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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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33/116

私と共に、深淵へ溺れなさい

荒れ果てた修道院の奥深く、その一室を満たす空気は熱を帯びて重苦しく沈み込んでいた。風化した石灰の微細な塵と、肌と肌が擦れ合ったあとに立ち上る粘ついた血の甘い匂いが濃密に混ざり合っている。


本来であれば神を祀り、信徒の懺悔を聞き届けるはずのこの廃れた告解の小殿において、聖潔の境界は根こそぎ踏みにじられていた。


クレアは二十余年ものあいだ守り続け、帝国全土から不可侵と崇められてきた純潔の肉体を、暴走した凶暴さと独占欲に突き動かされるまま、自らの手で引き裂き、腕の中の黒髪の女へと捧げ尽くしたのだ。


だが、狂奔の引き潮が引き、鼻を突く血の匂いと冷気が毛穴を刺したとき、我に返ったクレアは乱雑に汚された床と己の両手を見つめ、その頬から血の気を一瞬で引かせた。


取り返しのつかない凶行を犯してしまったのだと、彼女はついに思い知った。


いまのルシアは、無邪気な子供に乱暴に分解され、継ぎ接ぎだらけで組み立て直されたボロ切れの人形のようだった。冷え切った石畳の上に、力なくぐったりと横たわっている。


事前に覚悟していたとはいえ、クレアの聖なる皮膜の奥に潜む凶虐が、ひとたび決壊すれば北境のあの狂女よりも鋭く容赦のないものだとは、ルシアも予想だにしていなかった。


急性捻挫によって引き攣れていたルシアの下腰は完全に限界を迎え、脊髄の神経は火で炙られ続けるような激痛を放っていた。


全身の骨組みがきしみ、足首をわずかに動かすことすら絶望的で、身動きはおろか身づくろいの自由すら完全に奪い去られていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ルシア……」


クレアの頭の中は真っ白に染まり、自らの骨の髄にこれほど浅ましく醜悪な獣性が眠っていた事実を受け止めきれずにいた。


恐慌と自己嫌悪が津波のように押し寄せ、彼女は震える両腕を伸ばし、まるで贖罪を乞うようにその壊れかけの冷たい小柄な身体を抱き上げた。冷汗に濡れたルシアの首筋に顔を埋め、いまにも崩れ落ちそうな嗚咽を洩らす。


……


重厚で斑らな木扉の外、ヴァレリーは腕を組んで冷たい石壁に背を預けていた。漏れ聞こえてくる押し殺した嬌声、乱れた荒い息遣い、そして最後の崩れゆく啜り泣きを、彼女はその耳でつぶさに拾い上げていた。


立ち去らなかったのは、あの狂女二人の見張り役を務めるためでもあった。引率の教授として、背後で蠢く四人の思惑まみれの学生たちが嗅ぎ回りに来ようものなら、魔法で即座に叩き出すだけの権限が彼女にはある。


だが同時に、ヴァレリーの眉間には深い皺が刻まれ、その胸中には名状しがたい不条理と戦慄が渦巻いていた。


ルシアが置かれている危うい境遇を、ヴァレリーは誰よりも弁えている。


ルシアとカリーナの間には、確たる誓約など存在しない。世間一般の恋人関係にすら程遠く、せいぜい利害の一致によって結ばれた雇用関係に過ぎないのだ。にもかかわらず、二人の間に漂う否定しようのない親密さと惹かれ合いは本物だった。


新入生歓迎の晩餐会で、衆人環視のなか堂々と口づけを交わした朝刊が帝都中を駆け巡ったとき、カリーナは己の偏愛を隠す素振りすら見せなかった。


それどころか新聞社がこれを大々的に煽り立て、一部一金貨という法外な値で売り捌くのを放任したのだ。あれは女公爵による、全世界に向けた明確な所有権の誇示に他ならなかった。


傍観者として眺めれば眺めるほど、ルシアの振る舞いは常軌を逸して見えた。


手札を白日の下に晒すならば、ルシアが握る資本は転生者の誰もが嫉妬で発狂するほどに揃っている。


背後には北境の最高覇権であるカリーナが控え、陰気で頑強なその甥、ルーカスですら彼女に病的な執着を寄せている。天才教授の看板を掲げ、二重回路の理論を打ち立てて帝国の不遇な魔術師たちから信仰にも似た崇拝を一身に集めている。


宮廷すら再現不可能な秘薬を調合し、地球の火薬と精密機械の知識を融合させて壊滅的な兵器を作り出す技術もある。瞬時に莫大な富へと換金できる知識を持ち、名声も権力も、そして権力者たちからの狂おしいまでの求愛も、すべて手中に収めているのだ。


何ひとつ不自由のないはずの女が、一体何を恐れているというのか? なぜ自らを袋小路の亡命者のように追い詰めなければならないのか?


