第27章 探索区域へ入ります。 ダンジョン5層目です。観光フロアの下にいよいよ行きます。
第27章 探索区域へ入ります
探索講習を受けた翌朝も、オリビアが起きた時刻はいつもとあまり変わりませんでした。チャトラ、タマ、ミミの3人は朝から山上村ダンジョンへ行くつもりでしたが、朝の遅いオリビアと出発時刻が合いません。3人は3人のパーティー、オリビアはソロで、それぞれ別に入ることになっています。
顔を洗って着替え、食堂へ降りると、朝の混雑はもう終わっています。朝ご飯を食べているところへ、デンゼルとアルガーが来ました。2人ともこの辺りで長く狩りや護衛をしていて、山上村ダンジョンの観光層より下にも入ったことがあります。
「今日、山上村ダンジョンの下へ行ってみます」
「5層か?」
「6層まで行こうかなと思ってます」
デンゼルはそれなら、と少し考えました。
「5層までなら、罠にはまらなければ帰還率はほぼ100%だろうな。6層でも、まともに経験のある冒険者ならまず100%帰ってこられる」
「じゃあ、前に見た帰還率って、もっと深いところまで行った人も混ざってるんですか?」
「混ざってる。それと、申告をごまかすやつがいる」
山上村ダンジョンでは、観光フロアの第1層から第4層までと、その先の探索区域とで扱いが変わります。探索区域へ入る冒険者は、何層まで潜る予定かを申告します。第5層から下は保険料も深さに応じて増えるので、第5層までと書いておきながら、第6層、第7層へ進む者がいるそうです。
「帰ってこないときは、保険を使う本人もいないからな。問題になるのは怪我して帰ってきたときだ」
アルガーが続けました。
「第5層にいない魔物の毒や爪痕が残ってたら、さすがに査定で分かる。けど、落とし穴で脚を折ったとか、岩で切ったとかなら、どの層でやったか分かりにくい。魔物にまともにやられたら帰れないことも多いから、実際に保険を使うのは罠や転倒の怪我が多いな」
「採取したものは?」
「それも層で分かるものが多い。嘘の申告で保険を使うつもりなら、深いところで取った素材は捨てることになるな」
「もったいない」
「だから正直に申告した方がいい。大怪我したときは、同じパーティーの仲間がどこまで行ったか知ってるだろ。嘘を隠したい連中にとって、目撃者が邪魔になることもある。追い詰められたやつが何をするか分からん」
探索講習では、申告した層を守ることや保険の制度は説明されましたが、現場でどうごまかす者がいるのかまでは聞いていませんでした。
「ギルドの講習では、そこまで教えてくれなかった」
「講習で教えるのは正しい使い方だからな」
オリビアはパンを食べながら、もう1つ聞きました。
「5層と6層だと、何を採ってくるのがいいですか? 収納があるので、大きさとか重さは気にしなくていいです」
「鉱石なら、重さを気にしなくていいのは有利だな。ただ、何でも持って帰ればいいわけじゃない。含有率の高いところを選んだ方がいい」
鉱石は場所によって目的の成分の濃さが違います。収納へ入れてしまえば運搬重量は問題になりませんが、精錬所へ持ち込んだ後の処理量は別です。
「濃いところを持って帰った方が、同じ量を精錬しても取れる分が多い。手数料も安く済む」
「分かりました。濃いところを探します」
第6層の方が高品位の部分を見つけやすいそうですが、第5層にも濃いところはあります。色や重さ、割れ方を見て選べるようになると効率が上がるそうです。
「いろいろ教えてくれてありがとう」
「6層までなら、変なことしなきゃ帰ってこられる。罠はよく見ろよ」
「はい」
朝食を終えると、オリビアは昼のお弁当を頼みました。自分の分だけでなく4人分です。途中でチャトラたちに会うかもしれません。収納へ入れれば重さも増えず、温度もそのままなので、余っても困りません。
「4人分?」
「チャトラたちに会うかもしれないから」
大きい方のハンバーグ弁当を4つ作ってもらい、カトラリー、4人分のコップ、ジャム入り紅茶の入った水筒も収納しました。
武器として借りていた剣は、昨日ギルドへ返しています。代わりに収納には、合宿で、矢の通る空間を開けるために持ってきていた小型の山刀と草刈り鎌がありました。こちらの世界へ移ったとき、小型の山刀は片手で使える格好のいい短剣へ変わっています。小型の山刀の方は、日本では法律や流通の都合であの形だったのかもしれません。
ところが、草刈り鎌はどういうわけか、こちら仕様になっても草刈り鎌のままでした。
「これは、この形で完成してるのかな」
2つとも収納へ戻し、しらかば亭の外でTALONを出します。山上村までは約10kmです。前回と同じ道を走り、村へ着くとTALONを収納して、まず iへ入りました。
「観光フロアより下へ行きたいんですけど」
オリビアは昨夜受け取った探索用入場許可証を見せました。
「今日は何層まで行く予定ですか?」
「6層までです」
