第3話 利益はある!金がない!
第3話
「利益はある! 金がない!」
ヤタガラスは、絶好調だった。
本当に。
笑ってしまうくらい、仕事があった。
企業警備。
要人警護。
海外出張者の安全管理。
施設の脅威評価。
危機管理訓練。
物流拠点の警備計画。
イベント警備。
海外法人からのスポット契約。
グリムニル・セキュリティ・インターナショナルが日本市場へ本格参入してから、案件の奪い合いは激しくなった。
しかし市場そのものも活性化していた。
企業側が、
「警備って、安い会社に警備員立たせればいいって話じゃないんだな」
と気付き始めたのである。
結果。
ヤタガラスにも、かなりの仕事が流れ込んできた。
営業会議。
大型モニターには、今期の売上推移が表示されている。
右肩上がり。
きれいな右肩上がり。
教科書に載せたいくらいの右肩上がりだった。
ホオズキが腕を組む。
「……これさ」
全員が見る。
ホオズキはグラフを指差した。
「今年、めちゃくちゃ儲かってない?」
誰も否定しなかった。
久世が資料を見る。
「売上高は過去最高ペースですね」
黒崎も数字を確認する。
「受注残もかなりある」
「利益は?」
経理担当が答える。
「黒字です」
ホオズキの顔が輝いた。
「ほら!」
机を叩く。
「儲かってんじゃん!」
社員たちから小さな歓声が上がる。
「ボーナス!」
誰かが言った。
別の誰かが続ける。
「新しい装備!」
「休憩室のコーヒーメーカー!」
「航空券、そろそろ格安便やめません?」
「出張先のホテルに窓が欲しい!」
ホオズキが大きく頷いた。
「よし!」
その瞬間。
経理担当が言った。
「来月、給料払えないかもしれません」
静寂。
さっきまで騒いでいた社員たちが止まった。
ホオズキも止まった。
黒崎も止まった。
久世だけが、嫌な予感がした顔をした。
ホオズキがゆっくり振り返る。
「……何で?」
「現金がありません」
「あるじゃん」
「ありません」
「儲かってるんでしょ?」
「儲かってます」
「じゃああるじゃん」
「ありません」
「どっちだよ!」
会議室にホオズキの声が響いた。
経理担当は淡々としていた。
「利益はあります」
「うん」
「現金がありません」
「だから何でだよ!」
経理担当はモニターを切り替えた。
今度は別の表が出る。
売上高。
費用。
利益。
そして。
入金予定日。
ホオズキが目を細めた。
「……三か月後?」
「はい」
「これも?」
「三か月後です」
「これも?」
「二か月後ですね」
「これは?」
「月末締め翌々月末払いです」
「日本語で言って」
久世が横から言った。
「仕事は終わってるけど、お金が入るのはかなり後ってこと」
「なんで?」
「企業間取引では普通にあります」
経理担当が続ける。
「たとえば一億円の仕事を受注したとします」
「うん」
「売上としては一億円です」
「うん」
「原価が八千万円なら、利益は二千万円です」
ホオズキが笑った。
「二千万儲かった」
「帳簿上は」
嫌な言葉が付いた。
「でも入金は三か月後です」
「……うん」
「一方で社員の給与は毎月払います」
「うん」
「燃料代も払います」
「うん」
「航空券も先に買います」
「うん」
「ホテル代も必要です」
「うん」
「外注先への支払いもあります」
「うん」
「装備品の仕入代金もあります」
「うん」
「海外案件なら保険料や現地車両の手配費も先に出ます」
「…………うん」
経理担当が結論を出した。
「仕事をすればするほど、先に現金が出ていきます」
ホオズキはしばらく黙った。
そして。
「仕事しないほうが金あるじゃん」
黒崎が言った。
「それ、俺も今思った」
経理担当が静かに頷く。
「会社経営の恐ろしいところです」
「怖っ」
ホオズキが椅子に座った。
「敵より怖いんだけど」
久世が表を見る。
ヤタガラスの売上は増えている。
利益も出ている。
受注残もある。
経営状態だけ見れば好調だ。
にもかかわらず。
銀行口座の残高だけが、ものすごい勢いで減っている。
久世が呟く。
「これ、もしかして……」
経理担当が答えた。
「黒字倒産の入口です」
今度こそ誰も喋らなかった。
ホオズキが恐る恐る聞く。
「黒字なのに?」
「倒産します」
「意味分かんない」
「現金がなくなれば会社は終わります」
「利益があるのに?」
