二重ベットの契約と、伝説の神獣
金と青、二色の荒れ狂う闘気が宙で激しく引き裂き合い、戦場の夜空を歪んだ狂気の光で染め上げていた。
エドワードが振るう大剣には、溶岩の如く煮え滾る黄金の闘気が宿り、剛胆極まりない薙ぎ払いと叩きつけを繰り出すたび、山をも砕く圧倒的な重圧を撒き散らす。
一方のロバートは、払っても消えぬ蒼茫たる雷霆と化し、その刃から骨を凍らせる切っ先の冷光を放ちながら、視界と死角のすべてを陰険精密に塞ぎにかかっていた。
二人の皇子の連携は寸分の狂いもなく噛み合っていた。黄金の純粋な暴力と、蒼の陰湿極まりない絞殺が完全に交錯し、大気を切り裂く刃鳴りが絶え間なく響き渡る。
爆発的に吹き荒れる衝撃波は、周囲数十メートルの焦土と瓦礫をそっくり一層削ぎ取っていた。
――ガギィン! ガガガッ! ギィィィンッ!!
激しい挟撃の嵐を受け、ベテルギウスの重厚な機械骨格がきしんだ悲鳴を上げる。すでに半ば大破しかけた左腕でエドワードの振り下ろす剛剣を力づくで受け止め、冷たい装甲板の上に火花が滝のように散った。
その同じ刹那、ロバートの短刃が毒蛇の如く隙間を突き、ベテルギウスの頸椎ベアリングの装甲とギアの破片を強引にえぐり取った。
速すぎる。そして重すぎる。
ルシアはベテルギウスの半歩後方に完全に押し込められ、荒い呼吸を繰り返すごとに濃密な硝煙と血の臭いが肺を焼いた。
目尻が苛立ちでピクピクと跳ねる。左手首にびっしりと並んでいたはずの、蒼白い燐光を放つ微型魔力水晶は、過密な術式の超頻駆動によって、すでに三つが白濁した灰の残滓へと成り果てていた。
残りは、わずか二つ。
焦げついたバンドの上で、弱々しい青い輝きが虫の息のように明滅し、底を突きかけた魔力残量を冷酷に告げている。
だが、魔力の枯渇以上に致命的だったのは、右手に装着した精密かつ複雑な錬金手袋だった。
――シューッ……。
鼻を突く焦げたオイルの臭いと、白濁した高温の蒸気が排熱スリットから狂ったように噴き出す。手袋の表面に刻まれたミスリルの魔導回路は、許容量を超えた術式展開によって毒々しい深紅に焼け爛れ、金属が高熱に歪んで悲鳴を上げていた。
その灼熱はインナー越しに容赦なく皮膚へと焼き付き、ルシアの指先を痙攣させ、麻痺させていく。銃のグリップを握る手の感覚は、すでに失われかけていた。
戦況は完全に、息の詰まる泥沼に沈み込んでいた。
退路もなければ、躱す隙間もない。黄金の剣気が頬の皮膚を掠めて空気を引き裂き、一筋の血線が走る。ロバートの冷酷な嘲笑と短刃の青い燐光は、乱れ飛ぶ火花と刃の嵐の中で亡霊のように付きまとっていた。
引き金を引くたび、極小の防護障壁を展開するたび、すり減っていく己の寿命と神経を削り、底なしの消耗戦のブラックホールへ投げ込んでいるかのようだった。
迷いはなかった。ルシアは躊躇うことなく指先に力を込め、左手首の最後から二番目の魔力水晶を無残にすり潰した。
「パキンッ!」
澄んだ破砕音とともに、純粋かつ狂暴な魔力が氷河の逆流の如く、カラカラに乾ききった経絡へと強引に雪崩れ込む。
――永続術式・【マナの泉源】。
皮膚の下に張り巡らされた錬金回路から、青白い光彩が爆発的に奔流し、枯渇しかけた魔力が目に見える速度で強制充填されていく。
だが、その代償は奥歯がガチガチと鳴るほどに重かった。この極小の魔導泉を維持するため、体内のあらゆる微細回路が極限のオーバーヒート状態へと引き上げられていた。
隙間も、猶予もない。体内の神経と術式が、焼け付く砂鉄の中で擦れ合っているかのような鈍い激痛と灼熱感が、心臓の鼓動一つごとに跳ね上がる。一瞬の息継ぎすら許されない。
しかし、吹き荒れる剣戟の乱舞の狭間で、ルシアはその違和感を確かに察知していた。
エドワードの重剣は雷霆の如く振り下ろされ、空気を断ち切る剣風は彼女の耳元の後れ毛を削ぎ落としてすらいたが、その致命の刃は常に数センチのわずかな狂いをもって、彼女の首筋や心臓から逸らされていた。
