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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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温泉郷への湯治と、深く重き愛情

温泉郷へと続くロイヤル・ロードを走る、公爵家の最上級重装魔導馬車。その内部は、さながら縮小された移動宮殿の如き豪奢を極めていた。


車内の四壁は、極めて稀少な樹齢千年の古木を寸分の狂いもなく組み合わせて設えられ、その二重構造の隙間には微弱な地熱魔導の暖流が静かに巡っている。


晩秋の冷気を完璧なまでに遮断し、漂うのは微かでありながら凛とした清冽なウッディの芳香。


足元一面には、継ぎ目一つなく敷き詰められた白銀の長毛魔狼の毛皮絨毯。ブーツの踵が立てる一切の谺を吸い込むほどに深く、柔らかい。


天井からは、丸ごと削り出された発光精霊石の豪奢なシャンデリアが下がり、温もりを孕んだ淡い金色の光を投げかけている。


車窓に嵌め込まれているのは、耐震性を付与された高価な一方通行の紫水晶。外側を厳重に固める黒甲の鉄騎兵たちの殺気とは裏腹に、車内には息を呑むほどに濃密な、蕩けるような温もりが満ちていた。


この魂すら惑わせる静けさのなかで、ルシアは身動きも取れぬまま、常軌を逸した温もりの中にすっぽりと沈み込んでいた。


カリーナはその長身の腕で、華奢で小柄な黒髪の女子を己の正面に完全に囲い込み、滑らかなベルベットのスカートに包まれた、豊満でしなやかな太腿の上にルシアを心地よさそうに座らせていた。


帝国の頂点に君臨し、風雲を欲しいままにする白髪の女公爵。だが今の彼女からは、あの高塔の賭卓で見せつけた、人を呑み下さんばかりの凶暴性と冷酷さは綺麗さっぱり消え去っている。


