第3話 疑問、確信
「フェルヴィス隊長様は」
「ルシアンで構わない」
エインが口を開くのを遮って、ルシアンはそう言った。
仰々しく呼ばれることを、好まないからだ。
「では。ルシアン殿。お伺いしたいのですが……やはり魔獣はティアに、やって来るのでしょうか?」
周囲には聞こえない、小さな声でエインは問う。
ルシアンは黙って礼拝堂から出るように促す。
人気のない、隅に誘導し口を開いた。
「巡礼者が、何故それを気にする?」
「僕は本来、もう少し北の都市の教会で、越冬させていただく算段でした。実際には想定外の雪に阻まれ、断念しましたが。僕がティアに来るまでにも、獣ではなく、魔獣と思われる足跡が幾らかありました。それに」
エインは言うべきか迷ったような表情で、言葉を継ぐ。
「東側から来ましたが、ティアに着く五日ほど前ですね。森と街道のあわいで魔獣と交戦しました。小型の、狐や犬のような魔獣三体です。僕が先に見つけたので、弓でどうにか撃退できました。……参考に、なりますか」
ルシアンは、思わず瞬いた。
参考になるどころではない。
いつから。
どこで、どの程度の魔獣が活動していたか。
欲しい情報が得られたからだ。
それに。
「参考になるどころではない。だが、いいのか?」
これは、ルシアンからの、せめてもの礼と警告だった。
「お前が、魔獣三体を相手にできるという情報を、俺に渡して」
彼が以前言った『獣に食われない程度には使える』ということも、エインの証言は裏付けてしまうからだ。
エインは藍色の瞳を瞬き、一瞬だけ天を仰いでルシアンの方を向いた。
「構いません。皆さまが籠城の準備をしているからです。僕の情報で、流れる血が少しでも減るならば、この程度は、天秤にかけるまでもありません」
躊躇いがなかった。
偽りでもないように見えた。
本気で、心の底から、そう思っている。
ルシアンの目には、エインの言動がそう映った。
「……勝手に魔獣へ近づくな。警報が鳴ったら、教会の指示に従え」
「承知しました」
エインは頭を下げた。
「お前の協力に、守備隊の隊長として感謝する」
これで、話は終わったはずだった。
ところが青年は去らず、通路の壁へ貼られた市内図を見た。
「東壁からここまで、担架ならどれくらいかかりますか」
「なぜ聞く」
話は、終わったはずだった。
少なくともルシアンは、そう認識していた。
「今のうちに、寝台を置く順番を決めたいです。重傷者が運ばれてくるなら、入口に近い方を空けた方がいい」
ルシアンは、少し考えて答えた。
「十分とかからん。道が、空いていればな」
今の混雑具合では、到底無理だろうが。
「空いていない?」
「明日中に空ける」
ヴィジルの隊員たちが、良く働いてくれている。旧市街の道ならば、どうにかなるだろうと算段をつけていた。
エインは地図の細い道を目で追った。
「では、この北の道は?」
「そちらは軽傷者用だ」
「わかりました。ルシアン殿、ありがとうございます。では、僕はこれで失礼します」
ルシアンがそこまで説明して、エインはようやく離れた。
救護の導線を気にするのは、教会の雑務へ入ったからだ。
そう説明できる。
ルシアンは説明のつく違和感を、胸の片隅へ一旦置いた。
ルシアンが礼拝堂に顔を出せば、何事もなかったかのように、エインが長椅子を運んでいた。
エインは一人で持ち上げようとはせず、住民二人と呼吸を合わせている。
力を誇る運び方ではない。
床も腰も痛めないよう、角度を選んでいた。
「そこは救護用に空けます」
シスターが声をかける。
「窓の下でいいですか?」
すぐさま、エインが問い返した。
「ええ。ですが、夜は冷えます。重傷者の場所には……」
「では軽傷者用ですね。毛布を一枚、余分に置けばどうにかなるでしょう」
来たばかりの青年が、すでに教会の者と当たり前に言葉を交わしている。
馴染むのが早いというより、仕事のある場所へ自分を滑り込ませるのが上手かった。
何をすべきか問い、許可を得て、終われば次を探す。
余計な身の上話をしないかわりに、怠けて疑われる隙も作らない。
指揮を執る教会長ラザイルに、ルシアンは問うた。
「エインを救護へ入れるのか」
ラザイルは首を振った。
「彼は外で誘導役です。教会内に負傷者を運び込む、その役割を与えました。もちろん、薬品には触れさせません。巡礼者の労役としても、水、薪、寝具、清掃までです」
「正しいな。奴の弓はどうしてる」
