第23章 オリビアは街道を洗って小麦を回収します
第23章 オリビアは街道を洗って小麦を回収します
5台の解体テーブルに、5匹の熊の魔物が並んでいる。
ベラミラ先生は、そのうちの1匹の首をしばらく見ていた。
「先生、さっきの熊の魔物なんですけど」
「はい」
「首のところを2mm離して、0.01秒間そのままにしてから元の位置へ戻したのに、やっぱりつながらなかったんです」
「5匹とも同じでしたね」
「前に普通の熊で試したときも、同じでした」
オリビアは切断面を見る。
頭の位置は元へ戻してある。
血管も神経も筋肉も、切れたところで終わったままになっている。
「魔物って、もっと再生するものだと思ってました。切ってもすぐ治るとか」
「そういう魔物もいます。ただ、どの魔物も強く再生するわけではありません」
「どこにいるんですか?」
「魔力の地脈が強くて、魔力が地表まであふれてくる地域です。そういう場所では、普通なら致命傷になるような損傷から戻ったり、傷が異常に早く塞がったりする魔物が出ます」
「場所で違うんだ」
「かなり違います。再生能力の強い魔物が多い地域は、魔力の強い地域とだいたい重なります」
オリビアは、帝国書院の地図帳を思い出した。
地図帳には地形や国境、街道だけではなく、魔力の強さを示した分布図も載っている。
強い再生能力を持つ魔物の分布図もある。
さらに、別のページにはデュラハンの分布も載っていた。
三つを見比べると、強い地域がかなり重なっている。
そこまでは本を読んで知っている。
けれど、本に書いてあることが、この世界では誰でも知っている常識なのか、魔法を学んだ人なら知っていることなのか、それとも専門家しか知らないことなのかは、本を読むだけでは分からない。
ベラミラ先生は魔法の検定や確認を担当し、普段は家庭教師もしている。
この世界で実際に暮らしていくなら、本の知識と、こちらの人が知っていることを照らし合わせられる相手は大事だった。
「じゃあ、首を持ったまま馬に乗ってる騎士みたいな魔物も、それと関係あります?」
「デュラハンですね」
「うん。それ」
「関係あります。魔物を討伐するために魔力の強い地域へ入った騎士が、そこで首を落とされることがあります。そのままなら当然そこで死にますが、魔力が地表まで強くあふれている場所では、切断された状態のまま魔物化して動き続けることがあるんです」
「それで、自分の頭を持ってるんだ」
「そうです。そういう条件がそろう地域で現れるので、デュラハンが出る場所もかなり偏っています」
「再生の強い魔物がいる場所と同じあたり?」
「重なる地域が多いですね」
帝国書院の分布図と一致する。
地図帳の情報そのものが正しいことは、これまでにも何度も確かめてきた。
今日分かったのは、その内容がベラミラ先生にも通じる知識だということだった。
まだ、この町にも、この世界にも、聞きたいことはいくらでもある。
オリビアは、自分がどこでその分布図を見たのかには触れず、先生の話を覚えておくことにした。
ベラミラ先生と話している間にも、ギルドの中は動いていた。
門まで逃げ帰ってきた商人も戻ってきて、その勤め先の商会主がやって来た。
商会主は商隊より先に町へ入り、荷を受け取る準備をしていたらしい。
少しして、門に残っていた護衛3人も戻ってきた。
「荷車は3台とも置いてきたの?」
オリビアが聞くと、護衛の1人がうなずいた。
「あの状況じゃ、荷車を引いて逃げたら追いつかれる。馬だけ外した」
「3頭?」
「3台だから3頭だ。商人を俺の後ろへ乗せて、残り2人が1頭ずつ。4人で3頭に乗って走った」
「2人乗りが1頭で、あとは1人ずつなんだ」
「そういうことだ」
荷車の護衛契約は、最低でも荷車1台につき1人。
3台なら護衛は3人必要だった。
熊の魔物を見つけた時点で、荷車を守りながら逃げる余裕はなかった。
3人はすぐに3頭の馬を荷車から外し、商人を乗せて町へ向かった。
熊の魔物は、動いて逃げる人と馬を追ってきた。
荷車と積み荷は街道に残った。
「少し判断が遅れてたら、人も馬も小麦も全部食われてたな」
