第15章 ピュアエルフって何?
第15章 ピュアエルフって何?
「ピュアエルフって、何なんだろう」
オリビアは数研出版の生物資料集を開いた。
もともとは2025年の受験勉強に使う、ごく普通の生物資料集だった。けれど、こちらの世界へ来てからは神様が内容をこの世界に合わせて改変している。魔法があり、エルフがいて、ほかの種族も実在する世界を、2025年の生物学で研究したらどう記載されるか。その答えが、進学校の高校生が使う資料集の体裁で載っていた。
索引で「エルフ」を引く。思ったより項目が多い。
最初に見つかったのは、ピュアエルフだった。
原初のエルフ。ほかの種族との交雑を経ていない純血種。
「……私、これなんだ」
珍しいとは聞いていた。でも、それ以上の意味を考えたことはなかった。
すぐ近くにはエンシェントエルフの説明もあった。世界にエルフが創造されたころの特徴を、ほぼそのまま残しているエルフ。ほかの種族との混血は少ないが、遺伝子を調べると、ウイルスを介した遺伝子の移入や、過去にほかの種族と有性生殖をしたことで入った遺伝子も見つかる。ただし、それらは外見などの表現型を変えるほどには現れていない。
つまり、見た目も主要な性質も「昔のエルフはこうだった」と言える状態が残っている。
そのエンシェントエルフの中で、原初のエルフが持っていた魔法能力などをほぼそのまま保っているものがハイエルフ、と続いていた。
能力が高く、ほかの者が簡単には逆らえない。その結果として、貴族など高い地位についている例が多いとも書いてある。
「ハイエルフって、身分の名前じゃなかったんだ」
強いから高い身分につくことが多い。順番はこちらだった。
ハーフエルフの欄はもっと単純だった。エルフとエルフ以外の個体との間に生まれた子をハーフエルフと呼ぶ。さらに交雑してエルフの割合が3/4になった個体は、普通のエルフとして扱われる。
「3/4は、もう普通のエルフなんだ」
血統の割合をいつまでも細かく名前に残していく分類ではないらしい。
ダークエルフの説明も、こちらで聞く物語とはずいぶん違った。紫外線の強い地域で暮らすエルフの集団で、長い時間をかけて強い日射に適応し、皮膚の色素量が多くなっている。
森に暮らす色白のエルフは、森の外で強い紫外線を長時間浴びると皮膚を傷めやすい、と注意書きまである。
オリビアは自分の腕を見た。
「私も気をつけたほうがいいんだ……」
さらにページをめくると、数字が出てきた。
エルフとしての割合を p としたとき、エルフに由来する能力の相対値は、おおむね p の8乗に比例する。
「8乗?」
欄外には受験用らしく計算問題まで載っている。
両親のエルフとしての割合をそれぞれ a、b とすると、子の割合は
(a+b)÷2
で求め、その値を8乗して能力の相対値を求める。
ピュアエルフを1、3/4エルフを3/4とすれば、子は7/8。
(7/8)^8 ≒ 0.344
「34%くらい……」
ピュアエルフとハーフエルフなら、子は3/4。
(3/4)^8 ≒ 0.100
「10%しか残らないんだ」
見た目には普通のエルフとして扱われる3/4でも、原初のエルフと比べた能力は急激に小さくなる。
別の欄には交雑実験の結果が載っていた。
エンシェントエルフとピュアエルフの組み合わせでは、ハイエルフの形質を示す子が生まれる確率が高い。そのため、生殖補助医療の現場ではピュアエルフ由来の配偶子の人気が高い。
オリビアはしばらく、その一文を見ていた。
「……こっちでは、そこまで研究してないよね」
こちらの世界の魔法学は、研究水準そのものが18世紀あたりで止まっている。強い血筋、弱い血筋、この組み合わせだと強い子が生まれやすい、といった経験則はあっても、遺伝子を調べたり、エルフを集団として研究したりする学問は育っていない。
ピュアエルフも、こちらでは単に珍しいエルフとして知られているだけだった。
ただし、エルフ同士には相手がどれくらいエルフなのか分かる方法がある。
自分で見えるわけではない。
植物に聞く。
オリビアは窓の外の木に声をかけた。
「ねえ。私って、どれくらいエルフ?」
返事は短かった。
「1」
「やっぱり」
だからエルフたちの反応が妙に良かったのかもしれない。珍しいだけでなく、植物に聞けばピュアエルフだとすぐ分かる。
少し考えてから、オリビアは木に頼んだ。
「私がピュアエルフだってこと、これからは話さないでね」
「秘密」
「ほかの木にもお願いできる?」
返事が返るより早く、伝言は風の勢いで森へ広がっていった。
これから別のエルフがどこかの植物にオリビアのことを尋ねても、答えは「秘密」になる。
「便利……」
生物の資料集を閉じると、その隣にあった歴史の教科書が目に入った。
もとは2025年の日本史の受験用教科書だった本だ。これも神様に改変されている。
