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第2話 風変わりな教会

 二日目。


 ティアの教会は、太陽へ祈るために造られた建物ではなかった。

 翌朝、教会長ラザイルの案内で内部を見たルシアンは、改めてそう思った。


 礼拝堂は東西ではなく、北西の峡谷へ向けて細長い。

 高窓は円形で、冬の低い光を正面から受ける位置にはない。

 柱頭には削り落とした痕が残り、その上から太陽を表す金の円盤が取り付けられていた。

 二百年前まで、ここには月神ティアの像があったという。

 改宗の際に像と祭具は取り除かれたが、石造の骨格まで壊して建て直す余力はなかった。

 月を迎えるための建物に太陽の祭壇を据え、長い年月をかけて、風変わりな太陽神教会として使い続けている。


「城壁より古いのか」

「基礎の一部は。改宗当時の籠城時には、ここが最後の避難所だったと伝え聞いています」

 ラザイルは、祭壇脇の狭い階段を示した。

 地下には貯蔵庫があり、奥の回廊は旧市街の広場へ通じる。

 救護所にするには都合がいい。

 石壁は厚く、暖房の熱も逃げにくい。

 問題は、城壁が破られれば住民がここへ集まるということだった。


 口を噤んだルシアンに、

「その様子ですと、もはや血は避けられませんか?」

 ラザイルが覚悟したように、そう口にした。

「まだ市民には伏せろ。……斥候に出したアドリアンの報告では、昨日より足跡が増えていた、と」

 全てがティアに向かっていた。

 全容を、こちらはまだ把握しきれていない。

「準備しておくに越したことはない――ここに、寝台を何台置ける?」

「そうか……そうですか。礼拝堂の長椅子を外せば、重傷者三十名。回廊と食堂に軽傷者を五十名ほど。避難民は地下と隣接棟へ逃せます」

 ルシアンから見て、この教会長は好ましい。

 無為に絶望するのではなく、こうしてルシアンが望む情報を提供してくれる。


 ――生命と信仰を守る行動に許可はいらない。

 年若い教皇の掲げる『三原則』の影響もあるのだろう。


「教会所属の正式な祝福使いは、十二人だったな」

「はい。戦闘許可を持つ者は六人。残る六人は治療と支援に限られますが、魔力の都合上、長時間の活動は難しいです」

「許可、な」

 ルシアンは短く息を吐いた。

 祝福とは、神の奇跡を模倣する行為だ。

 故に、教会により厳格な使用者認定と権限が定められている。

 ルシアンの部隊にいる祝福使いも同じだ。

「ひとつ聞くが。貴方も、ほかの聖職者も、聖務祝福の基礎は学んでいるな。正式な祝福使いとして登録されていない者まで含めれば――教皇陛下の掲げる三原則を盾に、規則違反を覚悟するなら、何人動かせる?」

 ラザイルが目を見開いた。

「まさか。貴方の指揮へ、聖職者を組み込むおつもりですか。許可のない祝福使用は、教義外の奇跡と見なされかねません。異端審問にかけられる危険を、彼らに負わせるおつもりですか」

 非難の声。当然だ。

 審問の結果、異端者と認定されたが最後、その者は『人ではない』とされる。

 人として審判を受ける権利も失い、尋問の末に処刑される。

 それを実行するのもまた、ルシアンの所属する辺境守備隊(異端者狩り実行部隊)なのだから。

「異端者認定はさせない。非常時の命令として、俺が書面で命じる。拒否すれば処罰すると、俺が脅したことにしろ。責任はすべて俺が負う。『神と教会を裏切らぬ限り、現場の判断を支持する』と、そう仰られたのは、ほかでもない教皇陛下ご本人だ」

