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第5話 ヘリを買うな

第5話


「ヘリを買うな」


その案件は、ヤタガラスにとって久しぶりの「でかい仕事」だった。


いや。


正確には、


でかすぎる仕事だった。


東京湾岸。


大型物流拠点、洋上施設、港湾区域を含む広域警備契約。


契約期間は五年。


海上施設の警備。


緊急時の人員輸送。


負傷者搬送。


ドローンによる監視。


高速車両による即応。


災害発生時の通信支援。


必要に応じた航空輸送。


さらに二十四時間三百六十五日の対応。


久世トウマが会議室の大型モニターに契約概要を映した。


「受注規模、最大で年間十数億」


ホオズキが身を乗り出した。


「やろう」


黒崎が言った。


「まだ一ページ目だぞ」


「年間十数億なんでしょ?」


「そうだ」


「じゃあやろう」


「だから条件を見ろ」


久世が次のページを表示する。


《要求設備》


大型輸送車両。


高速警備車両。


暗視監視設備。


衛星通信装置。


医療搬送設備。


大型ドローン。


小型偵察ドローン。


そして。


航空輸送能力。


ホオズキの目が止まった。


「航空輸送」


「はい」


「つまり」


久世は嫌な予感がした。


「ヘリ?」


「ヘリですね」


ホオズキの目が輝いた。


黒崎が言った。


「やめろ」


「まだ何も言ってない」


「買うって顔してる」


「買おう」


「言ったじゃねえか」


会議室の隅で経理担当が顔を上げた。


「無理です」


早かった。


ホオズキが振り向く。


「まだ機種も言ってないよ」


「機種以前の問題です」


「中古なら?」


「無理です」


「ローン」


「もっと無理です」


「何で!?」


経理担当は静かにノートパソコンを操作した。


画面に数字が並ぶ。


「まず機体価格」


ホオズキが覗き込む。


「……高いね」


「はい」


「中古なら?」


「こちらです」


「……まだ高いね」


「はい」


「ローンなら?」


「金利込みでこちらです」


ホオズキが黙った。


さらに数字が並ぶ。


整備費。


部品交換。


定期検査。


格納庫。


保険。


燃料。


操縦士。


整備士。


運航管理。


訓練費。


登録費。


耐空証明関連費用。


予備部品。


契約整備会社への支払い。


黒崎が画面を眺めた。


「何だこれ」


経理担当が答える。


「ヘリコプターを所有するということです」


ホオズキが小声で言った。


「飛んでるだけじゃないんだ……」


「飛ばすまでが大変なんです」


「家の車みたいに駐車場置いとけばいいんじゃないの?」


会議室が静かになった。


久世が言った。


「今の発言、航空関係者には絶対聞かせないでください」


ホオズキは腕を組んだ。


「でもさ。グリムニルは持ってるんでしょ?」


久世が資料を切り替える。


《GRIMNIR SECURITY INTERNATIONAL》


回転翼機。


固定翼機。


装甲SUV。


救急車両。


移動通信車。


無人航空機。


海外拠点。


整備契約。


「……いっぱい持ってます」


ホオズキは画面を見た。


「ずるい」


「資本力です」


「ずるい」


「会社経営にずるいも何もありません」


「金持ちじゃん」


黒崎が言った。


「世界的大企業だからな」


「こっちは?」


経理担当が言った。


「先月、給与の心配してました」


「言うな」


第3話の傷はまだ新しい。


黒崎が椅子にもたれた。


「そもそもだ」


「うん」


「この契約取るためにヘリ買って、契約取れなかったらどうする」


ホオズキ。


「……ヘリが残る」


「だから何だ」


「嬉しい」


「会社の話をしてるんだよ」


久世が頭を抱えた。


ヤタガラスは調査を始めた。


必要な設備をすべて自前で揃えた場合。


概算投資額。


数十億円。


さらに年間維持費。


億単位。


経理担当は資料を作りながら、徐々に表情を失っていった。


「設備投資、つまりCAPEXが大きすぎます」


ホオズキが聞く。


「キャペックス?」


「Capital Expenditure」


「日本語で」


「設備投資です」


「最初からそう言って」


「今言いました」


設備を買えば資産になる。


だが。


資産だから無料というわけではない。


機械は古くなる。


車両も価値が落ちる。


航空機も設備も耐用年数がある。


会計上は減価償却。


実際には修理費もかかる。


使っていなくても維持費が出る。


久世がホワイトボードに書く。


《所有》


