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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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29/111

危険な規則と、腰を痛めた錬金術師

馬車の粗末な木製車軸は、今にもばらばらに砕け散らんばかりの激しい音を立てながら、凹凸の激しい石畳の上を狂ったように跳ね回っていた。


ルシアの身体は車内の揺れに合わせて絶え間なく上下に突き上げられ、硬い座板に打ちつけられた尾てい骨は鈍く痺れ切っていた。


だが、その苛立たしい悪路以上に、彼女の理解を超えていたのはヴァレリーの金銭感覚だった。いったいどういう思考回路をしていれば、こんな粗大ゴミ同然の馬車を用立てることになるのか。


半時間前、一行は帝都魔法学院の正門前に集合した。


そこに横付けされていた二台の馬車は、「最高級の四輪サスペンション付き馬車を借りるための予算を計上しておきながら、中抜きの業者にまんまと金を呑まれ、返金も叶わず、結果としていつ車軸がへし折れてもおかしくない運搬用の廃車を引き取らされた」という無様な現実をありありと体現していた。


「神殿攻略は命がけなんだから。少しでも魔力を温存しておくに越したことはないでしょ。我慢してちょうだい、ね?」


向かい側の薄汚れて黄ばんだクッションに背を預けたヴァレリーは、今日の天気を語るかのように軽薄な声調でそう言ってのけた。


そのどこ吹く風といった態度に、ルシアの眉間には微かな痙攣が走り、胸の奥底から不快な苛立ちが込み上げてくる。


ヴァレリーが前世において金に困窮した末に自ら命を絶ったこと、それゆえに彼女にとって金銭が命以上に重い執着であることは、ルシアとて理解できないわけではない。


だが、生きて帰れる保証すらどこにもない極限の死地へと向かっているというのに、たかが数枚の銀貨を惜しむためにこんな無意味な苦痛に耐え忍ばねばならないなど、滑稽を通り越して荒唐無稽ですらあった。


「……そこまで金が惜しくてマトモな座席も用意できないなら、あんた自身が床に寝そべって私たちの敷物にでもなりなさいよ」


ルシアは吐き捨てるように冷たい皮肉を投げつけた。今の彼女は湯水のように散財する気こそないものの、戦場へ踏み込む前に悪路の振動と格闘して体力を無駄遣いするほど、爪に火を灯すような節約に執着するつもりも毛頭なかった。


この馬車に乗り込んでいるのは、引率の教授である三人だけだ。公募に応じて同行を決めた二男二女、計四名の学生たちは、後方を走るさらにオンボロなもう一台の馬車へと押し込められている。


突風の合間を縫って、あちらの車内から時折あがる悲鳴や呻き声を耳にするたび、向こうの惨状がこちらを遥かに上回っていることなど、確かめるまでもなかった。


「まあまあ、そうカリカリしないで。そんなにお尻が痛いなら……私の膝の上に座る?」


隣に座っていたクレアが、鈴を転がすような柔らかな声で囁いた。


ルシアが拒絶の言葉を紡ぐ隙すら与えず、一見すれば華奢なその腕が流れるように伸び、非の打ちどころのない自然さと親密さをもって、小柄で薄幸そうな黒髪の少女を丸ごと抱きすくめて自らの膝の上へと引き寄せた。


その一連の所作があまりに滑らかだったため、伏せられた深い紫の瞳の奥底で、計画通りと言わんばかりに怪しく閃いた狡猾な光に、ルシアが気づくことはなかった。


クレアはルシアに好意を抱いているのだろうか。純粋な慕情と呼ぶにはあまりに濁り、胸の深奥に沈殿したその執着は、病的なまでの独占欲へと限りなく変質していた。


「帝国の初恋」という完璧な聖女の皮を被って成長して以来、彼女の元へ擦り寄ってくる男も女も、その大半は非の打ちどころのない美貌と高貴な侯爵家の血筋を貪欲に欲しているに過ぎなかった。


クレアという一個の人間を、その意志ごと尊重して向き合ってくれた者など、これまでの人生でただの一人も存在しなかったのだ。


ただ一人、前世におけるルシアを除いては。


あの黒髪の女だけは、彼女を一人の対等な、ごく普通の親しい友人として扱ってくれた。


親切で、気さくで、程よい距離感と思いやりを保ちながら、決してクレアの個人的な領域へと土足で踏み込んで奪おうとはしなかった。


弱肉強食と打算が支配する冷酷な貴族社会にあって、クレアが「自分自身の心が温もりをもって扱われている」と魂の底から実感できたのは、それが生まれて初めてのことだったのだ。


