第35章 オリビアは辺境伯のお城へ向かいます。
第35章 オリビアは辺境伯のお城へ向かいます
水牛型魔物を持ち帰ってから数日後、冒険者ギルドへ行くと、受付のお姉さんに呼ばれました。
「オリビアさん、お手紙が来ています」
「誰から?」
「辺境伯様です」
「辺境伯?」
このあたりを含む地域は、東の大国の辺境伯が治めています。
丘の上町も、丘の下町も、以前は別の国だった地域も、今はその領内です。
手紙には、盗賊団の事件について一度会って話を聞きたいと書かれていました。
約200人の盗賊団を一晩で拘束したこと。
その中から、さらわれていた人たちを分けたこと。
逃げた者まで含めて、それぞれの行動を区別して印を付けたこと。
それに、オリビアが回復魔法を使えるエルフであることも、すでに報告されているようです。
人間側から見れば、回復魔法を使える時点でハイエルフと考えるのが普通です。
どこのエルフ貴族の家に属しているのか分からないハイエルフが、領内の町に滞在していることになります。
「怒られる?」
受付のお姉さんが手紙をもう一度見ました。
「怒っている文章には見えません」
「じゃあ行く」
「お返事、そう書いておきますね」
「うん」
手紙は招待の形になっていて、都合がよければ来てほしい、そのための馬車はこちらで用意する、と書かれていました。
返事を出すと、迎えの馬車はまず丘の下町まで来て、そこでオリビアの返事を待ちました。
行くという返事が届いたあと、丘の上町まで迎えに来ます。
*
数日後。
しらかば亭の前に、かなり立派な馬車が止まりました。
「大きいね」
オリビアが外へ出ると、チャトラ、タマ、ミミも見に来ています。
「ほんとに行くんだ」
「5日くらいで着くって」
「遠いね」
「馬車だからね」
辺境伯領の領都までは、馬車で5日ほどかかります。
途中の町で宿に泊まりながら進みますが、街道の都合でどうしても町まで届かない日があり、1晩だけ野営になるそうです。
「帰ってくるよね?」
ミミが聞きました。
「帰ってくるよ。荷物も部屋にあるし」
「じゃあ、お土産」
「何かあったらね」
「食べ物」
「それは自分用にも買う」
チャトラが笑いました。
「やっぱりそこなんだ」
「だって5日も行くんだよ」
「エルフなのに、そういうところだけ忙しいよね」
「おいしいものは別」
オリビアは3人に手を振り、馬車へ乗りました。
*
同じ馬車には、女性が2人乗っていました。
1人は鎧を着けた騎士です。
「イザベル・ド・クレアです。男爵位をいただいております」
きちんと姿勢を正して名乗ります。
鎧と細身の剣を身につけた、普通の女性の体格の騎士です。
もう1人は、落ち着いた服装の若い女性でした。
「フローラ・ミュアと申します。子爵令嬢付きの侍女をしております」
「オリビアです」
「存じております」
フローラが丁寧に頭を下げます。
辺境伯に招かれた、所属の分からないハイエルフ。
2人にとっては、最初はそれだけで十分に緊張する相手です。
馬車が走り始めても、しばらくは2人とも姿勢がきれいでした。
「そんなに固くしなくてもいいよ」
「いえ、そういうわけには」
イザベルが答えます。
「私、冒険者だよ」
「ハイエルフの方でもあります」
「みんなそう言うんだよね」
オリビアは座席へ少し深く座りました。
馬車は立派です。
座席も悪くありません。
それでも道は道です。
石畳ではない場所もあります。
車輪が窪みを通るたび、身体が上下します。
オリビアは浮遊魔法を少しだけ使いました。
変えるのは、身体にかかる重力の有効値だけです。質量はそのままなので、馬車が揺れたときの慣性まで変わることはありません。
「これくらいかな」
座席へ押しつけられる力が少し減ります。
腰も楽になりました。
イザベルが見ています。
「今、何を?」
「ちょっと軽くした」
「身体を?」
「重力の方」
イザベルはしばらく考えました。
「……分かるような、分からないような」
「座ってるのは楽になるよ」
その日は、まだ自分にだけ使いました。
*
1日目の夜は、街道沿いの町に泊まりました。
翌朝、また馬車へ乗ります。
2日目になると、さすがにフローラもイザベルも、昨日ほどきれいな姿勢を続けていません。
イザベルは鎧があります。
フローラにとっても、5日間の馬車旅は楽なものではありません。
「2人とも、腰痛くない?」
「少しだけです」
フローラが答えました。
イザベルは、
「問題ありません」
と言いましたが、昨日より座り直す回数が増えています。
「じゃあ軽くするね」
「え?」
オリビアは2人にも浮遊魔法をかけました。
「うわ」
フローラの身体がほんの少し浮きかけます。
「減らしすぎた」