開いてみると、今住んでいる土地の歴史が載っていた。
建国神話ではない。どの王が神様に選ばれたとか、英雄が一人で国を作ったとか、そういう話ではなかった。戦争、条約、領土、税収、通貨、外交関係が、受験用教科書らしい調子で並んでいる。
そして、この国はよく戦争をしていた。
しかも、よく負けていた。
南へ攻め込むと、手薄になった北から攻められて北部を割譲する。
その北部はもともと自国領だったから、今度は取り返そうと北へ攻め込む。すると南が入ってきて、南部を割譲する。
「何回やってるの……」
北と不可侵条約を結び、今度こそ背後は安全だと南へ攻め込んだ時期もあった。
ところが北は軍を入れず、旧王国領の一部を独立国として承認した。その地域は王国から分離し、やがて南の属国になった。
戦争をして取り返そうとすると、反対側から取られる。条約を結んでも、別の方法で領土が離れていく。
国力の差を見れば、無理もなかった。
旧王国を1とすると、南は10、北も10ほど。東の大国だけは1000ほどある。
「1で10と10を相手にしてたの?」
しかも、失った地域には重要な穀倉地帯が含まれていた。
食料生産が足りなくなり、王国は借金をして穀物を買うようになる。領土を失ったことで税収も大きく減った。
財政を埋めるため、王国は報酬も領地も付かない爵位を販売した。
買った側には爵位が残る。王国にはその場で現金が入る。領地も俸給も渡さなくてよいから、短期の資金繰りにはなる。
でも、毎年入る税収が戻るわけではない。
そのうち自国通貨の価値も下がり、東の大国の通貨であるフローリンが広く流通するようになった。
オリビアはそこで顔を上げた。
「だから、みんな普通にフローリンを使ってるんだ」
町にいると、それを国家の危機だと思ったことはなかった。
ここは山脈の麓にある小さな町で、首都からも遠い。食べ物は周辺の農地や村から来る。かなりの部分が自給自足と地産地消で成り立っている。
領主たちのほとんどは首都にいて、地方にいるのは代官だ。
道も川の港も東の大国が整備したものだった。東との流通が増え、フローリン経済圏に入ったことで、南も北も以前のようには攻め込めなくなった。
国としての独立性は弱くなったが、戦争が来なくなったという利益は大きかった。
教科書をさらに読む。
東の大国は、人権保障の観点から王国に併合を申し出たことがあった。
王族は反対した。
東の大国には、併合した地域の旧王家をそのまま王族として維持する方針がなかったからだ。
併合問題をめぐって国内の反発も起こり、東の大国から来た使節団を青年が襲撃する事件まで起きていた。
それでも、経済的な結びつきは深まっていった。
去年には首都に大きな王宮の建物まで完成したらしい。王様が着ていた、この国の民族衣装らしい形の衣類も東製だった。
「そこまで東の国のものなんだ……」
しかし、オリビアが暮らしていて不便を感じたことはない。
町の門で賄賂を要求する門番はいない。役人も親切だ。代官所へ行って嫌な思いをすることもない。
国家の歴史だけ読めば、何度も戦争に負け、領土を失い、借金を増やし、爵位まで売った危うい国だった。
実際に住んでみると、町は静かで、食べ物もあり、道も使える。
そして最後の数ページで、歴史は急に動いた。
東の大国が仲介に入り、南と北に占領されていた旧王国領が王国へ復帰した。
穀倉地帯も戻った。
旧王国自身が何度戦争をしても取り返せなかった土地が、東の大国の仲介でまとめて戻ってきた。
その翌日。
王国は東の大国に併合された。
「……翌日?」
オリビアは一度ページを戻した。
やはり翌日だった。
南北に残っていた領土問題を先に片づけ、旧王国領を揃えた直後に、国そのものが東の大国へ入った。
これが昔話ではなく、現在の状況だった。
王国はもうない。
去年完成したばかりの大きな王宮は、今では博物館になっているらしい。
「私、王国に住んでると思ってた……」
もっとも、町の暮らしは変わらない。
使うお金はもともとフローリンだった。道も港もすでに東の大国が作っていた。南北から兵が来る心配もなくなっている。地元で採れたものを食べ、必要なものを町で買い、役所へ行けば普通に手続きをしてもらえる。
今日、オリビアが知ったことは多かった。
自分がピュアエルフであること。
エルフの能力が混血の割合の8乗で急激に小さくなること。
エルフは植物に尋ねて相手の割合を知ること。
植物は頼めば秘密を守ってくれること。
そして、自分が住んでいると思っていた王国は、もう東の大国の一部になっていること。
それだけ分かっても、窓の外は朝と同じだった。
町ではいつものように人が歩き、近くの畑から食べ物が運ばれてくる。
オリビアは教科書を閉じた。
結局、その日は何の影響もなく終わった。
『オリビア』




