第3章 オリビアは冒険者カードを受け取ります
第3章 オリビアは冒険者カードを受け取ります
宿を出ると、通りはもう朝の忙しさを抜けています。店の戸は開き、荷車も通っていますが、仕事へ向かって急ぐ人の姿はあまりありません。
朝食を食べている間に、町の1日はずいぶん先へ進んだようです。
「ほんとに朝遅いんだ、私」
カメリアさんには、エルフは急がないと言われました。受付が混む時間を避けられるなら、それも悪くありません。
冒険者ギルドへ行く前に、オリビアは収納の中から自分の身分証明書を探します。すぐに見つかりますが、道の真ん中で読むわけにもいかないので、建物の壁際へ寄りました。
昨日は身分証明書があることを確かめただけです。今日は、書かれている内容まできちんと読んでみます。
名前はオリビア。人間の町で使う通称です。種族はエルフで、そこは当然、自分の今の姿とも合っています。
出身地の欄には見覚えのない名前があり、発行元にも同じ名前が書かれています。町や市に当たるような言葉は付いていないので、オリビアは村なのだろうかと思いますが、この世界の行政区分をまだ知らない以上、本当のところは分かりません。
「ここが私の村なのかな」
そう口にしてみると、少し変な気持ちになります。自分の出身地として書かれているのに、行ったことはありません。神様がこの世界の中へ置いた、自分の出身地です。
地図帳で探せば場所は分かるかもしれません。そのうち、本当に行ってみてもいいでしょう。
さらに下へ読み進めたところで、目が止まりました。
「……220?」
現年齢、220歳。
数字をもう一度見直しても、やはり220です。
「歳だよね、これ」
文字を読み違えている様子もありません。
オリビアは身分証明書から顔を上げます。通りの向かい側に姿を映しそうな窓があったので、少し近づいて覗いてみました。
そこにいるのは、昨日から見ている自分です。長い耳に、日本にいたころとは違う顔をしていますが、見た目の年齢は18歳くらいにしか見えません。
「これで220歳なんだ」
エルフなら普通なのかもしれません。それでも、自分には220年分の記憶があるわけではなく、日本で生きた十数年と昨日からの記憶しかありません。
オリビアはもう一度、身分証明書へ目を戻します。
神様は、本来残っていた寿命をこちらで生きるように言いました。日本で生きた時間が本来の寿命のだいたい2割ほどだったとして、この世界では、その2割ほどに相当する年齢が220歳になっているのなら――。
「2割で220……」
全部なら1100です。
ぴったり5倍になると決まった話ではありませんが、それでも1000年を超えて生きる可能性が見えてきます。
「1000年以上?」
数字にすると大きすぎます。
昨日まで大学受験のことを考えていた自分です。夏休みなので合宿へ参考書を何冊も持ってきて、地学の本にダンジョンが載っているだけでも驚いていました。220年生きた人らしい落ち着きなど、どこにもありません。
「私、変なエルフだなあ」
見た目は18歳くらいで、身分証明書だけなら220歳。その中身は、昨日まで日本にいた受験生です。
身分証明書を収納へ戻しかけたところで、これから冒険者ギルドへ行くことを思い出しました。出しやすいところに置いておいた方がよさそうです。
冒険者ギルドの建物へ入ると、受付の前に列はなく、朝の仕事探しはもう一段落しているようでした。壁際では机を囲んで話している人や、紙を広げて何かを確認している人がいて、奥では職員らしい人が書類を片づけています。そのわりに、中は思ったより静かです。
カメリアさんの言った通り、朝早く仕事を探す人たちはもう出ていったのでしょう。
オリビアが中へ入ると、受付にいた男性が顔を上げます。こちらを見ると、すぐに知っている人へ向ける顔になりました。
「お嬢ちゃん、来たのか」
「おはようございます」
「おはよう。ちょうどよかった。冒険者カード、できてるよ」
オリビアは足を止めます。
「……できてるんですか?」
今度は男性も一瞬止まりました。
「できてるよ。取りに来たんだろ?」
「あ、はい」
そういうことになっています。数日前のオリビアは、自分の知らないところで冒険者カードを申し込んでいました。
男性は後ろの棚を探します。
「どこだったかな……これだ」
1枚のカードを取り出し、オリビアへ差し出しました。
「ほら。確認してみな」
受け取ったカードは、オリビアにとって初めて触る物です。
「名前、間違ってないか?」
「オリビア。合ってます」
「身分証も持ってる?」
「はい」
さっき読んでいた身分証明書を出すと、男性は2枚を並べて確認します。
「よし。これでいい」
「2枚とも持っておくんですね」
「そうだな。身分証と冒険者カードは別物だからな」
「どう違うんですか」
男性が少し不思議そうにこちらを見ました。数日前に申し込みをした本人が聞くには、少し妙な質問なのでしょう。
オリビアは続けます。
「ちゃんと説明を聞いておこうと思って」
