↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もういいよ、が聞こえる家 ~かくれんぼで消えた幼なじみを、20年ぶりに探しに行く~  作者: 中原九尾


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/10

第8話 蔵の底

 取り壊しまで、あと3日。


 芦原町立図書館は、町役場の2階の、半分倉庫のような一室だった。


 郷土資料の棚は、部屋の一番奥にあった。背表紙の日に焼けた『芦原町史』が、上下2巻、並んでいた。


 熱はまだ少し残っていた。大輔が、椅子を引いてくれた。


「久世家、久世家……あった」


 大輔が、下巻の索引を指でなぞって、頁を開いた。


 明治時代の、町の産業の章だった。


『久世家は、江戸後期より芦原村の庄屋を務めた豪農であり、明治に入ってからは養蚕と生糸の仲買で財を成した。最盛期には、村の田畑の3分の1を所有していたとされる。』


 その先に、小さな見出しがあった。


『久世家の没落と「お鈴の神隠し」』


 僕と大輔は、顔を見合わせた。


   *


『明治41年、生糸相場の暴落により、久世家は莫大な負債を抱えた。当主・久世善右衛門は、田畑と家財の大半を処分したが、なお返済に窮した。』


『同年8月、善右衛門は、7歳の娘・鈴を、大阪の商家へ養女として出すことを決めた。実質的には、負債の一部を肩代わりする見返りであったと伝えられる。』


 身売り、という言葉が、頭に浮かんだ。


『鈴の母・ちかは、これに強く反対したが、聞き入れられなかった。』


『養家からの迎えが来た朝、鈴の姿は屋敷のどこにもなかった。家人と村人が総出で探したが、鈴は見つからなかった。ちかは「娘は神隠しにあった」と言い張り、行方について何も語らなかった。』


『ちかはその後、心を病み、実家に戻されたが、翌年の春に亡くなった。臨終の床で、ちかは繰り返しこう呟いていたという。』


 大輔が、頁を指で押さえた。


 その先の一行を、僕は、声に出さずに読んだ。


『「お鈴、もういいよって言うまで、出てきちゃだめよ」』


   *


 しばらく、二人とも黙っていた。


 図書館の窓の外で、蝉が鳴いていた。


「……隠したんだ」


 僕は、言った。


「ちかは、お鈴を、屋敷のどこかに隠した。大阪に連れていかれないように。迎えが帰るまで、隠れてなさいって。もういいよって言うまで、出てきちゃだめって」


「でも、ちかは、実家に戻された」


「うん。お鈴を隠した場所を、誰にも言わないまま。言ったら、見つかって、連れていかれるから」


 そして、ちかは死んだ。


 もういいよ、と言う人が、いなくなった。


 お鈴は、言いつけを守って、隠れ続けた。


 ずっと。


「……だから、ちかは、今でも」


 大輔が、呟いた。


「子供を、隠してるのか。誰にも渡さないように。あの家に入ってきた子を、片っ端から」


「うん。自分の娘を、守りたかっただけなんだ」


 歪んでしまった、母親の愛情。


 100年以上、あの屋敷の中を歩き回って、もういいかい、と訊き続けている。


 町史の頁の端に、小さな注釈があった。


『なお、久世家の土蔵には、火災に備えて家財を納める「穴蔵」が床下に設けられていたとの伝承があるが、所在は確認されていない。』


 穴蔵。


 蔵の、床下。


   *


 昼、一度実家に戻って、母と素麺を食べた。


 母は、松葉杖を椅子の脇に立てかけて、黙って箸を動かしていた。僕も、黙っていた。


「蒼」


 食べ終わる頃、母が言った。


「熱にうなされてたとき、ずっと、ごめんって言ってたわよ。柚葉ちゃん、ごめんって」


 僕は、箸を置いた。


「……お母さん、知ってたのか」


「知ってた、っていうのとは、少し違うわね」


 母は、素麺のつゆの入った器を見つめていた。


「あの日、あんた、6時前に帰ってきたでしょう。玄関で、泣いてた。どうしたのって訊いても、何でもないって。暗くなるまで探したって、あとで言ったけど、あんたが帰ってきたのは、まだ明るいうちだった」