商会主が言った。
護衛の3人は、もう一度3頭の馬へ乗った。
「現場を見てくる」
3人が出ていく。
商人と商会主は町へ残った。
しばらくして、3人が戻ってきた。
連れて帰れた荷車は1台だけだった。
残り2台は、熊の魔物に壊されて動かせない。
積んでいた樽も多くが壊れ、小麦が街道や道端の草の中へ広く散っていた。
商業ギルドから、壊れた2台の代わりになる貸出用の荷車2台を出してもらうことになった。
護衛3人は、今度はその2台を連れてもう一度現場へ向かった。
壊れた荷車に残っている樽と、まだ回収できる積み荷を移す。
熊の魔物が町へ来てから、1時間ほどたったころだった。
貸出用の荷車2台も戻ってきた。
最初に回収した1台と合わせて、町へ戻った荷車は3台になった。
そこで、ようやく届いた小麦の量を確認できた。
小麦は樽に入れて運んでいた。
壊れた2台では、その樽の多くも砕かれていた。
「どのくらいなくなったんですか?」
オリビアが聞いた。
商人が帳面を見ながら答える。
「6tくらいだ。全体の6割ほどになる」
「6t」
「道と道端の草の上に広がってる。砂まで混じってるから、製粉には回せない」
オリビアは少し考えた。
「落ちた場所、教えてください」
「行くのか?」
「見てきます」
回収依頼は受けていない。
場所だけ聞いて、オリビアはギルドを出た。
「タロン」
GIANT TALONを収納から出す。
自分とタロンを魔力の層で包み、外界から見た有効質量を本来の1/10にする。
重力ベクトルを少し前へ傾けると、ペダルを踏み続けなくても走り出した。
教えられた場所へ向かう。
現場へ着くと、壊れた荷車と樽の残骸が残っていた。
小麦は想像していたより広く散っている。
街道の端から草の中まで、薄く何層にも広がっていた。
手で拾える量をはるかに超えている。
箒で集めれば、道路の砂や土まで一緒になる。
「これなら、街道を洗えばいいかな」
今朝作った洗浄魔法を使う。
衣類を洗ったとき、付着した時間を条件にできることは確認してある。
熊の魔物が荷車を壊してから、まだ2時間もたっていない。
「2時間」
洗浄魔法をかける対象は、街道と道端の草だ。
そこへ2時間以内に新しく付着したものを、汚れとして扱う。
小麦も、砕けた樽や荷車の破片も、事故のあとに街道や草の上へ付いたものになる。
昔からそこにある砂や土、小石は、2時間より前からあるので汚れの条件から外れる。
発動する。
水が街道の端と草の間へ広がった。
街道と草に付いていた小麦が、汚れとして水と一緒に消えていく。
砕けた樽や荷車の新しい木片も入る。
熊の魔物や馬から落ちた毛、血のしずくや細かな動物由来のものも、事故のあとに付いたものなら一緒に入る。
全部、洗浄用の汚水空間へ送られた。
古くからある街道の砂や土、小石は、その場に残っている。
「まずは全部入った」
ここでは小麦だけを選んでいない。
2時間以内に新しく付いたものをまとめて汚水空間へ移しただけだった。
種を水の中へ長く置いておきたくないので、すぐに中身を処理する。
最初に水を分けた。
洗浄に使った水だけを外し、残りを乾いた側へ移す。
次に、動物由来のものを外す。
毛や血、細かな組織片などを取り除く。
残ったものを見る。
小麦。
砕けた樽の木片。
荷車のささくれ。
そのほか、事故で新しく散った植物由来の破片。
「ここまで来れば簡単」
今朝、苔の岩で使った条件を使う。
生きているものを残す。
小麦は脱穀された種子だが、まだ生きている。
樽や荷車の木材は植物からできていても、もう生きてはいない。
死んだ木片や破片を外していく。
最後に残ったのは小麦だった。
選別条件は最後まで、小麦そのものではなく、水、動物由来、生死の順だった。
水を外し、動物由来のものを外し、死んだものを外した結果、生きている小麦が最後まで残った。
「これで全部かな」
現場をもう一度見回す。
草の間にも、街道の端にも、事故で散った小麦は見当たらない。
約6t。
現場に散っていた分は、全部回収できた。
水はすぐ分けたので、小麦は雨に濡れたときと大きく違わない。