極地の初雪の如く純白な長い髪を肩口へと無造作に流し、半ば閉じられた真紅の双眸には、春の氷解を思わせる柔らかな光が揺らめいていた。


カリーナの白くしなやかな腕は、所有欲を隠そうともせずルシアの細い腰をしっかりと抱き寄せ、もう一方の手は、額にかかる乱れた黒髪を優しく梳いていた。


彼女はわずかに首を傾げ、ルシアのふわふわとした頭へと親密そうに顎を乗せる。


熱を帯びた吐息が少女の敏感な額を撫でるたび、それはまるで、全世界に向けて不可侵の主権を無言で誇示しているかのようだった——


己こそが正妻であり、この移動宮殿の絶対の支配者であり、そしてルシアを己の庇護の翼の下へと完全に収めた者である、と。


言葉など一言も要さなかった。成熟した上位者特有の妖艶な気品と揺るぎなき余裕が、車内の空気を瞬く間に彼女特有の覇道の色へと染め上げていた。


そして、その長椅子のすぐ傍ら、半歩ほど身を引いた位置には、クレアが従順に寄り添っていた。


公爵家の治癒術式と超高純度の錬金霊薬の洗礼を受け、先刻の高塔で頭から鮮血を流し、右肩を脱臼していたあの無残な狼狽ぶりは、すでに塵芥すら残っていない。


彼女を象徴する艶やかな菫色の長い髪は、再びシルクのように滑らかに整えられ、細やかな真珠を散りばめた仕立ての良い淡い紫のドレスへと流れている。


肌は雪のように白く透き通り、目元には生まれつきの微かな桜色が差す。


劇毒と激痛に歪んでいたあの美貌は、いまや帝都にその名を轟かせ、数多の貴公子たちに夢を結ばせた「帝国の初恋」そのものへと完全に回帰していた。


だが、その清廉で気品ある紫羅蘭色の瞳には、かつて社交界で見せていたような冷ややかな矜持や距離感は微塵も存在しなかった。


クレアは分厚い絨毯の端に半ば跪き、まるでこの世で最も尊い宝物を抱くかのように、ルシアの少し冷たい柔らかな左手を両手で敬虔に捧げ持っていた。


細く滑らかな指先を一本ずつ滑り込ませ、絡め、そして強く握り締め——ルシアと指の隙間を埋めるように、深く十指を交わし合う。


掌から伝わってくる体温に、クレアは幸福のあまり今にも涙を零しそうだった。


非の打ち所のない絶世の美貌には、蕩けてしまいそうなほどの甘さと狂おしい依存の色が滲んでいる。


彼女は頬をわずかに傾け、微熱を帯びた自らの横顔を、重なり合う二人の手の甲へとそっと擦り寄せた。その喉の奥から、極めて微かで、満ち足りた吐息が漏れ出る。


賭局の勝敗は、目に見えぬ形で最も厳格な序列を敷いていた。


カリーナが正座を占め、絶対的な庇護と統制を敷き、敗者の帰順を寛大に受け入れる。クレアは側室の位置に甘んじ、その尖った牙と狂躁をすべて収め、完璧な初恋の佇まいのまま、この甘美な余温を分かち合うことに充足を見出す。


本妻の高慢なる包容と、側妻の偏執的な依存。その二つがこの瞬間、奇妙でありながらも決して引き剥がせぬ溺愛となって絡み合っていた。


その二人に挟まれたルシアは、腕の中に真鍮と歯車で造られた機械梟の【刻刻】を死に物狂いで抱きしめていた。


背後には、仄かに冷涼なシダーウッドの香りを放つ、カリーナの驚くほどに柔らかで豊満な胸元。


左手には、崇拝に満ちた熱を放つ、クレアの玉のように滑らかな温もり。ルシアの青白く整った小さな顔には、この世の終わりと言わんばかりの疲労の色が張り付いていた。


深緑の瞳は焦点もなく天井の精霊石シャンデリアをじっと見つめ、その全身はまるで土から掘り起こされたばかりの枯れ木のように硬直している。


ただ定時退勤と給料のことだけを考えて生きていたい一介の社畜として、彼女は己の前世を心底疑っていた。


前世で帝国の祖廟でも爆破したのだろうか、でなければ、命を削るようなあの神殿戦を乗り越えた直後に、帝国最高峰の令嬢二人に高価な人形のように挟み込まれ、息もつかせず愛でられ続けるような羽目になるはずがない。


一方、広々とした車内の対面に位置する長椅子の上では、死線すら漂う荒唐無稽な空気が支配していた。


ヴァレリーは優雅に足を組み、すらりとした仕立ての良いワインレッドの学者ローブにその引き締まった肢体を包んでいた。


その鋭利な金色の双眸は、ルシアの腰を囲むカリーナの腕と、恍惚とした表情で手の甲に頬を寄せるクレアの顔を幾度となく往復し、端正な眉をこれでもかというほど激しく引き攣らせていた。


宮廷の権謀術数や血生臭い暗殺など見慣れてきた機会主義者たるヴァレリーをして、人生で初めて己の頭脳が過負荷を起こしているのを感じていた。


ほんの数時間前まで、この二人の女は特製の重装リボルバーで互いの頭骨を狙い合って実弾を撃ち込み合い、血反吐を撒き散らしながら互いの魂を生きたまま噛み砕こうとしていたはずだ。


それが馬車に乗り込んだ途端、一方は度量の広さを見せつける温厚な本妻となり、もう一方は瞳を星のように輝かせてすり寄る従順な側妻だと?


ヴァレリーがボーンチャイナのティーカップを持つ手は宙でピタリと止まり、唇の端を微かに痙攣させながら、今にも喉元まで出かかった辛辣な嘲笑を力づくで胃の腑へと押し戻した。


