第20章 洗浄魔法をつくります
第20章 洗浄魔法をつくります
狩りから戻ったあと、オリビアは少し気になっていたことを調べることにした。
昨日の夕食で、デンゼルとアルガーから聞いた話がある。
回復魔法を使えるなら、ハイエルフだろう。
ハイエルフは、高い身分についていることが多い。
そして二人とも、高位貴族ではないように見えるハイエルフを初めて見たと言っていた。
オリビア自身は、自分が高位貴族なのかどうかを知らない。
身分証明書には出身地があり、自分の本当の名前も三つに分かれている。最初が自分の名前、真ん中が家の爵位、最後が住んでいるところだということまでは分かっている。
でも、それがこちらの世界でどの程度の家なのか、まだきちんと調べていなかった。
「そういえば、調べれば分かるんだよね」
収納から、山川の世界史資料集を出した。
日本にいたときは大学受験用に持ってきたものだ。こちらへ来てからは、神様の力でこの世界の歴史を扱う資料集に変わっている。
オリビアは索引を開き、自分の名前の最後についている地名を探した。
エルフが本来使う名前は、人間にはまともに発音できない。
オリビアの本名も、チャトラたちに聞かせたときは、二回同じように言ったのに同じ音に聞こえないと言われた。
国名も同じらしい。
資料集には、人間が使う文字へ無理やり写したカタカナ表記が載っていた。
「たぶん、これだ」
本来の名前とはかなり違う。
それでも、自分の名前の最後につく場所と対応していることは分かった。
ページを開く。
そこにはエルフの国の歴史が載っていた。
王位は、本来ピュアエルフが継ぐ。
ところが、約五百年前からピュアエルフがいなくなり、ハイエルフが暫定的に国王を務める状態が続いている。
「五百年……」
森で植物たちから聞いた言葉を思い出した。
ピュアエルフ。
五百年ぶり。
「これのことだったんだ」
さらに読む。
約二百年前、長く不在だったピュアエルフが突然現れた。
本来なら、そのピュアエルフが王位を継ぐはずだった。
ところが、本人は王位を継ぐ前に出奔した。
そのため、ハイエルフによる暫定統治は現在まで続いている。
オリビアの手が止まった。
「……これ、私だ」
年代も合う。
資料集に記されたピュアエルフの名前も、自分の本名に対応している。
人間向けの文字へ無理やり直されているので、見た目はかなり違う。でも、誰について書いてあるのかは分かった。
「私、王様になる予定だったの?」
もう少し読む。
エルフ国には、ピュアエルフでなければ正式に継承できない魔道具がいくつか残っているらしい。
ハイエルフの国王でも使えないものがある。
だから単に昔からの慣習だけで、ピュアエルフを探しているわけではない。
王位を正式に引き継げないまま、使えない王権用の魔道具まで残っている。
エルフ国は、約二百年前に出奔したピュアエルフの捜索を今も続けている。
「二百年も探してるんだ」
人間なら、とんでもない長期間だ。
でもエルフは長生きする。
昨日もデンゼルたちから、エルフは物事を急がないと聞いたばかりだった。
そのうち戻るだろう。
そう考えて二百年待つのも、エルフならあり得るのかもしれない。
オリビア自身も、今すぐ王様になりたいとは思わなかった。
「……そのうちでいいかな」
資料集をさらにめくった。
自分の家族についても載っているかと思ったが、そこまではなかった。
歴史上の出来事として載っているのは、約二百年前にピュアエルフが現れ、王位継承者になるはずだったのに出奔した、というところまでだ。
父親と母親が誰なのか、兄弟姉妹がいるのか。
それは分からない。
「こっちにも家族はいるはずなんだけどな」
神様がこちらの世界に、自分が二百二十歳のエルフとして存在できるように調整したのなら、家族や家系もどこかにあるはずだ。
エルフが森の中から突然わいてくるわけではない。
そこで今度は、数研出版の生物資料集を出した。
前にも読んだピュアエルフの項目を、今度は発生のところまで読む。
けれど、こちらははっきりしなかった。
ピュアエルフがどうやって生まれるのかについて、いくつか仮説は載っている。
どれも観察例が少なく、推論の部分が大きい。