 ラザイルは沈黙する。

「信仰と叙階の誓約に背くことを、俺とて強制はしたくない。ただ、無辜の市民を魔獣に食われる列に並ばせたいなら、好きにするといい」

 口ではそう言って、これが強制であり、脅迫であることを、ルシアンは理解していた。

 聖職者の、都市の守護者としての良心を、利用しているとも。


 やがて、諦めたようにラザイルは口を開いた。

「……正式な祝福使い十二人とは別に、私を含めて司祭が五人、助祭が十人おります。祝福使いとしての登録はありませんが、叙階に伴う聖務祝福だけは許可されています。治療には役立つかもしれませんが、戦闘となると」

 首を振るラザイルに、ルシアンは感謝を告げた。

「いや、助かる――嫌な言い方をした。書面上は、俺の名で守備隊が強制したことにする。だが実際に誰を出すかは、貴方が決めろ。誓約を守りたい者、忌避感を抱く者まで引きずり出すつもりはない。そのうちの幾人かだけでも、力を貸して下さるだけで、我々武官としてはありがたい」

 上官にさえ滅多に向けない最敬礼をもって、ルシアンは、ラザイルたち聖職者の献身に武官として最大限の敬意を表した。


 ※


 少なくとも、ラザイルをはじめとするティアの聖職者は、古い街で現実と折り合うことに慣れているようだった。

 教義に背かず、住民を死なせないためなら、形式を整えるより先に手を動かす。

 ある意味で、武官より潔かった。


 教会の入口で副官のアドリアンと合流した後、移動しながらラザイルとの会話を聞かせると、彼は一度絶句し、信じられないものを見るようにルシアンを見た。

「ルシアン隊長。それが脅迫だって、認識していますよね?」

「拒否を選べば、市民を見殺しにする構図になることは承知の上だ。選択肢も逃げ道も、俺が与えなかったからな」

 敬虔な信徒でもあるアドリアンは、ますます「信じられない」と口にして、太陽神の信徒の証である左手首の銀十字に触れていた。

「守備隊の祝福使いは全員戦闘に出す。後方に治療要員十二名じゃ、どう考えても足りん。教会の祝福使い四人一組、三交代でどれほど保つか」

 ルシアンもまた、紺青の隊服の下、身元識別票と一緒に首から下げた銀十字に触れた。

 武官はその都合上、左手首に装着する義務はない。潜伏し、武器を握り、矢を射るのに不自由だからだ。

 ルシアンの部隊で、平時にも銀十字を左手首から外さないのは、アドリアンを含め数人しかいない。

「魔力欠乏症は避けたいですからね。何人かが賛同して、後方の祝福使いが二十名になるだけでも、どれだけ負担が軽くなるか。はぁ……うちですら、交代制でどこまで戦線を維持できるかわからないんですよ」

 その言葉に、返すことができなかった。

 ルシアンの部隊とて、人員が豊富なわけではないのだから。


 ルシアンとアドリアンは次に、教会から東壁までの搬送路を見た。旧市街の通りは狭く、屋根から落ちた雪が両側を塞いでいる。

 担架がすれ違える幅を作るには、今日一日かかるだろう。


「アドリアン、伝令は出したか?」

「隣接する西、南、中央方面隊に向けて各二騎。同じ文面を持たせました。いずれも『襲撃と孤立の恐れあり、支援求む』と。試験的にヴィジル隊長の許可を得て、砦とティア間でも試走しました」

「結果は?」

 ルシアンの問いに、優秀な副官は嘆息してみせた。

「平時なら馬で半日を切りますが、今日は想定より一刻遅れました。雪が深くなるとどうなるか、ってところです」

 おそらくは、絶望的ということだろう。

 ルシアンは先を促した。

「中間地点に伝令と替え馬を置き、砦とティアの両方から定時に走らせれば、片道の遅れと馬の消耗は抑えられます。今日は中継地を仮設して試走もさせました。ただ、文書を送り、その返答を受け取るまでとなれば、どのみち一日がかりです」