その彼女の隣には、公爵家の若い跡取りの一人、ルーカスが腰掛けていた。


白髪を短く整え、引き締まった長身を誇るこの青年は、今は飾り気のない簡素な服装を身に纏っている。


本来であれば一族から受け継いだ、生まれながらの威圧感を放つはずの深紅の瞳が、今はどこへ視線を向けるべきか完全に彷徨っていた。


まず視線を向けたのは、平時であれば軍団の先頭に立ち皇帝すら眼中に置かないはずの、いまや水も滴るような優しさを滲ませている叔母のカリーナ。


次いで目を向けたのは、幼い頃から誇り高く気品に満ちていたはずの、いまや救われた子犬のようにルシアへと擦り寄っている従叔母のクレア。


ルーカスの彫りの深い精悍な顔立ちは、完全な鉄仮面のように凍りついていた。


彼は膝の上に置いていた佩刀を音もなく影の中へと引き寄せ、それから目の前にあるとっくに冷めきった紅茶を持ち上げると、窓の外を飛ぶように過ぎ去る森の木々を虚無の眼差しで見つめた。


全身から「俺は誰だ、ここはどこだ、俺の一族に一体何が起きたんだ」という深遠な哲学的苦悩のオーラを立ち上らせながら。


車輪が平坦な林道を轢き均し、重く規則正しい砂利の擦れる音を立てていく。


車内では、カリーナが微かな笑みを漏らしながらルシアの血の気のない頬を指先で摘まみ、その指の温もりが人を狂わせるような魔力を放っていた。


クレアは絡め合わせたルシアとの手をさらにきつく握り締め、その紫の瞳には黒髪の少女の姿だけが映し出されている。


帝国の頂点たる権力と富を象徴するこの鋼鉄の揺籃のなかで、荒唐無稽で、豪奢を極め、そして致命的な温泉郷への旅路が、こうして静かに幕を開けたのだった。


「そう言えば、今の温泉郷には『長生湯』と呼ばれる特別な湯治コースが出ているらしいですね。値は張るようですが、美容と肌の活性化には劇的な効果があるとか。女性の方々なら、こういう触れ込みには目がありませんよね」


向かいの長椅子に座るルーカスが、車内の凍りついた空気を破るように口を開いた。


彼はサイドテーブルの上から、高価な羊皮紙に手書きされ温泉郷の金箔封蝋が施されたパンフレットを無造作に取り上げると、手首を返してルシアたちの正面へと掲げて見せた。


だが、居並ぶ淑女たちが口を開くよりも早く、ルーカスはその深紅の瞳で端の小さな文字列を拾い、眉をわずかに上げながら、どこか揶揄うような調子で言葉を続けた。


「ですが、体内の回路を養う効能を目当てに行くのでしたら……叔母上と従叔母上は、ルシア先生と同じ湯船には浸かれないようですよ」


その言葉が落ちた瞬間、先刻まで甘やかな情愛に浸っていたカリーナとクレアの顔色が、同時に青ざめた。


カリーナの半ば閉じられていた情愛に満ちた真紅の瞳が鋭く眇められ、その白い腕がテーブルを軽々と飛び越えて、ルーカスの手から羊皮紙を容赦なく奪い取った。


隣のクレアも、ルシアの手の甲に頬を寄せるのを止め、慌てて身を乗り出すと、菫色の瞳を走らせて紙面の最下部に記された注意書きを貪るように読んだ。


そこには、華美な飾り文字と鮮烈な朱砂のインクで、こう記されていたのである。


【当館の特等滋養泉は地脈回路の共鳴影響を受けるため、入浴者の体質・魔力回路の属性に応じた厳格な分流を行っております。相反する回路が混入した場合、共鳴反発による回路の過負荷および損傷を引き起こす危険性がございます】


車内の空気が、目に見えて急降下した。


この場にいる者のうち、ルシアを除いて全員が帝国の血統を受け継ぐ純正の単一魔力回路の保持者である。


カリーナは強化系と事象干渉魔法を極め、クレアは精神干渉と声楽魔法を専門としている。


だがルシアは、完全なる異端だった——彼女の体内を占める「錬金術式回路」の比率は常軌を逸して高く、一般的な魔力回路を遥かに凌駕しているのだ。


それが意味するのは、ルシアが通常の魔力温泉に足を踏み入れれば、荒れ狂う霊気が彼女の僅かな魔力回路を引き裂いてしまうということであり、逆に彼女が専用の錬金滋養池へ向かえば、安全管理を名目にした温泉郷の番人たちによって、魔導結界の前にカリーナとクレアが門前払いを食らうということだった。


