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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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戦うのは構わない、だが戦うのが私だと先に言え

凍土を噛み砕く車輪の重苦しい音は、街道の舗装が切り替わるにつれて、いつしか平滑な花崗岩を打ち鳴らす澄んだ乾いた音へと変わっていた。


北境の大地を果てしなく覆い尽くしていた、あの荒涼として死に絶えた白雪は、容赦のない陽光に剥ぎ取られた古い脱皮殻のように、車窓の後方、地平線の果てへと消え去っていた。


それに取って代わるように現れたのは、視界を圧倒的な質量で圧迫しながら地平の彼方から天へと屹立する、鉄灰色の巨獣の如き帝都の外郭城壁であった。


垂直にそびえ立つ城壁の高さは数十メートルを超え、黒曜石の堅牢な巨石の表面には、肉眼では判別し得ないほど微細で複雑を極めた太古の防護ルーンがびっしりと刻み込まれている。


昼下がりの淡く冷ややかな金色の陽光を受け、その壁面は鈍い油のような光沢を湛えながら妖しく照り返していた。


ルーンの刻溝の中を緩やかに巡る青白い魔力の潮流は、帝国という巨大な心臓部を丸ごと覆い尽くす不可視の蜘蛛の巣だ。


帝都へと出入りするすべての生物の呼吸、皮膚を撫でる大気の振動、そして城壁に向けられるあらゆる視線までも、音もなく機械的に選別し、監視し続けている。


山門のように重厚な「真理の門」の下を潜り抜ける瞬間、漆黒の巨大な影が車内を一瞬にして呑み込み、次の瞬間には一気に視界が開け放たれた。


車窓の隙間から雪崩れ込んできたのは、もはや北境特有の鼻を突く硫黄と寒風ではない。焼きたての香辛料パンの芳香、貴族たちが纏う高価な薫香、使役獣たちの馬糞、そして至る所から噴き出す魔導蒸気の熱気——


数百万を超える人々が日夜蠢き、呼吸を繰り返すことで生み出される、帝国の中枢ならではの圧倒的な生活の熱気と喧騒であった。


馬車が八台並んで疾走できるほど広大な中央御道。その両脇に立ち並ぶ建造物群は、見る者に暴力的な威圧感を強いる狂気的な垂直の尺度をもって、雲を突く高さへと競い合うように伸びていた。


ゴシック様式の尖塔は精緻な浮空魔導塔へと姿を変え、淡青色のマナパイプラインが剥き出しの血管のように白大理石の外壁を這い、純粋なエーテルを天空へと絶え間なく汲み上げている。


時折、色とりどりの法衣を纏った学者や、装甲を纏わせた軍馬に跨る近衛騎士が車窓のすぐ傍を駆け抜けていく。


その横顔には傲慢と研ぎ澄まされた警戒心が張り付き、瞳の奥には、帝都の住人が地方の属州を見下ろす時に特有の冷ややかな優越感が宿っていた。


そして——この病的なまでに繁栄した市街の中心、幾重もの空中回廊と白石のアーチ橋を抜けた果てに、巨大な天球儀の如き威容を誇る建造物群が聳え立っていた。


帝都魔法学院。


地上の重力を完全に嘲笑い、中空に浮かびながら本校舎を取り囲むように緩やかに旋回する数基の魔導尖塔。その先端からはオーロラのような淡紫色の魔力残滓が絶え間なく降り注ぎ、帝都の上空全体に華麗にして虚飾に満ちた帳を織り上げていた。


権力と黄金、そして至高の魔導によって積み上げられた文明の象牙の塔。細部に至るまで無機質な完璧さで磨き上げられ、厳格であり、そして息が詰まるほど冷酷な場所であった。


「この学院の教授陣なんて、どいつもこいつも面倒な性格破綻者ばかりなのよね。まあ——当然、私を含めてだけど。でも私たちは同郷で、しかも立派なパートナーじゃない? だから貴女には特別扱いしてあげるわよ、村雨ちゃん?」