ヴァレリー自身、前世の地球では株式と先物の焦げ付きによって破産し、身投げへと追い詰められた過去がある。だからこそ、常に退路を計算し、あらゆる事象に猜疑の目を向けるギャンブラーの心理は痛いほど理解できた。


しかし、ルシアが前世でいかなる地獄を舐め尽くし、これほどまでに底なしのトラウマと不安を抱え込むに至ったのかまでは、ヴァレリーには知りようもなかった。


眼前に差し出された温情や愛撫などでは、ルシアが前世の北境でカリーナに冷たく放置された丸三年の絶望の淵を埋め合わせることなど、到底できないのだということを。


あの三年間、ルシアは見せつけられ続けたのだ。高貴なる支配者がいかに損得を天秤にかけ、自分をいかに価値の低い片隅へと追いやったかを。日々削り取られていく冷徹な剥離の記憶は、魂の深部に消えない劇毒の痕を焼き付けていた。


ルシアは確かにカリーナを愛していた。だが、その愛があったからこそ、彼女は誰よりも冷徹に悟っていた――支配者の愛など、あまりにも安っぽいのだと。


いつか天秤の左に「ルシア」が置かれ、右に「グラフィエン家の統治と北境の存亡」が載せられたなら、カリーナは何の躊躇もなくルシアを切り捨てる。


いつ崖底へと突き落とすか分からない女に、己の全運命を委ねる気など毛頭ない。


だからこそ、クレアの瞳の奥に潜む歪んだ愛欲の気配を嗅ぎ取った瞬間、ルシアは迷うことなく己の肉体を毒餌として投げ打ったのだ。


求めていたのは、クレアの心などではない。法と権力の両面において、自らに降りかかる嵐を遮ってくれる絶対的な「防波堤」――これから足を踏み入れる禁忌の領域、すなわち生体錬金術とキメラ実験を覆い隠すための、巨大な貴族の後ろ盾だった。


錬金術の到達点とは、古来より「人体の創造」にある。


しかしルシアは、十全な生命を最初から組み上げるような行為には微塵の興味も抱いていなかった。そんな真似には効率も美意識も存在しない。


先ほどクレアが錯乱して己の身体を乱暴に弄んだのと同じように、無骨で無秩序な茶番に過ぎないからだ。


ルシアが真に欲しているのは、人体の構成部品を工業的に複製し、予備として保存することだった。


医療技術が極めて原始的で野蛮なこの異世界において、高位の戦闘で内臓を粉砕され、動脈を引き裂かれることなど日常茶飯事だ。最上級の神聖治癒術をもってしても、炭化し壊死した臓器を再生させる術はない。


だがもしも……錬金手札の折り畳み空間の内に、自らの生きた、健やかに脈打つ「予備の心臓」を常に封印しておくことができたなら?