「宿泊室の保管箱に。弦と矢は別に預かっています」
ラザイルがそこまで把握しているなら、今は口を挟む必要がない。
それでも、ルシアンは面談記録を見せてもらった。
エイン。
西方教区出身。
贖罪巡礼の開始は三年前。
立ち寄った教会の欄には、街道沿いの小さな教区印が五つ押されている。
どれも形式は正しく、日付の間隔も徒歩の旅として不自然ではない。
最後の印だけが半年前。東の教区で、その先は本人の自己申告だった。
「何か引っかかるのですか?」
ラザイルの問いに、ルシアンは短く頷いた。
「先ほど、東側から来たと申告された。魔獣の交戦報告付きで。だから、本当に東から来たのかだけ確かめたかった」
矛盾は無い。
今のところ、証言に嘘はないように思えた。
「半年、どこにいた」
おそらく、ルシアンは魔獣の足跡に敏感になっているのだろう。
そう思いたかった。
それでも、ラザイルへ問う。
「山間部を巡ったと。冬前に街道へ戻り、雪に阻まれティアを目指したそうです」
「確かめられるか」
「雪が解ければ。いま伝令を出しても、返事は春でしょう」
正論だ。
巡礼者一人に、貴重な伝令を割くのも惜しい。
ラザイルは続けた。
「襲撃の件がなくとも、いま追い返せば死ぬ時期でもあります」
ラザイルは記録を閉じた。
「名前と出身地以外を語りたがらない。信仰告白は正確ですが、定型の答えを避ける。私も、何も疑っていないわけではありません」
「それでも置くのか」
意外な答えに、ルシアンの本音が漏れた。
「身元が完全な者だけを受け入れるなら、贖罪巡礼を受け入れる制度そのものが要りません。武器を預かり、薬庫と祭具室へ入れず、夜間は所在を確認する。それで、私たちは不十分だと武官の貴方は判断されますか?」
ただの武官としてなら、不十分だと言えた。
信仰を持つ教会の武官としては、言えなかった。
罪を明かしきれない者にも、悔いる道を閉ざさない。
その原則を守るために、教会は監督と保証人の制度を持つ。
「わかった。聖職者としての、あなた方の判断を信じます。神と教会への従順を誓う武官として」
※
夜、東の見張り台から報せが届いた。
雪原で野兎と鹿の死骸が見つかったのだ。
食われてはいるが、食い尽くされてはいない。
獲物を奪い合うはずの魔獣が、途中で食事を捨て、同じ西の――ティアを向いて進んでいる。
報告を受けて、各組織の指揮官や関係者が集った。
本来は定期連絡の予定だったが、ルシアンが想定していたよりも、軍議に近い。
仕方がない。都市のそばまで魔獣が近づいている証拠が出たのだから。
「教会警備隊としては、市内巡回。特に門前や破損した壁の前、水路などの警備を強化します。としか、現状では言えませんね」
教会警備隊長のラウルは、途方に暮れたようにそう言った。
「そうしてください。私たち武官よりも、常日頃から治安維持に尽力している、教会警備隊の皆様の姿を見る方が、このティアの市民も安心するでしょう」
副官のアドリアンが、ラウルにそう言った。
ヴィジルが挙手し発言を求めた。
「俺たち砦駐留隊も、手が空いている者はなるべく、周辺の視察に出る。まぁ、手が空くかはともかくとして」
そして、ヴィジルはルシアンを見た。
「前に言ったように、ティアに残す人員の指揮権は、ルシアン。お前に預ける。本来は俺もここに残りたいが、指揮官が砦を留守にするのはまずい。積雪で、いつ道が閉ざされるかもわからないからな」
ヴィジルは嘆息した。
「俺は明朝、ティアを発つ。砦に戻り、駐留組及びルシアン隊を指揮下に加え、襲撃に備える。それでいいよな?」
「お前の隊の指揮権を貰ったんだ。うちの部隊の連中は任せた」
ルシアンもまた短く答えた。
「私は許される範囲で、人員を入れ替えつつ、伝令の試走を試みます。今までの結果を考慮すると、積雪が深くなれば、意味をなさなくなるでしょうが」
アドリアンはそう言って、ルシアンを見遣った。
「ルシアン隊長、それでよろしいですか?」
「構わない。思ったよりも、俺たちの連携がうまくいっていて、正直安心しているところだ」
最初に抱いた不安は、今はもうあまり感じていない。
民兵がどうなるか、という問題はあるが。
「俺からもひとつ報告ある。先ほど巡礼者から聞いた」
ルシアンは、エインが交戦したという、東の魔獣について情報を共有した。
「この周辺に見られる足跡に比べると、小型ではあるが、生きた魔獣が近くにいたという情報には、価値がある。少なくとも、魔獣の出現は唐突ではなく、前触れがあったということでもある」
