妻たちの過保護な包囲網と、露店街で出くわした不機嫌な教授
日がまだ沈みきらぬうちから、空の端は濁った黄色に染まり始めていた。まるで質の悪い粗製の擦りガラスのようだ。
帝都の広大で、がらんどうとすら思える中央広場には、四方から押し寄せてきた人の頭がすでに隙間なくぎっしりと詰め込まれ、密集して蠢いていた。
その地面は古びた青灰色の敷石で覆われており、目地には長年堆積した乾いた馬糞の屑や踏みにじられた野菜屑が詰まり、いままた幾万もの長靴や靴底に容赦なく踏み荒らされては、家畜の獣臭と甘ったるい香料の入り混じった土埃の匂いを立ち上らせていた。
四方八方から物音が響き渡る。堅焼きの麦焦がしパンを売る男が破れたトタン釜の傍らで嗄れた銅鑼のような声を張り上げ、その叫びは錆びた鋸のように耳を削り取る。
焼き網の上では黒ずんだ脂がじゅうじゅうと滴り落ち、炭火に落ちるたびに大人の背丈ほどもある青煙を吹き上げては、群がる半端な子どもたちの目を燻して涙をこぼさせていた。
大道芸の男が通りへ火油を吹き出すと、赤々とした火の舌が天へ巻き上がり、辺り一面に濁った哄笑と歓声を巻き起こす。凡夫の望む快楽など、おおむねこの建国の旗印にかこつけて、煙と火の粉のなかで必死になって熱い脂汗を絞り出すようなものに過ぎない。
大通りの敷石は重みに呻き声をあげていた。遠方から駆けつけてきた行商たちの多くは、骨組みの巨大な地牛を引いている。
その家畜は鈍重で並外れて重苦しく、四つの蹄には無骨で分厚い鉄蹄が嵌められており、一歩前へ踏み出すたびに「ドスン」と腹に響く鈍い足音を立てては、路傍の泥水を微かに波打たせる。
首元に吊るされた黒ずんだ銅鈴が荒い鼻息に合わせて揺ら揺らと鈍い音を立て、背後にはオーク材の酒樽や異国の反物、粗悪な香辛料を満載した重たい荷車を引きずり、人の隙間を軋ませながら、広場の端に油布で雑に組まれた天幕へと割り込んでいく。
御者は革鞭を振るい、道を塞ぐ酔漢や野良犬に絶え間なく罵声を浴びせ、暮れ泥む大気の中に鞭の鋭い炸裂音を響かせていた。
この沸き返る雑多な土煙のなかを、ルシアは極めて緩やかに歩いていた。
彼女は、両の手をしっかりと繋がれていた。
右の手は、ひどく熱を持った掌の中に包み込まれている——カリーナの握力は相変わらず乱暴だった。
たとえ朝霞のように柔らかな桜色の和服を身に纏っていようと、その骨の髄に刻まれた獣じみた独占欲は少しも潜められておらず、指の関節をきつく締め上げ、手の甲に微かに浮き出た青筋が、強烈で馴染み深い鈍痛を伝えてくる。
まるで深く根を張った金の手錠のように、周囲の不潔な人流がこの黒い人影をどこかへ押し流してしまわぬかと恐れているかのようだった。
左の手は、ひどく繊細な微温のなかに収まっていた。クレアの繋ぎ方は絶妙で、指先を軽く指の隙間に通し、薔薇と残り香の清らかな気配を漂わせながら、きわめて均整のとれた足取りで歩んでいる。
地牛に押されて千鳥足になった酔漢も、呼び込みの声も、果ては吹き寄せる生臭い風すらも、あの淡い紫の裾に触れるや否や、自然と二筋に分かれて彼女たちの脇をすり抜けていくようだった。
ルシアは両手の行き場を得て、強張っていた身体の芯がふっと解けていくのを感じた。
足元で鳴るのは、異国の下駄が刻む乾いた木の音だ。カラン、コロン、と雑踏の喧騒のなかで涼やかに響く。クレアに優しく握られた手には一本の細い竹串が握られており、その先端には透き通るような紅い飴をたっぷり纏った林檎が掲げられていた。