カリーナとクレアはゆっくりと顔を上げ、腕の中のルシアを挟んで視線を交錯させた。


並び立つ二つの絶世の美貌の上に、世俗のルールによって手ひどい横槍を入れられたことへの、寸分違わぬ苛立ちと硬直が浮かび上がっていた。


一体何の冗談だ。


高塔の頂で重装リボルバーを互いの頭に突きつけ合い、一方は頭骨を砕かれかけ、もう一方は口端を裂きながら、鮮血と硝煙の中でようやく「正妻の度量ある受容と、側妻の従順なる侍従」という停火協定を結んだばかりなのだ。


温泉郷へ着いた暁には、鬱陶しいドレスをすべて脱ぎ捨て、湯気の立ち込める乳白色の湯船の中でルシアを巡る甘やかな寵愛と色仕掛けを繰り広げようと目論んでいたというのに——その混浴の権利すら、この紙切れ一枚で剝奪されたというのか?


二人のこの不興ぶりを前に、対面のルーカスは腹の底で密かに笑いを噛み殺しつつも、貴族としての端正な表情を崩さぬまま、平然と取り成した。


「湯治で傷を癒すひととき以外は、四六時中ルシア先生のお傍に侍ることもできるのです。普段通りの骨休めとお考えになればよろしいかと」


幼少期からこの極端な性格の二人に育てられてきたルーカスには、彼女たちの焦燥の根源が痛いほど理解できていた。


カリーナは一地方の軍政を一手に担う女公爵であり、クレアもまた帝国魔法学院で重きをなす上級魔法教授である。


彼女たちの一挙手一投足は巨大な利権の網と直結しており、一日中ルシアの傍にべったりと張り付いていられるほどの余暇など、本来あるはずもないのだ。


世間知らずな貴族の少女などは、騎士物語の甘い幻影に浸り、高位高官に就く権力者が愛のために仕事を投げ打ち、昼夜を問わず側に侍ってくれるものと夢想しがちだ。


だが、冷徹で血生臭い現実において、そんなものは児戯の戯言に過ぎない。適切な取捨選択と冷徹な天秤の傾け方を弁えていなければ、敵の屍を乗り越えてこの高みまで登り詰めることなど不可能なのだから。


ルシアはその理を弁えているし、カリーナとクレア自身もそれを骨の髄まで理解していた。


だからこそ、カリーナは先刻のロシアンルーレットにおいて、放任に近い形で甘受を選んだのだ。


理由は痛々しいほどに純粋だった——ルシアに、寂しい思いをさせたくなかったからだ。


軍団統帥たるカリーナは、ひとたび辺境が揺らぎ帝室の召集令が下れば、公爵邸はおろか帝都からすら三ヶ月、下手をすれば半年も姿を消すことになる。


そんな自分が、孤高で淡泊でありながら、何処にも根を下ろせぬ寄る辺なさを抱えたあの女子を、あの冷え切った公爵邸の誰もいない廊下で、半年もの間独りぼっちで待たせることなど、どうしてできようか。


クレアは、自分が手ずから育ててきた妹だ。カリーナには分かっていた。


クレアがルシアの愛にこれほど狂おしく飢えているのは、ルシアという存在の中に、これまで見たこともない澄み切った価値観を見出したからなのだと。


貴族特有の骨の髄まで染み付いた打算もなく、名門令嬢が人生の半分を費やして貼り付けた欺瞞の仮面もない。


それは、遥か遠き平和な世界に根差した、互いへの敬意と自由を重んじる実直さ。


権謀術数渦巻く帝国の泥濘の中で、生涯をかけても出会うはずのなかった魂だった。


その純粋さが、彼女たちの防壁を完膚なきまでに打ち砕いたのだ。故にカリーナは、この歪な均衡を黙認した。


自分が不在の時はクレアがその冷たい空白を埋め、自らが戻れば絶対の主として君臨し、クレアは弁えて副座へと回る。


だが問題は、見習い教授であるルシアとは異なり、クレアもまた上級魔法教授として、年に一度は実技試験の監督官を務めねばならず、受験生を率いて極めて危険な辺境の荒野へと一ヶ月近く潜らねばならないということだ。


その時、もし二人が同時に公務に縛られてしまえば、一体誰がルシアの面倒を見るというのか?