地球の生命倫理に照らせば、それは天地神明に唾する禁忌の妄執かもしれない。だが、死と暴力が支配するこの異界において、ルシアが望むのはただ生き延びることだけだ。


権力者の潤沢な資源と庇護のもとで独立した主要臓器を培養できるなら、己のみならず、将来の協力者の運命をも書き換え、必死の隘路を乗り越えることができる。


そして、グラフィエン公爵家やシルヴィア侯爵家のような頂点の血統による後ろ盾がなければ、こうした血生臭い実験は露見した翌朝には教会によって火刑台送りとなるのだ。


額に張り付いた黒髪を汗が濡らし、ルシアは深緑の双眸を微かに細め、虚ろな眼差しのまま泣きじゃくるクレアの胸に身を預けていた。


耳元には、クレアの乱れた心拍が響いている。そしてルシアの掌は、無意識のうちに己の薄い肋骨の上へと押し当てられていた。


ドクン、ドクン、ドクン。


微弱でありながら、確かにそこにある拍動。それがルシアの脳髄に、病的とも言える陶酔と安堵を染み渡らせていた。


前世の無惨な死の感覚を、彼女は片時たりとも忘れたことはない。


あの灼熱の炸裂火球が胸を真一文字に貫いた瞬間。肺腑が一瞬にして炎を吸い込み、心臓とその周辺の血管が脆い黒炭へと焼き尽くされたあの感覚。


窒息と激痛、果てしない氷の絶望のなか、己の生命が指の隙間から零れ落ちていくのをただ見届けるしかなかった、野良犬のような惨たらしい死。


あの業火は彼女の胸郭を焼き抜いたのみならず、「他者」への信頼を根こそぎ灰燼に帰したのだ。


いまの彼女は、いかなる誓いも信じない。死が二人を分かつまでと囁く純愛など、何ひとつ信じはしない。この不条理な世界で唯一信じられるのは、己の胸の中でいまなお温かい血を送り出している、この臓器の物理的な実体感だけだ。


生き延びるため、自らの運命に一枚の切り札を上乗せできるのなら、カリーナであろうとクレアであろうと、等価交換の盤上に並べられた駒に過ぎない。


彼女たちを愛しているのか? おそらく心の奥底には、真実の愛への渇望がまだ燻っているのだろう。だが、前世の惨劇はその渇望を冷酷な彫刻刀へと鍛え上げてしまった。


肉体の微熱に溺れることは許容しても、魂の防壁を一歩たりとも明け渡すつもりはない。


下腰の激痛が波のように押し寄せ、ルシアの瞼は次第に重くなり、視界の修道院の穹頂が霞んで遠ざかっていく。


シルヴィア家の至宝をこの泥舟に引きずり込むため、彼女は確かにこの壊れかけの身体を張り詰めてみせた。


自らを骨肉ごと圧し折らんばかりに抱きしめるクレアの震える腕を感じながら、ルシアは意識を手放す最後の刹那、極めて薄く冷え切った疲弊の笑みをその唇に浮かべた。


狩人と獲物。


この盤上において、最後に誰が誰を骨の髄まで喰らい尽くすのか――それはまだ、誰にも分かりはしない。


「ルシア……!」


かすれ、引き裂かれたクレアの悲痛な叫びが、静まり返った小殿に反響した。自らの許容量を超えた絶望と痛恨を孕んで。


急性捻挫の痛みに耐え、その上で己の狂暴な情欲によって手酷く蹂躙され、力尽きて気を失った黒髪の女を見つめ、クレアは全身を激しく震わせていた。


ルシアの額には冷たい脂汗が滲み、陶器のように青白い顔立ちには生気の欠片もない。まるで乱暴な子供に腕をもぎ取られ、埃まみれの床に投げ捨てられた繊細な人形のようだった。


醜い。


いまの自分は、骨の髄まで醜悪に爛れている。


クレアの脳裏に激痛が走り、心の最深部に封じ込めていた最も嫌悪すべき汚濁の記憶が、濁流となって逆流してきた――


物心ついた頃から、シルヴィア家の至宝として生きてきた彼女を、無数の身の程知らずな貴族たちが卑劣な手段で手籠めにしようとしてきた。


紳士然とした男たちが、四肢の自由を奪う痺れ薬を酒に盛り、夜会の片隅で意識を混濁させる術式を巡らせ、棘のある蛆虫のような粘つく視線で、自らを押し倒し犯そうと隙を窺っていたあの日々。


相手の尊厳を踏みにじる暴力的な略奪を、彼女は吐き気を催すほどに憎悪していた。だからこそ、彼女は心の中に不可侵の高塔を築き、この泥に塗れた世において無垢な純愛が存在することを傲慢なまでに渇望してきたのだ。


家柄の権勢を剥ぎ取り、帝国が讃えるこの美貌の皮膜を破り捨て、爛れ疲弊した己の魂そのものを抱きしめてくれる誰かを。


それなのに、いまの自分はどうだ。


己の魂の深淵を見透かし、その急所を容赦なく踏みつけてくる唯一の存在が現れたというのに、自らの仕出かした行状は、かつて反吐を吐いたあの貴族の獣どもと何一つ変わりはしないではないか。