購入費。


減価償却。


保険。


整備。


保管。


人員。


更新。


その横。


《利用》


必要な時だけ支払う。


ホオズキが腕を組んだ。


「でも持ってたほうが強そうじゃない?」


久世。


「強そうではあります」


「だよね」


「ただし会社は、強そう選手権をしているわけではありません」


黒崎が笑った。


「お前、ヘリポート付き本社とか欲しいんだろ」


「欲しい」


「即答すんな」


ホオズキは少し考えた。


「屋上から私がヘリ乗って出撃するの」


「映画か」


「ローター回ってて」


「危ない」


「下で社員が見送る」


「仕事しろ」


「サングラスかけて」


「帰れ」


しかし。


笑ってばかりもいられない。


グリムニルなら、この案件への参加条件をほぼ既存設備だけで満たせる。


ヤタガラスが正面から設備勝負をしたら。


勝てない。


資金力。


保有資産。


人員。


整備体制。


すべて違う。


久世は資料を眺めながら言った。


「同じ土俵で戦う必要、ありますかね」


ホオズキが顔を上げた。


「どういう意味?」


「要求されてるのは、“所有”じゃないですよね」


契約書を見る。


《航空輸送能力を確保していること》


《緊急医療搬送体制を有していること》


《監視用無人航空機を運用可能であること》


《必要数の高速車両を確保できること》


久世が指で文章を追った。


「ヘリを持てとは書いてない」


沈黙。


ホオズキ。


「……え?」


「航空輸送能力を確保しろと書いてあるだけです」


黒崎が気づく。


「つまり借りる?」


「借りるだけじゃありません」


そこからヤタガラスの動きは速かった。


まず航空会社。


チャーター便や業務用回転翼機を運航する会社へ連絡。


緊急時の優先配機契約。


平時は利用料なし、または最低保証。


実際に使った時だけ飛行時間に応じて支払う。


次に医療搬送会社。


救急救命士。


搬送車。


医療機器。


医療搬送用航空機との連携。


次にドローン企業。


大型監視ドローン。


赤外線カメラ。


海上監視。


操縦士。


整備。


夜間飛行への対応。


さらに港湾周辺の地方警備会社。


地元警備員。


現地拠点。


車両。


災害時の応援。


久世は言った。


「全部うちで抱える必要ないんですよ」


ホオズキ。


「でも利益減らない?」


「外注費は出ます」


「じゃあ損じゃん」


経理担当が首を振る。


「固定費が減ります」


ホオズキ。


「固定費」


「仕事があってもなくても出ていくお金です」


航空機を所有すれば。


飛ばなくても整備費がかかる。


操縦士にも給与を払う。


格納庫にも金がかかる。


保険も必要。


車両を大量に買えば。


駐車場。


整備。


税金。


更新。


すべて必要になる。


一方。


外部企業と契約すれば。


利用量に応じて費用が増える。


「設備投資、CAPEXを抑えて、運用費、OPEXへ変えるわけです」


ホオズキがうなずいた。


「オペックス」


「Operational Expenditure」


「日本語で」


「運用費です」


「だから最初からそう言って」


黒崎。


「この会話、さっきもやったぞ」


すべて外注すればいいわけでもない。


そこが次の問題だった。


久世は通信機器の資料を広げる。


「これは買ったほうがいい」


ホオズキ。


「何で?」


「毎回使うからです」


無線。


衛星通信端末。


暗号通信装置。


携帯基地局。


ネットワーク機器。


これらはヤタガラスの日常任務でも使用頻度が高い。


借りるたびに手配するより。


所有したほうが安い。


逆に。


航空機。


大型医療車。


特殊ドローン。


大型輸送車。


案件ごとに必要数が変わるものは、所有しない。


ホオズキはホワイトボードを見た。


《買う》


通信機器。


小型ドローン。


標準装備。


常用車両。


《借りる》


大型車両。


特殊ドローン。


航空機。


一部医療設備。


《提携》


航空会社。


医療搬送会社。


地方警備会社。


ドローン企業。


ホオズキが言った。


「なんか」


「はい」


「うちの会社、物が少なくない?」


「少ないです」


「グリムニルの基地、いっぱい物あるよ」


「でしょうね」


「負けてる感じする」


久世は笑った。


「資産の量を競ってるんじゃありません」


企業にとって重要なのは。


持っている資産から、どれだけ売上と利益を生み出せるか。


例えば。


百億円の設備を持つ会社が。


百億円を売り上げる。


一方。


十億円の設備しか持たない会社が。