ロバートの短刃も陰険かつ鋭利に急所や筋を狙っているように見えて、永久的な後遺症や致命的な大出血を引き起こす主動脈だけは、精確に避けていた。
打ち込みと受け流し、攻防の呼吸の合間合間に、この高貴なる帝国の皇子たちは、この修羅場にあって反吐が出るほどの「手加減」を阿吽の呼吸で維持していたのだ。
奴らは殺す気など最初からない。ただ戦闘不能に追い込み、狩猟祭の期間中ずっとベッドから起き上がれなくなる程度の、それでいて後から高位神官の手で完全に治療可能な傷を刻み込もうとしているだけなのだ。
「あんたたち……」
ルシアは低く身を沈め、地を這う黄金の剣気を寸前で躱した。散弾のように跳ねた砕石が装甲を激しく打ち、鋭い音を立てる。喉の奥に血の味がせり上がってきたが、彼女の唇は、極限まで冷え切った嘲笑の形に歪んでいた。
「そんな殊勝な態度を取られたら、こっちがただの卑劣漢みたいじゃないの」
軽口ではない。現実に追いつめられた末の、ギリギリと奥歯を噛み締めるような毒づきだった。
自分が置かれた状況の危うさは、誰よりも理解している。どれほど手加減された刃であろうと、刃は刃だ。
少しでも集中が切れ、術式過負荷の激痛で足がもつれれば、この二人の怪物は容赦なく自分を地面に叩き伏せるだろう。そうなれば自保どころか、この狩猟祭が終わるまで病室のベッドから這い出ることすら敵わなくなる。
――ガギィン! ドガァンッ!!
言い終える間もなく、鼓膜を破らんばかりの金属衝突音が爆裂した!
エドワードが大剣を両手で握り直し、猛り狂う黄金の闘気を重力波の如く纏わせ、ベテルギウスが交差させた両腕へ頭上から叩きつけたのだ! 山崩れの如き怪力が炸裂し、鋼鉄の腕甲は重剣の圧力に軋んで火花を豪雨のように撒き散らした!
「どきやがれ、ガラクタがッ!」
ロバートが金光の死角から獰猛に跳躍し、蒼い闘気で大気を裂きながら、短刃で宙に三連の冷酷な死の軌跡を描く!
――キィン! ガガッ!
最初の一撃がベテルギウスの側面の装甲を弾き、二撃目が毒針のように関節の隙間へ突き刺さって閃光とスパークを吹き出させた! そして三撃目が、ルシアの銃を構える手首を刈り取らんと迫った瞬間――ルシアの瞳に獰猛な光が宿った。
退くどころか前へ踏み込み、過熱しきった右手の錬金手袋を強引に突き出し、手甲の外縁に仕込まれたミスリルの破片刃で短刃を真正面から迎え撃ったのだ!
耳を劈く金属の摩擦音が鋭く響き、鼻先の距離で激しい火花が狂い咲く。その高熱は、ルシアの前髪を一瞬でチリチリと焦がした。
「卑劣で結構じゃねえか! ここは戦場だぜ、お嬢ちゃん!」
ロバートは血走った両目で火花越しにルシアの凍てつく瞳を睨みつけ、腕の闘気をさらに爆発させた。
「テメエがオレの胸を風穴だらけにしてくれるなら、こちとら願ったり叶ったりなんだよ!」
二人の刃が激突した接点を中心に暴風が吹き荒れ、ルシアは低く呻きながら数メートル後方へ足を取られた。
だが、この皇子たちの連続前進こそが、人型兵器の完全殲滅ロジックを臨界点へと引きずり込んだ。
無駄を極限まで削ぎ落とし、流線型の殺戮美を纏ったベテルギウスの双眸から、深紅の魔導光が硝煙を鋭く貫いた。鈍重な巨大兵器などではない。
圧倒的な推重比を誇る、極限の人型凶器。胸郭の魔導炉が臨界を超えてオーバークロックを起こし、足元の岩盤を一瞬で粉微塵に踏み砕くや、宙に二重の衝撃波のリングを残して音速の壁を突破した!
エドワードが大剣を引き戻す暇すら与えず、冷硬な白鋼に包まれたベテルギウスの腕が黄金の剣気を強引に突き破り、大剣の峰を片手で鷲掴みにして完全に殺した。
そしてもう片方の腕は、稲妻すら置き去りにする速度で繰り出され、理不尽極まりない近接格闘の関節技で、跳躍したロバートの首根っこを背後から万力のように締め上げた!