彼女はかつて、ルシアのような伴侶を生涯の隣人として見つけ出そうと心に誓った。しかし、いくら探し回ろうと、絶望的な結論に行き着くだけだった――世界にルシアはただ一人しかいない。


替えの利く代用品など、どこにも存在しないのだと。


ならば、見つかりもしない紛い物を探して茫漠たる人の海を彷徨うくらいなら、いっそのこと……あの傲慢で手のつけられない従姉のカリーナの手から、唯一無二の本物を力ずくで奪い取ってしまった方がよほど早いではないか。


クレアの腕は、ひどく強固に締めつけられていた。むせ返るほどに濃厚で清廉な薔薇の残り香がルシアの鼻腔へと暴力的なまでに侵入し、車内に充満していたカビ臭い古木の異臭を根こそぎ塗り替えていく。


長年の戦陣と死線の果てに鍛え上げられ、しなやかな中に豹のような強靭さと生々しい傷跡を秘めたカリーナの肢体とは異なり、クレアの身体は徹頭徹尾、荒波を知らぬ深窓の令嬢特有の柔らかな温もりと甘美な肉感に満ちていた。


その胸の中にすっぽりと収められ、ルシアの耳朶には微かな気恥ずかしさが差した。


だが、馬車の激しい揺れが続くにつれ、彼女の肋骨と背中に回された腕の力は徐々に重みを増していった。それはまるで、鋼鉄で鋳造された拘束具のように冷酷に締め上げられ、ルシアはようやく皮膚の粟立つような違和感を覚えた。


「クレア……ちょっと力、込めすぎじゃない?」


ルシアは身をよじってその腕から抜け出そうとしたが、肩をわずかに回すことすら叶わず、驚愕に目を見開いた。


驚くほど柔らかく、けれど微動だにしない胸元へ、まるで岩石にめり込むかのように強固に縫い止められていたのだ。


「これから向かう神殿で、どんな理不尽な奇襲を受けるかも分からないのですから」


クレアは瞳を伏せてルシアを見つめ返した。その表情はどこまでも真摯で、一点の曇りもない憂色と、咎めようのない厳粛さに満ちていた。


「未知の不測の事態に直面したとき、貴女の錬金術は私の魔法よりも遥かに高い臨機応変の打開力を発揮します。ですから、今ここで貴女が少しでも体力を温存しておくことは、隊の全員にとって最善の選択なのですよ」


その物言いはあまりに完璧で、大義名分として寸分の隙もなかったため、ルシアは訝しげに唇を尖らせつつも、それ以上抗うのを諦めてしまった。


この淑やかな同僚の頭の中を占めているのが、真っ当な危機感などではなく、正当な口実を盾にして自分を指一本動かせぬ檻の中に閉じ込め、独占することだけだなどとは、ルシアには想像すら及ばないことだった。


対面に座るヴァレリーは琥珀色の瞳を細め、密着し合う二人の姿を冷ややかに見つめていた。その胸中には事の真相が鏡のように透けて見えていたが、あえてその薄氷を踏み割るような真似をする気は毛頭なかった。


今の最優先事項は、ルシアに万全の休息を取らせることだ。今回の遠征の勝敗は、実質的にこの小柄な黒髪の女の肩にその大半がのしかかっているのだから。


この世界の魔法体系は厳密に枝分かれしている。ビクターのように魔力を剣技と同調させて最前線で肉体を削り合う魔剣士もいれば、精神感知や幻惑に特化した搦め手の術者もいる。正統たる元素の具現や肉体強化、そしてさらに希少な共振干渉の使い手も存在した。


クレアが専攻しているのは、あらゆる波長と周波数を干渉・支配する「共振声楽魔法」であり、ヴァレリーは破壊力を極限まで研ぎ澄ませた「元素魔法」の権化である。


二人のいずれも、北境の化け物であるカリーナのように、底の見えない重武装と複合術式を単身で操るような規格外ではない――


もっとも、どれほど無敵に見えるカリーナとて弱点は存在し、精神耐性や幻惑への防御能力に関しては惨憺たる有様で、かつて学院の適性評価において燦然たる「零点」を叩き出した過去があるのだが、それでも彼女が絶対的な戦力の上限である事実に変わりはなかった。


