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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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薔薇と雪嶺、壊せぬ小鳥を湯煙に沈め

グラフィエン公爵邸の「雨落の庭(雨落花園)」は、今や煙の如く霧の如き微かな光の帳に包まれていた。


帝都の焦土を洗い清めた細雨がこの深閑たる中庭へと降り注ぎ、幾重にも折り重なるシベリアモミと古木の梢に漉し取られては、細やかな銀糸となって音もなく零れ落ちる。


雨水は精緻に彫琢された回廊を伝って曲がりくねりながら流れ落ち、浮草を湛えた石造りの泉へと滴っては、幾重もの繊細で小さな波紋を描き出していた。


大気中に漂っていた戦場特有の焦燥と鉄錆の匂いはとうに洗い流され、代わりに満ちていたのは、甘霖に潤された黒土の微かな甘み、沈香とモミの木が織りなす清冽な薫香、そして温室の奥から風に乗って幽かに漂い来る八重咲き深紅の薔薇の艶香であった。


しかし、時が止まったかのように美しいその静謐な絵巻の中、吹き抜けの長廊下に置かれた長椅子の周囲だけは、大気が凍りつくほどに重苦しい気圧に沈んでいた。


「うぅ……痛いよぉ……クレア、本当に痛い……」


分厚く大きな深藍色のカシミア毛布の下で、ルシアは傷を負いながらも殊の外顔色を窺うのが上手い仔猫のように、これっぽっちの矜持もなくクレアの柔らかく温かな胸の中へと縮こまっていた。


血泥と雨水に濡れた黒髪は無力に額へと張り付き、小さな顔は紙のように蒼白で、その目元には庇護欲をそそる薄紅が滲んでいる。


クレアが頬を拭い、あるいは薬を塗り替える指先がわずか一分でも強くなろうものなら、彼女はその機に乗じて顔全体を相手の首筋の奥深くへと埋め、豪奢で柔らかな絹の襟元に擦り寄りながら、喉の奥から柔らかく、哀れっぽく、やるせなさに満ちた微かな鼻音を漏らし続けた。


これは決して、ルシアが普段から甘えたがりなわけではない。


生と死の境界線を幾度となく潜り抜け、自らの血肉すら盤上の駒として扱うことに慣れきった冷徹な女傑である彼女にとって、この程度の骨折の痛みなど、歯を食いしばれば耐え抜くことすら容易いものであった。


だが問題は——常に冷徹な計算を巡らせてきたその小さな頭脳が、誰よりも正確に理解していたことだ。今日、皆に背を向け、命を投げ打って処刑場へと飛び込んだあの「独断専行」が、どれほど恐ろしい修羅場に火をつけてしまったのかを。


カリーナは今、長剣を抱えたまま少し離れた石柱に寄りかかり、その銀白の長髪を風に揺らせながら、真紅の瞳で静かに雨幕を見つめていた。しかし、その全身から放たれる冷冽極まりない木質の気配は、庭園中の雨糸すら氷晶へと凍りつかせんばかりであった。


そして彼女を抱き締めるクレアにしても、その眼差しには笑みを浮かべ、仕草は水が滴るほどに優しいものの、傷ついた肋骨を撫でる指先に時折籠もる仄かな力加減には、総決算を目前にした商人特有の危険な優雅さがまざまざと滲み出ていた。


怒っている。普段は高みに君臨し、彼女を甘やかし尽くしているこの二人の天之驕女は、今度ばかりは本気で彼女の皮を剥ぎかねないほどに激怒していた。


生存本能が脳内で激しく警報を鳴り響かせる——ルシアは痛いほど弁えていた。


もし今、「ミアを無事に救い出せたじゃないか」などと少しでも得意げな顔や強がりを見せようものなら、他人の目のない寝室へと戻り、扉が閉ざされたその瞬間……待ち受けているお仕置きは、この華奢な身体では決して耐え切れぬほどの「嵐」となるに違いない、と。


「本当に……少し動くだけでもすごく辛いんだから……」


そこまで思い至ると、ルシアは「尊厳」などという二文字をいとも容易く九天の彼方へと投げ捨て、力のない指先をいっそう必死に握りしめてクレアの胸元の衣を掴み、潤んだ墨緑の瞳を仰ぎ見ながら、三分のおもねりと七分の降参を込めた震え声で、ふにゃふにゃと甘えた声を上げて許しを乞うた。