「ガッ……!?」
鋼鉄の指門が食い込み、防護闘気がガラスのように砕け散り、骨がきしむ不吉な音が響いた。
ロバートの顔に張り付いていた狂気の笑みが、瞬時に凍りつく。わずか二メートルの体格差でありながら、ベテルギウスが見せつけたのは、近接白兵戦の王としての絶対的な支配力だった――
予備動作すら挟まず、腕部の油圧シリンダーが重厚な唸りを上げ、ロバートの身体を生きた肉の盾として、前方で大剣を奪われかけたエドワードへ向けて全力で叩きつけた!
――ズドォォォォンッ!!
二つの肉体が正面から激突し、肉と骨が潰れ合う鈍い衝撃音が背筋を凍らせた。理不尽極まる運動エネルギーがエドワードとロバートをまとめて吹き飛ばし、二人は焦げた枯れ木を何本も圧し折りながら、十数メートル先の瓦礫の山へと無様に突っ込み、もうもうたる粉塵を巻き上げた。
ベテルギウスはわずかに顎を引き、二メートルの鋼鉄の体躯を冷然と直立させた。頸部と背部の排気スリットから白濁した高温高圧の蒸気を激しく吐き出し、無造作に指先にこびりついた鮮血を振り払う。
ルシアは激しく上下する胸元を押さえ、体内の【マナの泉源】がもたらす激痛に耐えながら、瓦礫から泥と血に塗れて這い出てくる皇族のエリート二人を見下ろした。その唇に、氷のように冷たく、嘲弄に満ちた笑みがようやく浮かぶ。
「……どうやら、私を医務室へ連れて行く前に、あんたたちの方が救急外来でカルテを作ってもらう必要があるみたいね」
戦況は、息の詰まる緊張感を保ったまま、奇妙な膠着状態へと移行していた。
ルシアが一人で二人の帝国皇子と正面から渡り合い、互角以上に渡り合っているこの死闘は、すでに戦場の外縁に置かれた魔導観測鏡や、敗走する無数の戦士たちの目を通して、すべての者の脳裏に焼き付いていた。もはや彼女を、貴族の庇護に縋るだけの平民の女術士と見くびる者など一人もいない。
誰の目にも明らかだった。あの剣気と弾幕の嵐の中を涼しい顔で泳ぎ切る黒髪の少女の手には、盤面をいつでもひっくり返せる決定打が、確実にまだ隠されている。混戦の中、その華奢な背中に注がれる視線は、当初の困惑から、魂の芯を震わせる戦慄と敬畏へと完全に塗り替えられていた。
双皇子とルシアが血を流し合い、殺気が頂点に達しようとしたその時――天を切り裂かんばかりの凄まじい絶叫が、突如として山嶺の彼方から戦場全域へと轟き渡った。
野獣の咆哮ではない。太古の威圧を孕み、大気中の魔力と生ける者の生命力を一瞬で燃え上がらせるような、純粋な破滅の鳴き声。
恐怖が、冷水のようにその場にいた全員の背筋を凍りつかせた。
遥か彼方、黒く聳え立つ尾根の頂から、暗赤色の劫火を纏った巨大な怪鳥が、立ち込める暗雲を強引に引き裂いて姿を現したのだ。
その姿を視界に捉えた刹那、すべての者の脳裏に、伝説に謳われる唯一無二の名が白昼夢のように浮かび上がった――不死鳥、フェニックス。
だが、その巨躯は伝承の記述を遥かに凌駕していた。周囲の空気は高熱で沸騰した水のように歪み、山嶺の上空で広げられた巨大な翼がわずかに揺らめくだけで、その落とす焦熱の影は、山肌全体を丸ごと呑み込んでしまうかのようだった。
「ゲホッ……どうやらこの狩猟祭の特賞サマは、予定よりずいぶんと気の早いお出ましらしいな」
ロバートは泥と瓦礫の山から身体を起こし、割れた顎から滴る血を乱暴に拭った。荒い息を吐きながら、切っ先をだらりと下げ、立ち込める熱波の向こうにいるルシアを見据えて、掠れた笑みを浮かべた。
「どうだ、ここらで一旦休戦にしねえか、お嬢ちゃん? オレたちがここで潰し合うより、まずはあのデカブツを片付けるのが先決だろ。個人的な貸し借りは、その後で腰を据えてやり合えばいい」
「背中から撃たないって保証はあるの?」
ルシアは煙を吹く手袋の排熱レバーを片手で押し戻し、事務的な警戒心を剥き出しにして眉をひそめた。