「はぁ……っ」


カリーナは白く長い指先で、微かに痛むこめかみを軽く揉んだ。その凛々しくも艶やかな美貌の上に、極めて珍しく、山積する公務の重圧に苛まれたような落胆と口惜しさが零れ落ちる。


「愛する妻の側に寄り添うことすら、どうしてこうも面倒なことばかりな訳?」


その腕の中に拘束されていたルシアの口元が激しく引き攣り、即座に抗議の声を上げた。


「おい、ちょっと待ってください! 私たち、いつ結婚したんですか!? というか、まともな交際すら始まってないですし、婚約の草案すら見た覚えがないのに、どうして私は当然のようにあなたの『妻』扱いされてるんですか!?」


カリーナはその微弱な抗議など、まるで見えていないかのように受け流した。


唇の端を優美に持ち上げ、少女の細い腰を抱く腕をさらに引き締めると、まるで洗い立ての毛並みの良い小動物でも抱きしめるかのように、己の顎をルシアの頭頂部へとさらに強引に押し当てた。その声は低く、蕩けるように甘い。


「子供はそんな小難しい手続きのことなんて気にしなくていいのよ」


「誰が子供ですか! 私のこの身体はとっくに成人してます! それにこれは、私の今後の人生の自由に関わる重大事でしょうが!」


ルシアは歯を食いしばって二、三度身悶えしてみたものの、社畜業務に搾り取られた彼女の貧弱な体力では、金属の銃弾を生身の歯で噛み砕くような怪物を前に、ただのくすぐりにすらならなかった。


その抗議は、女公爵によって実に自然に背景の雑音として処理された。


カリーナはそっと目を伏せ、ルシアの黒髪から漂う淡い薬草の香りを吸い込みながら、深紅の瞳の奥に計り知れない光を沈めた。


他人は知る由もないが、カリーナ自身は理解している——自らに前世の記憶が残されていることを。


あの世界はあまりにも遠い。そして目の前にいるこの少女は、この世界に転生してから世渡りを覚え、仕事をサボる術を覚え、冷ややかに現実を傍観する「悪癖」を身につけてしまったとはいえ、その骨の髄に刻まれた命への畏怖、常識への固執、そして「天が崩れ落ちようとも、己の腹を満たし惰眠を貪る権利だけは奪わせない」というあの実直さだけは、何一つ変わっていなかった。


嘘と裏切り、そして利害の取引で満ち満ちたこのノーランド帝国において、大地を三尺掘り返したところで、これほど清らかで飾り気のない魂など二度と見つかりはしない。


だからこそ、彼女は女公爵としてのあらゆる高慢と残虐さを脱ぎ捨ててでも、最も覇道で、最も重苦しい抱擁をもって、人混みの中にいつでも消え去ってしまいそうなこの少女を、永遠に己の翼の下へと繋ぎ止めておくと誓ったのだ。


カリーナは伏し目がちに視線を落とし、己の太腿の上で無防備に見せかけながらも、実際には絶えず神経を尖らせているその華奢な姿を見つめた。真紅の瞳の底に、重苦しいまでの慈しみの色が滲み出す。


最初の始まりは、実際には言葉に尽くせぬほどの負い目に塗れていた。


それは権力の泥濘の中で上位者が常套手段として弄ぶ冷酷な謀略であり、公爵家が高慢さゆえに背負った血の負債だった。


自らがルシアに与えているものなど、罪滅ぼしを口実にした庇護に過ぎず、見下ろすような施しの一種だと、かつてのカリーナは思い込もうとしていたのだ。


だが、警戒を解き、日々の他愛もない暮らしを重ねていくなかで、その重苦しい負い目は、いつしかそれよりも遥かに激しく、滾るような情愛によって完全に呑み込まれてしまった。