腕の中で、普段の聡明にして狡黠、大宗師や皇権を謀略に嵌める時ですら眉一つ動かさぬ小怪物が、顔を胸に埋めてふがふがと弱音を吐き、水のように柔らかく崩れている様を見つめ、クレアの麗しき紫の瞳に辛うじて維持されていた最後の薄い怒りは、やるせなさの中で濃密な痛惜へと融け崩れていった。


「……本当に、貴女には敵わないわね」


クレアは幽かに溜息を漏らした。その吐息は、薔薇の花弁を掠める微風のように儚い。彼女はお手入れの行き届いた無瑕の白い指先を伸ばし、呆れと寵愛の入り混じった力加減で、ルシアの青白い鼻の頭を軽く抓んだ。


「今になって痛みを思い知ったの? 広場でビクター教授に一人で挑んだ時、どうして自分がこんなボロボロの姿になるって考えなかったのかしら? 嘘つきな私の小さなお嫁さん、このお話はまだ終わってなんかいませんからね」


口では精算を口にしながらも、その腰を抱き寄せるクレアの腕は、折れた骨のかけらに障らぬよう、より一層穏やかに、柔らかに引き締められていた。


そして、石柱に寄り添っていたカリーナが、ついに重厚な足取りを踏み出した。


玄黒の軍装の裾が微風に揺れて石畳を静かに払い、カリーナは長椅子の前へと歩み寄ると、緩やかに片膝をついた。彫刻のように端正で無瑕の絶美たる横顔は、廊下の陰の中でことさらに冷峻に見えた。


その銀白の長髪がルシアの血汚れた衣の上に零れ落ち、まるで清冽な一筋の月光のように光を宿す。


カリーナは薄い革手袋に包まれた手を伸ばし、ルシアの華奢な顎をそっと掬い上げた。そのピジョンブラッドのルビーの如き紅き双眸の深淵には、極限まで抑え込まれた暗潮が渦巻いていた。


彼女は叱責の言葉を口にすることなく、ただ指先を微かに動かして手袋を脱ぎ捨てると、温もりを帯びた素肌の掌を、ルシアの砕けた肋骨と骨折した膝の上へと静かに重ね合わせた。


「……目を閉じて」


松の梢に雪が降り積もるかのような、凛とした声音が耳元に響く。


次の刹那、広大にして純粋無垢、万年の雪原の奥底より湧き出づる最も優しい泉の如き魔力が、カリーナの掌からルシアの干涸らびた身体へと音もなく流れ込んだ。


それは女公爵の極限の権能が織りなす、この上なく優しい奇跡の顕現であった——


錯位していた骨格は不可思議なる理の共鳴の下で緩やかに元の位置へと収まり、裂け千切れた筋肉と神経は純粋な生機によって寸分違わず撫で平らげられ、過負荷によって崩壊寸前であったルシアの体内の二本の魔力回路すらも、あの覇道にして繊細極まるモミの木の気配に潤され、再び安寧なる温かな光沢を取り戻していく。


激しい鈍痛が潮の如く引き去り、代わりに骨の髄から湧き上がってきたのは、甘やかな痺れと温もりであった。ルシアは深く長い息を吐き出し、潤んだ墨緑の瞳をうっとりと細めながら、撫でられた幼獣のように心地よさそうに身を委ねた。


「ええ、骨は繋がったわ。けれど精神の疲れや汚れまでは、魔法で都合よく洗い流せるものではないのよ」


その蕩けきった無防備な姿に、クレアは思わず低く艶やかな笑い声を漏らし、カリーナへと視線を向けた。風華絶代の二人の妻の視線が虚空で交錯し、その瞳の奥に宿る、黒髪の少女への狂気じみた独占欲と愛憐が、声なき合意を結ぶ。


カリーナは佩剣を傍らに控えるメイドへと無造作に預け、長い腕を伸ばすと、手慣れた覇道さをもってルシアの小さな身体を横抱きに抱え上げた。


そしてクレアもまた優雅に立ち上がり、カシミアのショールを引いてルシアをふわふわの頭だけが見えるように包み込むと、二人は前後して、この死局の中で砕け散りかけた至宝を守るように、公爵邸の最深部に位置する白石造りの湯煙立ち込める温泉浴殿へと歩みを進めた。