「ああ、そういうことか」
それで納得してくれたようで、男性は椅子へ座り直します。
「身分証は、お嬢ちゃんが誰なのかを証明する物だ。名前、種族、出身なんかはそっちを見る。冒険者カードはギルドの方で使う。仕事を受けた記録も残るし、必要な情報も入る」
「身分証の代わりにはならないんですか」
「使えるところもあるよ。ただ、元の身分証を持ってるなら、両方持っておいた方がいいな」
「分かりました」
オリビアは2枚を手元へ並べます。片方には自分が220歳のエルフだと書かれ、もう片方は、ついさっき初めて受け取ったばかりのカードです。
「それと、金も入れられる」
受付の男性が冒険者カードを指したので、オリビアは顔を上げます。
「お金?」
「入れてあるだろ」
「もう入ってるんですか」
男性がまたこちらを見ます。
「自分で入れただろ?」
「ああ……そうでした」
世界の中では、そうなっています。神様が作った数日前のオリビアは、カードの申し込みだけでなく、お金の手続きまで済ませています。
「残高、見られます?」
「見られるよ。ここを使う」
男性に手順を教えてもらい、その通りに操作すると数字が出ました。
「これが残高」
「そうだ」
オリビアは表示された数字を見ながら、日本で自分名義になっていた預貯金を思い出します。もちろん通貨が違うので数字そのものは同じではなく、この世界の金額へ置き換えられているのでしょう。
「財布の現金は、こっちには入ってないですよね」
「そっちは入ってないよ。持ってる金まで勝手にカードへ入ったら困るだろ」
「ですよね」
収納から財布を出してみると、昨夜確かめた、この世界の硬貨と紙幣が入っています。日本で手元に持っていた現金はこちらの通貨になって財布の中へ、預貯金は冒険者カードの残高へ、それぞれ分かれて移っているようです。
「ちゃんと分かれてる」
「何が?」
「こっちの話です」
受付の男性は首を傾げますが、それ以上は聞きません。
オリビアはもう一度残高を見ました。数字だけでは、ここで暮らすのに多いのか少ないのか分かりません。
「この金額って、しばらく生活できます?」
「何をするかによるな」
「普通に宿に泊まって、ごはん食べて」
「それなら、すぐ困るような額じゃないぞ」
「よかった」
1週間分の宿代はすでに払ってあります。その先も、いきなり明日から食べられなくなるような心配はなさそうです。
「物の値段がまだ全然分からないんです」
「町へ来たばかりなら、そんなもんだ」
その言葉は助かります。神様が作った数日間しかこの町にいないことになっているので、物価に詳しくなくても不思議には思われないようです。
「カードで直接払えるんですか」
「使えるところならな」
「使えないところもある」
「そりゃある。小さい店まで全部同じじゃない」
「じゃあ、現金も必要なんですね」
「そうだな。少しは持っておいた方がいい」
オリビアはうなずきます。カードだけあれば何でも済む世界ではないようです。
「ほかには何ができます?」
「最初から説明するか?」
「お願いします」
受付の男性が周囲を見ると、受付前にはまだ誰も並んでいません。
「今なら空いてるからな。朝の混んでる時間だったら、こんなにゆっくり説明できなかったぞ」
「宿で朝ごはんを食べてたら、この時間になりました」
「エルフだもんな」
今日、そう言われるのは2回目です。
「エルフって、そんなに朝が遅いんですか」
「遅いっていうより、急がないんだよ」
カメリアさんから聞いたのと同じです。
「人間の冒険者は?」
「朝から仕事を取りたいなら早いぞ。いい仕事からなくなることもあるしな」
「なるほど」
自分が冒険者として朝早く仕事を取りに来るようになるのかは、まだ想像がつきません。そもそも、冒険者として何をしたいのかも決めていないのです。
それでも、カードはもう手元にあり、収納には弓が入っています。回復魔法も使えますし、交通手段を呼び出せる能力まであります。使えるものだけはずいぶん揃っていますが、神様から冒険者になれと言われたわけではありません。
オリビアは2枚のカードを見ます。身分証明書と、今受け取った冒険者カードのどちらにも、自分がこの世界にいることがきちんと残っています。
そして身分証明書には、220歳と書いてあります。
「どうした?」
受付の男性が聞きます。
「いえ。自分の年齢を見て、ちょっとびっくりしてました」
「220だろ?」
「はい」
「若いじゃないか」
「……若いんですね」
「エルフならな」
また1つ、この世界の普通を知ります。
見た目は18歳くらいで、この世界では220歳でも若いエルフです。ただ、オリビア自身が持っているのは、日本で生きた十数年と昨日からの記憶だけです。その違いを、受付の男性が知るはずもありません。
受付の男性が冒険者カードを指します。
「じゃあ、続き説明するぞ」
「お願いします」
1000年以上あるかもしれない寿命について考えるのは、あとでもできます。今は、目の前のカードの使い方を覚える方が先です。