ポロポロと。


大粒の熱い涙が零れ落ち、冷汗と混じり合って、ルシアの痛々しいほど薄い胸元へと叩きつけられる。


悔恨、恐怖、そして自己嫌悪がクレアの神経を狂おしく貪り食う。だが――窒息しそうな苦悶の深淵のただ中で、クレアの呼気はある瞬間、ぴたりと凍りついた。


胸の奥底から……戦慄するほどに熱く、痺れるような快感が、脳天を貫いて這い上がってきたのだ。


それは……自らの仮面を生きたまま引き剥がされ、血肉を白日の下に晒されたにもかかわらず、断罪されるどころか、そのすべてを真正面から受け止められたという狂気の悦楽だった。


ルシアは先ほど、己をどう扱った?


あの小柄な女は悲鳴を上げることもなく、神に許しを乞うこともなく、偽善の皮の下に潜む飢えた獣性を見透かしながら、見下すように「役立たずの臆病者」と嘲笑してみせたのだ。


そして、毒を含んだあの声で、冷ややかに「嫌いじゃない」と言い放った。


――受け止められたのだ。


全身を警戒の棘で覆い、自らの命すらチップとして賭場に放り出すあの狂人は、クレアの最も昏い悪意を、何のためらいもなく呑み干したのだ。


待ち焦がれすぎていた。この吐き気を催すほど欺瞞に満ちたノーランド帝国で、「初恋」という標本の仮面に窒息しながら過ごした二十余年。己の胸倉に手を突っ込み、その心臓を弄び尽くした人間など、ルシアをおいて他にいない。


極限まで張り詰めていた理性の糸が、音を立てて千切れ飛んだ。


長い睫毛にはまだ後悔の涙が光っているというのに、クレアの唇の端は奇怪に、神経症的に吊り上がり、やがて爛漫でありながら背筋の凍るような、妖艶極まりない悦びの笑みへと開いていった。


理解した。


北境の従姉カリーナが、なぜ毎夜のようにルシアの両足をへし折り、鎖で寝所の奥深くに永遠に繋ぎ止めたいという狂暴な眼差しを向けていたのか、その理由を完全に悟ったのだ。


この女は……あまりにも人を狂わせる。


傷つき果て、猛毒の針を逆立て、死んでもなお他者を信じようとしない針鼠。しかし前世において、ルシアが誰かを打算なく愛したとき、どれほど純粋に、どれほど魂を焼き尽くすほどの代償を捧げたか、カリーナもクレアもその目で確かに見届けていた。


一族の計算も、金貨の損得も、権力の取引も介在しない、魂の火。ノーランド帝国の腐敗した貴族社会の泥濘からは、逆立ちしても生まれ得ない奇跡。


そんな奇跡を、自らの黄金の鳥籠に閉じ込めたいと願わずにいられる者がいるだろうか?


「ふふ……あはは……」


クレアの喉から、低く掠れた笑いが漏れ出た。深紫の瞳から、清らかな朝の光は完全に消え失せ、底知れぬ夜の帳がすべてを飲み込んでいく。


彼女とカリーナは、ようやく同じスタートラインに立ったのだ。


いや、勝算なら、あの暴力しか能のない従姉よりも遥かに自分の方にある。


前世のカリーナはその地位に胡坐をかき、ルシアを丸三年にわたって冷遇し、傲慢な無関心によってその心を完膚なきまでに粉砕した。


だがクレアは違う。二度の生を通じて、彼女はルシアに直接の傷を与えたことなど一度もなかった。その牙は常に、もっとも柔らかな羽毛の下に隠されていたのだ。


今日の暴虐は不慮の過ちであったとしても、その過ちこそが、二度と埋められないはずだった決定的な境界線を不可逆のものとした。


何より、いまのルシアはノーランド帝国の万年の魔術体系を根底から揺るがす天才教授であり、生ける真理の化身だ。


血の匂いを嗅ぎつけた帝都の貴族どもが、婚姻を結ぼうと血眼になって群がり始めている。カリーナはいま、公爵の鉄腕で帝国の法をねじ伏せ、元老院の雑音を叩き潰すだけで手一杯のはずだ。


