第14章 オリビアは森とお話しします
第14章 オリビアは森とお話しします
翌朝、オリビアはしらかば亭の食堂で朝食を食べていました。
昨日は、森へ行くなら何か欲しいものがあるかと聞いて、ダリアちゃんから野生のリンゴ、アマリリスちゃんから橘を頼まれています。橘は季節外れなので、カメリアさんから今なら黒スグリがあるかもしれないとも教えてもらいました。
「今日、森へ行ってくるね」
オリビアが言うと、ダリアちゃんがすぐに顔を上げました。
「リンゴ?」
「見つかったらね。黒スグリも探してみるよ」
「橘は?」
「季節が違うって昨日言われたでしょ」
アマリリスちゃんが少し残念そうな顔をします。
「また季節になったら探してみるから」
「うん」
朝食を食べ終えると、オリビアは席を立ちました。
「じゃあ、行ってきます」
「気をつけてね」
カメリアさんに見送られ、まず冒険者ギルドへ向かいます。
ギルドへ入ると、昨日から何度も世話になっている受付のお姉さんがいました。
「おはようございます」
「おはよう、オリビアさん。今日は何か依頼?」
「その前に、ちょっと聞きたいんですけど」
「何でしょう?」
「しらかば亭の孫娘たちに、森で果物を取ってくるって約束したんです。野生のリンゴと黒スグリって、この辺だとどこにあります?」
受付のお姉さんは少し考えてから、周辺の地図を出しました。
「近いところは、もうみんな取っちゃってるかな」
「やっぱりそうなんですね」
「10kmくらいあるけど、いい?」
「大丈夫です」
「それなら、まだたくさんあるよ」
受付のお姉さんが地図の一点を指します。
「この辺。リンゴも黒スグリもあるはず」
「分かりました」
「余ったらギルドでも買い取るよ。リンゴは食べられるものなら1個6/1000フローリン。大きいものは、その分だけ割り増し」
「大きさで値段が変わるんですか?」
「質量に合わせるよ。黒スグリは100gで2/100フローリンくらい」
「食べられないものは?」
「0フローリン。傷んでいたり、まだ食べられなかったりするものを持ってきても値段はつかないよ。それと、枝は折らないこと」
「実だけ取ってくるんですね」
「そう。来年も採れるようにね。場所はここ」
オリビアは地図の位置をもう一度確かめました。
「ありがとうございます。行ってきます」
ギルドを出ると、そのまま町の門へ向かいました。
門番さんにも声をかけます。
「おはようございます。今日も森へ行ってきます」
「今日は鹿じゃないのかい?」
「今日は果物です」
「そりゃ昨日より平和そうだな。気をつけてな」
「はい」
門を出てからもしばらくは歩きました。街道を通る人や門から見える場所で、いきなり自転車を出すつもりはありません。
少し離れ、人の姿がないことを確かめます。
「タロン」
収納からマウンテンバイクが現れました。
オリビアは乗り、地図で教えてもらった方向へ走り始めます。
20km/hくらいで、気持ちよく脚を回し続けます。路面の悪いところだけ少し落とし、走りやすいところではまた同じくらいへ戻します。
10kmなら、この速さで30分です。
計算どおり、ほぼ30分で地図に示された辺りへ着きました。
タロンを収納し、周囲を見回します。
「……どれ?」
木はたくさんあります。低木もたくさんあります。
昨日、カメリアさんからリンゴの葉や実のつき方を聞き、黒スグリについても簡単な絵を描いてきました。それでも森の中で実物を探すと、似たような葉や枝がいくらでも目に入ります。
「リンゴの木って、もっと分かりやすいと思ってた」
地図が示しているのも、この辺りまでです。一本一本の木の位置までは分かりません。
しばらく探してから、オリビアはふと思いました。
「そういえば、エルフって植物と話せなかった?」