少なくとも、ハイエルフ同士からピュアエルフは生まれない。
エルフとしての割合を両親の平均で考えるなら、両親が1未満なのに、子だけが突然1になることはない。
ハイエルフ同士を何世代交配しても、それだけで失われた部分が勝手に戻ってピュアエルフになるわけではない。
「じゃあ、私はどこから出てきたんだろう」
自分で言ってから、理科の授業で見た実験が頭に浮かんだ。
スワンネックフラスコ。
昔は、腐った食べ物などから微生物が自然に発生するという考え方があった。
けれど、培地を煮沸したあと、空気は通すが塵や微生物が曲がった首の途中にたまるスワンネックフラスコへ入れておくと、培地には微生物が増えなかった。首を折ったり、培地を傾けて首にたまった塵へ触れさせたりすると、そこから増殖が始まる。
何もないところから生物が勝手にわいてくるのではなく、外から入ってくる。
オリビアは自分の手を見る。
「……どうもなあ」
原因だけなら知っている。
神様に、どんな種族がいいかと聞かれて、自分でピュアエルフを選んだ。
自然発生したわけではない。
この世界の研究者から見れば発生経路不明のピュアエルフだが、本人だけは原因を知っている。
「神様なんだよね」
資料集を閉じた。
自分がエルフ国の王位を継ぐはずだったことは分かった。
家族は分からなかった。
ピュアエルフの発生機構も、資料集では推論の域を出ていない。
でも、今の生活がすぐ変わるわけでもない。
しらかば亭には泊まれる。
狩りや依頼でお金も入る。
生活費に困っているわけでもない。
「まあ、今のままでいいか」
オリビアは資料集を収納へ戻した。
翌朝。
オリビアが食堂へ降りたころには、しらかば亭の朝はかなり進んでいた。
相変わらず、自分が一番遅い。
「おはようございます」
「おはよう、オリビアちゃん」
今日はデイジーさんがいる。
アカシアさんの姿はない。
「アカシアさんは?」
「今日は休みだよ。旦那たちが家にいるときは、あたしたちもだいたい交代でこっちへ出るんだ」
「そうなんだ」
デンゼルとアルガーは、護衛でかなり長く家を空けていた。
今朝は二人とも仕事へ出ず、ダリアとアマリリスを連れて湖へ行ったらしい。
「昨日置いてきた、鳥みたいな船に乗るんだって」
「アヒルボート」
「そう、それ」
「もう行ったの?」
「とっくに」
オリビアは食堂の窓から外を見た。
「私、そんなに遅い?」
「エルフだからねえ」
前にも聞いた答えだった。
オリビアは朝食を食べる。
食べ終わって部屋へ戻り、顔を洗い、髪を整え、今日使いそうな本をバッグへ入れた。
そこで今日の課題を思い出す。
「バッフェン、やってみよう」
日本にいたころに読んだ、かなりのヒット作だった異世界小説に、とても便利そうな洗浄魔法が出てきた。
身体も服も建物もきれいにできる。
攻撃魔法より、ああいうものの方が異世界生活では絶対に便利だと思っていた。
ただし、魔法の名前を正確には覚えていない。
外国語として学校でずっと勉強していたのは英語だ。
あの作品の世界はドイツ語っぽい名前が多かった気がするが、オリビアにドイツ語の知識はない。
「バッフェン、だったかな」
今回は洗浄そのものだけでなく、もう一つ試したいことがある。
こちらの世界では、魔法式を頭の中で組んで現象を起こせる。
でも、もし既に存在する魔法の名前を発音するだけで、その魔法が呼び出せるなら便利だ。
一から動作を考えて設計しなくてもいい。
今日はまず、それを試す。
元の作品では、洗浄すると水が広がって周囲までびしょびしょになるような描写があった。
宿の中で試すのはやめた。
湖へ行く。
湖へ着くと、遠いところで白いアヒルボートが動いていた。
デンゼルとアルガー、それにダリアとアマリリスが乗っているらしい。
オリビアはそちらへは行かず、少し離れた岩の多い湖岸へ回った。
水が飛んでも困らない場所を選ぶ。
地衣類がびっしり付いた岩があった。
「これでいいかな」
岩の前へ立つ。
洗浄するつもりで意識を向ける。
「バッフェン」
何も起きない。
「違うか」
少し音を変える。
「ヴァッフェン」
やっぱり何も起きない。
「バッション」
変化なし。
もう一度、記憶を探る。
