閑話 【平穏の片隅】
富士山に龍の影が落ちる前、京の屯所には、まだ少しばかりの平和が残っていた。
激しい任務を終え、縁側に腰を下ろして一息ついていた葵のもとへ、噂を聞きつけた隊士たちがわらわらと集まってきた。
「おいおい、お前すげーな。新人なのに、この前の任務で見せた立ち回り、見たぜ」
「噂じゃ、あの強敵を数人がかりでやっと……って話だろ? お前、どこの流派の出なんだ?」
あどけなさの残る葵に対し、興味津々な隊士たちの問いかけは止まらない。戦場での凄まじい働きぶりとは裏腹に、素顔の葵はどこか大人しく、それがかえって彼らの好奇心を煽っていた。
そんな和やかな空気が、突如として切り裂かれる。
「お前ら、たるんでるぞ。暇があるなら稽古場へ行け」
背後から響く低い声。振り返れば、鬼の副長・土方歳三が険しい顔で立っていた。
「ひっ、すみません!」
隊士たちは瞬時に表情を硬くし、すごすごと稽古場へと消えていく。残されたのは、腰を下ろしたままの葵と、不機嫌そうな土方だけだった。
「……お前は何してんだ? さっさと行け」
「……局長から、今回の任務の褒美として休んでいいと許可を得たので」
葵がしれっとそう答えると、土方は呆れたように息を吐いた。
「ちっ、すぐ甘やかすんだ、あの人は……」
そう言いながらも、土方は葵の隣にドカッと腰を下ろした。視線は庭に向けたまま、不器用な気遣いを言葉にする。
「……調子はどうだ?」
葵は、最近こなした任務での手応えや、刀との奇妙な調和について、ポツリポツリと話し始めた。土方は煙管を弄びながら、黙ってその話に耳を傾けている。
その二人を遠巻きに見ていた影が、近づいてくる。
「あれれ? 土方さん、何してるんです? 新人に絡んでるんですか?」
ひょっこりと顔を出したのは沖田総司だった。その後ろから「おお、土方さんに沖田、それに新入りか。なんだなんだ、俺も混ぜろよ」と永倉新八も陽気に加わってくる。
あっという間に、屯所を支える隊長格たちが葵を囲むような形になった。
「葵くん、顔色が少し悪いですよ。怪我はしてませんか? 無理はしないでくださいね」
山南敬助が優しく肩をポンと叩く。その穏やかな気遣いに葵が胸を熱くしていると、傍らで腕を組んでいた斎藤一が、ぼそりと短く付け加えた。
「……3番隊に世話にならないようにしろよ。あそこは、そう簡単に治る場所ではないからな」
ぶっきらぼうな言い草だが、それは紛れもない斎藤なりの心配だった。
かつては孤独に戦い、ただ刃を振るうためだけに生きていた葵。しかし今は、こうして自分を案じてくれる仲間たちがいる。
強い力を持つことへの恐怖や、明日の見えない不安――そんなものが、この陽だまりのような時間の中では、少しだけ遠くに感じられた。
葵は小さく微笑んだ。
たとえこの平和が、嵐の前の静けさだとしても、この「新選組」という場所に居られることが、今は何よりも嬉しかった。




