第22章 魔法の先生と話していたら魔物が来ます
第22章 魔法の先生と話していたら魔物が来ます
しらかば亭で昼食を食べ終えたあと、オリビアは外へ出た。
朝から洗浄魔法を作り、そのあと飛翔魔法まで作った。
もう1つ、試してみたいことがある。
「タロン」
収納からGIANT TALONを出した。
これまでは町の近くまで来ると収納し、人目のあるところでは歩いていた。
でも2日前は、商隊を連れ帰るためにNew Holland T5まで使った。商人も護衛も見ているし、ギルドの受付のお姉さんにも見られている。
「もう、タロンだけ隠しても仕方ないかな」
オリビアはサドルへまたがった。
そのまま走り出す前に、自分とタロンを1つの対象として魔力の層で包む。
身体や自転車そのものの質量を変えるのではない。
外界との相互作用で使われる有効質量だけを、本来の1/10にした。
ペダルを軽く踏む。
「あ、軽い」
タイヤが路面へ押しつけられる荷重も小さくなっている。
タイヤの変形による損失が減り、いったん動き始めるとよく転がる。
有効質量が小さくなった分、外から力を受けたときの慣性も小さい。
普通に走る程度なら、タイヤが路面を押す力が減ったことはあまり困らなかった。
「だったら、ペダルもいらないね」
自分とタロンに作用させる重力ベクトルを、ほんの少しだけ前へ傾ける。
タロンが前へ進み始めた。
ペダルから足を離しても進む。
速度が上がりすぎない程度に前向きの成分を小さくする。
「自走する自転車になった」
エンジンもモーターも電池もない。
平らな道なのに、自分のところだけ少し下り坂になったように進んでいる。
「日本なら……きっと大丈夫だね」
何が大丈夫なのかは考えないことにした。
交差する道が近づいたので、いつもの癖でブレーキレバーへ指をかける。
そこで止めた。
「うっかり、いつもの調子でブレーキかけないようにしないとね」
今はタイヤにかかる荷重が1/10程度しかない。
自転車のブレーキそのものは元のままなので、強く握ればタイヤと路面の間で使える摩擦を簡単に超えて、車輪をロックさせそうだった。
前へ傾けていた重力ベクトルを戻す。
さらに、ごく弱く後ろへ向ける。
タロンは滑らずに減速した。
止まる直前だけブレーキを軽く使う。
「こっちの方がいい」
走り始めるときも、速度を落とすときも、重力ベクトルで調整できる。
ブレーキは最後に止まるときと、止めて置くときに使えばいい。
もう一度走り出す。
今度は町の中でも収納しなかった。
2日前、もっと目立つ青いトラクターをギルドまで乗り入れている。
タロンなら、今さらだった。
しばらくして冒険者ギルドが見えてきた。
入口の前でゆっくり止まり、タロンから降りる。
「収納」
すぐにタロンをしまった。
外へ置いておけば盗まれるかもしれないし、珍しがった誰かが触るかもしれない。
鍵をかけるより、こちらの方が確実だった。
ギルドへ入る。
昼を少し過ぎた時間なので、中は朝より静かだった。
受付の方を見ると、見覚えのある人がいる。
つばのある帽子とローブ。手元にはロッドがある。
能力精査のとき、受付のお姉さんや2人の検査官とは別に来ていた、魔法担当の人だった。
「検定官の先生ですね。おひさしぶりです」
「お久しぶりです、オリビアさん」
先生もこちらを覚えていた。
少し話すことになり、2人でギルドに併設されたバー食堂へ移った。
「ジャム入りの紅茶と、ピロシキをお願いします」
オリビアが頼む。
「私も同じものを」
先生も自分の分を頼んだ。
ジャム入り紅茶が0.01フローリン。
ピロシキも0.01フローリン。
1人0.02フローリンだった。
紅茶が来ると、先生はさっそく聞いた。
「聞きたいことがあったんです。回復魔法の精査をしたあと、ずいぶんいろいろ治したそうですね」
「何人か治しました」
「チャトラさんたちの耳と尻尾。それから、商隊の馬を2頭」
「はい。馬は2頭とも左の後ろ脚が折れてました」
先生は少し考える。
「回復魔法を使えるのは、ハイエルフだけですね」
オリビアは紅茶を1口飲んだ。
「ハイエルフでなくても使えると思うけど」
「……そうなんですか?」