「……ヴァッシェン」
地衣類も岩も、そのままだった。
水も出ない。
「だめか」
ここまで試せば、単なる発音の間違いという可能性はかなり小さそうだ。
少なくとも、オリビアが覚えている範囲でこれ以上それらしい名前は思いつかない。
「転移した世界が違うんだから、そりゃそうか」
異世界小説に出てきた魔法名を言えば、別の異世界でも同じ魔法が出る。
そんな便利な共通規格ではなかったらしい。
魔法名だけで既存の術式を呼び出せるか、という実験はここで終了した。
「じゃあ、作ろう」
バッグを開き、持ってきた教科書とノートを出した。
洗浄で何を残し、何を除くのかを決める。
最初の条件は、生きているものを残すこと。
生物の死骸や、死んだ組織、それに岩から剥がれた鉱物の破片は汚れとして扱う。
ただし、鉱物なら何でも除去するようにすると、岩そのものまで対象になりかねない。
そこで破片の大きさを制限した。
「二ミリ未満」
母岩として連続している大きな岩は残す。
二ミリ未満の砂、岩粉、細かな破片は汚れとして扱う。
生きている生物は除去しない。
地衣類なら、生きている部分を残したまま、表面や隙間にたまった死んだ組織や細かな鉱物片だけを落とせるはずだ。
頭の中で条件を組み、魔法式へ落とし込む。
「これで」
発動させた。
今度は反応した。
水が岩の表面を流れ、細かなものを巻き込んで落としていく。
地衣類そのものは残っている。
その間にたまっていた細かな汚れが減ったので、岩の表面は少し違って見えた。
「生きてるところは残る」
第一段階は成功した。
でも、このまま人間や衣服には使えない。
オリビアは自分の服を見る。
「布って、死んだものだよね」
綿なら植物繊維。
羊毛なら動物由来の繊維。
革も動物組織だ。
生物の死骸や死んだ組織を汚れとして消す条件のまま衣類へ使えば、服そのものがなくなる可能性がある。
「これはだめ」
物質の種類だけで汚れを判断する方法はやめる。
今度は、表面から引き剥がすのに必要な強さを条件に加えた。
布を構成している繊維同士の結びつきや、縫い糸、しっかり固定されたものは残す。
表面へ弱く付着している泥や埃のようなものだけを外す。
「でも、これも足りない」
染色した繊維を考える。
布についた染料も、食べ物の色素が染み込んだ汚れも、繊維へ色素が結びついているという点では似ている。
たとえば、ストライプ柄の青い布と、スパゲティのソースがついた布。
魔法から見れば、どちらも色のついた物質が繊維へ結合している。
「強さだけじゃ、柄とシミを区別できない」
そこで時間を使うことにした。
いつ結合したかを条件にする。
今回、実験用の汚れはこれからわざと付ける。
だから、現在から一時間以内に新たに付着、結合したものを洗浄対象にすれば、もともとの染色は残るはずだ。
「一時間で試そう」
収納から端切れを出した。
青いストライプ柄だ。
染料は、おそらくインディゴ系に見える。
そこへ木の実の汁をつけた。
さらに湖岸の泥もこすりつける。
きれいだった端切れが、わざと汚した布になった。
時間条件を一時間に設定する。
洗浄を発動した。
水が端切れを通り、木の実の汁と泥を持っていく。
青いストライプは残った。
「できた」
今度は設定時間を延ばしてみる。
一年。
発動する。
ストライプは無事だった。
ただ、端切れ全体が少しきれいになった。
今つけた汚れだけでなく、この一年ほどの間に付いた細かな汚れまで落ちたらしい。
「じゃあ、二年」
もう一度。
ストライプはまだ残っている。
さっきよりさらに薄汚れた感じが減った。
布そのものの色が、少しはっきりして見える。
「三年」
設定を変えて発動した。
オリビアは端切れを見て止まった。
「……あ」
青いストライプがない。
生成りの無地になっていた。
布そのものは残っている。
でも、染料がきれいに落ちている。
「三年だと染色まで対象に入るんだ」
一年は無事。
二年も無事。
三年では染料が落ちた。
少なくとも、この端切れの染色は、時間条件を三年まで広げると洗浄対象として拾われる。
時間条件がきちんと働いていることも分かった。
同時に、古い汚れを全部落とそうとして時間を長くしすぎると、衣類の染色や加工まで落とすことも分かった。