彼女は、救いようのないほどにこの女を愛してしまったのだ。


口を開けば不満ばかりを並べ立て、一見すれば道徳の欠片もないように見える、この黒髪の女を。


世間の目には、ルシアは道を外れた異端の怪異と映る。


帝室への敬意は持ち合わせず、教会の神々を鼻で笑い、高潔なる騎士の誓いを目にすればその場で嘲笑を漏らす。


だが、彼女の傍らでその横顔を見つめ続けてきたカリーナだけが知っていた。所謂「秩序なき善意」なるものが、どれほどリアルで、どれほど重たい生き様であるかということを。


ルシアは決して絶対の正義などを標榜しないし、己が道徳の模範であるなどとは爪の先ほども思っていない。


ルシアの認識において、この世における真の聖人など純粋な悪党と同じくらいに希少であり、泥沼の中で足掻く大半の凡夫は、運命に難題を突きつけられたその刹那、目の前の利害や恐怖、疲弊、あるいは微かな胸の痛みに選択を左右されているに過ぎないのだ。


彼女は気まぐれにブラックホールを引き起こし、都市を押し潰すほどの恐るべき権能を秘めている。


本気で悪を成そうとすれば、この帝国全土を探しても彼女を阻める者など片手で数えるほどしかいない。


それにもかかわらず、彼女は決して力で人を圧することはなく、古びた執務机の片隅に縮こまり、微々たる残業代のために計算に明け暮れている。


世界を力で踏みにじる方法を知らないのではない。その骨の髄に残された微かな良知と育ちの良さが、彼女に「普通の人間」としての最後の一線を頑なに守らせているのだ。


カリーナの白く細い指先が、ルシアの柔らかな黒髪を優しく梳いた。指先から伝わってくる体温に、冷酷な鉄血の女公爵の胸の奥が、疼くように微かな痛みを覚える。

彼女には痛いほど分かっていた。


ルシアの纏うあの捉えどころのない警戒心と疲弊が、どこから生じたものなのかを。


この少女はあまりにも残酷な運命に苛まれ、世界によって無慈悲にその身を削られてきた。


だからこそ冷淡さを覚え、「面倒くさい」「残業は嫌だ」「私には関係ない」という言葉を、傷つかないための鉄壁の盾として唇に飾り立てるようになったのだ。


だが、本当に目の前で深淵が口を開けた時、瀕死の弱者が絶望の悲鳴を上げた時、ルシアはいつも世の不条理を忌々しそうに呪いながら、溜息を深く落とし、すでに傷だらけになったその手をそっと差し伸べてしまう。


最も冷酷な言葉を吐き捨てながら、最も優しい救いを施してしまうのだ。


その不器用で、剥き出しで、どこか神経質なまでの矛盾が、偽善と裏切りを見飽きていたカリーナの心の鎧を完膚なきまでに打ち砕いた。


誰もが偽善の仮面を被り互いの喉笛を食い破り合うこの冷え切った帝国において、ルシアはまるで瓦礫の山の中で頑なに燃え続ける一本の細い蝋燭の火だった。


彼女は気高くなどないし、むしろ打算的で小市民的ですらある。


だがそれ故に、あらゆる計算を巡らせたその果てに、なお手放さずに残されたその温もりは、神々の気まぐれな恩寵などよりも幾千倍も眩く、美しかった。


カリーナは少女の腰を抱く腕にゆっくりと力を込め、自らの頬を愛おしそうにルシアの頭頂部へと寄せた。


ルシアはいつだって、己が運命に切り捨てられるのではないかと怯え、最後の利用価値を絞り尽くされる前に身を引いて逃げ出そうとばかり考えている。


だが、逃がしはしない。


たとえ軍団の全鉄騎をもって城壁を築こうとも、たとえこの大陸全土を覆すことになろうとも、カリーナはこの血に塗れた両の手で、口先ばかりで心の脆いこの愛しい娘のために、何者にも邪魔されず昼過ぎまで眠っていられるだけの空を支え続けてみせると誓っていた。


この生涯を賭して、ルシアを護り抜く。ただ、それだけのために。

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