しかし、ひとたび神殿の深奥へ踏み込み、音波の共振が弾かれ、元素の飽和爆撃すら通用しない極限の防衛規則に突き当たったなら、ルシアこそがこの隊における唯一無二の急所崩しとなる。


ましてや彼女の手の中には、この世界の魔力体系から完全に独立した、故郷たる地球の遺産――常識を根底から覆す「火器」という概念外の武力が握られているのだ。


ヴァレリーは視線を車窓の外へと逃がした。流れていく荒涼とした灰色の平原は、次第に濃密な死の気配を帯び始めていた。


神殿とは、現世から切り離された絶対的な独立領域である。そこに足を踏み入れるということは、太古の守護者が定めた絶対的なルールの檻の中へ、自ら首を差し出すことに他ならない。


そして彼女たちが挑もうとしている「破壊神殿」は、歴代の断片的な記録において、まさに言葉通りの意味で――数万の正規軍が敵の姿形すら拝めぬまま、無残に全滅して果てた不条理の極致だった。


「そう言えばさ。前回、帝国の近衛軍が石板を回収しようとして、最高峰の編成で突入したことがあったのよ。結果はどうだったと思う? 隊長が奥の青銅の大門に手をかけて、ほんのわずかに隙間を開けた瞬間にさ、全身がミンチ肉になって一瞬で消し飛んだの。結局、まともな情報なんて何一つ持ち帰れやしなかったわ」


ヴァレリーは片手で頬杖をつき、昨夜の献立でも振り返るような軽さで告げた。だが、その唇から吐き出された内容は、背筋を凍りつかせるに十分な重みを持っていた。


クレアの腕の中に固く抱き留められていたルシアは、その言葉を聞くや否や眉をひどく顰め、厭世的な顔立ちにありありと理不尽への苛立ちを滲ませた。


「……は? 扉を押し開けただけでミンチ?」


ルシアは「石板」という存在が持つ意味を誰よりも熟知していた。


ヴァレリーにとっては次元の狭間を裂いて故郷へ還るための唯一の切符だが、この世界に君臨するあらゆる支配階級にとって、大地に散らばる七枚の石板は、それ単体で戦局を塗り替える絶対の戦略兵器に他ならない。


いずれかの帝国が七枚すべてを掌中に収めたなら、それは他国を一方的に蹂躙し、大陸全土を平定する絶対的な覇権を握ることを意味していた。


そして、石板の起源を巡っては、古の叙事詩にあまりにも荒唐無稽で、同時に痛ましい悲劇が記されている。


遠き一万年前、全土を統べた初代の覇王は、人界へと受肉した神そのものであったという。万象を支配し、永遠の時を生きるはずだった絶対の超越者。


しかし、全知全能たる神は、よりにもよって脆く儚い一人の人間に恋い焦がれてしまったのだ。


神の掟は、その瞬間に最も残酷な代償を突きつけた――神が塵界の愛欲に溺れた時、その神格は綻びを迎え、永遠を約束されていた命に定命の砂時計が嵌め込まれる。


神の寿命は、無慈悲なカウントダウンを始めたのだ。


老いさらばえ、魂が燃え尽きる直前、神王は自らの荒れ狂う神髄が肉体と共に霧散することを良しとせず、それを七つに引き裂いて、それぞれ石板の内に封じ込めた。


伝えられるところによれば、七つの遺物を集め終えた者は、創世の神王が振るった全能の力をそのまま継承するという。


だが、世界を滅ぼしかねないその力が後世の浅ましい略奪者に悪用されるのを防ぐため、神は七つの太古の領域の深奥に、現世を隔絶した神殿を築き上げた。


そして、自らの千切れた怨念から創り出した、筆舌に尽くしがたい七体の強大な守護者を配置し、神髄の番人として眠りにつかせたのである。


神が神座から墜ちてからの悠久の一万年、幾多の帝国の軍馬と伝説の英雄たちが神殿の門へと殺到したが、その神骸の檻から生きて石板を持ち帰った者は、誰一人として存在しなかった。


