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第21章 飛翔魔法をつくります



第21章 飛翔魔法をつくります


 湖岸で洗浄魔法の試験を終えたオリビアは、自分の腕をもう一度触った。


 さらさらしている。


 髪もべたつかない。


「これは毎日使える」


 かなり満足したところで、遠くの湖面を見た。


 白いアヒルボートがまだ浮いている。


 デンゼルとアルガー、それにダリアとアマリリスが乗っているはずだ。


 そこで、前に数研出版の物理だった本を読んだときのことを思い出した。


「次、飛んでみようかな」


 水魔法で水を高速噴射すれば、反作用で自分を飛ばすことはできる。


 重力による力を魔力で打ち消して重量を小さくしても、慣性質量そのものは残る。


 物理法則そのものを書き換えるのではなく、その上へ魔力による作用を加える。


 そこまでは、前に調べてある。


 ただ、自分の身体そのものの質量を変えるのは少し怖い。


 血液も骨も内臓も、身体の中では今までと同じ質量のままでいてほしい。


「中はいじらない」


 オリビアは、自分の身体の外側を薄い魔力の層で包んだ。


 身体そのものへ作用させるのではなく、その層より外側にある物理現象から見たときだけ、自分の質量を小さく見せる。


 まずは極端な値で試してみることにした。


「0.05 kg」


 50 g。


 自分の身体と、今着ている衣類や靴を一つの対象として、外界から認識される有効質量だけを50 gにする。


 身体の中では何も変わらない。


 心臓も普通に動いている。


 腕を振っても、自分の腕そのものが急に軽くなったような感じはしない。


 ところが、足の裏へかかっていた力が急に小さくなった。


「あ」


 踵が浮いた。


 そのまま身体が地面から離れる。


 人間一人分の体積が押しのけている空気の質量は、50 gより大きい。


 外界から50 gの物体として扱われているなら、空気の浮力が勝つ。


「ほんとに浮くんだ」


 オリビアは少しずつ上へ動いた。


 完全に質量を0にしたわけではない。


 空気密度が下がれば浮力も小さくなり、どこかでは有効重量と釣り合う。


 そこまで上がる必要はないので、いったん条件を変えた。


 収納から小さな包みを一つ出す。


 キャンディーだった。


「これ、バラストになるよね」


 今の魔法は、自分の身体と最初に指定した衣類や靴だけを対象にしている。


 あとから取り出したキャンディーは普通の質量を持っている。


 ポケットへ一つ入れる。


 少し下がった。


「動く」


 もう一つ入れる。


 また少し下がる。


 収納へ戻すと、今度は上がる。


 気球の砂袋と同じだった。


 違うのは、ポケットへ入れているのがキャンディーというところだけだ。


 オリビアは何個か出し入れして、上下の変化を確かめた。


「でも、ご飯食べたあとだと変わるね」


 食べた物は身体の内側に入るので、この魔力層の対象として一緒に扱える。


 その一方で、お腹が膨らめば身体が押しのける空気の体積は少し増える。


 深く息を吸っても体積は変わる。


 50 gまで小さくすると、その程度の変化でも浮き方へ影響する。


「これは浮遊用の実験値だなあ」


 毎回キャンディーで調整して飛ぶのは面倒だ。


 浮力で浮けることは分かった。


 オリビアはキャンディーを収納へ戻し、有効質量を元へ戻しながら地面へ降りた。


 両足が地面につく。


 次は飛翔だった。


「下を変えればいいんだ」


 地面の下、重心方向へ向いている重力ベクトルそのものを、魔法式の中で別の方向へ移す。


 まず向きを真上へ変え、強さを十分の一にする。


「上向き、0.1 G」


 足が地面から離れた。


 身体がゆっくり上へ加速する。


 そのまま少し上がり、重力ベクトルの向きを前へ移す。


 身体が前へ進み始めた。


 右へ向ければ右へ、左へ向ければ左へ動く。


 斜めへ向ければ、その方向へ進む。


 方向だけでなく、重力の強さも魔法式の中で変えられる。


 数秒進んだところで、重力ベクトルを進行方向と反対へ向けた。