ここで乾燥魔法を新しく作るのはやめた。
穀物の乾燥では、水分量の管理が必要になる。
乾かしすぎれば割れやすくなるし、種籾だったとしたら、過乾燥で発芽にも影響が出るかもしれない。
「普通に乾かしてもらえばいいね」
小麦を収納する。
オリビアはタロンへ乗り、ギルドへ戻った。
*
オリビアが小麦の回収に出ている間に、商会と冒険者ギルドでは事故の精算が進んでいた。
荷は契約どおりには届けられなかったので、護衛契約は失敗として確定した。
商会へは護衛料を払い戻すことになり、壊れた荷車2台と樽、小麦約6tの損失もいったん帳簿へ計上された。
「拾ってきました」
受付のお姉さんが顔を上げた。
「何を?」
「小麦。道に落ちてたので」
「……どのくらい?」
「6tくらい」
受付のお姉さんが少し黙った。
「6tを、拾ってきたの?」
「はい。正式に回収を頼まれたわけじゃないので、取得物でお願いします」
「取得物」
「道に落ちてたから」
受付のお姉さんは、しばらくオリビアを見たあと、商会主を呼んだ。
回収された小麦を確認する。
商会側では、オリビアが出ている間に約6tを損失として計上し、壊れた樽も処理対象にしていた。
商業ギルドから新しい樽を用意してもらい、回収した小麦をそちらへ移すことになった。
「これ、前例があるかもしれない」
受付のお姉さんが古い記録を探し始めた。
「前例?」
「似た話。ちょっと待って」
しばらくして、古い帳面を1冊持ってきた。
「これだ」
細粒の岩塩を運んでいた荷が崩れ、砂と混ざった事故だった。
砂が混じった細かな岩塩は、そのままでは売り物にできず、荷主側は損失として処理した。
そのあと、1人の冒険者が回収した。
「どうやって?」
「砂ごと集めて、水に入れたの。塩だけ水へ溶かして、砂を分けた」
「それなら分けられるね」
「そのあとが長いのよ。水を浅く広げて、日なたで少しずつ蒸発させた。全部の塩を戻すのに1か月かかったって」
「1か月」
「それでも全量回収した」
受付のお姉さんが記録を指で追う。
「そのときは、回収品を当時の市場価格で評価した。半額を回収した冒険者へ支払って、現物の岩塩は元の商人へ返したの」
「一回なくなったものとして処理したから?」
「そう。商人は、もう0になったと思っていた品物を半額で取り戻せる。冒険者は回収した仕事に対して半額を受け取れる。両方に利益があるから、この処理になったみたい」
「じゃあ、小麦もそれでいいです」
今の市場価格で、回収した小麦約6tは40フローリンになった。
1フローリンを約9,000円とすれば、約36万円になる。
前例どおり半額。
回収報酬は20フローリン。
小麦そのものは、新しい樽へ詰めて元の商会へ返す。
商会主もその処理に同意した。
失ったはずの40フローリン分の小麦を、20フローリンの回収費用で取り戻せる。
壊れた荷車2台や樽の損失は残るが、小麦約6tは戻った。
「20フローリン、オリビアさんへ支払いね」
「4人で分けてもいいですか?」
「4人?」
「あの護衛さん3人と私」
受付のお姉さんが護衛3人を見る。
「回収したのはオリビアさんですよ」
「でも、小麦が残ったのは3人のおかげでもあるから」
3人がこちらを見た。
「熊の魔物が来たとき、3台の馬をすぐ外して、4人で3頭に乗って逃げたんですよね。商人さんを1人の後ろに乗せて、あとの2人は1人ずつ」
「そうだが」
「もし荷車を守ろうとして少しでも遅れてたら、人も馬も小麦も熊の魔物のお腹に入ってたかもしれない」
誰も反論しなかった。
「3人が馬で逃げたから、熊の魔物も動いてる人と馬を追った。荷車と樽は壊れたけど、小麦はその場に残った。だから私が回収できたんです」
受付のお姉さんは少し考えてから、帳面に書き込んだ。
「じゃあ、20フローリンを4人で。1人5フローリン」
「はい」
護衛契約そのものは失敗扱いのままだった。
商会へは護衛料が返金されている。
それと、オリビアが回収報酬を分けることは別の話だった。
3人には、それぞれ5フローリンずつが回った。
*