「うん」
それ以上は言わなかった。
オリビアは、自分がハイエルフではなくピュアエルフだと知ったばかりだった。
でも、その話をここでするつもりはない。
先生は少し不思議そうな顔をしたが、別の方へ話を進めた。
「それにしても、よく使いますね」
「回復魔法?」
「はい。獣人の方たちも人族も、エルフから見れば短命でしょう。馬はもっと短い。普通のハイエルフなら、会ったばかりの相手に、あそこまでの回復魔法を使うことはほとんどありません」
「でも、困ってたから」
前にも同じことを言った気がする。
「馬も歩けなかったし」
「そこなんです」
先生は苦笑した。
オリビアは逆に気になったことを聞く。
「先生は、人族なんですか?」
「はい。人族ですよ」
「人族でも魔法を使えるんですよね」
「使えます。ただ、自分で新しい魔法式を組み立てることはできません」
先生はロッドへ手を置いた。
「今、人族が使っている魔法式は、昔のエルフが残したものです。私たちは、その式が何をしているのかを調べて、覚えて、必要な部分を正しく唱えて使います」
「詠唱するんだ」
「ええ。ロッドも使います」
能力精査の日に、「ロッドは使いますか」と聞かれた理由が分かった。
先生にとっては、それが普通の使い方だったのだ。
「回復魔法は、それじゃ無理なんですか?」
「無理です」
先生の答えは早かった。
「怪我は1つずつ違います。同じ骨折でも、骨の折れ方も、ずれ方も違います。血管や神経がどこまで傷んでいるかも違う。傷なら深さも異物も違います。病気まで入れれば、全部の症状に対応する魔法式を1つずつ覚えるなんてできません」
オリビアもうなずいた。
「身体の中、細かいもんね」
「はい。外から見えないところで少し間違えれば、それで終わりです。人族が覚えた完成済みの式を唱えるだけでは、患者ごとに違う身体の中へ合わせ続けられません」
先生はピロシキを1つ指した。
「こういうものならできますよ」
ロッドを持つ。
短い魔法式を、詠唱するように声へ出す。
皿の上のピロシキが、ゆっくり持ち上がった。
「おお」
だいたい10cm。
そこで止まっている。
「浮かせる魔法です。対象を決めて、決められた式を使えばいい。こういう魔法なら、人族でも使えます」
先生がロッドを下げると、ピロシキも皿へ戻った。
「じゃあ、私のも見ます?」
「見せてもらえるんですか?」
「はい。先生、そのまま椅子に座っててください」
オリビアは先生の服を見る。
「スカート押さえておいてくださいね」
「……はい?」
「浮きますから」
先生は意味が分からない顔をしながら、それでもスカートを手で押さえた。
オリビアは先生自身へ作用している重力ベクトルを変えない。
先生には、いつもどおり下向きの重力がかかっている。
椅子に作用させる重力ベクトルを上向きにし、その大きさを、先生と椅子の合計に働く下向きの力を支えたうえで、全体がほんの少しだけ上へ加速するように調整した。
椅子の脚が床から離れた。
「えっ」
椅子ごと、20cm、30cmとゆっくり上がる。
先生は座った姿勢のままだった。
自分にかかる重力はいつもと同じで、上向きの加速度もごく小さい。お尻にはほぼ普段どおり座面からの力がかかり、感覚としては椅子ごと誰かに持ち上げられているのに近い。
「……私、浮いてます?」
「椅子ごと浮いてます」
オリビアは上向きの作用を弱め、椅子をゆっくり床へ戻した。
4本の脚が床につく。
「今のは、先生の身体は変えてないです」
「身体を?」
「今度は先生の方を変えます」
先生が少し身構えた。
「痛くないですよ」
オリビアは先生の身体と衣類を1つの対象にする。
体内の骨や血液や内臓、そのものの質量には触れない。
身体の外側を包む魔力層から外界へ見せる有効質量だけを変える。
基準は、その場所の空気だった。
先生と衣類を合わせた体積に対して、平均の有効質量密度が周囲の空気密度と同じになるところまで下げる。
「できました」
「……何が?」
先生が座り直そうとして、動きが止まった。
「え?」
座面へかかっていた力が、ほとんどない。
身体を支えてもらっている感じが消えている。