広げられた地図に、ルシアンは視線を落とした。
「都市内に関しては、俺たち第一機動守備隊のように越冬駐留に来る部隊よりも、常駐している警備隊とヴィジル隊の方が詳しい」
これは事実だ。
ルシアンたちは知らない。
名簿の上で登録された民兵の、誰が武器に馴染んでいて、誰が何をできるのか。
顔と名前すら、一致しないのだから。
都市内ですらそうだ。
移動距離を短縮する裏道はもちろん、冬場に凍りやすい道、修理されたばかりの壁。
街のどこに誰が住み、どの家に何の資材があるのか。
食糧プラントや熱配給の警備上の弱点。
そういったことを、ルシアンは知らない。
「だから明日は、ラウル警備隊長。市内巡回と住民誘導の指揮を、貴方に委ねます。必要なら、守備隊の人員も使って構わない。民兵の訓練に関しては、ヴィジル。お前の隊から一人、代表を選んでくれ。そいつに、お前のかわりに砦の部隊をまとめて欲しい」
ルシアンがそう言うと、ラウルもヴィジルも驚いた顔をした。アドリアンだけは、沈黙のままルシアンを見ている。
「砦常駐隊の件、承知した。後ほど代表者を連絡する」
「私は構いませんが、ルシアン隊長はどちらへ?」
ヴィジルの答えのあと、戸惑ったようにラウルがそう言った。
「第一機動守備隊の一部は、明朝の外縁巡察を決めた。歩兵三十名を三人一組に分け、外縁を十経路から探らせる。騎兵も十二名を三人一組とし、四方へ出す」
「野兎と鹿の死骸を見つけたから、ですか?」
アドリアンがルシアンへ疑問を投げかけた。
おそらくは、ルシアンの意図を理解している。そういった顔をしていた。
「そうだ。獣が喰われた。――人が喰われていない、保証がない」
そう言った時、誰もが嫌な顔をした。最悪の光景を思い浮かべてしまったからだろう。
安心できる材料が、欲しかったのかもしれない。
それ以上に、どれだけの危険がこの街に迫っているのか、ルシアンは知りたかった。
「今日よりも、索敵範囲を広げる。無駄に終わるかもしれないが、やらないよりはマシだ。――異論はあるか?」
全員の顔を見回したが、誰も異議を唱えなかった。
「では、今日はもう夜も遅いです。解散としましょう。私たちに、主の祝福と加護がありますように。互いに無事と健闘を祈りましょう」
アドリアンがそう言って、会議は終了となった。
※
会議の後、ルシアンは寒空の下に出た。
頭を冷やしたかったのだ。
一日が終わった。
それは、準備に使える日が、一日減ったことを意味する。
「隊長、お疲れ様です」
気がつけば、背後にアドリアンの姿があった。
「アドリアン、お前もご苦労」
「考えごとですか?」
長い付き合いの副官だ。
見事に、こちらの考えを読んでくる。
「少しな」
「隊長は、襲撃があると確信されているんですか?」
「襲撃があるか断言はできない。しかし、状況証拠は、その可能性が高いことを示している」
準備を怠って、死体の山を築くよりも、何事もなく空振りに終わるならそれがいい。
貴重な資材と人材を食い潰した、無能な指揮官と罵られる方がましだった。
「俺は、辺境守備隊が、都市を救った英雄と呼ばれる事態の方が、よほど恐ろしい」
派手な功績などいらない。
英雄などと呼ばれたくない。
そのために、どれだけの部下と市民の命が犠牲になるか、考えたくもなかった。
「私たちの仕事がない方が、本来は民のためですからね。今のは聞かなかったことにします。貴方の弱音を聞けるなんて、私は幸運ですね」
そう言って、アドリアンは屋内に戻ろうとした。帰り際に振り返って、
「ルシアン。貴方も早く寝てくださいね。指揮官が倒れたら、私たち部下が困ります。ではお先に。良い夢を」
それだけを言い残して。
「弱音、か」
確かにそうだろう。
時間も、準備も、情報も、物資も足りない。
魔獣の正確な規模がわからない以上、ルシアンたちが都市を守れるのかすら、確証が持てなかった。
だからこそ、エインのことも邪険にできなかったのだろう。
たった一人、巡礼者の身で、魔獣を三体相手にした青年。
民兵に頼る以上、彼も戦力として数えるべきだろうか。
冬の空の下、白く曇る息を吐き出して、ルシアンもまた屋内に戻った。
明日、最善を尽くすために。
もしお気に召されましたら、
ブックマークや★評価、誤字脱字報告頂けると大変励みになります!
ここまで読んでくださったあなたに、心より御礼申し上げます。