だが、その問いかけに対して返ってきたのは、体勢を立て直した大皇子エドワードとロバートの、寸分狂わぬ――盛大な白眼だった。
「……オレたち兄弟はなぁ、ただの鉄の板を振り回して闘気を垂れ流すだけの、脳筋剣士なんだよ」
ロバートは引きつった顔で、ルシアの手首で明滅する幾重もの錬金術式を指差した。
「テメエみてえな背中から人をハメ殺すスペシャリスト相手に、騙し討ちの技術で競り勝てると思ってんのか? おい、その口でよく言えたもんだな?」
あまりにもあけすけで、散々に煮え湯を飲まされた者特有の屈辱に満ちた物言いだった。
実際に肉弾戦で渡り合った双皇子だからこそ、この華奢な女の仕掛けてくる「術式連鎖」がいかに陰湿で極悪かを骨の髄まで知っていたのだ。
先ほどの激戦の最中にも、肉体の頑健さに絶対の自信を持つエドワードは、ルシアの魔導術式――【甘美なる捕縛】にまんまと嵌められていた。正規の拘束魔法などではない。
大気中に突如として樹脂のような極めて粘度の高い滞空性ゲルを凝固させ、一瞬にして空中で数秒間も身体を固められたのだ。そして直後、真正面から撃ち込まれたのは、重装要塞すら穿つ【破城の聖騎巨槍】の一撃だった。
もしエドワードが帝国の頂点に立つ戦士として、危機一髪の瞬間に全身の闘気を絞り出して耐え抜いていなければ、重傷どころか、鎧ごとミンチにされて地面に埋葬されていたところだった。
ロバートにしても散々だった。
暗殺剣術のスピードを活かし、時間をかければこの小さな錬金術師を摩耗させられると踏んでいた。だが、実際に立ちはだかったのは二メートルの鋼鉄の殺戮機械、ベテルギウスだった。
機械の騎士。
乳酸による筋力低下の限界もなければ、心拍の乱れも呼吸の乱れもない。極限状態における神経の疲労や盲点すら存在しないのだ。純粋な剣戟の技術において皇子たちがどれほど一騎当千であろうと、人間の体力は一秒ごとに削られていく。
それに対してベテルギウスの放つ一撃、受ける一挙手一投足は、初動のコンマ一秒と完全に同じ、精密で冷酷、かつ致命的なピーク数値を維持し続けていた。
削られ続けた結果、力関係の天秤はとっくに崩壊していたのだ。あの巨鳥の絶叫が戦場を中断させなければ、このまま機械の怪物とルシアの無尽蔵の搦め手に嬲られ、本当にこの無表情な女にすり潰されて死んでいたかもしれないと、皇子たち自身が何よりも理解していた。
これこそが、帝国最強の錬金術師の実力だった。
伝説の剣聖のような華々しい剣気こそ持たないが、極限まで無駄を削ぎ落とした精密機械のような戦闘スタイルの前では、大陸の頂点に立つ手練れですら、想像の斜め上を行く連鎖トラップの前に、死んでも死にきれない無念の敗北を喫することになる。
「信用できないわね」
ルシアは余計な前置きもなしに、剥き出しの警戒をあっさりと吐き捨てた。言葉を落とすと同時に、黄銅とミスリルの回路が走る右腕を躊躇なく水平に突き出し、冷たい手袋の砲口を立ち上がりかけたロバートの眉間にロック、そのまま過負荷トリガーを叩き込んだ!
――ドォォン! ズドォォォォンッ!!
鼓膜を破る二連の爆轟が、ほぼ重なり合うようにして大気を引き裂いた!
ルシアの装備の中でも最も凶悪で、最も反吐が出る特装連撃――【二重圧縮魔力巨砲】。第一弾の威力は控えめだが、対象の魔力結節点と防護闘気を集中的に破壊する「術式崩壊波動」が封じられており、あらゆる耐性と障壁を力づくで剥ぎ取る。
そして防御を完全に失ったコンマ一秒後、直後に追従する第二弾が、純粋かつ狂暴な運動エネルギーの爆轟となって炸裂するのだ!
この一切の手加減もプライドもない連撃に、先ほどの戦闘でも散々苦汁を舐めさせられ、皇子たちは貴重な高位霊薬を丸薬のように噛み砕いて命を繋ぎ止める羽目になっていた。
「人の話を聞けよこのクソアマァッ――!!」
ロバートは血相を変え、総毛立つ危機感の前に皇族の矜持などかなぐり捨てて、地面を這うように転がり込んだ!