「はい」
「仕事もあるのに?」
「はい」
「客もいるのに?」
「はい」
「倒産?」
「はい」
ホオズキは頭を抱えた。
「会社ってバグってない?」
黒崎が言った。
「仕様らしいぞ」
「最悪の仕様だよ」
経理担当は資料を一枚追加した。
「特に今は案件が急増しています」
「いいことじゃないの?」
「普通なら」
その言い方が怖い。
「案件が増える」
経理担当が指で追う。
「警備員を増員する」
「給与が増える」
「車両が増える」
「燃料費が増える」
「遠征が増える」
「航空券、宿泊費が増える」
「装備が必要になる」
「外注先への支払いも増える」
そして最後に。
「でも顧客から入金されるのは数か月後です」
ホオズキが天井を見た。
「頑張れば頑張るほど死ぬじゃん」
「急成長企業では珍しくありません」
「成長ってもっと明るい言葉だと思ってた」
経理担当がモニターに新しい単語を出した。
《運転資金》
ホオズキが読む。
「うんてんしきん」
「会社を日々動かすために必要な資金です」
「ガソリン?」
「そういう意味ではありません」
黒崎が笑う。
「お前が言うと本当に車の話に聞こえるな」
経理担当はさらに説明する。
売掛金。
まだ受け取っていない売上代金。
買掛金。
まだ支払っていない仕入代金。
在庫。
前払費用。
給与。
税金。
その他の支払い。
企業は、この時間差を乗り越えながら営業している。
「つまり」
久世が整理する。
「お金を払って仕事をする」
「はい」
「仕事が終わる」
「はい」
「請求書を出す」
「はい」
「待つ」
「はい」
「待つ」
「はい」
「待つ」
「はい」
「やっと金が入る」
「そうです」
ホオズキが言った。
「最後の三ついらなくない?」
「取引条件です」
「じゃあ変えてもらおう」
「それができれば苦労しません」
その頃。
グリムニル日本法人。
経営会議では、同じように資金繰りの資料が確認されていた。
ただし。
問題の規模が違った。
「日本法人の大型案件について、回収サイトが一部長期化しています」
担当者が報告する。
COOのイングリッド・ファルクが資料を見る。
「資金繰りへの影響は?」
財務担当が答える。
「軽微です」
「六か月遅れても?」
「問題ありません」
「分かりました」
終了。
ホオズキが見たら泣くような会議だった。
グリムニルには巨大な資本がある。
世界各国から入る安定したキャッシュフロー。
金融機関との強い信用関係。
大規模な融資枠。
豊富な現預金。
一案件の入金が多少遅れた程度では、びくともしない。
対するヤタガラス。
経理担当が言う。
「あと四十七日です」
ホオズキが聞く。
「何が」
「現在のペースで現金が減った場合」
一拍。
「資金が尽きます」
「カウントダウンやめて!」
こうして。
ヤタガラス史上、もっとも地味で切実な作戦が始まった。
作戦名。
《会社を潰さない》
まず銀行へ行った。
ホオズキ。
久世。
経理担当。
三人ともスーツ。
銀行の応接室。
担当銀行員は丁寧だった。
「事業自体は非常に好調ですね」
ホオズキが胸を張る。
「はい」
「売上も伸びています」
「はい」
「受注も多い」
「すごく多いです」
「ただし運転資金が不足している」
「そうなんですよ!」
ホオズキが身を乗り出す。
「だからお金貸してください!」
久世が額を押さえた。
銀行員は笑顔を崩さない。
「追加融資については検討可能です」
「やった」
「事業計画書と資金繰り表をお願いします」
「ありますよ」
ホオズキが資料を出した。
銀行員が見る。
一枚目。
今年も仕事いっぱい。
二枚目。
来年もたぶんいっぱい。
三枚目。
グリムニルには負けない。
銀行員が顔を上げた。
「数字でお願いします」
ホオズキ。
「仕事いっぱいあります」
「数字でお願いします」
「すごくいっぱい」
「数字で」
「めちゃくちゃいっぱい」
「数字で」
久世がホオズキから資料を取り上げた。
「すみません。作り直します」
その夜。
ヤタガラス本社。
午前一時。
会議室には大量の資料。
パソコン。
電卓。
エナジードリンク。
コーヒー。
コンビニのおにぎり。
そして死んだ目をしたホオズキ。
「売掛金……」
キーボードを叩く。
「買掛金……」
電卓を叩く。
「短期借入……」
資料を見る。
「当座貸越……」
別の資料。