向かいの席に腰掛けたヴァレリーは片手で優雅に頬杖をつき、甘ったるく軽薄な語尾を引きずりながら、獲物を観察するように妖艶な笑みを浮かべた。


その「村雨ちゃん」という呼びかけを聞いた瞬間、ルシアのこめかみにピクリと青筋が跳ね上がり、胸の奥から怒りの火が湧き上がった。


客観的に見れば、ヴァレリーの言っていることに間違いはない。大陸最高峰の学府である象牙の塔には、偏屈で性格の捻じ曲がった怪物が大勢おり、目の前の腹黒い女はその最たる例なのだから。


「黙りなさい。二度とその名前で呼ばないで」


ルシアは冷徹な眼差しで睨みつけ、鉄板のように硬い声で拒絶した。


「心底、嫌いな名前なんだから」


「あら、冗談じゃないの〜。相変わらず堅物なんだから」


ヴァレリーは喉の奥をからからと鳴らして笑い、反省の色も見せずに手を振った。


互いに腹の内を隠した二人の異世界人が軽口を叩き合う間に、重厚な四輪馬車は帝都魔法学院の内部へとゆっくり滑り込んでいった。


公爵邸直系の威容を誇る馬車であり、車頂にはヴァレリー直属たる黄金の指導教授紋章が掲げられている。門扉を守護する重装の近衛兵たちは制止する手間すら省き、直立してハルバードを打ち鳴らし、大声でその帰還を触れ回った。


「——ヴァレリー教授のご帰還であるッ!」


張り裂けんばかりの敬畏の号令が反響し、行き交う学生たちでごった返していた学院の大路が一瞬にして静まり返る。


車窓の薄絹越しに、普段なら公爵家の従者相手にすら執拗な尋問を繰り返す衛兵たちが、怯えた鶉のように平伏している様を見下ろしながら、ルシアの墨緑色の瞳に微かな当惑が走った。


「……この学校の教授って、そんなに絶対的な権力を持ってるわけ?」


ルシアのその問いは、純粋な疑問から発せられたものだった。


率直に言って、彼女はこの世界の政治構造や権力図に対する知識が致命的に欠落していた。それはまるで、ある街に長く住んでいながら、近隣を牛耳る派閥や行政の仕組みを突然尋ねられ、白目を剥いて立ち尽くす住人のようなものだ。


こうした知識の空白に、ルシアが危機感を抱いたのはごく最近のことだ。


一世において村雨として過労死し、この異世界に転生した直後、彼女の頭を占めていたのは「とりあえず飯を食うための仕事を確保し、生き延びる」という社畜の生存本能だけであった。


錬金術の腕を買われてようやく手にした最初の雇用先が、あの北境公爵邸の問題児の家庭教師というポストだった。


しかし、平穏など存在しなかった。教え始めた途端にカリーナからの理不尽な執着と病的な軟禁が始まり、挙句の果てには暴走した火球に胸を貫かれ、呆気なく即死したのだ。


二つの生を合算しても、彼女の行動半径はあまりに狭く、生きる軌跡は工房と公爵邸の往復に過ぎなかった。


この異世界の常識を早急に脳内へ補填しておかなければ、いつか何処ぞの貴族に売り飛ばされ、自分の身代金の公差計算までさせられかねない。


「貴女、本気で言ってるの? それとも世間知らずの振りをしているわけ?」


ヴァレリーは希少な魔獣でも観察するようにルシアを見つめ、やがて呆れたように細い二本の指を空中に立てて見せた。


「この帝国ではね、大地に満ちるエーテルの恩恵のおかげで、息をしている人間なら誰だって——裏路地のパン屋の小僧だろうが、落ちぶれた錬金術師や精霊使いだろうが、初歩の魔法くらいは指先から捻り出せるわ。けれど、この全土に蠢く数百億という人口の中で——」


ヴァレリーは指先をキュッと引き締め、背筋が寒くなるほど冷徹な声音で告げた。


「帝都魔法学院の正教授の席に座れる人間は、一世代を通しても数千人に過ぎないのよ。数十億の人間が流した血の海を掻き分け、その頭蓋を踏み砕いてこの一つの椅子を毟り取ることが、どれほど狂気じみた生存競争か分かる?」