「体重が……ないみたいです」
「外から見た平均の有効質量密度が、空気と同じになるところまで下げました」
「質量を?」
「本当の質量はそのままです。外から見たときだけ」
先生が少し身体を動かした。
その動きで椅子をわずかに押し、身体がふわりと離れた。
「わっ」
完全なゼロ質量ではない。
先生の体積なら、外界から見た有効質量は数十g程度残っている。
動こうとすれば、そのわずかな慣性は感じる。
でも、足を床へつけて体重を支えている感覚はない。
先生は空中でそっと手を動かした。
「さっきと全然違います」
「さっきは、先生は普通のままで椅子を動かしました」
「今は、私の方が……」
「空気と同じくらいです」
先生が少し横へずれた。
「戻しますね」
オリビアは、有効質量を小さくした状態のまま、先生へ作用する重力ベクトルを調整した。
まず横方向を椅子の真上へ合わせる。
それから、ほんの少し下向きの成分を作る。
先生の身体がゆっくり椅子へ戻っていく。
お尻が座面へ触れたところで動きを止めた。
最後に、外界から見た有効質量を少しずつ本来の値へ戻す。
「あ、戻った」
座面へ体重が戻ってきた。
先生は自分の腕や脚を確かめるように動かした。
「こんなことまでできるんですね」
「浮いたり、空を飛べますよ」
「空を?」
「今日、飛べるようになりました」
「今日?」
「はい」
先生はしばらく何も言わなかった。
オリビアは自分のピロシキを食べる。
少しして、先生が別のことを聞いた。
「それで……なぜ、ハイエルフがこの町にいるんですか?」
「ああ、それ」
山の中で弓の練習をしていたこと。
標高1900mくらいの場所だったこと。
そこから突然こちらへ飛ばされ、気がついたら森の中にいたこと。
自分でも理由は分からないこと。
前にデンゼルたちへ話したのと同じ範囲で説明した。
「まだ、ここへ来て1週間くらいですよ」
「1週間?」
「うん。宿もあるし、仕事もできるし、生活には困ってないから、しばらくここにいるかな」
エルフ国へ行けば、自分の家のことも分かるかもしれない。
資料集を読んだ今は、自分が高い身分どころか、本来なら王位を継ぐ側だったことまで知っている。
それでも今すぐ行く気にはならなかった。
「たぶん、ここが神様のおすすめ場所なんでしょうね」
「おすすめ、ですか」
「気がついたらこの町の近くだったし、生活にも困ってないので」
先生はまた少し考え込んだ。
「この町、のんびりしてていいですよ」
「この辺りは、東の国の一部になってからも、前にここにあった国の気風がかなり残っていますからね」
「それでのんびりしてるんだ」
「オリビアさんも、かなりのんびりしているように見えますけど」
「ギルドへ来るの、だいたい私が一番遅いです。宿の朝ごはんも私が最後」
「エルフですからね」
「それ、よく言われる」
2人で笑った。
ちょうどそのときだった。
ギルドの入口が勢いよく開いた。
「門から連絡! 魔物が町へ向かってる!」
静かだった室内の空気が変わった。
受付のお姉さんがすぐに立つ。
周囲を見回す。
昼過ぎだった。
朝から依頼へ出た戦闘系冒険者は町の外にいる。
町へ残っている者も、この時間なら昼食のあとで休んでいる。
「……戦闘に出られる冒険者、今ここにはいないわね」
「ゼロですか?」
「ゼロ」
この町らしい時間だった。
「門まで行きましょう」
受付のお姉さんが言った。
オリビアも立つ。
さっき空を飛べると説明したばかりだが、町の中で飛ぶ気にはならなかった。
飛翔魔法を作ったのは今日である。
大きな町でもないし、徒歩で行ってもそれほどかからない。
「私も歩きます。まだ人のいるところで失敗したくないので」
魔法担当の先生もロッドを持って立った。
3人で門へ向かった。
着いたときには、荷車が通る大きな門はもう閉じられていた。
太い閂も入っている。
開いているのは、人が1人ずつ通れる潜り戸だけだった。
門の内側には、息を切らした商人がいる。
そのそばに、武器を持った冒険者が3人いた。
さっきまで、その商人を護衛していた3人だった。
街道で魔物を見つけ、商人を連れて町まで逃げ帰ってきたらしい。