 速度が落ち、止まった。


「これで飛べる」


 飛翔そのものは、重力ベクトルの向きと大きさで制御できた。


 次に、外界から認識される有効質量も連続して変えられるようにする。


 普段の飛行では、本来の質量の1%程度まで小さくしておく。


 周囲へ与える慣性力が小さくなれば、飛行中に木や建物へ接触したときの被害も小さくなる。


 細い枝を足で蹴っただけでも、その反作用を使って向きを変えやすい。


 重い物を押したり投げたりするときは、自分の有効質量を必要なだけ増やせばいい。


 腕は何もしていない。


 試しに両腕を横へ広げてみる。


 見た目は少し飛んでいる感じがする。


 次に、両腕を前へそろえてみた。


「……これ、手が使えない」


 格好だけならそれらしい。


 でも、飛んでいる間に両手がふさがる理由はない。


 腕を普通に下ろす。


 そのまま前へ進む。


 問題なく動く。


 収納からキャンディーを一つ取り出して、空中で包みを見た。


「手、使える」


 弓を持つこともできる。


 本を開くこともできる。


 収納から物を出すこともできる。


 飛ぶ方向は、腕や脚ではなく魔力層の中の鉛直ベクトルで決めればいい。


 旋回するときも、身体を大きく傾ける必要はない。


 鉛直方向を少しずつ横へ回せば、進行方向も変わる。


 オリビアは湖岸の上をゆっくり往復しながら、上、斜め、横、後ろと方向を変えてみた。


 全部動く。


 問題は速度が上がったときだった。


「150 km/hくらいまで出すなら……」


 150 km/hは約41.7 m/s。


 空気抵抗をいったん無視して、進行方向と反対へ1 Gをかけて止めるとする。


 止まるまで約4.25秒。


 その間に進む距離は約88 m。


「長いなあ」


 湖岸でゆっくり試している間は困らない。


 でも町の近くや森の中で、止まるのに90 m近く必要なのは使いにくい。


 減速するときは、進行方向と逆向きの重力を一時的に大きくすればいい。


 2 Gなら停止時間も距離もほぼ半分になる。


 必要ならさらに大きくできる。


 加速と減速で同じ強さにする必要はない。


「前はゆっくり。止まるときは強く」


 これなら使いやすい。


 次に、物を持って飛ぶ場合を考えた。


 自分だけ軽くなっても、重い荷物を抱えれば、その荷物の質量はそのままだ。


 なら、荷物の方も外界から見た質量を小さくすればいい。


 ただし、箱でも岩でも何でも同じ割合にするより、その物体の体積に合わせて有効質量を決めた方が扱いやすい。


「空気と同じ密度」


 その場所の空気密度を基準にする。


 体積1 m³の物体なら、外界から見た有効質量も、その場所にある空気1 m³と同じ程度にする。


 高度が上がって空気密度が変われば、基準も一緒に変える。


 そうすれば、物体自身の有効重量と浮力がほぼ釣り合う。


 オリビアは作用範囲を、自分を中心に半径3 mの球体として組んでみた。


 岸辺に転がっていた大きな石が範囲へ入る。


 石そのものの内部構造は変えない。


 外界から見える有効質量密度だけを、その場所の空気密度へ合わせる。


 石へ手をかける。


「軽い」


 簡単に持ち上がった。


 地面も球体の中に入っているので、同じように有効質量密度は下がっている。


 土の粒子同士をつないでいる粘性や結合、摩擦はそのままで、球体の外側の地面とも続いている。


 半分ほど土に埋まった別の石を押してみると、そちらは周囲の土に押さえられたまま動かなかった。


「質量だけなんだ」


 オリビアは、さっき持ち上げた石を前へ軽く押し出した。


 石が動く。


 同時に、自分の身体が少し後ろへ動いた。


「あ、反作用はある」


 当たり前だった。


 物を前へ加速すれば、自分にも反対向きの運動量が来る。


 反作用も飛翔中の動きの一部として残る。


 大きな物を押したり投げたりするときは、自分の有効質量割合を10%、50%、必要なら100%まで増やす。


 作業が終われば、また下げる。


「飛ぶときは軽くして、物を動かすときは重くする」


 設定を一つ増やした。


 しばらく湖岸の上で、浮いたり、横へ進んだり、止まったり、石を動かしたりしていた。