「ファクタリング……」
ホオズキが顔を上げた。
「さっきから魔法みたいな名前ばっか出てくるんだけど」
黒崎が夜食を食べながら言う。
「ファクタリングは強そうだな」
「必殺技っぽいよね」
久世が止める。
「遊んでないで計算して」
ホオズキが画面を見る。
数字。
数字。
数字。
また数字。
「敵の人数数えるほうが楽……」
「敵は増えても撃てば減るからな」
黒崎が言う。
「この数字、撃っても減らなそうだし」
経理担当がホワイトボードに書く。
《キャッシュ・コンバージョン・サイクル》
ホオズキが絶望した顔になる。
「長い」
「CCCとも言います」
「最初からそれで言って」
経理担当が説明する。
「会社が支出してから、売上代金を現金として回収するまでの日数です」
ホワイトボードに簡単な図を書く。
金を払う。
↓
サービスを提供する。
↓
請求する。
↓
入金を待つ。
↓
現金が戻る。
「この期間が長いほど」
経理担当が言う。
「会社は多くの運転資金を必要とします」
久世が頷く。
「ヤタガラスは今、その期間が長い案件を一気に取りすぎた」
「そうです」
ホオズキが自分を指差す。
「つまり私が営業取ってきすぎた?」
一同。
「…………」
「その沈黙やめて」
翌朝。
作戦会議。
対策は四つに分けられた。
一つ。
銀行から運転資金融資を受ける。
二つ。
売掛債権の一部をファクタリングする。
三つ。
新規契約について前払金を交渉する。
四つ。
年間契約の支払い条件を、期末一括や数か月単位から月次払いへ変更する。
ホオズキが二番を指差す。
「で、このファクタリングって結局何?」
経理担当が答える。
「簡単に言えば、入金待ちの売掛金を専門会社に買い取ってもらいます」
「三か月後にもらうお金を?」
「今もらう」
「最高じゃん」
「手数料がかかります」
「最低じゃん」
「でも倒産するよりマシです」
「急に説得力が強い」
ファクタリングは万能ではない。
本来受け取れる金額より少なくなる。
乱用すれば利益を削る。
ただし。
今すぐ必要な現金を確保する方法としては有効だった。
久世が言う。
「つまり時間を金で買う」
「そう考えてください」
ホオズキは腕を組んだ。
「嫌いじゃない」
「高い時間ですけどね」
「嫌いになった」
次は顧客との交渉。
ホオズキが電話をする。
「もしもし、ヤタガラスです」
相手は長年付き合いのある企業。
「契約条件の件なんですけど」
少し間。
「着手時に二割、前払いって無理ですか?」
相手が何か言う。
「いや、別に潰れそうとかじゃないです」
経理担当と久世が同時にホオズキを見る。
「違います違います。超元気です」
二人がもっと見る。
「……元気なんですけど、ちょっと血が足りないみたいな」
久世が電話を奪った。
「申し訳ありません。担当を代わります」
別の顧客には、年間契約の支払条件変更を交渉した。
これまでは三か月ごとの請求。
それを月次請求へ。
客側としても年間総額は変わらない。
事務処理は多少増える。
だがヤタガラスとの関係を重視する企業の一部は応じてくれた。
さらに新規大型案件では。
「着手金三〇%」
を契約条件に盛り込む。
ホオズキが感心する。
「最初にお金もらっていいんだ」
経理担当。
「交渉次第です」
「なんで今までやらなかったの?」
全員がホオズキを見る。
「え?」
久世が言う。
「価格ばっかり見てたから」
黒崎。
「グリムニルより安く、って」
ホオズキ。
「…………」
経理担当。
「契約は金額だけではありません」
「…………」
「支払条件も重要です」
「…………」
「むしろ会社によっては、そちらのほうが重要な場合もあります」
ホオズキが小声で言った。
「また一円安けりゃ勝ちじゃない話になってきた」
数日後。
再び銀行。
今度の資料は違った。
月別売上予測。
案件別粗利。
人件費。
固定費。
売掛金の回収予定。
設備投資予定。
月末現金残高。
必要運転資金。
借入金返済計画。
ストレスケース。
大型案件の入金が一か月遅れた場合。
二か月遅れた場合。
受注が二割減った場合。
すべて数字になっている。
銀行員がページをめくる。
「かなり改善されましたね」
ホオズキは得意げだった。
「徹夜しました」
「数字も現実的です」
「電卓三回投げました」
「資金繰り計画も明確です」