戦闘系冒険者が、0人から3人になった。
「あと、どのくらいです?」
受付のお姉さんが聞く。
護衛の1人が息を整えながら答えた。
「3分もない。真っすぐこっちへ来てる」
「何が?」
「熊の魔物。5匹」
「5匹?」
「でかい。体長6mくらいある」
オリビアは頭の中で大きさを考える。
「2.5tくらいありそう」
「重さまでは分からんが、そのくらいあってもおかしくない」
前に森で仕留めた熊とは別物だった。
普通の熊ではなく、熊型の魔物が5匹。
門番たちも弓を用意する。
逃げ帰ってきた護衛3人も、呼吸が落ち着くとすぐに矢をつがえた。
オリビアは潜り戸の外を見た。
やがて、遠くの街道に大きな影が見える。
大きな影は1つ、2つと増え、全部で5つ見えた。
近づくにつれて、熊に似た形がはっきりする。
大きい。
距離が200mほどまで縮まった。
護衛たちが弓を構える。
門番も射かける準備をしている。
オリビアは1つ確認した。
「あれ、食べられます?」
「食える!」
護衛の1人がすぐ答えた。
「じゃあ、なるべく傷めないようにします」
「え?」
オリビアは5匹を見る。
前に普通の熊で試した空間分離と同じ考え方を使う。
今回は頸部を横切る水平面にした。
5匹それぞれについて、頸部の切断面を指定する。
頭側の空間を2mmだけ上へ移す。
0.01秒間、その状態を保つ。
元の位置へ戻す。
5匹の熊型魔物が、ほとんど同時に崩れた。
矢は1本も飛んでいない。
門の前が静かになった。
オリビアは倒れた5匹を見る。
「今回も、くっつかないね」
「何をしたんですか?」
魔法担当の先生が聞いた。
「首のところを水平に2mmだけ離して、0.01秒間その状態を保ってから戻しました」
「戻した?」
「位置は戻したけど、切れたところはつながらないみたいです」
5匹とも、頸部の大血管まで完全に分かれている。
頭はほぼ元の位置にあるが、切断面の組織は接続していない。
血が流れ出している。
「今、血抜き中です」
弓を構えたままだった3人が、ゆっくり弓を下ろした。
しばらく待った。
十分に放血が進んだところで、オリビアは潜り戸から外へ出る。
1匹ずつ確認する。
どれももう動かない。
「収納」
1匹目が消え、続いて2匹目、3匹目、4匹目、5匹目も収納へ入った。
2.5t級が5匹とも収納へ入った。
オリビアは潜り戸から町へ戻った。
「じゃあ、ギルドへ持っていきます」
来たときと同じ3人で歩いて戻る。
逃げ帰ってきた護衛たちは、しばらく門に残ることになった。
ギルドへ戻ると、そのまま解体場へ向かった。
大型の解体テーブルが並んでいる。
「1、2、3、4、5」
ちょうど5台あった。
「ぴったり」
オリビアは1台目の上へ、1匹目の熊型魔物を収納から出した。
大きな身体が解体台へ収まる。
2台目、3台目、4台目、5台目にも、順番に熊型魔物を出していく。
5匹で、5台の解体テーブルが全部埋まった。
受付のお姉さんは、もう記録用の紙を出している。
「5匹とも同じ種類。討伐場所は町の門から約200m。全部オリビアさんでいいわね」
「はい」
「切断は頸部だけ?」
「はい。血抜きもしてあります」
受付のお姉さんが書き込む。
それから、横にいた魔法担当の先生へ声をかけた。
「ベラミラ先生、魔法の方も見てましたよね。確認をお願いできます?」
「はい。全部見ています」
オリビアが顔を上げた。
「ベラミラ先生っていうんですね」
先生がこちらを見る。
「……今まで知らなかったんですか?」
「聞いてなかったので」
能力精査のときから何度も会っているのに、名前を聞いたことはなかった。
ベラミラ。
名前まで魔法使いらしい響きがする。
きれいな名前で、本人も名前どおりのきれいな人だった。
「先生は、いつもギルドにいるんですか?」
「いいえ。検定や魔法関係の確認があるときに来ます。普段は家庭教師もしていますよ」
「家庭教師なんだ」
オリビアは5台の解体テーブルを見た。
「今日もいろいろあったなあ」
「まだ昼過ぎですよ」
ベラミラ先生が言った。
「そうだった」
オリビアは、まだ午後がかなり残っていることを思い出した。




