方で左脚がなくなっています。
切断面はすでにきれいに閉じ、赤く腫れたところもなく、周囲の皮膚に強い熱もありません。
オリビアはしばらく見てから、ハイエルフの侯爵へ聞きました。
「ここは、もう全部閉じているのですか?」
「はい。切断後に残った感染の原因を除き、血管と神経の末端も処理してから、筋肉と皮膚を閉じました」
「分かりました」
オリビアは椅子を近くへ持ってきて座りました。
怪我をしたのは8日前です。復元の基準は、その少し前にすればいい。
「10日前には、まだ普通の脚だったのですか?」
「はい」
「では、そこを使います」
少女には意味が分からないようでしたが、ハイエルフの侯爵は黙って見ています。
オリビアは魔法式を組み始めました。
まず、10日前の本人の左脚を復元ポイントとして呼び出します。
復元には、10日前に実際に存在していた左脚そのものの記録を参照します。
大腿骨から膝、脛骨と腓骨、足首、足の指までの形状に加え、筋肉や腱、靱帯、血管、神経の走行、それぞれの組織を構成していた細胞の情報まで、怪我をする前の状態が残っています。
再生に使う遺伝情報も、10日前の正常な左脚にあったDNAの記録です。
10日前と現在で、本人の細胞が持つDNAの大部分は共通しています。けれど、現在の断端はその10日間に感染と切断を経験し、炎症と創傷治癒が起こり、その後には回復魔法による処置も受けています。傷ついた細胞の修復や、傷口を閉じるための急速な細胞増殖が繰り返された場所です。
その過程ではDNAが損傷した細胞や、体細胞変異を持つ細胞が混じっている可能性があります。回復魔法によって急速に修復された組織についても、細胞の遺伝情報へどのような影響が残っているのかは分かっていません。
現在の断端にある細胞のDNAを脚全体の再生基準にすると、その変異まで増殖させ、新しく作る組織へ広げる危険があります。そこで、脚を作るための遺伝情報には、感染も切断も受ける前だった10日前の正常な記録を使います。
現在の断端は、新しく再生する左脚を現在の身体へつなぐ接続部として使います。
オリビアは、すでに閉じている断端から作業を始めました。
表皮と真皮は、つなぎ直す範囲だけ少しずつ戻していきます。塞がった筋肉も末端だけを再生に使える状態へ戻し、閉じた血管は10日前の走行へ接続できるところまで開きました。
切断された神経も同じです。閉じた末端を少しずつほどき、10日前にそこを通っていた神経束と対応させます。
接続に使う範囲では、残っている細胞の一部をいったん脱分化させます。すでに筋肉や結合組織などとして役割の決まっている細胞を、再び増殖して別の組織を作れる未分化に近い状態へ戻します。
そこへ未分化の再生芽を作り、10日前の正常なDNA記録と左脚全体の位置情報を基準にして細胞を増殖させます。必要な場所まで増えた細胞は、骨、軟骨、筋肉、腱、靱帯、血管、神経、皮膚などへ順に再分化させていきます。
脱分化、未分化の状態での増殖、そして再分化。その三つを、10日前に存在していた左脚の構造に合わせて進めます。
大腿骨の断端から骨が伸び始め、その周囲へ筋肉と血管が作られていきました。
血管は10日前と同じ位置で枝分かれし、末梢へ向かって細くなります。神経も、怪我をする前に通っていた経路へ合わせて接続していきます。
膝へ近づくにつれて、関節軟骨や半月板、靱帯、腱、関節を包む組織も10日前の状態へ合わせます。
その先では脛骨と腓骨が伸び、筋肉や血管、神経もそれぞれ本来の位置を取り戻しました。
足首から先も同じように復元していきます。
足根骨から指の骨まで形を戻し、腱と筋肉をつなぎます。足裏は10日前と同じ厚さの皮膚に戻し、表皮と真皮、皮下組織の中には汗腺や毛根、細かな血管、末梢神経まで元の位置へ作りました。
爪も10日前の状態から復元します。