 母は、少しだけ、苦しそうに笑った。


「お母さん、それ、誰にも言わなかったの。警察の人にも、由紀さんにも。言ったら、あんたが責められると思って」


「……」


「でも、それは、あんたを守ったんじゃなかったのかもしれない。あんたに、ひとりで抱えさせただけだったのかも」


 母は、僕を見た。


「ごめんね、蒼。お母さんも、ずっと隠れてたのね」


 僕は、首を振った。


 何と言えばいいのか、分からなかった。ただ、首を振ることしかできなかった。


   *


 午後、大輔と二人で、蔵に入った。


 屋敷の渡り廊下の先ではなく、庭の側の、外の扉から。大輔が、母から預かった鍵束の中から、一番大きな鉄の鍵を選んで、錠前に差し込んだ。


 重い扉が、軋みながら開いた。


 蔵の中は、薄暗くて、ひんやりとしていた。土壁に囲まれた、がらんとした空間。棚には何も残っていなかった。床は、厚い板張りだった。


 懐中電灯で、床を照らした。


 大輔が、膝をついて、床板を一枚一枚、拳で叩いていった。こん、こん、こん。


 蔵の奥の、隅の一角で、音が変わった。


 ごん、と、鈍く、低く響いた。


 大輔が、バールを床板の隙間に差し込んだ。釘が悲鳴を上げて、板が一枚、外れた。


 その下に、石があった。


 平たい、大きな切り石の蓋だった。畳半分ほどの大きさ。真ん中に、錆びた鉄の輪がついていた。


 大輔が、輪に手をかけて、引いた。


 びくともしなかった。


 僕も一緒に引いた。二人がかりで、顔が真っ赤になるまで引いた。


 動かなかった。石の縁が、周りの石と、糊で貼りつけたようにぴったりと噛み合っていた。


「……だめだ。ジャッキがいる」


 大輔は、息を切らせながら言った。


「明日、機材を持ってくる。昼のうちに、開ける」


 石の蓋に、耳を当てた。


 冷たかった。


 何も、聞こえなかった。


 でも、その下に、誰かがいることは分かった。


   *


 夕方、柚葉の家を訪ねた。


 門灯が、橙色に灯っていた。


 由紀さんは、居間に僕を通してくれた。麦茶を出そうとしたのを、僕は止めた。


「由紀さん。話が、あるんです」


 正座して、畳に両手をついた。


「20年前の、あの日のことです」


   *


 全部、話した。


 引っ越しのことで怒っていたこと。見つけてやるもんかと思ったこと。奥座敷の前で探すのをやめて、黙って帰ったこと。帰り道、柚葉の声が聞こえたのに、耳を塞いで走ったこと。


 それから、20年間、嘘をついてきたこと。


 ずっと探した、と。


 話している間、由紀さんは、一度も口を挟まなかった。


 話し終えて、僕は、畳に額をつけた。


「すみませんでした」


 それしか、言えなかった。


 長い沈黙があった。


 壁の、麦わら帽子の柚葉の写真が、僕を見下ろしていた。


「……20年」


 由紀さんが、ぽつりと言った。


「20年、あなたに、感謝してきたのよ。あの子のために、暗くなるまで探してくれた子だって。蒼くんだけは、最後まで、あの子を探してくれたんだって」


 声が、震えていた。


「それが、嘘だったなんて」


 僕は、額を畳につけたまま、動けなかった。


 由紀さんの呼吸が、荒くなっていくのが聞こえた。何かを叩きつけるのではないか、と思った。叩きつけられても、仕方がないと思った。


 でも、由紀さんは、何も叩きつけなかった。


 代わりに、長く、深く、息を吐いた。


「……8歳だったのね」


 顔を上げると、由紀さんは、壁の写真を見ていた。


「あなたも、8歳だったのね。あの子と同じ」


 由紀さんの目から、涙がこぼれていた。


「8歳の子に、引っ越しのことを、あんなふうに言わせた私たちも悪かった。夫の転勤が決まって、私、あの子に、自分で蒼くんに言いなさいって言ったの。大人が言ったら、蒼くんが傷つくからって。……8歳の子に」


 由紀さんは、目元を拭った。


「あの子ね、あの日、家を出るとき、言ってたの。蒼くんに見つけてもらったら、仲直りの鬼灯、あげるんだって。トミおばあちゃんに教わって、何日もかけて、上手に鳴る鬼灯を作ってたのよ」


 僕は、ポケットに手を入れた。


 押し入れの床で拾った、萎びた鬼灯の実。


 それを、由紀さんの前に、そっと置いた。


「……押し入れの中に、落ちてました」


 由紀さんは、それを見た瞬間、両手で口を覆った。


 それから、震える指で、鬼灯を拾い上げた。


 胸に押し当てて、声を上げて泣いた。


   *


「蒼くん」


 しばらくして、由紀さんは、顔を上げた。


 泣き腫らした目で、まっすぐに、僕を見た。


「許すとか、許さないとか、今は、分からない」


「……はい」


「でも、ひとつだけ、お願い」


 由紀さんは、鬼灯を、僕の掌に戻した。


「探して。今度こそ」


 その手が、僕の手を、ぎゅっと握った。


「あの子の鬼は、あなたなんだから」


   *


 夜、実家に戻る途中、柚葉の家を振り返った。


 門灯が、橙色に灯っていた。


 ちかちかと、一度だけ、瞬いた。


 それから、また、静かに灯り続けた。


 明日の日暮れまでに、蔵の石の蓋を開ける。


 開かなければ。


 僕は、掌の鬼灯を見つめた。


 開かなければ、日暮れのあとに、もう一度、屋敷に入るしかない。


 今度は、鬼として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。