最初にヴァレリーからこの伝承を聞かされた際、ルシアの胸に去来したのは「恋に落ちて寿命を迎える神」という安っぽい悲喜劇への呆れと、それ以上に、七体の守護者に対する本能的な警戒だった。


神自身の手によって引き裂かれ、生み出された存在。それは神格の概念そのものが具現化した怪物だ。


凡百の魔術師の階位などという物差しで測れるはずもなく、その一挙手一投足が、概念規模の絶対的な破壊を伴う理不尽そのものに違いない。


「そして、この破壊神殿なんだけどね……」


ヴァレリーは先ほどの飄々とした仮面を脱ぎ捨て、薄暗い車内の中で琥珀色の瞳を鋭く細めた。


「軍部が山のような死体を積み上げて、神殿の石碑から唯一持ち帰ることのできた中核の規則。そこに刻まれていたのは、たった一つの奇妙な言葉だけ――『完全なる存在は非ず』。その言葉がどんな殺戮機構と結びついているのか、未だに誰一人気が狂うほど頭を捻っても解読できていないのよ」


その言葉を受け、ルシアはクレアの腕の中で身じろぎしながら辛うじて首を持ち上げ、至近距離にある深紫の瞳と視線を交わらせた。


二つの視線が空中で絡み合い、ルシアはクレアの双眸の奥にも、拭い去れない困惑と張り詰めた緊張をはっきりと見て取った。


完全なる存在は、非ず?


いったい何の冗談だ。


破壊神殿などという仰々しい名を冠しておきながら、門前に掲げられた法条はまるでニヒリズムに毒された哲学者の戯言ではないか。


その言葉を極論まで突き詰めるならば、石板を遺したあの神自身ですら、守護者の判定においては欠陥を抱えた「不完全」の烙印を押されることになる。


もしそうなら、深淵に潜むその怪物は、とんだ傲慢の塊ということになる。


「で、その謎かけをどう読み解けって言うのよ?」


ルシアは眉間を深く寄せ、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。


「神殿の中で『完全なる存在』を創り出すか見つけ出して、根底のルールそのものを矛盾で叩き壊せってこと? それとも、神殿自体が『完全に見えるもの』を片っ端から消去してくるから、私たち全員が欠陥だらけの不完全な状態でいろってこと? どっちなのよ」


彼女は謎解きを蛇蝎の如く嫌っていた。ましてや自らの命をチップとして賭け台に積み上げている極限状態で、二重底の言葉遊びに付き合わされるなど反吐が出る。


白か黒かの残酷な二者択一を迫られる方が、肯定なのか否定なのかすら曖昧な規則の泥沼に引きずり込まれるより、遥かにマシだった。


かつて地球で生きていた頃、ルシアも巷に溢れる「高知能」を謳ったデスゲーム小説や頭脳戦の物語を目にしたことがあった。


だが、それらの作品で描かれる打開策の九割九分は、作者が読者の頭を押さえつけて無理やり納得させようとする低俗な言葉遊びに過ぎなかった。


例えば、「赤信号の横断歩道を歩いて渡ってはならない。違反者はダンプカーに跳ね飛ばされて異世界へ送られる」というルールがあったとする。


すると、知能に著しい欠陥を抱えたような主人公が薄笑いを浮かべ、「ルールは『歩いて渡るな』と言っただけで、『転がって渡るな』とは言っていない!」と閃いてみせ、隊員全員で地面を転がりながら横断歩道を渡り切るのだ。


あまつさえ、周囲のモブキャラクターたちが息を呑み、「流石は主人公様だ!」「そんな盲点を突くなんて!」と拍手喝采を送るのである。


当時、そうした場面を読むたびに、ルシアは胃の腑から生理的な嫌悪感を込み上げさせていた。


しかし、二度の死を乗り越えてなお、今度は自らがその吐き気を催すような理屈の泥沼に引きずり込まれる羽目になろうとは、夢にも思っていなかった。


下劣な言葉の罠を削ぎ落とし、あの謎かけを最底辺の論理構造まで還元するならば、導き出される解法は実質的に相反する二つの極端な方向性に絞られる。


第一の方向性は、「パラドックスによる崩壊」。


神殿の土台に「完全なる存在は非ず」という絶対の真理が刻まれているのなら、その支配領域において、完全の定義に寸分違わず合致する実体を無理やりにでも顕現させてみせるのだ。