クレアがわざと力を抜いてくれているおかげで、ルシアは難なく林檎飴を持ち上げることができた。歯を軽く当てると、冷たく硬い飴の殻がパキリと砕け散り、中から微かに酸っぱい果汁が砕けた飴屑とともに舌の上で溶け出して、酸味に思わず目を細めた。
道の両脇にいる凡夫や商人、浮浪の徒は、当然のように露骨な視線をこちらへ向けてくる。だが、カリーナの氷のように冷たく殺気立った美貌を凝視しようと、クレアの育ちの良さを物語る貴族の気品を盗み見ようと、誰一人として三尺の内側へ踏み込もうとする者はいなかった。
この世界は相変わらず粗野で騒がしく、地牛は重苦しく息を吐き、炭火は鼻を突き刺す。だが、両脇から引っ張られる二つの対照的な力に挟まれて、ルシアは胸の奥の宙ぶらりんだった場所が、しっかりと大地に着地したような心地がしていた。
怒涛のなかを長く漂流した難破船が、左右の船縁から重たい鉄錨を同時に深い泥の底へ投げ込まれたかのように。外がどれほど荒波に洗われようと、市井がどれほど騒がしかろうと、彼女は口の中にあるわずかな甘みを噛み締めながら、一歩一歩、安らかに前へと揺られていくだけだった。
市井の油煙と人声は依然として四方に漂い、地牛は重い鉄輪を引きずって鈍い車輪の音を立てていた。クレアがふと横を向く。
夕闇が深まるにつれて紫の髪は夕映えが凝固したような色合いを帯び、紫玉のような瞳がルシアの顔の上で半巡した。その口調は、路傍の目障りな野良犬について語るかのように、ひどく平淡だった。
「そういえば……あの皇太子殿下、貴女に対してずいぶんと特別な執着をお持ちのようですわね。夜の舞踏会には、行かれるおつもりですの? それとも行かれませんの?」
言葉遣いはどこまでも控えめで、貴族らしい身についた余裕すら漂わせていたが、その温もりを帯びた指先はルシアの指の隙間でほんの少しだけ食い込むように力を強めた。
あのような底の浅い権力者と街頭で恥を晒して衝突するなど彼女の美学に反する。
礼儀というものは至極立派な仮面であり、長く被っていれば肌身は窮屈でも外聞だけは保たれる。だが、胸の内に燻る嫌悪感は、錦織の布越しに押し潰された苦い胆汁のように、とっくに滲み出していた。
その言葉を耳にした途端、カリーナの足が敷石の上で重々しく踏み止まった。身に纏った桜色の和服は本来ひどく嫋やかな装いであるはずなのに、逆棘の生えたようなその肢体の上に乗せられては、生来の殺気は分厚い織物ですら押さえきれなかった。
血のように紅い瞳がぎろりと斜めに眇められ、喉の奥から極めて低い冷笑が転がり出る。ルシアの右手を包む掌がにわかに締め上げられ、骨が軋むほどの痛みにルシアは顔をしかめた。まるで怒り狂った雌獣が、今夜どの喉笛から食いちぎってやろうかと算段しているかのようだった。
左右からの暗闘に挟まれたルシアは、竹串を掲げ、口の中で甘酸っぱい果肉を咀嚼しながら、眉ひとつ動かさずにただ平然と口元を歪めた。
「行くわよ。当然行くに決まってるじゃない。いっそのこと、あの分からず屋の男に、私が今あんたたち二人にどれだけ心地よく甘やかされて養われてるか、とくと見せつけてやるのよ。そうすれば、あいつの腹の中にある薄汚い企みも綺麗さっぱり腐り果てて、完全に諦めがつくだろうしね」
それはまるで貴族の装飾を粗野な鉈で真っ向から叩き割るような、あまりにも市井染みた、あけすけな物言いだった。
だが、その言葉が落ちた瞬間、両脇の張り詰めていた気配は一変した。
それは恐ろしくもあり、また息を呑むほどに心奪われる光景だった。
極北の吹雪に晒されて常に凍りつき、険悪な気迫に満ちていたカリーナの涼やかな顔立ちの上で、口元が微かに引き攣ったかと思うと、抑えきれない笑みが一気に広がった。