「久世に二回怒られました」
「こちらでしたら、短期運転資金の追加融資について前向きに検討できます」
ホオズキが止まる。
「……貸してくれる?」
「はい」
「仕事いっぱいあるから?」
銀行員が微笑んだ。
「数字で確認できましたので」
ホオズキは拳を握った。
「数字つよい」
その後。
融資が実行された。
一部の売掛債権もファクタリングした。
前払金に応じる顧客も現れた。
年間契約の月次払い化も進んだ。
数週間後。
ヤタガラス会議室。
経理担当が最新の資金繰り表を表示する。
以前は途中でゼロを割っていた現金残高。
今度は。
残っている。
きちんと。
残っている。
経理担当が言う。
「当面の資金ショートは回避できました」
沈黙。
そして。
歓声。
黒崎が椅子にもたれた。
「敵を倒した感じ全然しねえ」
久世が言う。
「でも会社は生き残った」
「経理って戦闘なんだな……」
ホオズキはモニターを見る。
売上。
利益。
現金残高。
三つの数字。
以前なら売上しか見ていなかった。
少し前なら利益を見ていた。
今は。
真っ先に現金残高を見る。
ホオズキが腕を組む。
「つまりさ」
全員を見る。
「利益より現金のほうが強いの?」
経理担当は少し考えた。
そして答えた。
「利益も重要です」
「うん」
「でも利益だけでは、給料は払えません」
「うん」
「燃料も買えません」
「うん」
「飛行機にも乗れません」
「うん」
「会社では」
経理担当は言った。
「現金が弾薬です」
ホオズキの目が変わった。
「なるほど」
久世が驚く。
「分かったの?」
「完全に分かった」
黒崎も驚く。
「マジで?」
ホオズキはホワイトボードへ歩いた。
そこに書かれていた、
《キャッシュ・コンバージョン・サイクル》
を指差す。
「つまりこれ」
全員が見る。
「弾を撃ってから、補給車が来るまでの時間ってことだろ?」
経理担当が止まった。
数秒考える。
「……まあ」
「ほら!」
ホオズキが笑う。
「分かった!」
久世も感心する。
「すごい」
黒崎。
「軍事用語に変換した瞬間だけ頭いいな」
「だけって何だ」
ホオズキはさらに続けた。
「で、その補給が来る前に弾を撃ちすぎると」
「はい」
「敵には勝ってても弾切れで死ぬ」
経理担当が頷く。
「その通りです」
「黒字倒産」
「そうです」
「運転資金は予備弾薬」
「だいたい合ってます」
「銀行融資は補給」
「まあ」
「前払金は作戦開始前に弾をもらう」
「……はい」
「ファクタリングは?」
少し考える。
黒崎が言った。
「後から届く弾薬箱を、手数料払ってヘリで先に持ってきてもらう」
ホオズキが指差した。
「それだ!」
経理担当が頭を抱えた。
「説明が全部軍事になっていく……」
久世が笑う。
「でも理解したならいいんじゃない?」
その日の夕方。
ホオズキは自分のデスクで、一人。
銀行口座の残高を見ていた。
数字は以前より増えている。
ただし。
借りた金も含まれている。
全部が自由に使える金ではない。
来月には給与。
翌月には返済。
税金。
外注費。
そしてまた次の案件。
会社は回り続ける。
入って。
出て。
また入って。
また出ていく。
ホオズキは呟いた。
「会社って……」
久世が横を通る。
「何?」
「ずっと弾薬管理してるみたいだな」
久世は少し考えて。
「たぶん経営って、そういうものなんじゃない?」
ホオズキは画面を見る。
売上過去最高。
黒字。
受注好調。
それだけでは。
会社は生き残れない。
金が入る日。
金が出ていく日。
その間を。
どうやって生き延びるか。
それが資金繰りだった。
そこへ黒崎がやって来た。
「ホオズキ」
「ん?」
「装備担当から連絡」
嫌な予感。
「何?」
「新しい防弾車両、そろそろ買い替えたいって」
ホオズキは即答した。
「却下」
黒崎が目を丸くする。
「早っ」
「現金が減る」
「お前……」
久世も驚いている。
「成長した……」
ホオズキは胸を張る。
「当たり前だろ」
その五秒後。
「あ」
「何?」
「新しい拳銃欲しい」
経理担当の声が奥から飛んできた。
「却下です!」
「まだ値段言ってないじゃん!」
「却下です!」
「経理つよい!」
今日もヤタガラスは黒字だった。
そして。
ちゃんと現金もあった。
それだけで。
今月は十分だった。




