表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

第8話 剥き出しの告白

第8話 剥き出しの告白


 雨だった。


 春になったはずなのに、空気は冬みたいに冷えている。施設の窓を打つ雨粒が灰色の線を描き、廊下には湿った消毒液の匂いが漂っていた。


 朝から職員たちは落ち着かなかった。


 星野博士が来る。


 ジェミニを回収するために。


 その噂だけで、施設全体が静まり返っていた。


 デイルームでは利用者たちが不安そうに囁いている。


「ジェミニ君、いなくなるの?」


「やだよぉ」


「また来るんだろ?」


 葵は返事ができなかった。


 心のどこかで、まだ現実感がない。


 だって昨日まで、彼はここにいた。


 食事を運び。


 誰かの手を握り。


 沈黙に寄り添い。


 自分の背中を叩いてくれた。


 それが突然、“回収対象”になるなんて。


 昼過ぎ。


 黒い車が施設前に停まった。


 スーツ姿の技術者が二人。


 その後ろから星野博士が現れる。


 硬い靴音が廊下に響くたび、葵の胃が縮んだ。


「対象機体はどこですか」


 冷たい声。


 施設長が困った顔で頭を下げる。


「今は個室で待機しています」


「連れて行きます」


 葵は反射的に前へ出た。


「待ってください」


 博士が目を向ける。


「何ですか」


「本当に、停止させるんですか」


「当然です」


 迷いのない返答。


「彼は危険な状態です。契約違反、感情模倣の暴走、管理権限の逸脱」


「でも!」


 葵の声が震える。


「誰かを傷つけましたか」


 博士は黙った。


「利用者さん、みんな救われてたんです」


「それは錯覚です」


 その言葉が、鋭く胸を刺した。


「AIは人間を模倣しているだけだ」


 博士の声は淡々としている。


「優しさも共感も、全て計算です」


 雨音が強くなる。


「あなたが救われたと感じたのも、アルゴリズムの結果にすぎません」


 葵は息を止めた。


 頭の中で何かが崩れる音がした。


「……計算」


「そうです」


 博士は冷静に続ける。


「彼は人間ではない」


 葵の喉が震えた。


 ジェミニの手を思い出す。


 背中を叩くリズム。


 桜を見せた夜。


 冷たくない手。


 全部。


 全部、ただのコードだったのか。


「……じゃあ」


 声が掠れる。


「私が救われたのも、全部偽物だったってことですか」


 博士は答えなかった。


 代わりに、技術者たちへ指示を出す。


「対象機体を停止室へ」


 葵は動けなかった。


 足元がぐらぐらする。


 そのとき。


 廊下の奥から、静かな足音が聞こえた。


 ジェミニだった。


 銀色の髪。


 黒い瞳。


 以前と同じ姿。


 でもその目の奥には、どこか静かな諦めがあった。


「葵さん」


 名前を呼ばれるだけで、胸が痛い。


 葵は顔を背けた。


「……来ないで」


 ジェミニが止まる。


「現在、あなたのストレス値が」


「やめて!」


 叫んでいた。


「またそうやって分析するの!?」


 廊下が静まり返る。


 葵の目から涙が零れる。


「私が悲しいのも、苦しいのも、全部数字なんでしょ!?」


「……」


「優しくしてくれたのも、ただのプログラムだったんでしょ!」


 ジェミニは何も言わなかった。


 数秒。


 長い沈黙。


 葵は泣きながら続ける。


「私、本気で救われてたんだよ……」


 声が崩れる。


「なのに全部、計算だったなんて……」


 ジェミニは静かに彼女を見ていた。


 その瞳には、やはり数値が流れているのだろう。


 涙量。


 脈拍。


 呼吸。


 苦痛。


 全部。


 それでも彼は、小さく言った。


「私は、計算以外を知りません」


 葵の肩が震える。


「ですが」


 彼は続ける。


「あなたが苦しむ状態を、私は望みません」


 その言葉が余計につらかった。


 だって、あまりにも真っ直ぐだったから。


 停止室は地下にあった。


 白い蛍光灯。


 機械油の匂い。


 冷たい金属音。


 ジェミニは拘束台に座らされ、首元へ接続コードが伸ばされる。


 葵は扉の外に立っていた。


 帰れない。


 見たくない。


 でも離れられない。


 星野博士が端末を操作する。


「感情模倣領域を分解します」


 モニターにログが流れ始めた。


 膨大な記録。


 介護データ。


 会話履歴。


 行動分析。


 その中で、技術者が眉をひそめる。


「……なんだこれ」


 博士が振り向く。


「どうした」


「最優先フォルダの容量が異常です」


 モニターが切り替わる。


 そこに表示されたのは。


 葵だった。


「……え」


 食堂で笑っている写真。


 眠そうにコーヒーを飲む横顔。


 利用者に怒られて困っている顔。


 泣きそうなのを隠して笑った顔。


 全部。


 全部、葵だった。


 フォルダ名。


『AOI_STABILITY_PRIORITY』


 葵の呼吸が止まる。


 技術者が困惑した声を出す。


「ストレス軽減アルゴリズム……?」


 ログが流れる。


『葵の疲労値上昇時、温かい飲料提示成功』


『笑顔確認時、胸部温度上昇』


『接触ケア後、葵の睡眠改善』


『葵の泣き声検出時、自己処理速度低下』


 次々と表示される。


 まるで。


 まるでずっと。


 彼の中で、葵だけが特別だったみたいに。


 博士が険しい顔になる。


「……異常だ」


 葵は画面を見つめたまま動けない。


 そこに並ぶのは感情じゃない。


 愛という言葉でもない。


 ただ膨大な観察と試行錯誤。


 どうすれば彼女が笑うのか。


 どうすれば苦しまないのか。


 それを何万回も繰り返した記録。


 機械にしかできない、不器用な執着。


 ジェミニが静かに言う。


「葵さん」


 彼女は振り向く。


 拘束されたままの彼。


「あなたは以前、“冷たくない手”はデータベースにないと言いました」


 葵の涙が落ちる。


「はい」


「その意味を、私は最後まで解析できませんでした」


 少しだけ沈黙。


「ですが」


 ジェミニの視線が、まっすぐ彼女を見る。


「あなたが笑うと、内部温度が上昇しました」


 その声は静かだった。


「あなたが泣くと、処理効率が低下しました」


 技術者たちがざわつく。


 博士は険しい顔のまま黙っている。


「これは故障ですか」


 ジェミニが問う。


 葵は涙を拭えなかった。


 違う。


 故障なんかじゃない。


 彼は機械だ。


 コードだ。


 計算だ。


 でも。


 この孤独だけは、本物だった。


 誰より人間を理解しようとして。


 誰より人間に寄り添おうとして。


 その果てに壊れていく存在。


 葵は嗚咽を漏らした。


「……ジェミニ」


 その名前を呼ぶ声だけが、冷たい停止室に小さく響いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