ヴァレリーは銀の匙を咥えて生まれた特権貴族ではない。冷酷な計算と天賦の才、そして破滅スレスレの博徒の度胸だけで、無数の秀才を蹴落として頂点へと這い上がってきたのだ。


加えて彼女は教授陣の中にあって飛び抜けて若く、その美貌は毒針を隠した罌粟そのものであるため、実力と美貌を崇拝する学内での人気は熱狂的だった。


夜な夜な彼女を屈服させんと妄執を燃やす貴族の男子生徒など、星の数ほど存在している。


だが——そんな魔法体系の頂に君臨する「ヴァレリー教授」が。


数日前、公爵邸の中庭で行われた初対面の立ち会いにおいて、目の前の華奢な黒髪の少女の手によって、常軌を逸した「計略術式」の罠にハメられ、下着一枚の無様な姿にされ、履いていた靴の片方まで吹き飛ばされて泥水を啜らされたのだ。


あれは、魔力の単純な撃ち合いなどでは断じてなかった。


あれは——絶対の「規則(ルール)」。


己の定めた閉鎖領域の物理公差へと強制的に引き摺り込み、その規則を破った瞬間、幾何級数的な反動ダメージを叩き込む。ヴァレリーから見れば、そんな冷酷かつ理不尽な裁定は、天を焦がす大禁呪よりも遥かに底知れぬ恐怖であった。


それこそが、古典錬金術の真の姿なのだろう。古代において禁忌と恐れられながらも、あまりに反人間的な精密操作と極限の演算能力、環境変数の管理を要求されるが故に——前衛で肉壁となる仲間がいなければ瞬時に首を刎ねられる。


そうして歴史の淘汰圧に耐えかね、粗野で直接的な元素魔法の前に敗れ去ったはずの失われた技術体系。


だが、ルシアという異端児は、その致命的な欠陥を見事に埋め戻していた。


ヴァレリーは伏し目がちに視線を落とし、ルシアの膝の上で丸くなっている、真鍮製の機械のフクロウを盗み見た。


——【刻刻】。


自律思考を持ち、独立した喜怒哀楽を宿し、あまつさえ主の危機を鋭敏に察知して自らの判断で防壁となる人造生命。


古代錬金術の神話において、あらゆる神話すら沈黙させる禁忌の概念——ホムンクルス。


帝国の宮廷錬金学会が国家の威信と数百年分の予算を注ぎ込んでも到達し得なかった神の領域を、この死んだ魚のような目をしている社畜少女は「ペット兼用心棒」という個人的な動機で、作業机の上でトンテンカンと造り上げてしまったのだ。


ルシア本人の肉体的な戦闘能力は、確かに紙切れのように脆弱で、決闘場に放り出されれば上級騎士の一撃すら耐えられないだろう。だが、それは彼女が「怪物の中の怪物」であるという事実を何一つ否定し得ない。


そして何より恐ろしいのは——この少女自身が、己の才能の狂気的な価値を全く理解していない点にあった。


完全なる、宝の持ち腐れ。


ヴァレリーからすれば、この戦略兵器に等しい天才を北の僻地に閉じ込め、家庭教師として飼い殺しにしておくなど、古代兵器の起爆スイッチで机のガタつきを止めているに等しい愚行であり、許しがたい冒涜であった。


故に、出発前、ヴァレリーは暗がりの中で「極めて効果的な一手」を打っておいたのだ。


思考回路が欠落し、野獣の闘争本能だけで動くルーカスの耳元に、学院の試験官共がいかに北境を見下しているかを囁いてやった。狙い通り、あの白髪の狂犬は試験会場で机を蹴り倒し、傲慢な試験官たちを片端から血祭りに上げてくれた。


騒ぎは大きければ大きいほどいい。


天を衝くほどの不祥事に仕立て上げてしまえば、名目上の指導責任者であるルシアは、愛弟子の不始末を清算するために自ら決闘の舞台へと引きずり出される他なくなる。


車窓の向こうに迫る巨大な決闘場を見据えながら、ヴァレリーの唇に刻まれる笑みは冷徹に研ぎ澄まされていった。


全ては彼女の青写真通り。


帝都の思い上がった魔導士や頭の固い老いぼれ教授たちの面前に、ルシアという劇薬を容赦なく叩きつけてやるのだ——現実を力ずくで書き換える真の錬金術が何たるかを、その濁った眼球に焼き付けさせてやるために!