五十億円を売り上げる。


単純比較はできないが。


後者のほうが、資産を効率よく使っている。


「資産回転率です」


ホオズキ。


「回転するの?」


「しません」


「ヘリのローターみたいに」


「その話から離れてください」


さらに重要なのが。


ROIC。


投下資本利益率。


会社へ投入した資金に対して、どれだけ利益を生み出せているか。


設備を大量購入すると。


投下資本が膨らむ。


利益が同じなら、効率は下がる。


逆に。


必要最小限の資産で事業を回せれば。


ROICは高くなる。


黒崎が言った。


「つまり」


久世。


「はい」


「金がないことを、カッコよく説明すると?」


経理担当。


「アセットライト経営です」


ホオズキ。


「いいね」


久世。


「気に入りました?」


「急にうちが先進企業に見えてきた」


黒崎。


「昨日まで銀行に融資頼んでた会社だけどな」


「言うな」


提案書が完成した。


グリムニル。


自社保有設備。


航空部門。


自社訓練拠点。


大規模なバックアップ体制。


圧倒的だった。


対するヤタガラス。


保有設備は少ない。


しかし。


地元企業との協力網。


必要時に拡張可能な輸送能力。


契約量に応じて車両数を増減できるリース体制。


専門業者との優先契約。


固定費を抑えた運用モデル。


さらに。


一社が停止しても別企業へ切り替えられるよう、複数業者とのバックアップ契約も用意した。


久世は最終資料を閉じる。


「これならいけます」


ホオズキが言った。


「ヘリは?」


「ありません」


「一機くらい」


「ありません」


「会社のロゴ入れたらカッコいい」


「ありません」


「黒いやつ」


「ありません」


「機首にヤタガラス描いて」


経理担当。


「ありません」


「三人で言わなくてもよくない?」


入札結果。


契約は分割発注となった。


主要航空輸送。


広域バックアップ。


大規模設備運用。


グリムニル。


一方。


沿岸部即応警備。


地域企業との連携。


現場対応。


一部監視業務。


ヤタガラス。


全体契約を取ったわけではない。


だが。


以前なら参加条件すら満たせなかった大型案件から。


ヤタガラスは、確実に仕事を取った。


しかも。


巨額の設備投資をせずに。


経理担当が試算を表示する。


「初期投資額、当初案の十分の一以下です」


黒崎。


「利益率は?」


「十分確保できます」


久世。


「資産効率も悪くありません」


ホオズキが腕を組んだ。


「つまり」


「はい」


「ヘリ買わなくても勝った?」


「一部ですが」


「……」


「社長?」


「……」


「どうしました?」


ホオズキは窓の外を見た。


少し寂しそうだった。


「ヘリ欲しかった」


黒崎が即答した。


「お前が欲しいだけだろ」


「会社にも必要だったもん」


「必要だから借りるんだろ」


「所有欲ってあるじゃん」


「会社の金で満たすな」


その頃。


グリムニル日本法人。


統合作戦部長。


マティアス・クローネは契約結果を読んでいた。


横に並ぶ資料。


ヤタガラス。


保有設備。


小。


固定資産。


少。


提携企業。


多数。


外部リソース利用率。


高。


必要時の拡張能力。


高。


マティアスはページをめくった。


ヤタガラスは。


グリムニルの真似をしなかった。


航空機を買わなかった。


車両を大量保有しなかった。


施設も増やさなかった。


代わりに。


他社が持つ能力を繋いだ。


自分たちで所有している資産は少ない。


だが。


アクセスできる能力は多い。


マティアスが小さく言った。


「面白い会社だ」


部下が聞く。


「脅威ですか?」


「まだ違う」


マティアスは資料を閉じた。


「だが、合理的だ」


それだけ言って。


次の資料へ移った。


ヤタガラス本社。


ホオズキはまだヘリコプター販売サイトを見ていた。


黒崎が後ろから覗く。


「何してる」


「見てるだけ」


「閉じろ」


「買わないよ」


「絶対か?」


「……」


「絶対か?」


「宝くじ当たったら」


「会社の経営計画に宝くじ入れるな」


ホオズキは渋々ブラウザを閉じた。


数秒後。


別タブを開く。


《中古ヘリコプター 格安》


黒崎。


「おい」


「検索するだけ!」


「ヘリを買うな!」


その日のヤタガラス社内には。


黒崎の怒鳴り声が。


よく響いていた。


――第5話・完

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