生あるものを噛み砕き引き裂くはずの凶悪な殺気が渦巻いていた血玉のような瞳は、刹那のうちに雪解けの春水のように艶やかに揺らめいた。
その笑みには、己の獲物を囲い込んだ獣の充足感と誇らしさが滲み出ており、眉間に刻まれていた凶暴さすらも綺麗に洗い流され、まるで永夜を切り裂いた白銀の長刃が眩い烈光を照り返しているかのように鮮烈だった。
そしてもう一色のクレアは、どこまでも深く、静かにその笑みを綻ばせていた。
あからさまに感情を露わにすることなく、ただ目尻をわずかに持ち上げ、唇の端に柔らかな弧を描いただけだったが、その薄い微笑みひとつで、雑多に騒ぎ立てていた街の息吹と光彩がことごとく吸い取られてしまったかのようだった。
全帝国の貴公子たちが決して手の届かぬ初恋の象徴と崇める、深窓の極致にあって初めて咲き誇る猛毒の花。骨の髄まで優雅でありながら、どこまでも濃密に絡みつき、殉教に似た極限の温もりと独占欲を孕んでいる。
この天地は元より薄汚く、粗野なものだった。
地牛は荒く息を吐き、車夫は罵り、炭火は青黒い濁煙を上げ、四方には顔の判然としない凡夫の群れが満ちている。だが、天地万物の息を止めさせるほどの二つの笑みが、この市井の塵芥の中で、何の躊躇いもなく満開に咲き誇っていた。
しかし、その傾国の美しさは、この帝都に施されたものでもなければ、通りを埋め尽くす有象無象に下賜されたものでもない。
ただ一人のためだけに生まれ、そして隣で林檎飴をかじり、黒髪に墨緑の瞳を宿した華奢な少女の上にだけ注がれていた。
この濁りきった慌ただしい浮世において、それは彼女一人だけに許された、死に至るまで解けぬ温もりであり、甘やかな檻だった。
街角の灯火はますます乱雑に揺れ動き、石板の上に伸びる人の影を伸び縮みさせていた。
ルシアが最後の一片の甘い果肉を噛み砕き、指先で竹串をくるりと回したとき、ふと視線を上げると、人の波の隙間で思わず足を止めた。
前方数丈ほどの古びた茶店の天幕の脇に、ひどく目につく二つの人影が佇んでいた。
ヴィクターだった。この痩せこけた中年学究は、今日ばかりは学院で着古して白茶けた黒ローブを脱ぎ捨て、仕立ての良い深灰色の起毛上着を羽織っていた。
もっとも、蠅でも挟み殺せそうな深く刻まれた二条のほうれい線は相変わらず厳めしく張りつき、背筋をわずかに丸めて両手を後ろに組んだ姿は、さながら公堂を見回る老獄吏のようだった。
その隣では、デイジーが彼の腕に手を絡ませていた。デイジーは相変わらず穏やかで落ち着いた市井の婦人そのものの佇まいで、目尻に細やかな笑い皺を浮かべ、首を傾げてヴィクターに何かを耳打ちしている。
だが、ルシアの胸を微かにざわつかせたのは、この長年連れ添った夫婦の珍しい外出そのものではなかった。
デイジーのもう片方の手には、しっかりと別の女の手が握られていたのだ。
その女はデイジーと背格好がよく似ており、派手さのない淡い青のワンピースを纏い、髪を乱れなく結い上げ、伏し目がちに佇んでいた。
ルシアは墨緑の瞳を細め、軒先に吊るされた薄暗いカンテラの明かりを頼りにまじまじと見定めた——その女の鼻梁と顎の輪郭は、デイジーと六、七分ほども酷似していた。
ただ、デイジーが長い生活の営みによって醸し出された温かみと生活感に満ちているのに対し、その女の顔立ちにはどこか奇妙な白さ、張り付いたようなぎこちなさが漂っており、まるで精巧に刷り出されたものの血色を失ってしまった古い絵の具のようだった。
(親戚……? それとも別の誰か?)