異世界の物語では、エルフが森の植物と話したり、道を空けてもらったり、危険なときには枝や蔓に助けてもらったりします。
自分は今、本当にエルフです。
「……聞いてみようかな」
近くの木へ向かって話しかけます。
「リンゴの木、どこにあるか知ってる?」
その瞬間、風が吹いたわけでもないのに、周囲の葉が一斉にざわざわと揺れたように感じました。
そして、言葉というより意味が直接伝わってきます。
「来たよ」
「エルフだ」
「ほんものだ」
「ピュアエルフ」
「500年ぶり」
オリビアは周囲を見回します。
「……私?」
「そう」
「ピュアエルフ」
「500年ぶりに来たよ」
大きな木も、低い木も、足元の草も、森のあちこちでざわざわしています。少し離れたところへも何かが伝わっているらしく、さらに向こうからも意味が返ってきます。
「ピュアエルフが来た」
「どこ?」
「こっち」
「久しぶり」
「500年ぶりって、そんなにいなかったの?」
「いなかったよ」
どうやらかなり珍しい存在らしいです。
それより今はリンゴです。
「リンゴの木、知ってる?」
「あるよ」
「あっち」
「こっちから行けるよ」
今度は何本もの植物から方向が伝わってきます。
「ありがとう。案内して」
枝や葉の間を抜けながら進むと、少し開けたところに実をつけた木がありました。
「これ?」
「そう」
「私だよ」
リンゴの木から返事が来ます。
枝には、町で見るものよりかなり大きなリンゴがいくつも実っています。虫食いも傷もほとんど見えません。
「取っていいの?」
「いいよ。実は持っていって」
「ほんと?」
「うん。でも、中の種はどこかに蒔いてくれるとうれしいな」
「種?」
「種は私とダーリンの子ども」
オリビアは木を見上げました。
「ダーリンいるんだ」
「いるよ」
「じゃあ、この実は?」
「実は私の身体。でも、種に動物を集めるようにできているから、食べても平気だよ」
植物学的にも、その言い方はかなり正確です。リンゴで人が食べる肉質部分の大部分は、子房そのものではなく花托が発達した部分で、母樹自身の組織です。一方、種子の中にある胚は受精によって生まれ、母樹と花粉を出した木の両方の遺伝情報を受け継ぎます。木の感覚でいえば、「実は私の身体で、種は私とダーリンの子ども」という関係になります。
そして、その母樹の身体である甘い部分を動物に食べてもらい、種を別の場所へ運んでもらうようにできています。
「そういうことなんだ」
「おいしくしてあるよ」
「じゃあ、もらうね。枝は折らないようにするから」
「うん」
オリビアは熟した実だけを一つずつ取り、収納へ入れていきました。
すると、少し離れた低い茂みから別の声が届きます。
「黒スグリもこっちだよ」
「あ、黒スグリもあるの?」
「あるよ」
案内された方へ行くと、小さな黒い実が房になっている低木が何本もあります。
「これも取っていい?」
「いいよ。たくさん持っていってね」
「こっちも種を蒔いた方がいい?」
「私も、種を蒔いてくれるとうれしいかな」
「分かった。食べたあとの種は取っておくね」
リンゴも黒スグリも、植物の側から実を持っていってほしいと言われました。
オリビアはしらかば亭へ持ち帰る分、自分で食べる分、それからギルドへ持っていく分を採りました。ただ、一度に森の実を全部持っていく気にはなりません。
「ありがとう。一気にたくさんもらっても食べきれないから、今日はこのくらいにするね。また来るよ」
「また来てね」
「今度もあるよ」
「種もお願いね」
「うん。また持ってくる」
森のあちこちから返事が来ます。
最初はリンゴの木さえ見つけられなかったのに、植物に聞けば場所まで教えてくれました。
「エルフって便利だね」
そこで、もう一つ疑問が浮かびます。
「でも、ピュアエルフって言ってたよね。ほかのエルフも植物と話せるのかな」
その答えは、今のオリビアには分かりません。