熊の魔物の査定も終わった。
受付のお姉さんが、今度は別の精算書を持ってくる。
「まず、緊急防御対応費。オリビアさんと、護衛3人に2フローリンずつ」
町の防御に出た4人へ、1人2フローリン。
4人で8フローリンになる。
「それから、オリビアさんは塀の外へ出て対応してるから、危険手当が2フローリン」
「はい」
「討伐報酬は、実際に討伐へ参加した人で分配するんだけど」
受付のお姉さんが護衛3人を見る。
「3人は弓を準備したところまで。200mでは射程外だったし、矢を1本も放つ前に終わったから、今回は討伐報酬の分配には入らない」
「そりゃそうだ」
護衛の1人が苦笑した。
熊の魔物は町へ襲いに来て、荷車2台と樽を壊している。
被害が出た襲来個体なので、討伐報酬には割増がついた。
「1頭20フローリン。5頭で100フローリン」
「100」
「それから、個体の買い取りが1頭12フローリン」
「大きいのに、そのくらいなんですね」
「肉が高級じゃないのよ」
受付のお姉さんが解体場の方を見る。
「食肉としては、廃用牛くらい。食べられる量は多いけど、柔らかい高級肉って感じじゃない。煮込みや挽肉、加工用が中心ね」
「毛皮は?」
「普通の熊の方が高い。この魔物、毛がかなりゴワゴワしてるから」
身体が大きいので、肉も脂も皮も爪も量は取れる。
毛皮も肉質も、大きさとは別に評価される。
「だから個体買い取りは12。5頭で60フローリン」
「はい」
「魔石は1頭5フローリン。5頭で25フローリン」
魔物なので、5頭とも魔石がある。
「解体手数料は前と同じ。1頭0.5フローリン」
5頭で2.5フローリン。
討伐報酬100。
個体買い取り60。
魔石25。
そこから解体手数料2.5を引く。
熊の魔物5頭そのものの精算は182.5フローリンになった。
そこへ、オリビアの緊急防御対応費2フローリンと、塀の外へ出た危険手当2フローリンが加わる。
186.5フローリン。
さらに、小麦回収報酬の自分の取り分が5フローリン。
今日の一連の出来事で、オリビアに入るのは191.5フローリンになった。
「今日も収入あった」
横で聞いていたベラミラ先生が、少しだけ笑った。
「ずいぶんありましたね」
「まあまあ普通に生活できるし、しばらくこの町にいます」
「普通、の範囲が少し違う気もしますけど」
「宿もあるし、ごはんも食べられるし」
オリビアにとっては、それで十分だった。
エルフ国へ急いで行く理由もない。
この町には、生活を教えてくれる人がいる。
魔法について聞けるベラミラ先生もいる。
「また会いましょう」
「ええ。またお話ししましょう」
ベラミラ先生と別れ、オリビアはしらかば亭へ向かった。
*
しらかば亭へ戻る。
入口の近くにある、レセプションのような場所にカメリアさんがいた。
「あ、カメリアさん」
「おかえり、オリビアちゃん」
「ただいま」
オリビアはそのまま聞いた。
「来週からも、お部屋空いてますか?」
「今の部屋?」
「うん」
「空いてるよ。まだ泊まる?」
「うん。1か月いくらですか?」
「食事とお湯付きで、今と同じ条件なら10フローリンだよ」
「じゃあ、1か月お願いします」
10フローリンなら、大金貨1枚でちょうど払える。
オリビアは収納から大金貨を1枚出して、カメリアさんに見せた。
「ちょうど大金貨1枚だけど、細かいのがいい?」
「大金貨でいいよ」
「じゃあ、これで」
大金貨を渡した。
これで、来週からも今と同じ部屋に1か月泊まれる。
朝と夕方の食事があり、お湯も使える。
日本では高校生だった。
自分で簡単な料理をすることはあっても、住まいを借り、鍋や燃料までそろえて、毎日の食事を全部自炊する生活をしたことはない。
こちらの食材や火の使い方には、まだ知らないことが多い。
今の宿なら、部屋があり、食事が出て、お湯もある。
カメリアさんたちもいる。
月10フローリン。
今日の収入だけでも、単純に比べれば19か月分以上になる。
「これなら、しばらく大丈夫だね」
この町へ来て、まだ1週間ほど。
来週からも、しらかば亭に泊まることになった。