ルシアが胸の中で訝しみながらも足を止めずにいると、左右の手を軽く引っ張り、桜色の和服に身を包んだ殺気立つカリーナと、紫の衣をまとった優雅なクレアを引き連れ、濁った人の波をかき分けて正面から歩み寄った。
「先生、奥様。こんなところで奇遇ですね」
ルシアは綺麗に平らげた竹串を傍らの屑籠へ放り込み、にこやかに挨拶を投げかけたが、その視線は無意識のうちに青い服の女の方へとわずかに逸れていた。
しかし、腹の中で用意していた世間話の決まり文句を口にする間もなく、ヴィクターの窪んだ眼窩にある灰褐色の瞳がぎろりと向けられた。
中年男はまずルシアを忌々しそうに睨みつけ、その視線はすぐさま左右に控える、神仏すら平伏させそうな威圧感を放つカリーナとクレアへと移った。
その瞬間、彼の顔に刻まれたほうれい線が猛烈に引き攣った。北境の大公や商会の実質的支配者を前にしても恐縮する素振りなど爪の先ほども見せず、まるで私塾で悪ガキの親を捕まえた頑固な塾長よろしく、胸の奥から重苦しい濁った息を吐き出した。
「ふん! 誰かと思えば、遠くからでも怠惰な金臭さと白粉の匂いが漂ってくるわい!」
ヴィクターは痩せこけた両手を袖の中に突っ込み、顎をしゃくり上げると、行き交う平民と二人の正妻の眼前で、指先を真ん中で縮こまるルシアへと真っ直ぐ突きつけ、容赦なくまくし立て始めた。
「閣下に当主殿、ちょうどいいところへ来てくれた! この分からず屋の小娘を、ちったあ締め上げてくれねえと困る! 見習い教席の審査に通った途端、この半月というもの、学院の研究室の敷居を一歩たりとも跨ぎおらん! 残していった魔導地脈の検算表とやらも公差の計算は雑極まりなく、第三回路上に至っては手抜きをして七年前の古い公理をそのまま引き写し、注釈のひとつすらつけとらん始末だ!」
ヴィクターの唾がルシアの玄黒の留袖の襟元に飛び散らんばかりで、語気はますます苦々しさを増していく。
「日がな一日、公爵邸で惰眠を貪っておるか、さもなくば商隊にくっついて道楽に現を抜かしおる! わしが昨晩徹夜して論文の三十六箇所に及ぶ穴をすべて埋め合わせ、夜を徹して印を捺して元老院へ届けてやらなんだら、この大馬鹿者の職権など、上におる重箱の隅をつつく老いぼれどもに今朝方には告発されて凍結されとったわ! 普段からそうやって甘やかしとるのか? これ以上野放しにするなら、金輪際わしの門弟などと名乗るな、面汚しめが!」
その機関銃のような怒声は、ルシアの耳の奥をじんじんと痺れさせた。彼女は気まずそうに顔を背けると、身を竦ませてカリーナの背後へ半寸ほど身を隠し、息を潜めた。
「怠けたの?」
カリーナはわずかに首を傾げ、血玉のような瞳に濃厚な面白みと悪戯っぽさを浮かべ、まるで滅多にお目にかかれない珍獣でも眺めるかのように、隣で小さくなっている女を上から下まで念入りに見つめた。
他人はともかく、カリーナはルシアの気性を誰よりも熟知していた。
この小猫は普段から怠けたいだの穀潰しになりたいだのと口先では騒ぎ立てるものの、いざ正念場となれば誰よりも死に物狂いになり、自虐的なまでに己を削る——
あの《太古絶嶺狩猟祭》の死地において、天を覆い尽くす古代魔獣を前に、この女は躊躇いもなくその華奢な背筋を張り、ガルクが跳躍斬撃を放つための足場として差し出したほどだった。
彼女はいつだって、己の身を焼き尽くすようにして生きている。