脚全体ができあがると、次につなぎ目を現在の身体へ合わせます。
10日前の脚と、8日間使われていなかった現在の身体とでは、筋肉の太さにわずかな差があります。そのままつなげると、大腿部の境目に小さな段差ができます。
オリビアは現在の身体へ合わせて筋肉量を調整し、つなぎ目が自然につながるように整えました。
肌の色にもわずかな差があります。新しく戻した部分だけ色が変わって見えないように、境目へぼかしを入れ、周囲の肌となじませます。
最後に、10日前の復元情報とのずれを確認しました。
骨格、血管、神経、筋肉、皮膚まで問題ありません。
「うん。完成」
少女は、自分の左脚を見たまま動きませんでした。
少しして、恐る恐る足の指を動かします。次に足首を曲げ、膝もゆっくり曲げます。
ハイエルフの侯爵が、少女へ声をかけました。
「できましたよ」
「……本当に?」
少女は、自分の左脚へ手を触れました。
そこには、怪我をする前と同じ脚があります。
「久しぶりの脚ですから、転けないでくださいね」
オリビアが言いました。
辺境伯がすぐ寝台のそばへ来ます。
「辺境伯殿、手をつないで、ベッドから降りるのを支えていただけますか?」
「ええ」
辺境伯は娘の手を取りました。
少女は寝台の端へ身体を移し、右足を床へ下ろします。それから、戻った左足もゆっくり床へつけました。
最初は体重をかけること自体を怖がっていましたが、辺境伯の手を握ったまま少しずつ立ち上がります。
左脚は支えました。膝も崩れません。
少女は、そのまま一歩だけ前へ出しました。
さらにもう一歩。
「歩ける……」
辺境伯は何も言わず、娘の手を握ったままでした。
ハイエルフの侯爵は、戻った脚を見ています。
「……とんでもないことをお願いしてしまいましたな」
「普通に歩けるようになったのが何よりですね」
オリビアは少女へ笑いました。
「良かったですね」
「ありがとうございます」
少女は何度も自分の左脚を見ながら答えました。
*
少し落ち着いてから、辺境伯が言いました。
「このことは、すぐに知られるでしょう」
「そうですね」
なくなっていた脚が戻っています。
城の中だけでも、切断されたことを知っている人は大勢います。この出来事は、すぐに広まるでしょう。
ハイエルフの侯爵も同じ考えでした。
「治療を求めて来る者も出るでしょうな」
「来ますよね」
「私でも、家族が同じ状態なら連れて来るでしょう」
「そうなりますね」
腕や脚を失った人が、治せるかもしれないと知れば来ます。事故で失った人や、昔の怪我で欠損が残っている人もいるでしょう。
受け入れ方には、整理が必要です。
オリビアは少し考えました。
「治療はしますよ」
辺境伯がオリビアを見ます。
「よろしいのですか?」
「はい。ただ、直接ここへ連れてこられるのは困りますから、ギルドを通してください」
「冒険者ギルドですか」
「回復魔法の精査も治療の報酬も、もともとギルドでやっていますよね。そこを窓口にして、誰がどんな怪我なのか先にまとめてもらった方がいいです」
ハイエルフの侯爵がうなずきました。
「その方がよろしいでしょう。治療できると聞いた者が、皆直接あなたを探し始めれば収拾がつきません」
「順番まで私が決めるのは大変ですし」
「七代目殿、東の大国側ともその形で話を通した方がよさそうですな」
エンシェントエルフの侯爵が言いました。
「そうしましょう。少なくとも、私の城へ患者を集める形にはしません」
「お願いします」
どこまで治療を受けるのか、古い欠損まで全部対象にするのか、遠くの国から来た人をどうするのか。それは、すぐには決まりません。
今日決まったのは、治療を希望する人がいるなら、まずギルドを通すことだけです。
オリビアは、まだ辺境伯の手を握ったまま歩いている少女を見ました。
今は、それで十分でした。