「今日送った照会の返答は、早くても明日になるわけか」

 こういう時に、聖都にある電信が、たまらなく欲しくなる。積雪の辺境で維持管理できるかはともかく。

「まぁ、助かった。偵察も試走も危険だろうに。隊員はよく労ってやってくれ。アドリアン、お前も含めてな」


 ルシアンはそう言って、広場に差し掛かる場所で立ち止まった。

 南門から教会への道は比較的広いが、広場には遮蔽物が少ない。東壁が破られれば、敵味方の射線がここまで伸びる可能性があった。


 伝令も、道も、指揮も。

 どれも整えられるはずだった。

 ――時間が、あれば。


 ※


 昼前、最初の民兵候補が集まった。

 名簿上の百八十人全員ではない、約半数だ。

 ――農夫、職人、荷運び人、狩人。

 武器の扱いに差がありすぎる。

 ルシアンはひとまず、名簿上の百八十人を六組に分けた。

 弓を使える者、槍を持てる者、石や補修材を運ぶ者、消火、搬送、予備……。

 彼らを自分たちと同じような『武官』へ仕立てる時間はない。

 自分の役割と、逃げる合図だけ覚えさせる。


「英雄になるな」


 ルシアンは、広場へ集まった者たちを見渡した。

「城壁を守るのは、死ぬためじゃない。隣が倒れたら一人で埋めるな。合図を出せ。持ち場を離れるときは後ろへ知らせろ。わからない命令には、わからないと言え」

 不安そうな顔が並ぶ。

 神の名のもとに敵を討て。神の威光で都市を守れ。

 そのような、勇ましい言葉を期待した者もいたのかもしれない。

「死ねと言われる方が楽だ。考えなくていいからな。だが俺は、ティアにお前たちの死体の山を築きに来たんじゃない。生きて、次の交代へ場所を渡せ」

 何人かが頷いた。

 それで十分だった。

 全員の恐怖を消す必要はない。

 恐怖の中でも、決めた動きをできるようにする。


 訓練が始まると、教会前の広場には木槍を打ち合わせる音が響いた。

 壁上では砦隊が石材を運び、凍った目地へ砕石と熱した砂を詰め、板材で押さえている。

 南門から最後尾の荷車が入り、雪を被った矢箱が教会脇の倉へ積まれた。


 昼の休憩時は、兵も住民も同じ鍋から薄い煮込みを受け取った。行く場所のない者は、仮設の天幕の下、身分を問わず、規格の揃わない椅子に座り、食事をとった。

 巡礼者用の列へ、あのエインが並び、木椀を一つ受け取るのをルシアンは見た。

 彼はルシアンの後ろの卓に近づき、子どもが席を詰めると、その間へ座った。


 ルシアンは、背後から聞こえるエインの言葉へ意識を向けた。聞こえてくる声を拾っているだけなのに、盗み聞きをしているような後ろめたさがあった。


 エインは子どもに出身を聞かれれば西と答え、何歳かと聞かれれば見たとおりだと言い、なぜ旅をしているのかと問われると、考えるためだと返す。

 どの答えも嘘には聞こえず、何も明かしていなかった。

 それでも子どもたちはすぐ興味を失い、彼の椀から人参を取ろうとしてシスターに叱られた。

 エインは取り返さず、自分から一片を木匙に載せて渡した。

 老人が空いた隣へ座り、長椅子の傾きを訴える。

 エインは食べ終わったら直すと答えた。


 昨日来た者が今日も同じ場所にいる。

 同じ鍋の煮込みを食べ、同じ仕事を引き受け、夕刻の祈りへ並ぶ。

 身元を保証する紙より、共同生活ではその反復の方が人を馴染ませる。

 怪しいことと、危険であることは同じではない。

 いまのところエインは、怪しく、役に立ち、規則を破っていない巡礼者だった。


 ※


 夕刻、短い祈りが始まった。

 ルシアンは礼拝堂の後ろに立った。

 祈りに時間を割ける状況ではなかった。

 それでも、教会を救護所へ変える以上、兵が踏み込む場所の規律を知る必要があった。

 司式者が祭壇へ向かう。

 金の円盤に灯明が映り、古い円窓の縁へ淡い光が落ちた。


「主は我らの行いを常に見ておられます」


 聖句を、集まった者たちが繰り返す。