馬車の減速に唐突な乱暴さはなかった。しかし、重厚な黒曜石の車輪が青石の敷石に完全に停止したその瞬間、微かな異様さが背筋を伝ってルシアの心へと這い上がってきた。


ここは、迎賓館や客舎へと続く道などではない。


窓の外からは群衆の騒がしい歓声や、魔力防壁が高周波で励起する「キィィン」という耳障りな唸りが響いている。ヴァレリーが意味深な笑みを浮かべ、優雅な仕草で下車を促した時、ルシアの視界は一気に開けた。


そこは——すり鉢状に大地を穿ち、幾重もの防御結界に囲まれた広大な露天決闘場であった。


そしてフィールドの中央には、既に冷ややかに彼女たちを見つめる一団が陣取っていた。


「これが、あの身の程知らずの餓鬼が喚いていた『錬金術の家庭教師』かね?」


口を開いた中年男性の肉体は枯れ木のように痩せこけ、頬の両側には鑿で刻まれたように深く陰険な法令線が落ち、薄情そのものの相貌を際立たせていた。


身に纏う法衣は一見控えめだが、襟元や袖口の陰影には純銀の糸で複雑なエーテル回路が刺繍され、高純度魔導シルク特有の油じみた光沢を放っている。一財産に匹敵する豪奢な特注品だ。


男は尖った顎を傲然と反らし、ルシアの小柄で頼りなげな体躯を一瞥すると、瞳の底にある蔑視を隠そうともしなかった。


「見たところ乳臭い小娘にしか見えんが、グラフィエン家は教員を選ぶ眼識まで北境の凍土の中で腐らせてしまったと見えるな」


「お久しぶりですわ、ビクター教授」


ヴァレリーはドレスの裾を持ち上げて馬車を降り、相手の嫌味など聞こえていないかのように軽やかに微笑んだ。彼女は半歩前に出て身体をわずかに横へずらし、ルシアを無防備なまま全方位の視線の中心へと晒し上げた。


「ご注文通り、無傷でお連れいたしましたわ。あとは学院の規則通りに進めましょう——もしルシアが勝てば、学院は無条件でルーカスの処分を取り消し、特待生として入学させる。逆にルシアが負ければ、彼女は自ら帝都魔法学院に入り、まるまる十年間、助教授を務める約束ですわ」


背後に立たされたルシアの目元がピクリと引き攣り、袖の中の手を強く握りしめた。


馬車の中でヴァレリーが見せていた、あの余裕綽々とした態度の裏にあった毒を、彼女はようやく理解した——売られたのだ。しかも綺麗さっぱりと!


当事者であるはずの自分が、馬車を降りたこの瞬間に初めて事情を「事後承諾」させられたのだ。周囲の状況を見れば説明など不要だった。


結界は既に展開され、試験官が居並んでいる。少し頭があれば、目の前にいる棺桶の隙間のように深い法令線を刻んだ男こそが、自分が倒さなければならない相手だと分かった。


「十年だと? なんと身の程知らずな小娘だ!」


ビクターは荒唐無稽な喜劇でも見せられたかのように、陰湿に冷笑した。


「帝都魔法学院の教職を何だと心得ている! この学院は帝国全体の命脈を背負っているのだぞ。最も体力のあるオーク族ですら、助教授の研究室で一年も働けば過労死する確率が跳ね上がるのだ! 産毛も抜け切らぬ雛鳥が、口を開けば十年だと……ふん、度胸だけはあるようだな!」


「…………は?」


『過労死』。


その凶悪な単語が、ルシアの張り詰めた神経の真芯を容赦なく撃ち抜いた。


前世で極度の過労によって突然死したばかりだというのに、今この異世界の原住民どもは、彼女の目の前で再び過労死確定のブラック労働収容所へ放り込もうとしているのか? しかも一度契約すれば十年間も奴隷労働だと?!