 そこで、ふと湖を見る。


 白いアヒルボートが止まっていた。


「……あれ?」


 四人とも、こちらを見ている。


 デンゼルもアルガーもペダルをこいでいない。


 ダリアとアマリリスは立ち上がりそうなくらい身を乗り出している。


「ずっと見てた?」


 聞こえる距離ではない。


 それでも、どう見てもこちらを見ている。


 やがてアヒルボートが岸へ戻ってきた。


 先に声を出したのはダリアだった。


「オリビアお姉ちゃん、飛んでた!」


「飛んでたよ」


「なんで飛べるの?」


「今作ったから」


 アマリリスも目を丸くしている。


「今?」


「うん」


 デンゼルとアルガーがアヒルボートから降りた。


「さっきから、上へ行ったり横へ行ったりしてたの、それの試験か?」


「そう。とりあえず飛べるようになった」


「とりあえずで飛ぶのか」


 アルガーが湖岸を見る。


「石まで浮かせてなかったか?」


「重さだけ空気と同じくらいにしてみた」


「何を言ってるのか半分くらい分からん」


「私も作りながら考えてたから」


 ダリアがすぐ近くまで来る。


「私も飛びたい」


「わたしも!」


 アマリリスも続いた。


 オリビアは二人を見る。


 自分一人で浮くところまでは確認した。


 物の有効質量密度を空気と同じにする方法も確認した。


 二人を高速で飛ばすつもりはない。


 低い加速度で、近いところをゆっくり動くなら試せそうだった。


「じゃあ、二人とも手をつないで」


「やった!」


「飛べる!」


 オリビアは右手でダリア、左手でアマリリスと手をつないだ。


 デンゼルとアルガーを見る。


「半径3 mを使うから、二人とも少し離れていてください」


「俺たちまで軽くなるのか?」


「範囲に入ってる物はなる」


「分かった」


 二人の父親が数歩下がった。


 オリビアを中心に、半径3 mの球体を設定する。


 自分自身は別の設定にして、この球体から除外する。


 球体の中にいるダリアとアマリリス、それぞれの衣類や靴を含め、外界から見た有効質量密度を周囲の空気密度へ合わせた。


 二人の身体そのものは何も変わらない。


 有効重量と浮力だけが、ほとんど釣り合う。


 オリビアが二人の手を少し上へ持ち上げる。


 ダリアの踵が地面を離れた。


 アマリリスの足も浮く。


「浮いた!」


「ほんとに浮いた!」


 二人が笑う。


「手、離さないでね」


「うん!」


「離さない!」


 今回は二人を連れている。


 オリビア自身の有効質量は1%まで下げず、約10%にした。


 自分にある程度の有効質量を残した方が、二人の位置を手で支えながら動かしやすい。


 上昇も急がない。


 自分に働かせる鉛直方向を、ゆっくり空の方へ向ける。


 強さは0.2 G。


 三人の足が地面から離れた。


「わあ!」


「上がってる!」


 ダリアとアマリリスの身体は、空気とほぼ同じ有効密度になっている。


 オリビアが手をつないでいれば、一緒に動かすための力は小さい。


 急に引っ張られる感じもない。


 湖岸が少しずつ下へ離れていく。


 デンゼルとアルガーが見上げている。


「お父さん、小さい!」


「まだそんなに上がってないぞ!」


 下から声が返ってきた。


 オリビアは周囲の木を見る。


 梢を越えた。


 さらに少し上がり、岸辺の木の高さの2倍くらいのところで鉛直方向を戻した。


 上昇が止まる。


「このくらいでいい?」


「もっと!」


 ダリアが即答した。


「今日はここまで」


「えー」


「最初だからね」


 今度は横へ動く。


 進みたい方向へ鉛直ベクトルを少しだけ傾ける。


 三人の身体が、湖岸に沿ってふんわり動き始めた。


 速くはしない。


 ダリアとアマリリスは両側で手をつないだまま、下を見たり湖を見たりしている。


「アヒルボート小さい!」


「さっきあれ乗ってた!」


「そうだね」


 100 mほど進んだところで、オリビアは反対方向へ弱い力をかけた。


 速度を落とす。


 止まったところで、今度は元の場所へ向けて同じように進む。