「今、浮きましたよね?」
「ちょっとだけ」
調整します。
足も座面も普通に触れている程度に戻します。
「これなら?」
フローラが座り直しました。
「あ……楽です」
イザベルも自分の身体を確かめます。
「鎧まで軽く感じます」
「下向きの重さを減らしてるから」
「剣を動かしたときは?」
「質量はそのまま。急に振ったら普通に慣性はあるよ」
「なるほど。それなら、軽くなったつもりで雑に動かない方がよさそうですね」
「うん」
そこはイザベルの理解が早いです。
騎士として、動く物の重さを身体で知っています。
*
昼近くになると、オリビアがお腹を空かせました。
「何か食べる?」
「次の休憩所まで、まだ少しかかります」
フローラが答えます。
「あるよ」
収納へ手を入れます。
買っておいた肉入りピロシキを出しました。
それから、蓋のできるポットも何本か出します。
「紅茶ですか?」
「ジャム入り」
町で何度も買っているジャム入り紅茶です。
気に入ったので、ポットごとかなりの数を収納へ入れてあります。
「一緒に食べよう」
「よろしいんですか?」
「いっぱいあるよ」
3人でピロシキを食べます。
ジャム入り紅茶も飲みます。
最初は辺境伯の客としてオリビアへ遠慮していたフローラも、食べ始めると普通に話すようになりました。
「これ、おいしいですね」
「でしょ」
「どちらで買われたんです?」
「丘の上町。食堂でも売ってるし、持ち帰りでも買えるよ」
イザベルもピロシキを食べています。
鎧姿で真面目な顔をしているので、食べているところだけ少し不思議に見えます。
「イザベルさん、ずっと鎧なの?」
「移動中ですから」
「寝るときも?」
「さすがに脱ぎます」
「よかった」
「何を心配されていたんですか」
フローラが笑いました。
昨日までの固さが、かなりなくなっています。
*
その日の夕方。
宿へ入る前に、オリビアが言いました。
「洗う?」
「お湯を頼みますか?」
フローラが聞きます。
「魔法」
オリビアは自分に使っている洗浄魔法をフローラへ使いました。
髪も肌も衣服も、余分な汚れだけが取れます。
「……すごい」
フローラが袖を触ります。
「これ、侍女の仕事がかなり変わりますよ」
「服も洗えるよ」
「本当に?」
「時間の条件は必要だけど」
次はイザベルです。
オリビアは鎧を見ました。
「鎧の人に使うの初めてだ」
「大丈夫でしょうか」
「身体と服はいつもの条件でできるけど、鎧は別にしよう」
イザベルが鎧を外します。
身体と衣服を先に洗浄します。
それから鎧だけを別にして、金属と革を傷めない条件へ変え、汚れを落とします。
終わると、鎧が妙にきれいになりました。
「ぴかぴか」
オリビアが言います。
イザベルも表面を見ました。
「ここまで光っていたのは、いつ以来でしょう」
「毎日できるよ」
「騎士団へ持ち込んだら大騒ぎになります」
「そんなに鎧洗うの大変?」
「洗うというより、手入れですね」
そこから、3人で鎧の手入れや侍女の洗濯の話になりました。
辺境伯のところへ向かう馬車の中なのに、話している内容はずいぶん普通です。
*
3日目も町に泊まりました。
4日目だけは、どうしても次の町まで届きません。
街道沿いの安全な場所で野営します。
護衛や御者たちが馬車を寄せ、馬の世話をします。
イザベルはこのときだけ、馬車の中にいるときより騎士らしい顔になりました。
周囲を見て、道の先を確認し、警戒の位置も確かめます。
オリビアは収納から食べ物を出しました。
「またピロシキですか?」
「まだあるよ」
フローラが笑います。
「オリビア様の収納、食堂みたいですね」
「紅茶もあるよ」
「それも知っています」
焚き火の近くで、3人はまた一緒に食べました。
最初の日なら、フローラがオリビアと同じ食べ物を手に持って笑うところまではいかなかったでしょう。
今は普通です。
イザベルも、必要な警戒を終えると戻ってきました。
「私の分は?」
「あるよ」
「ありがとうございます」
*
5日目。
街道を進む馬車の窓から、建物が増えていくのが見えました。
「領都です」
フローラが言います。
「やっと着いた」
「5日ですからね」
「馬車、長いね」
「オリビア様は、途中からほとんど平気そうでしたけど」
「軽くしてたから」
「私もかなり助かりました」
イザベルもうなずきます。
領都の中を進みます。
通りは丘の上町より広く、人も多いです。
そして、その先に辺境伯の城が見えてきました。
「きれいなお城」
オリビアが窓の外を見ました。
5日間の馬車旅は、もうすぐ終わります。
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