背後、庭園の長廊下の外に広がる天地は、広大で優しい静寂の中へと完全に沈み込んでいた。


細雨は綿密に降り注ぎ、あたかも声なき祈りのように軽やかであった。


冷ややかな雨糸は幾重にも重なる深緑のモミの木立へと音もなく降り落ち、葉の表面にこびりついていた最後の煤煙を綺麗に洗い清めていく。


雨粒は飛び出した屋根の獣瓦の銅細工から滑り落ち、波打つ石泉の中へとぽつりと砕けては、石の隙間から立ち上る白い湯気と同化していった。


帝都の広場で血肉を焼き尽くし、特化ロケット弾の洗礼と空間の歪みをもたらしたあの狂乱の渇望。命を刈り取らんと迫ったあの凶悪な長剣、そして大宗師が手加減を重ねたことによるやるせなさと戦慄……あらゆる殺意、血火、狂妄、そして絶望は、公爵邸の深奥へと降り注ぐこの細雨の中で、少しずつ薄められ、沈殿し、やがて虚無へと帰していった。


八重咲きの深紅の薔薇は雨水に洗われて慎ましく項垂れ、その花弁の上で水晶のような露が揺らめき、より一層芳醇で安らかな香気を漂わせている。


シベリアモミの重厚でほろ苦い薫香が風に乗って邸宅の隅々まで満ちわたり、あたかも何者にも侵せぬ不可視の結界の如く、世のあらゆる権謀術数と混乱をあの透かし彫りの鉄門の外へと隔絶していた。


刃の打ち合う悲鳴は消え去り、死線を彷徨う狂乱の計算もまた終わりを告げた。


程よく降り注ぐこの細雨は、公爵邸のすべての礎石を極上の優しさをもって撫で、戦慄した魂を慈しむように安んじさせながら、あの危機に満ちた硝煙の濃い血色の一幕に、静かに重厚な幕を下ろしたのである。


公爵邸の奥深くに設えられた浴殿は、白く温潤な一枚の玉石を彫り抜いて築かれており、立ち上る温かな湯煙が精油の幽香を巻き込んで、彫刻の施された天蓋の下を緩やかに揺蕩い、外界のあらゆる喧騒と血の匂いを完全に遮断していた。


クレアの指先が、ルシアの纏うぼろぼろに焦げた衣服の結び目を器用に解いていく。血糊と泥水に張り付いていた布地が一重、また一重と剥ぎ取られ、その下から現れたのは、息を呑むほどに華奢で痛々しい裸躯であった——骨折こそ権能によって癒されたものの、白磁の如き肌の上には、今なお広範囲にわたる痛々しい鬱血と擦り傷が色濃く残されている。


カリーナは敢えてそのすべてを完治させずにおいた。この悪戯好きな小さなお嫁さんが数日の間その痛みを味わい、少しでも大人しく大人しくしてくれることを願って。


「……いい子ね、ゆっくり入って」


クレアが優しく囁き、カリーナと共にその柔らかな身体を抱き抱え、深紅の薔薇の花弁が浮かぶ温かな泉水の中へと静かに沈めた。


温かい湯が肌を包み込んだ瞬間、ルシアは心地よさそうに仔猫のような鼻音を漏らし、湯の中に溶けてしまいそうなほどに全身の力を抜いた。


彼女は無意識にカリーナの腕の中へと縮こまり、湯に濡れたカリーナの胸元にちょこんと顎を乗せ、墨緑の瞳を半分閉じながら、嵐を逃れてようやく巣穴へと帰り着いた幼獣のようにすべての警戒を解き放っていた。


カリーナは濡れたルシアの黒髪に細長い指を通し、身をかがめると、極めて優しく、祈りを捧げるかのように少女の滑らかで冷たい額へと口づけを落とした。


しかし、その温存たる触れ合いの下、女公爵のピジョンブラッドのルビーの如き瞳の奥底では、必死に抑え込んでいる暴虐な暗潮が狂乱の如く渦巻いていた。


……折ってしまいたい。


この危険で病的な衝動が、毒の蔦のようにカリーナの心臓の中で際限なく増殖していく。


手首の筋を切り裂き、膝を砕き、重厚な黄金の鎖でこの華奢な身体を公爵邸の最深部にある寝室に縛り付けてしまえば……いつだって強がり、他人のために平気で命を投げ出すこの小さな嘘つきは、もう二度と自分たちの側から逃げ出すことなどできなくなる。


彼女はただ柔らかな絹のベッドの上に横たわり、半死半生のまま自分たちの呼吸と食事だけに縋り付き、昼も夜も、未来永劫、その墨緑の瞳にカリーナとクレアの二人の姿だけを映し続けることになるのだ。