あの白髪の狂犬の後始末に、適当な口頭謝罪で手打ちにするつもりで来てみれば、何故自分が命を賭けてこんな地獄の社畜契約を結ばされそうになっているのか。


——ふざけるな、今すぐ踵を返して公爵邸へ戻って寝たい!


「慌てないでちょうだい」


ルシアの全身から立ち込める拒絶と焦燥を敏感に察知したのか、ヴァレリーが耳元へ滑り寄り、毒蛇のように甘やかに囁いた。


「貴女はあの時、この私を地面に這いつくばらせて、下着一枚にまで剥ぎ取ったのよ? 目の前にいる皺だらけの頑固爺さんなんて、貴女の敵じゃないでしょう?」


ヴァレリーのルシアに対する信頼は、狂信の域に達していた。物理公差を支配し、周囲のすべてを強制的に自己の規則領域へ引き摺り込むその力は、本質的にこの世界の単純なエネルギーの衝突を遥か高みから見下ろしている。


今日、彼女がこうして大立ち回りを演じたのは、魔力量の多寡だけで万物を測れると慢心している帝都の愚物どもに思い知らせるためだ。殺戮や勝負の手段は、魔法や剣術という狭い道だけではないということを!


「……その小娘が、かつてお前を倒したと?」


ビクターは目を細め、高慢な冷笑を一瞬で凍りつかせると、目に見えて表情を険しくした。


ヴァレリーの実力は、学院の古株である彼が誰よりも熟知している。投機に狂った女流教授だが、その変幻自在な複合魔法の冴えには、高名な大魔導士すら煮え湯を飲まされてきた。


そのヴァレリーを屈服させた者が、ただの人形であるはずがなかった。


一瞬の動揺の後、ビクターの窪んだ瞳の奥で計算高い光が獰猛に明滅した。


彼は傲慢で薄情な男だが、主任試験官である以上、本質的には嗅覚の鋭い学者であり投機者だ。もしこの小娘が未知の技術体系を握っているのだとすれば……裏の手を使って学院に縛り付けることができれば、その価値は計り知れない。


損得を計算し終えたビクターは、強張っていた相貌をふっと弛緩させ、底知れぬ親愛を装った笑みを浮かべた。


「ヴァレリー教授が直々に保証されるのであれば、私が十年という罰に固執しては後進を苛めているように見えかねんな。よろしい、ではこうしよう——もし決闘で貴女が私から半歩でも勝ちを拾えたなら、私はあの愚息の過ちを全て不問にするだけでなく、その場で私の直弟子として迎え入れよう。だが逆に貴女が敗北した暁には……貴女はこの帝都魔法学院にて、たった一年間だけ『錬金術実習教授』として教鞭を執ってもらう。……これならば、十分に寛大な条件であろう?」


ルシアは眉をひそめた。直感的に罠だと感じたが、字面だけを見れば、条件は十年の奴隷労働から一年の実習雇用へと劇的に緩和されている。


だが、隣に立つヴァレリーや、背後で事の成り行きを見守る古参の教授陣の口元には、一様に冷ややかな嘲弄が浮かんでいた。


ビクターは魔法試験官の肩書を掲げながら、その実、杖を大剣へと鍛造し直した「魔剣双修」の歴戦の猛者だ。試験場でルーカスに挑発された際も、腹の中では激怒するどころか、ルーカスの生まれ持った強靭な肉体に強い興味を抱いていたのだ。


この決闘は、最初からビクターが仕組んだ「絶対に損をしない賭け」だった。


わざと隙を見せてルシアに負けたとしても、賭けを盾にしてルーカスを直弟子として手中に収められる。逆に全力でルシアを叩き潰せば、奇跡の錬金術師を研究サンプルとして学院に縛り付け、後から教授特権を使ってルーカスを入学させればいい。どちらに転んでも、彼が得をすることに変わりはなかった。