 ルシアンも声を重ねた。

 教会武官である以上、教義は骨まで叩き込まれている。意味を考えるより先に口が動く。

 少し離れた列に、エインがいた。

 男の発音は正確だった。

 辺境訛りも、西方訛りもほとんどない。

 言葉を知らない巡礼者が、周囲へ合わせている声ではなかった。

 どこで息を継ぎ、どこへ重みを置くかまで知っている。


「左手に教典を、右手に誓いを、唇には祈りを」


 唱和が礼拝堂を満たす。

 ただ一人、エインの声だけが途切れた。

 唇はわずかに動いたが、次の句を音にはしない。

「すべては我らが神、リザーブの名の下に」


 最後の声が消える。

 エインの右手は、胸元ではなく左手首へ重ねられていた。昨日と同じ所作だ。

 祈りを知らないのではない。

 知っていて、一部だけを声にしない。

 礼拝が終わると、エインは長椅子を戻す者たちの方へ向かった。


 ルシアンはその前へ立つ。

「巡礼者」

「何でしょう」

「聖句をどこで覚えた」

 藍の目が、ほんのわずかに細められた。

「教会で」

「どこの教会だ」

「西の、生まれ故郷ですよ」

「答えになっていない」

 ルシアンが知りたいのは、具体的な地名だ。

「僕は、贖罪の巡礼中なので」

 だが、エインは平然としていた。

 ふざけているわけではない。

 答えられる範囲を、意図して狭くしている。

「最後の句を唱えなかったな」

「声が出ませんでした」

「その前までは、よく出ていた」

「だからこそです。久しぶりの教会での礼拝に、はりきってしまったので」


 周囲にはまだ住民がいる。

 これ以上ここで詰めれば、贖罪者の信仰を武官が公に試す形になる。

 異端を疑う根拠には足りない。

 祈りを欠かすことが咎められるとしても、唱和で一語を落とした者を捕らえる制度ではない。

 少なくとも、いまの教皇はそれを許さないだろう。


「僕は教会の祈りを邪魔してしまいましたか?」 

 左手首に右手を添えて、エインはそう言った。

「していない」

 そういうしかなかった。

 武官であるルシアンには、彼の祈りが邪魔か否か、判断する権限はない。

「なら安心しました。僕がどこでどのように祈っても、主は見てくださっているでしょう」

 教義を盾にされ、ルシアンは黙った。


 主はすべての行いを見る。

 祈る手の高さ、声の欠落まで定めなければ信仰が崩れると主張する方が、教義には遠い。


「口が回るな」

 思わず、本音が漏れる。

「長く旅を続けるには、余計な争いを避ける必要がありますので。知っていますか? なかでも、権力を持つ方には近づかないのが一番です」

「避けているようには聞こえん」

「これでも努力していますが、貴方から近づいて来られるので」

 はじめて、エインの口元にかすかな笑いが浮かんだ。

 人を馬鹿にした笑いではなかった。自分の性分を諦めているような笑いだ。

「貴方は辺境守備隊の隊長様ですよね? お名前をお伺いしても? 僕――いえ、私はエイン。贖罪の巡礼者として、慈悲深くも、この地に留まることを許された者です」

 深く、敬意を込めた礼をされて、そこではじめて、ルシアンはエインに対し名乗っていないことに気付いた。

 する必要も、義務もない。

「辺境守備隊南西方面司令部直属、第一機動守備隊長。ルシアン・フェルヴィスだ。同じ雪の檻に閉じ込められた者同士、よろしく頼む」

 だが、無視するのはルシアンの儀礼と矜持に反する。

 紺青の隊服の左胸に、右手を添えて名乗る。


 それが二人の、正式な名乗りの時だった。


読んでくださってありがとうございます。

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ここまで読んでくださったあなたに、心より御礼申し上げます。

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