 湖岸ではデンゼルとアルガーが待っている。


 最初に浮いた場所の上まで戻ると、鉛直方向を少しずつ普通の下向きへ戻した。


 三人はゆっくり降りていく。


 地面が近づく。


「もう着くよ」


「うん」


「はーい」


 ダリアの靴が地面についた。


 続いてアマリリス。


 オリビアも着地する。


 二人が自分の足で立っていることを確認してから、半径3 mの球体の設定を解除した。


 ダリアとアマリリスの有効質量が本来の値へ戻る。


「重くなった!」


「さっき軽かった!」


「元に戻したからね」


 二人はその場で何度か跳ねた。


「ほんとだ。いつものジャンプだ」


「飛んだね!」


「飛んだ!」


 二人だけで盛り上がっている。


 デンゼルとアルガーも近づいてきた。


「怖くなかったか?」


「ぜんぜん!」


「木より高かった!」


「2倍くらいまで行ったよ」


 オリビアが答えると、デンゼルが空を見上げた。


「それを、今朝思いついて作ったのか?」


「浮くところはさっき。飛ぶ方はそのあと」


「洗ってたと思ったら、次は飛んでたんだな」


「洗浄魔法ができたから」


「順番がよく分からん」


 アルガーが笑った。


 湖で遊ぶ時間もそろそろ終わりだった。


 オリビアは岸へ置いていたアヒルボートを収納へ戻した。


 五人で町へ向かう。


 歩き始めても、ダリアとアマリリスの話は終わらない。


「今度はもっと遠くまで行ける?」


「行けると思うけど、もう少し試してからね」


「お父さんも飛べる?」


「飛ばすことはできるよ」


「俺もか」


「半径3 mに入れば」


「じゃあ次は俺たちも実験か?」


「実験って言わなければいい?」


「そういう問題じゃない」


 また笑い声が出た。


 歩きながら、オリビアは飛翔魔法の設定を頭の中で整理する。


 自分の実際の質量は変えない。


 外界から認識される有効質量の割合だけを変える。


 重力ベクトルは好きな方向へ向けられる。


 その強さも変えられる。


 高速で止まるときは、進行方向と反対へ強い重力を使う。


 物を運ぶときは、自分の周囲の一定範囲について、有効質量密度をその場所の空気密度へ合わせられる。


 大きな物を押したり投げたりすれば反作用は残るので、そのときは自分の有効質量を増やす。


 両手は飛行制御に使わない。


 今日、ダリアとアマリリスを連れて飛んだときは、自分を10%、二人を周囲の空気とほぼ同じ有効密度にして、0.2 Gでゆっくり上昇した。


「これなら、いろいろ使えそう」


「何が?」


 ダリアが聞いた。


「飛ぶ魔法」


「もう飛べるじゃん」


「飛べるけど、まだ調整するところがあるの」


「エルフって大変だね」


「たぶん、これはエルフだからじゃないと思う」


 しらかば亭が見えてきた。


 中へ入ると、カメリアさんがこちらを見る。


「おかえり。ずいぶん遊んできたねえ」


「ただいま」


 オリビアが答えるより早く、ダリアとアマリリスが声を上げた。


「飛んだ!」


「オリビアお姉ちゃんと飛んだ!」


 カメリアさんの手が止まる。


「飛んだ?」


「うん。木より高いところ!」


「100 mくらい向こうまで行った!」


 後ろから入ってきたデンゼルが言った。


「本当に飛んでたよ。俺たちも見てた」


 アルガーもうなずく。


「朝はアヒルの船に乗せられて、帰る前には娘たちが空を飛んでた」


「何してきたんだい」


 カメリアさんが笑う。


「飛翔魔法を作ってました」


「そうかい。お昼にしようか」


「はい」


 ちょうど昼だった。


 五人は食堂の席についた。


 ダリアとアマリリスは、昼食が運ばれてきてもまだ空を飛んだ話をしている。


 オリビアもその隣で昼ご飯を食べながら、ときどき二人の話へ加わった。


 朝、湖へ来たときには、洗浄魔法を試すつもりだった。


 昼には、自分で飛べるようになり、二人の子どもと手をつないで空を100 mほど往復していた。


『オリビア』


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