その息の詰まるような甘美な誘惑に、カリーナがルシアの腰を抱く指先は思わずきつく引き絞られ、極限の自制によって白く強張っていた。


だが、彼女はそれを強引に押し殺した。


そんなことをしてはならない。この間、彼女とクレアは同じく異郷の者であるヴァレリーの元へ足繁く通い詰めていたのだから。


ルシアの魂の真実を見極めるため、彼女たちはヴァレリーにあの「地球」の全貌を明かすよう強く迫った。


そして、あのワインレッドの髪に金眼を持つ天才魔法師は、ポップコーンを齧りながら気のない様子で指を鳴らし、高位の記憶投影魔法を用いて、二十一世紀末から二十二世紀へと足を踏み入れつつある壮大なる地球文明の姿を、帝国の二人の天驕の前に惜しげもなく開帳してみせたのだ。


その光景は、カリーナとクレアの魂の深奥に底知れぬ衝撃をもたらした。


神も魔力も存在しない世界で、凡人たちは「科学技術」という名の一つの力によって、大陸一つを地図から消し去る核兵器を造り、万メートルの上空を翔ける鋼鉄の巨鳥を生み出し、星空のすべてを掌大の板の中に収める微小な素子を創り上げ、果ては大気圏を突き抜けて月や深宇宙へと至る惑星規模の巨構を築き上げていた。


その瞬間、クレアはルシアの頭脳にある常理を超えた錬金術の図面の正体を完全に理解した。


そしてカリーナもまた、魔力も微弱で肉体も脆弱に見えるあの黒髪の少女が、なぜ大宗師や神殿すら眼中に置かない傲慢と狂気を骨の髄に宿しているのかを悟った——


それは、高度に発展した星間文明の肩の上に立ち、異世界の蒙昧なる秩序を見下ろす「次元の異なる蔑視」に他ならなかったのだ。


だが、科学技術以上にカリーナとクレアを沈思させたのは、その世界に存在する文化と概念であった。


ヴァレリーの膨大な記憶の海の中で、彼女たちは一つの言葉をはっきりと見出した——【ヤンデレ】。


地球の現代二次元文化における基準に照らし合わせるならば、ルシアに対して精神的支配に近い過剰な独占欲を抱き、ことあるごとに世界を滅ぼすか愛する者を監禁しようとする二人の妻は、紛れもなく、正真正銘の「ヤンデレ」であった。


ヴァレリーは当時、菓子を頬張りながら腹を抱えて笑い転げ、二人を揶揄ったものだ。


「安心してくださいな、奥様方。私たちの故郷じゃ、ヤンデレってのは大人気の属性なんですから! 顔さえ良ければ、主人公をミンチにしようが地下室に首輪で繋ごうが、弾幕は『助かる』『ご褒美です』って大歓喜の大合唱なんですからね!」


その概念は、カリーナにとって今なお荒唐無稽で理解し難いものであった。


ヤンデレ……それは通常、極めて高い容姿の美しさを伴うものだという。


その点において、カリーナは自覚していた。己の神の手で彫り出されたかのような冷冽なる白貌も、クレアの「帝国の初恋」と讃えられる衆生を惑わす絢爛たる美貌も、この大陸はおろか異世界中を探したとて、間違いなく風華絶代の領域にある。


だが、どうしても理解が追いつかなかった——地球人の脳の構造とは、一体どうなっているのだ?


なぜあの世界の人々は、ただ女の顔が十分に美しいというだけで、四肢の損壊、精神的虐待、自由の剥奪、果ては不法監禁といった剥き出しの破滅的暴力に対して、これほどまでに寛容になれるのか?


それどころか……なぜそれに興奮し、熱狂することなどできるのか?


それはある種の深層的な被虐嗜好なのか、それとも単なる性的な盲目に過ぎないのか?


もし自分が心の底の病的な衝動に身を任せ、ルシアの手足を折り、永遠に闇の牢獄へと繋ぎ止めたなら、腕の中にいるこの文明世界から来た傲慢な魂は、ヴァレリーの記憶にあるあの虚構の物語のように興奮を覚えるというのか?