受付の人は申告欄へ第6層までと記入し、料金を確認します。探索区域の入場料は観光フロアの半額です。観光時のシルバー料金は5/100フローリンだったので、今日は25/1000フローリン、0.025フローリンでした。1/1000フローリンの銅貨なら25枚です。
220歳のオリビアは、今回も当然シルバー料金です。
「保険はどうしますか? 任意です」
「どんな保険ですか?」
「ダンジョン内で怪我をして治療を受けたとき、認められた治療費の70%が出ます。お金は本人へ渡さず、病院や治療院へ直接支払われます」
観光フロアの第1層から第4層までは追加の保険料がなく、第5層から下は1層ごとに料金が増えます。怪我の保険が1層につき1フローリン、病気や状態異常の保険も1層につき1フローリンです。
受付の人がオリビアの年齢を見て、少し申し訳なさそうな顔をしました。
「ごめんなさい、オリビアさん。怪我の保険には入れますが、病気の方には入れないんです。状態異常を起こす魔物には気をつけてくださいね」
「病気はだめなんですか?」
「90歳以上は、ダンジョンの病気系保険へ入れない決まりなんです。病気は、いつ始まったのか分かりにくいので」
怪我なら落下や切創の時点を比較的特定しやすくても、病気や状態異常はダンジョンへ入る前から始まっていたのか、内部で受けたものなのか判定しにくくなります。
「エルフ特約とかありませんか?」
受付の人は帳面を確認しました。
「この国にはないようです。申し訳ありません」
「では、怪我の保険でお願いします」
第5層と第6層の2層分なので、怪我保険は2フローリンです。オリビアは入場料と一緒に支払いました。
手続きが終わると、受付の人が細長いものを持ってきます。
「それと、100歳以上で2回目のご来場ですので、こちらをどうぞ」
「杖?」
前回は首から提げるパスケースをもらいました。2回目の記念品は杖です。富士山で売っているような太い木の杖ではなく、ツル科の植物をまっすぐに矯正して乾燥させ、表皮を取って磨いた細い杖でした。持つとかなり軽く、長さも探索で床や壁を確かめるのにちょうどよさそうです。
「これ、使えそう」
もらったばかりの杖には、少し調べておいた強化魔法を入れます。材質を別のものへ変えるのではなく、靱性、剛性、曲げたときにバネとして見た定数、質量などの値を直接指定しました。見た目は磨かれたツルの杖のままですが、床を強めに突いても簡単には折れません。
ダンジョン入口では、前回もらったパスケースに入場券を入れて首から提げ、そのまま見せました。探索用入場許可証の確認も済ませてあります。係の人に指定された探索者用ルートへ入ると、第1層から第4層までの観光フロアを通らず、第5層へ出ました。
照明の少ない通路は、前回よりずっと暗く感じます。その暗さの中で、壁にも床にも天井にも、フズリナの魂が緑色に光っていました。数えきれないほどあります。表面だけでこれなら、岩盤の内部にはさらに多く入っています。
「やっぱり、いっぱい光ってる」
今日はガイドさんも学芸員さんもいません。
前回、第3層で石の矢が飛んできたことを思い出します。矢は刺さると痛そうです。探索区域では、毒や別の仕掛けが加わっている可能性もあります。
「先に防御を作っておこう」
身体の外側へ、薄い魔法の層をまとわせます。
普通の物理式だけなら、質量、速度、方向、材質などしか扱えません。ここでは最初に魔法式を置き、「オリビアへ危害を加える意図を伴って外から入ってくる物体」だけを対象にしました。雨、埃、落ち葉、手渡された物、味方が触れた手などは反応しません。
対象物の一部が層へ触れた瞬間、その物体全体を指定します。矢なら矢全体、長い槍なら層の外に残っている柄まで含めて1つの対象です。先端だけ軽くして、後ろに残った重い部分から押し込まれるようなことを避けるためでした。
その物体が持っているエネルギーと危険性を魔法式で見て、質量を k⁻¹、つまり1/1000にするか、M⁻¹、1/1000000にするかを自動選択させます。細かく何段階も係数を用意するより、kとMの逆数なら式を短くできます。
質量そのものを減らせば、物理式の側では消えた質量に対応する莫大なエネルギーが出ます。そのエネルギーは外へ出さず、魔法式と物理式を = でつなぎ、減った質量に相当する分をその場で再び質量へ戻します。
生成物は金にしました。高密度なので、同じ質量を収納へ入れるなら体積が小さくて済みます。変換ロスは0です。途中で光や熱として放出する段階を作らないので、防御層が働いても光ったり熱くなったりしません。
「これでいいかな」
次に、落とし穴を探す方法も作ります。
歩いたときの足音と、靴底から床へ入った振動を連続して分析します。直前までの床を基準にして、反射して戻る時間、減衰、周波数成分などが変われば、床下に空洞がある可能性があります。怪しいところでは、さっきもらった杖で床を突けば、既知の質量とバネ定数を持つ杖から、同じような入力を入れて確かめられます。
準備ができると、オリビアは第5層を歩き始めました。
少し進んだところで、足音の返り方が変わります。