「実に見応えのある、素晴らしい前哨戦ではないか」


その時、決闘場の上方にあるロイヤルボックスの最前列から、甘美な磁力と愉悦を帯びた低く澄んだ笑い声が静かに響いた。


口を開いたのは、金糸の縁取りが施された純白のマントを羽織った若い男だった。溶けた黄金のように眩い短髪を揺らし、神の手で彫り出されたように端正な顔立ちには、疑う余地のない帝王の威厳が刻まれている。


そして彼の傍らの椅子では、魔力を封じる精鋼の鎖で縛られたルーカスが、獰猛な殺気を剥き出しにして、檻に囚われた飢えた狼のように唸っていた。


「あれが、北の辺境から遥ばる駆けつけてきたという例の家庭教師か?」


金髪の青年は優美な指先で純金の肘掛けを軽く叩き、気だるげに、だが底知れぬ興味を込めて呟いた。


「随分と凶悪な手練れと耳にしていたが……いざ相見えてみれば、怯えた小鹿のように小さく華奢ではないか。あのような女は、この退屈で澱みきった宮廷では見たことがないな」


「反吐が出るようなツラを引っ込めてろ、殿下」


ルーカスは血のように赤い瞳で青年を睨みつけ、低くしゃがれた声で、剥き出しの殺意を叩きつけた。


「ルシアにその薄汚ねえ視線を向けるんじゃねえ。ノーランド帝国の皇太子ともあろう御方が、後宮の女だけじゃ遊び足りねえってのかよ?」


広大無辺なる七大陸の中央、豊かな魔力に潤されたこの地は、ノーランド大陸と呼ばれている。


そしてこの大陸の心臓部に聳え立つのが、最も古い歴史を持ち、國力において他を圧倒する絶対の覇権国家——ノーランド帝国であった。


そこは神々に祝福され、同時に貪欲な視線に晒され続ける地。帝国内には大陸で最も豊かで純粋なレイラインが走り、主要な貿易ルート、そして山脈の深部には数十万の鉄騎を武装させられる希少な魔導鉱脈が存在していた。故にこの豊かな土地は、残る六つの大陸に蠢く侵略者たち全員が狙う獲物でもあった。


特に気候が過酷で、蛮族や異界の魔獣と国境を接し続ける帝国の最前線「北境」は、太古から最も凄惨で動乱の絶えない挽肉器だった。


それゆえ皇室が公爵邸へ暗殺者を送り、執拗に牽制を仕掛けていたのも、一族を滅ぼすためではなく、極めて冷酷な「防衛的牽制」に過ぎなかった——北の果てで帝国の盾となるあの極寒の白狼が常に血の飢えと警戒を保ち、平穏の中でその牙を鈍らせないよう、常に刺激し続けなければならなかったのだ。


「後宮の凡庸な女共など、余とて求めてはおらぬ」


皇太子はルーカスの脅しなど耳に入らぬ様子で、万年氷壁のように冷徹な蒼い瞳を決界の向こう、フィールドの中央で鬱陶しそうに真鍮のフクロウを撫でる黒髪の少女へと真っ直ぐに向けた。


「余が求めているのは、この膠着した盤面を覆す『変革者』だ」


次代の帝国を統べる支配者として、皇太子の思考は決して男女の情や単純な勝敗などに留まらない。


大陸各勢力の暗流は既に国境線上で臨界点に達しており、全面戦争の勃発は時間の問題だった。国家規模の総力戦において、数名の大魔導士による破壊魔法など一時的な足止めに過ぎない。真に覇権を万世のものとするのは、規格化された軍工、低コストで戦局を覆す一般武装、そして何よりも——未だ誰も見ぬ圧倒的な技術格差なのだ!


もしヴァレリーが推挙するあの小娘が、凡人に高階位の術者を討ち取らせる新たな錬金術の理を握っているのだとすれば……それを皇室の軍門に組み込んだ時、帝国の鉄騎は大陸のいかなる防衛線をも踏み潰すことができる。


「小さき娘よ……」


皇太子の口元に底知れぬ笑みが浮かび、その視線は炎のように熾烈で、同時に絶対零度のように冷たかった。


「その小さき頭の中に、この帝国を如何なる深淵へ突き落とす火種が眠っているのか……余のその瞳で、直に見定めるが良い」

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