――ズガァァァンッ!!
荒れ狂う魔力の光柱がうなじの皮膚を掠めて後方の巨岩を粉微塵に消し飛ばし、巻き起こった爆風と土砂が、ロバートの端正な顔面を泥と煤と魔物の血に塗れた汚れた地面へ、容赦なく叩きつけた。
「契約を結ぼう! 両天秤にかけてくれて構わない!」
傍らで体勢を立て直したエドワードが、この話の通じない黒髪の女が次弾を自分の顔面に撃ち込んでくるのを恐れ、懐の隠しポケットから淡い魔導光を放つ白紙の契約羊皮紙を引き抜き、ルシアの眼前へ両手で掲げて叫んだ。
三度の輪廻を潜り抜け、帝国の破滅というゲームオーバーを何度も分析し尽くしてきた男だ。
人の心の隙間をどう突けばいいか、熟知していた。目の前の女は、卑劣な手段を選ばず、社畜のように費用対効果ばかりを気にする合理主義者に見えるが、その本質は「利益よりもリスク管理と絶対の保証を重んじる」リアリストだ。
もし狩猟祭の初戦で自陣営のリソースが極度に圧迫されていなければ、定時退社を愛するこの女が、ユリアンの生死など気にかけるはずもないのだ。
ならば、絶対に断れない保険を差し出せばいい。
戦局がどちらに転ぼうと、絶対に損をしない「二重ベットの契約書」を!
「ユリアン以上の保証を約束する!」
エドワードはルシアの冷え切った深緑の瞳を見据え、早口ながらも確かな声音で切り札を提示した。
「フェニックスに共闘して挑み、もし俺たち兄弟が戦死したなら、貴様がユリアンと交わした契約はそのまま最高効力を維持し、報酬を満額受け取ればいい! だがもし俺たちが勝利して大権を掌握した暁には、次期皇帝の特権をもって貴様を全面庇護し、皇権を発動してユリアンへの履行義務と連帯責任をすべて帳消しにしてやる――どちらに転ぼうと、貴様は絶対に負けない!」
ルシアは地面に膝をつく第一皇子を見下ろし、細い目をさらにわずかに細めた。
見事なまでの両天秤。
認めざるを得なかった。雇い主に全リスクを押し付け、自分だけはどちらの結果になろうと確実に実利を掠め取るこの保証条項は、雇われの身である彼女のツボをこれ以上ないほど正確に撃ち抜いていた。
エドワードに躊躇はなかった。迷わず右手の中指を噛み破り、滴る鮮血をインクにして、魔導契約書の上へ淀みなく条項を書き殴っていく。
皇室のエリートとして法規の抜け穴には極めて聡く、わずか数息の間で免責条項と不可抗力条項を網羅し、後から揚げ足を取られる余地を完全に封殺してみせた。
羊皮紙の上で、血の文字が契約成立を告げる金赤の微光を帯びて浮かび上がる。
ルシアは無表情にその綿密な文面を一瞥し、不備がないことを確認すると、自らの指先から滲ませた血を一滴、受保人の欄へと事務的に押し当てた。
「……商談成立ね」
短くそれだけ告げると、手首を軽く返し、澄んだエメラルドグリーンの光を湛えた二本の水晶アンプルを、無造作に皇子たちの足元へ放り投げた。
現代的な精製手法と最高級の錬金素材を惜しみなく注ぎ込んで調合された、超高濃度急速回復ポーション。泥水の中で顔を上げていたロバートは慌ててそれを拾い上げ、栓を抜いて一気に喉へ流し込んだ。荒れ狂う生命エネルギーが体内を駆け巡り、砕けた手首の骨と激痛に軋む内臓を急速に繋ぎ直していく。
不毛極まりない泥沼の削り合いは、ここに一時的な終止符を打った。ルシアはようやく、求めていた絶対のセーフティネットを手に入れたのだ。
しかし、彼女がゆっくりと身を翻し、天を焼き尽くさんばかりの火海に覆われた険峻な山頂を見上げた時、その瞳に安堵の色は微塵もなかった。
空は毒々しい焦熱の赤に染まりきっていた。渦巻く火炎と暗雲のただ中で、伝説の不死鳥フェニックスが緩慢に羽ばたき、地上のすべてを灰燼に帰す破滅の威圧を放ちながら、山嶺の頂から息の詰まる灼熱の影を投げかけていた。
保険の契約書は手に入った。
だが次の仕事は――この神話の怪物どもの胃袋に収まることなく、無事にその違約金を満額回収して帰ることだった。