だからこそ、ヴィクターの怒り心頭の「保護者への言いつけ」を聞き、ルシアが論文を疎かにし、あまつさえ後始末を指導教官に押し付けるほど手を抜くことを覚えたと知ったとき、カリーナとクレアの胸に去来したものは叱責などではなく、むしろ胸を撫で下ろすような安堵だった。
怠けることを覚えたということは、この結婚生活が彼女にこれまでにない心地よさと安心感を与え、常に神経を張り詰めた戦闘態勢から解放された証左に他ならないからだ。
できることなら、ルシアが明日にも帝都魔法学院の煩わしい見習い教席など辞してしまい、公爵邸か侯爵邸の寝椅子に一日中安らかに収まって、自分たちの手で慈しみ育てられていればいいとすら思っていた。
それは決して、ルシアの翼を折り、籠の鳥にしてしまおうという意図ではない。
今のルシアが、この大陸全体の盤上においてどれほど恐ろしい重みと価値を背負っているか、二人はあまりにも冷徹に理解していたからだ。
彼女は現在、人類陣営の七大帝国において、唯一本物の古代神殿の石板を掌握し、守護者としての資格を得た女なのだ。
狩猟祭の最終局面において、ルシアは神すら屠る凄まじい破壊力を見せつけたが、古代の魔導鏡を通じて大陸全土に同時中継されたあの死闘は、彼女の致命的な弱点を白日の下に晒すことにもなった。
ルシアの機械召喚物は確かに無敵であり、現代力学と再構築された錬金術式は神出鬼没、戦場における直感は精密な演算マトリクスのように鋭敏だ——
しかし、彼女自身の肉体強度は一般の三等兵にすら劣り、体内の魔力総量に至ってはいつ枯渇してもおかしくない危機的な水準にあった。
古代の石板に宿る原初の魔力はあまりにも狂暴であり、ルシアの華奢な人の身ではその高圧の衝撃に耐えきれない。
今の彼女は、カリーナの理不尽な因果干渉、そしてクレアの広大な魔導回路との三重の同調共鳴を行って初めて、その荒れ狂うエネルギーを段階的に減圧し、完全に消化することができているのだ。
だが、この分散共鳴は諸刃の剣でもあった。狂暴なノイズは二人の妻がその身に引き受けてくれるものの、その代償として、ルシア自身が瞬時に引き出せる魔力の総量は極限まで圧縮され、以前にも増して長期の消耗に耐えられなくなっていた。
彼女たちは、この脆い身体が血溜まりの中で砕け散る様をあまりにも多く見てきた。
極北の吹雪であろうと、神殿の深淵であろうと、ルシアを再び危険に晒すことなど、決して望まないし、断じて許す気はなかった。
「お疲れでしたら、教席の書類仕事などそのまま放っておけばよろしいですわ」
クレアは傍らで優しく微笑み、夜風に乱れたルシアの黒髪をそっと指先で整えてやった。その紫の瞳の深さは、すべてを包み込む海のようだった。
「後ほど商会から高階位の術式算術官を二名ほど研究室へ出向させ、貴女のこれからの雑務をすべて肩代わりさせましょう。それから、ヴィクター教授の方には……」
クレアは紫の瞳を微かに巡らせ、苦々しい顔をした老教授へ向けて優雅に会釈した。その声音には、頂点に立つ者特有の余裕と庇護の響きが満ちていた。
「教授の昨晩の残業の労に報いるため、シルヴィア商会より今年度後半の研究費を、上乗せした上で速やかにお届けさせますわ」
「……お前たち二人は、この大馬鹿者をどこまで甘やかして増長させれば気が済むんじゃ!」
ヴィクターは胸を押さえ、その場で卒倒しかねない勢いで苦悶の声を漏らしていた。