果物を採り終えると、次は鶴です。
昨日、カメリアさんから、コウノトリと鶴はおいしいと聞いています。
「この辺に鶴っている?」
森へ聞いてみます。
「いるよ」
「水のところ」
「向こう」
「白くて大きい子が来るよ」
今度は植物が行き先を教えてくれます。
植物に教えてもらった方向へ進むと、水辺へ出ました。浅そうに見えるところと、水草の多いところが続いています。
しばらく待つと、何羽かの鶴が見えました。
「1羽でいいかな」
食べきれないほど狩る理由はありません。
オリビアは弓を出し、十分に狙って1羽だけ射ちました。
矢を受けた鶴は水面へ落ちます。
「取りに行かないと」
岸から水へ入ろうとしたところで、足元の水草から意味が届きました。
「入らない方がいいよ」
「ここ、深いよ」
オリビアは足を止めます。
「深いの?」
「急に深くなるよ」
見た目だけでは分かりません。
すると、水面の水草がゆらゆらと動き始めました。
何本もの茎や葉が鶴の身体へ絡み、少しずつ岸の方へ運んできます。
「え、運んでくれるの?」
「うん」
「ありがとう」
しばらくすると、鶴は手が届くところまで運ばれてきました。
「助かった。ここ、そんなに深そうに見えなかったよ」
「深いよ」
「教えてくれてありがとう」
オリビアは鶴を収納へ入れます。
これで今日持ち帰るものは揃いました。
「じゃあ、また来るね」
「また来てね」
森に挨拶をして、水辺から離れます。
少し歩いたところでタロンを出し、帰りも20km/hくらいで走りました。リンゴも黒スグリも鶴も収納の中なので、自転車の荷重は増えていません。
帰りも約30分です。
町が近づくと、人目のないところでタロンを収納し、そこからは歩いて門へ向かいました。
「おかえり。果物はあったかい?」
朝の門番さんが声をかけます。
「ありました。いっぱいありました」
「そりゃよかった」
「ただいま」
門を通り、最初に向かったのはしらかば亭です。
「ただいまー」
「おかえり、オリビアちゃん」
カメリアさんの声に続いて、ダリアちゃんとアマリリスちゃんもやってきます。
「リンゴあった?」
「あったよ」
収納から、しらかば亭へ持ち帰る分のリンゴを出します。
「大きい!」
「ほんとだ!」
「黒スグリもあるよ」
こちらも食べる分を出しました。
2人が喜んでいるのを見てから、オリビアはカメリアさんの方を向きます。
「それと、鶴も1羽」
「鶴まで取ってきたのかい」
「うん。水に落ちたんだけど、水草が岸まで運んでくれた」
「水草が?」
「ここは深いから入らない方がいいよって教えてくれたの」
カメリアさんが少し目を丸くします。
「植物と話せるんだね」
「エルフだから、話せるみたい」
そう答えてから、オリビアは少し考えました。
「でも、森ではピュアエルフが500年ぶりって言われたんだよね。普通のエルフも同じように話せるのかな」
「それは私には分からないねえ」
「あとでギルドで聞いてみる」
リンゴの木から頼まれたことも思い出します。
「リンゴも黒スグリも、食べたあとの種は捨てないで取っておいてね。今度森へ行くとき、どこかに蒔いてほしいって頼まれたから」
「分かった!」
ダリアちゃんが元気に返事をしました。
鶴は厨房の方へ渡し、オリビアは今度はギルドへ向かいます。
ギルドに着くと、朝の受付のお姉さんがまだいました。
「取ってきました」
「もう行って帰ってきたの?」
「うん。教えてもらったところに、ちゃんとありました」
買い取り用の場所で、まずリンゴを出します。
ギルドへ持ってきたリンゴは50個です。
受付のお姉さんが一つ手に取り、少し驚いた顔をしました。
「大きいね」
「森にあったの、だいたいこのくらいだったよ」
標準的なリンゴと比べると、直径がおよそ1.2倍あります。形もよく、傷、虫食い、腐敗などの欠点もありません。50個すべてが同じようなmint品質です。