「ここだ」
杖で周囲を何か所か突くと、正方形の範囲だけ下に空間があります。前回見た落とし穴と同じ型です。床模様に紛れているので目では分かりにくいのですが、位置が分かってしまえば境界を取れます。
オリビアは約1m四方、厚さ2cmほどの方解石板の周囲を指定し、前回と同じように位置をわずかにずらしてダンジョンとの接続を切りました。有効質量を落として手元へ寄せ、そのまま収納します。
「第4層のと比べられる」
床はすぐに再生を始めました。1分もかからず元に戻ります。オリビアは待って、再生した板をもう1枚、同じ方法で取り出しました。最初にあった板と、再生後に作られた板を後で比べられます。
もう一度再生したところで、今度は板そのものを取りません。透明な方解石板の上に載っている、周囲と同じ床模様の薄い偽装層だけを剥がしました。
前回、観光ガイドさんが展示用の落とし穴でやっていた方法です。板が割れない限り、偽装層は戻りません。透明な方解石板が見えるようになったので、後から来る冒険者もここに落とし穴があると気づけます。
また歩き始めます。
上で何かが動きました。
天井からスライムが落ちてきます。
「おっと」
オリビアへ触れかけた瞬間、防御層が作動しました。落下してきたスライムは下向きの速度を持っています。k⁻¹では余裕が足りないと判定されたらしく、選ばれたのはM⁻¹でした。
体積を変えずに質量そのものが1/1000000になると、スライムは空気よりはるかに軽くなります。下向きの慣性もほとんど消え、落ちてきたはずのスライムが途中で向きを変えました。
「上に行った」
何匹も、そのまま天井へ戻っていきます。
「Mも作っておいてよかった」
少し先では、壁の穴から矢が飛んできました。
矢の速度だけならk⁻¹で足りそうでしたが、魔法式が別の危険を拾いました。矢じりに毒があります。
今度もM⁻¹です。
層へ触れかけたところで矢全体の質量が1/1000000になり、飛んできた勢いに対して空気の影響が急に大きくなりました。軌道が上へずれ、オリビアの頭上を通り過ぎます。
「毒矢だったんだ。やっぱりMも必要だね」
オリビアはまたサクサク歩きます。
しばらくすると、本通路とは関係のない横道の奥に、大きなものが見えました。
「……クモ」
講習で見た、頭胸部と腹部があり、脚が8本、目が8個あるクモ型魔物と同じ系統です。見た目はオニグモに似ています。ただし縮尺が違います。脚まで広げると、学校の25mプールを埋めるくらいの大きさがありました。
横道の奥にいるだけなら、そのまま通り過ぎるつもりでした。
「無視しよう」
そのまま本通路を進もうとしたところで、巨大なクモが動きました。
「来るんだ」
奥から子グモも次々に出てきます。数えると、親と合わせて20匹近くいました。
「こんなの、普通の冒険者はどうするんだろう」
講習では、第5層は経験を積んだ冒険者なら帰ってこられる場所だと聞いています。正面からこの数を全部倒して進むのが普通とは思えません。
親グモがこちらへ向かってきます。
「やっぱり、先手必勝かな」
そのまま防御層へ突っ込ませれば、危険度からM⁻¹が選ばれて天井へ飛んでいく可能性があります。学校プール級のものが天井へ叩きつけられれば、脚まで粉々になりそうです。
オリビアは、どこかのアニメで大きなクモの脚をみんなでおいしそうに食べていた場面を思い出しました。
「脚、食べられるかもしれないし」
できるだけ壊さずに止めることにします。
普通のクモなら神経中枢の大部分は頭胸部側にありますが、これは魔物です。知っているクモと同じ構造だと決めて、短剣を持って頭胸部へ近づくのは危険です。
さっき杖へ使った、物体の力学的な値を直接変える魔法を親グモへ向けました。今度は強くするのではなく、8本の脚の胴体側関節だけを指定し、靱性をk⁻¹、1/1000にします。
巨大な身体を支えていた関節が、その荷重に耐えられなくなりました。
「あ」
動こうとした親グモの脚が、胴体側から次々に壊れます。巨体はそのまま崩れ、脚がばらばらに外れました。
その間にも子グモが来ます。オリビアの防御層まで到達した個体は攻撃意図を拾われ、M⁻¹になって天井へ飛んでいきました。
まだ遠くにいる子グモは、近づいてくる前に身体を縦方向へ2つに分けます。空間の境界を指定して、片側をわずかにずらしました。
奥には卵嚢もありました。
「いっぱい入ってる」
1つを2つにするだけでは、中の子グモが残りすぎます。卵嚢は中身ごと細かく分け、断片の位置もずらしました。
動くものがなくなってから、オリビアは親グモの外れた脚だけを収納しました。頭胸部と腹部はその場に残します。魔物の身体がどんな神経配置を持つのか分からないので、安全を優先して胴体はそのままにします。
「これ、食べられるかな」
横道を離れて本通路へ戻ると、その先に、周囲とは様子の違う壁がありました。
今まで壁や床の中で無数に緑色に光っていたフズリナが、そこだけ光っていません。
オリビアは足を止めました。