完全が存在しないはずの空間に完全が降臨すれば、根底の論理は自己矛盾によってショートし、瓦解する。規則が逆流して吹き飛べば、概念の奥底に潜む守護者は否応なく実体を引きずり出されるはずだ。


そして第二の方向性は、「規則への絶対服従」。


神殿が判定する「不完全」の境界線が、いかに歪で過酷なものであるかを見極めるのだ。


全員が自らの肉体や精神を神殿の望む「損壊」や「欠損」の状態へと意識的に調律し、不完全という秩序に適合する歪な歯車として擬態し続けることができたなら、傷一つ負うことなく最奥へ浸透し、守護者の喉元へと辿り着けるかもしれない。


方向性を推測すること自体は難しくない。白と黒のように、どこまでも明瞭だ。


だが、問題の本質はその代償にあった。


内殿の扉をわずかに押し開けただけで、瞬きの間に挽き肉となって消し飛んだという近衛軍の隊長。その光景を思い浮かべた瞬間、ルシアの伏せられた瞳は暗く沈み、胸の奥底に冷え切った無力感と挫折感が澱のように溜まっていった。


いくら思考を巡らせたところで、これは五分五分の確率で即死するロシアンルーレットに過ぎない。


過去に二度もの無惨な死を味わってきた今の彼女には、切っ先に向かって胸を張って突っ込んでいけるような盲目の勇気など、とうの昔に擦り切れて残っていなかった。


誰が、その扉を押すべきなのか。


誰が、二つの仮説を検証するための使い捨ての毒見役を務めるべきなのか。


ルシアの視線は無意識のうちに、揺れる馬車の天幕の隙間を抜け、後方で頼りなく車体を軋ませているオンボロ馬車へと向けられた。


あの、クレアの後ろに金魚の糞のように付き従い、卑屈なまでの思慕を垂れ流している「メガネ男」――。


脳裏にその姿が過った刹那、ルシアは誰にも悟られぬよう自らの下唇を小さく噛み、口元に極めて淡い自嘲の笑みを浮かべた。


やはり、そうか。


器を取り替え、天才学者だの神話級の錬金術師だのという仰々しい看板を背負わされようとも、その薄っぺらな皮を剥ぎ取ってしまえば、骨の髄まで染み付いた自分の本質は、どこまでも利己的で冷酷なのだ。


極限の瀬戸際に立たされたなら、ためらいもなく他人の命を盾にして地雷原を歩かせようとする、救いようのない悪女そのものではないか。


ルシアは元より、自己犠牲を尊ぶ聖女などではない。むしろその逆、自らの欲望と生存のためならば、他者を業火の中へ蹴落とすことすら厭わない、歪みきった女だった。


けれど、彼女はそれを恥じようとも思わなかったし、誰かに許しを乞うつもりもなかった。


思考を打ち切るように小さく息を吐き出すと、ルシアは眉をひそめ、クレアの締めつけるような温もりから強引に身を引き剥がそうと、腕を突いて身体を起こしかけた。


だが、その微かな拒絶の挙動は、瞬時にクレアの神経を逆撫でした。


ほとんど防衛本能に近い反射速度で、紫髪の令嬢の腕が暴力的に収縮した。指先には抗う術のない怪力が込められ、冷酷な鉄の首枷のようにルシアの細い腰を鷲掴みにすると、逃げ場を塞ぐように力任せに後方へと引き戻したのだ。


前へ逃れようと跳ね起きる力と、後ろへねじ伏せようとする暴虐な拘束。


狂ったように上下へ跳ねる車内の激動の最中、相反する二つのベクトルが一切の緩衝を挟まずに衝突した。


次の瞬間、ルシアの腰椎の深奥から、心臓を鷲掴みにするような乾いた破裂音が響き渡り、神経を焼き焦がす針のような激痛が、下腰から全身を貫いて炸裂した。


ほんの数秒前まで、頭の中で冷徹に他人の命を使い捨ての駒として計算していた神話の錬金術師は――神殿への道半ばにして、あまりにも情けなく、完全に腰をおっ死んで(痛めて)しまったのだった。

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