「これは、ちゃんと時間を決めないとだめだね」
実験を続けながら、もう一つ気になることが出てきた。
洗浄に使った水だ。
ここまでは湖岸なので、水と一緒に落ちた汚れは湖側へ流していた。
元になった異世界小説の魔法では、洗浄に使った水は汚れと一緒に消えていた。
こちらの魔法でも、物質や質量ごと消すような処理は組めそうだった。
でも、わざわざ消滅させる必要もない。
「収納みたいに、別のところへ送ればいいか」
収納魔法で使っている空間指定を流用する。
洗浄専用の、汚水を入れる別空間を作った。
洗浄に使った水と、そこへ移った汚れを、洗浄終了と同時にそちらへ転送する。
これなら周囲へ汚水を流さない。
質量そのものを消す必要もない。
しかも今の洗浄では界面活性剤を使っていない。
中身は水と泥、細かな有機物などが中心になる。
「濃くしたら肥料にできるかも」
今すぐ使う必要はない。
まずは汚水空間へためておけばいい。
水の行き先まで決まったところで、もう一度屋外のものを試す。
今度は、地衣類ではなく苔がびっしり生えた別の岩を選んだ。
「これにしよう」
岩には染色を守る必要がないので、衣類で使った時間条件はいったん外す。生きている苔は残す。
苔の間にたまった泥、死んだ組織、小さな鉱物片を洗い出す。
水は最後に汚水空間へ送る。
発動した。
一瞬、水が岩全体を包む。
そして水が消える。
残った岩を見て、オリビアは少し笑った。
「すごくきれい」
苔は無事だった。
しかも、生きている緑の部分だけがやたら鮮やかに見える。
その下の岩肌からは、長くたまっていた細かな汚れや風化片が抜けている。
新鮮な岩に、鮮やかな苔だけを貼りつけたような妙な見た目になった。
「生きてるものは、ちゃんと残ってる」
ここまで来ると、自分に使ってみたくなる。
しらかば亭には、現代の日本にあるような風呂はない。
お湯を用意してもらい、身体を拭くことはできる。
それでも、日本にいたころの入浴とはかなり違う。
この洗浄魔法が身体へ安全に使えるなら、生活はずいぶん楽になる。
「……やってみよう」
ただし、いきなり何も考えず全身へかけるつもりはない。
自分の身体表面と髪を対象にし、衣類は対象から外す。
洗浄が皮膚の奥へ入らないよう、作用する深さを決める。
目には入れない。
外耳道にも入れない。
口や鼻から吸い込まないようにする。
発動中は息を止める。
水が残らず、最後には汚水空間へ移るようにする。
時間は長くしない。
「五秒」
オリビアは一度、大きく息を吸った。
目を閉じる。
息を止める。
耳や目、鼻、口へ水が入り込まない条件をもう一度確認する。
洗浄深さも確認する。
発動。
水が身体の表面と髪を包んだ。
一秒。
二秒。
三秒。
四秒。
五秒。
設定したところで洗浄が終わり、水は汚れと一緒に汚水空間へ移った。
オリビアは目を開け、息をする。
「……大丈夫」
耳にも水は入っていない。
目も痛くない。
皮膚にも刺激はない。
腕を触る。
「すべすべ」
肌のべたつきがない。
汗や皮脂で少し重かった感じも消えている。
でも、皮脂を全部取り去ったようなカサカサした感じはない。
肌はさらさらしている。
痛くない垢すりを全身へかけた直後のように、余分なものだけがきれいに取れている。
髪にも触ってみる。
こちらもいい。
べたつかない。
乾きすぎてぎしぎしする感じもない。
指が自然に通る。
「完璧」
オリビアはもう一度、自分の腕を見る。
妙にぴかぴかしている。
湖岸で朝から何をしているのかと思わなくもないが、成果はかなり大きかった。
お風呂がなく、お湯で身体を拭くのが基本だった生活が、これでずいぶん変わる。
五秒で身体も髪も気持ちよくなる。
周囲をびしょびしょにする必要もない。
汚水は別空間へ送れる。
衣類も時間条件を間違えなければ洗える。
「これ、毎日使うやつだ」
昨日は熊、水牛、カモを狩った。
今日は朝から、自分を洗った。
派手さはない。
でも、オリビアにとっては、これまで覚えた魔法の中でもかなり便利なものが一つ増えた。
遠くの湖面では、白いアヒルボートがまだゆっくり動いていた。
『オリビア』