カリーナが外の障害をすべて薙ぎ払ったその日こそが、従姉妹同士が仮面を剥ぎ取り、刃を交える決闘の時となる。


「う……さむい……」


胸の中のルシアが微かな呻きを零し、下腰の痛みに眉根を苦しげに寄せた。


クレアの瞳に、蜜のように甘く蕩けるような慈愛が宿る。彼女は両腕に力を込め、骨を軋ませるほどの狂おしい力で、その華奢で損壊した肉体を自らの胸へと強く、深く抱き寄せた。


どうでもよかった。体面も、誇りも、この瞬間においては塵芥のように投げ捨てて構わない。


ノーランド帝国の古き貴族法においては、卓越した功績と魔力を持つ上位者は複数の伴侶を娶ることが許されている。


もしルシアが、己ひとりのものになることを拒むというのなら――側室だろうと、日陰の身だろうと、白日の下に晒せぬ愛玩物だろうと、何ひとつ構いはしない。


ルシアをこの手の中に留め置けるなら、カリーナという狂女とこの美しく冷たい肉体を分け合うことすら、彼女にとっては至上の喜悦に他ならなかった。


クレアは身を屈め、病的な熱に浮かされた美貌を、ルシアの冷汗に濡れた額へと慈しむように重ね合わせた。極熱と極冷が触れ合う皮膚の隙間で火花を散らし、灼熱の溶岩が、いまにも砕けそうな氷塊を容赦なく呑み込んでいく。


崩れかけた穹頂から差し込む薄暮の光が、クレアの優美な首筋と、汗を吸って重く垂れる紫の髪を怪しく照らし出していた。


零れ落ちる濡れ髪は、菫色(すみれいろ)の濃密な蜘蛛の巣となって、腕の中の蒼白な少女を頭から爪先まで覆い尽くし、己の濃い影の底へと寸分の狂いもなく縫い止めていた。


クレアの舌先が唇の端を小さく這い、先ほど理性を失って噛み締めた際に滲んだ、微かな血の味を音もなく舐め取った。錆びた鉄の味が舌の上で弾け、その深い紫の瞳に、見ているだけで背筋が凍るような昏い光を灯らせる。


彼女は笑っていた。


それは、帝国のあらゆる神殿が跪いて恥じ入るほどの、完璧な天使の貌だった。無垢で、清らかで、腕の中で身悶える子羊を憐れむ聖母の慈悲そのもの。


しかしその眼窩の奥底で渦巻いているのは、理性と倫理を食い散らかしたあとに残された、底知れぬ狂気の毒だった。


薄い胼胝のある細い指先が、荒く上下するルシアの細い肋骨をなぞり、ゆっくりと上へと這い上がっていく。やがて、指先ひとつで圧し折れそうな細い首筋へと、神聖な儀式を執り行うように触れ、指腹の向こうで打つ微弱でせわしない脈動を確かめた。


「ルシア……もう逃げられないわよ」


クレアは熱い息を孕んだ唇を、冷たく小さな耳朶へと寄せた。蜜を塗った猛毒のように甘くねっとりとした声は、微かな戦慄と吐息を帯びて震えている。


「そのすべてを見透かした瞳で、私を臆病者だと嘲笑って……見下したような目で、私にあなたをときめかせてみせろと命じて……。従順な猟犬でも飼い慣らした気でいたの? それとも、私の真心を土足で踏みにじって、自分だけが無傷で逃げ切れるとでも本気で思っていたのかしら?」


ルシアの細い首の皮膚の上で、指先が微かに力を増した。爪先が冷たい肉へと食い込み、緩慢な絞殺を予告するような圧迫感をもたらしたあと、まるで愛おしむように優しく撫で直される。


シルヴィア家の高貴なる令嬢としての最後の矜持は完全に剥落し、残されたのは、飢えに狂った野獣がついに肉の味を覚えたときのような、残酷な歓喜だけだった。


「私の仮面をズタズタに引き裂き、その手で私の首輪を外したのは、あなたよ。……なら、自分だけ陸に這い上がれるなんて、金輪際思い上がらないで」


ルシアの首筋に深く顔を埋め、薬草と冷汗、そして血の匂いが混じり合う苦い香りを貪るように吸い込みながら、クレアの唇の端は腐肉に咲く毒花のように妖しく裂けた。


「私と共に、深淵へ溺れなさい」

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