「これ、全部この品質?」
「うん」
「食べられないの、混じってないね」
「木が、おいしいのを持っていってって教えてくれたから」
受付のお姉さんの手が止まりました。
「木が?」
「うん。森で、ピュアエルフが500年ぶりって言われたよ」
「……オリビアさんって、ピュアエルフだったの?」
「そうみたい」
「そうみたいって」
「私も今日知ったから」
受付のお姉さんはしばらくオリビアを見ていました。
「エルフの人って長生きだから、何か急いでないというか、達観してるというか、そういう人が多いんですよ」
「そうなの?」
「人間なら気にすることでも、そのうちでいいって感じで。オリビアさん、ピュアエルフなら、さらにのんびりなんですね」
「私、そんなにのんびりしてる?」
「数度会ってても忘れちゃったりするの、ちょっと分かります」
「え」
「100年後にまた覚えればいいだけですものね」
オリビアは返事に少し困りました。
身分証明書では、自分は220歳のエルフです。
本来なら、220歳なら220年分の経験が積み重なっているのでしょう。
けれど、オリビア自身が覚えている人生は18年です。この世界について持っているまとまった知識も、神様がこちらの世界に合わせて書き換えた数研、山川、帝国書院の本がかなりの部分を占めています。
「……まあ、そういうことにしておこうかな」
「やっぱりのんびりしてる」
受付のお姉さんが笑いました。
査定を続けます。
リンゴは直径が標準の約1.2倍です。同じ形、同じ密度とみなせば、質量は直径の3乗に比例します。
1.2の3乗は1.728。
通常の買い取り価格は1個6/1000フローリンなので、大玉1個はその1.728倍で、10.368/1000フローリンになります。
50個では0.5184フローリンです。
次は黒スグリです。
こちらも傷んだ実はなく、4kgちょうどあります。
100gで2/100フローリンなので、4kgは100gが40個分です。
2/100フローリンを40倍して、0.8フローリン。
リンゴと合わせると、買い取り額は1.3184フローリンになりました。
まだフローリンの金額に慣れていないオリビアは、頭の中でいつものように換算します。大銀貨1枚は1/10フローリンなので、大銀貨なら約13.2枚分。1フローリンを約9,000円と考えれば、日本のお金では約11,900円です。
最小の硬貨は1/1000フローリンの銅貨なので、0.0004フローリンは硬貨にできません。現金での精算額は1.318フローリンになります。
受付のお姉さんが、小金貨1枚、大銀貨3枚、小銀貨1枚、銅貨8枚を数えて並べました。
1+0.3+0.01+0.008で、合計1.318フローリンです。
「はい。これで買い取りね」
「ありがとうございます」
オリビアは自分用にもリンゴを10数個取ってあります。
そのうちの1個を収納から出しました。
「これ、お姉さんにあげる」
「いいの?」
「うん。森のリンゴ、おいしくしてあるって本人が言ってたから」
「本人って、リンゴの木?」
「そう」
受付のお姉さんは受け取った大きなリンゴを見て、また笑いました。
「ありがとう。食べた種、取っておいた方がいい?」
「うん。今度、私が森へ持っていくよ」
買い取りを終えたオリビアは受付のお姉さんに手を振り、ギルドを出しました。
今日は、しらかば亭の子どもたちへ果物を持って帰るだけのつもりで森へ行きました。
そこで、500年ぶりのピュアエルフだと森じゅうから知らされ、リンゴと黒スグリに実を分けてもらい、水草には鶴まで運んでもらいました。
「普通のエルフは、どのくらい話せるんだろう」
まだ答えの出ていない疑問を一つ増やしたまま、オリビアはしらかば亭へ帰りました。
『オリビア』