答えは、明白に否であった。


カリーナは己の胸に頭を預け、呼吸を穏やかに整えて眠る少女を見下ろし、その瞳の奥に複雑な葛藤と敗北感を滲ませた。


彼女は痛いほど知っている。ルシアは地球の物語に出てくるような、思考を放棄して従属する都合のいい主人公などではない。


ルシアは内に研ぎ澄まされた刃を隠し持った獣だ。どれほど肉体が弱かろうと、一度一線を踏み越えられれば、沈黙の内に神すら殺す火薬に迷わず火をつける。


もし自分が理性を完全にかなぐり捨て、「ヤンデレ」として彼女を廃人へと破壊してしまえば、手に入るのは心酔した服従などではなく、ただ心が死に絶え、いつ自らを破滅させるとも知れぬ冷え切った抜け殻だけであろう。


「……本当に、手のかかる厄介な子ね」


クレアが温かな水面を踏み分けて寄り添ってきた。紫の長髪が澄んだ湯の中に広がり、あたかも水面に咲く幽雅な蓮の花のようであった。


彼女はカリーナの肩にそっと顎を乗せ、同じようにルシアの穏やかな寝顔へと視線を落としながら、すべてを見透かしたやるせない苦笑を浮かべた。


「貴女、さっきあの子の脚を折って閉じ込めてしまおうと考えていたでしょう?」


カリーナは否定しなかった。ただ腕の中のルシアをより一層強く抱き寄せ、少女の薄く脆い項を優しく撫でながら、湯煙の中で掠れた、低く押し殺した声を返した。


「……今日、あの子が全身傷だらけになって戦う姿を見て、気が狂いそうだった」


「ええ、分かっているわ」


クレアは指先を伸ばし、ルシアが眠りの中で微かに寄せていた眉間の皺を優しく解いた。その紫の瞳の奥にもまた、背筋を凍らせるような狂気的な光が揺らめいている。


「私も、自分の権能を使って帝都ごと更地にしてやろうかと思ったもの。けれどお姉様……私たちは耐えなくては」


クレアはルシアの熱を帯びた頬に掌を重ね、獲物を優しく愛撫する毒蜘蛛の如く、甘やかな囁きを落とした。


「地球人の興奮なんて安っぽい幻想よ。でもあの子は、私たちの隣で本当に息づいている。星の海の彼方から舞い降りた鳥を永遠に手元に留め置きたいのなら、その翼を折るべきではないわ……私たちの腕の外にある世界の嵐が、どれほど残酷にあの子を引き裂くかを、教えてあげるのよ」


カリーナは血の色の瞳を伏せ、腕の中の少女の微弱ながらも確かな鼓動に耳を傾けた。沸き立っていた破壊の衝動は、温かな湯と妹の囁きの中で、より深く、何者にも揺るがせ得ぬ絶対の支配の意志へと沈殿していった。


彼女は顔を寄せ、ルシアの唇の端へと再び軽く歯を立て、薄い紅の痕を残した。


貴女を壊してしまえないのなら。


この世界で、永遠に私たちだけに依存して生きるようにしてあげる。


白玉の浴槽の縁で、温かな湯煙が薄絹のように立ち上り、透かし彫りのアーチと硝子の灯火の間を揺蕩いながら、浴殿全体を朧気な夢幻へと染め上げていた。


ルシアは温かな湯のぬくもりと慣れ親しんだ抱擁に抱かれ、とうに深い眠りへと落ちていた。微かに開いた桜色の唇、長い睫毛が落とす安らかな影、そして小柄な手は未だ無意識にカリーナの濡れた長髪をぎゅっと握りしめている。


それは嵐の去った後にようやく安住の巣を見出した小鳥の如く、自らの命のすべてを無防備に二人の妻の掌へと委ねていた。


クレアは湯気に濡れたルシアの額の髪を優しく耳の後ろへと払い、カリーナと言葉のない視線を交わし合った。


あらゆる殺伐、あらゆる謀略、そして血脈の奥深くに刻まれた狂気的な執着は、この立ち込める温かな湯の中で、深い愛憐によって静かに融かされ、唇の間から零れる吐息となって消えていく。


浴殿の高い透かし彫りのドームの外では、初春の細雨が今なお音もなく降り注いでいた。


冷ややかな雨糸は庭園に重なるモミと古木を潜り抜け、葉に残された最後の煤の汚れを洗い流す。雨滴は軒先を伝って音もなく滴り落ち、階段の前に咲き誇る深紅の薔薇の花弁を微かに揺らしては、静かに土の中へと染み込んでいった。


湯煙が立ち上り、細雨は煙の如く揺れる。


内の温もりと、外の涼やかさ。


鉄と血が交錯した金属の軋みはなく、深宮の陰に潜む権謀術数の計算もない。グラフィエン公爵邸のすべては、煙雨の中に眠る孤島の如く、腕の中にあるこの失われかけた至宝をこの上なき優しさで包み込んでいた。


綿密な雨音と、果てなき水煙。それらは声もなく、あの息を呑むような血色の狂乱に、最も穏やかで深遠なる最後の帳を下ろしたのである。

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