また俺だけが悪いの?
あの後、俺はパトカーに無理やり押し込まれ、慣れ親しんだ警察署へ連行されてしまった。
まったく……任意同行だとか言っておきながら、帰ろうとしたら止めるんだから意味が分からない。
それのどこが任意なんだよ。
「おーっす」
署内へ入ると、廊下の向こうから見覚えのある刑事さんが歩いてきた。
俺は軽く手を上げる。
「久しぶりっす」
刑事さんは俺の顔を見るなり、苦虫を噛み潰したような顔で盛大なため息を吐いた。
「……またお前か」
「久しぶりなのに、それ酷くないですか?」
「二週間ぶりだろ、あんた」
「結構空いてるじゃないですか」
「一般人は二週間に一回警察署に来ないんだよ」
「一般人って何ですか?」
「……はぁ~」
刑事さんがまた、大きなため息を吐く。
……失礼な人だ。
「で、今日は何やったんだ?」
「何もしてませんよ」
「お前さんがここにいる時点で、その台詞は信用してない」
「そういう決めつけ良くないですよ!!」
俺の至極真っ当な意見に刑事さんは何も反論が出来ないようで、黙ってペン先を紙の上につけていた。
「……で? 何があった?」
「スーパーで差別されました」
「……ほぉ、詳しく聞こうか」
「まず俺、腹減ってたんですよ。支給額も少ないし、金ないんで。だから弁当持って帰ろうとしたんです」
「ただの万引きじゃねえか」
「話最後まで聞いてくださいよ!!!」
俺は思わず声を荒らげた。
すぐにそうやって決めつける。また俺の話を最後まで聞かない。
これだからこの社会は……ッ!
「俺は金がなかった。でも腹が減っていた。店には食べ物があった。それも半額になってるやつ」
「だから何だ」
「どうせ売れなかったら捨てるじゃないですか」
「だから何だ」
「だったら俺が食べた方が良いでしょ?」
「だから何だ」
「さっきから何なんですか!」
「いや、こっちの台詞なんだよ!」
刑事さんが机を叩いた。
びくっと身体が跳ねる。
「うわっ!」
「あ」
「今、机叩きましたよね?」
「……悪かった」
「怖いんですけど」
「悪かったって」
「俺、大きい音苦手なの知ってますよね?」
「……知ってる」
「じゃあ今の虐待じゃないですか???」
「虐待ではない」
「威圧ですよ?? ねぇ! 今の見てましたよね? 聞いてましたよね? おまわりさーん!!! ちょっと!! 助けて下さい!!!」
俺の必死に救援を求める声にも、他の警察官は誰も動いてくれない。
……差別だ。警察ですら……やっぱり差別するんだ。
「……はぁ。おい、支援センターに連絡は?」
「既に済んでます。あと数十分後には来られると」
「……そうか」
刑事さんはそれだけ言うと、椅子の背もたれに深く身体を預けた。
「じゃあ、それまで待つか」
「え?」
「何だよ」
「事情聴取は?」
「支援員が来るまで中断だ」
「……ああ」
そういうことか。
俺は納得して椅子に座り直した。
社会生活支援認定者に対する事情聴取は、原則として支援員の立ち会いが必要だ。
昔は違ったらしい。
警察が障害者を密室へ連れ込んで、大勢で囲んで、難しい言葉を使って無理やり罪を認めさせる。
そんな恐ろしい時代が、本当にあったという。
今では考えられない話だ。
「飲み物ください」
「そこに水あるだろ」
「水嫌いなんですよ」
「知らねえよ」
「コーラないんですか?」
「警察署を何だと思ってるんだ」
「人を拘束してるんだから、そのくらい用意するのが普通じゃないですか?」
「拘束してねえ」
「じゃあ帰ります」
「帰るな」
「ほら拘束してるじゃないですか! それと俺のスマホ返してくださいよ。窃盗ですよ??」
「……っ!」
刑事さんが何か言おうとして、ぐっと口を閉じた。
危なかった。
また怒鳴るところだったのだろう。
俺が大きな音に弱いことを、ようやく理解してくれたらしい。
……人間、ちゃんと話せば分かるものだ。
それから二十分ほど経った頃。取調室の扉が開いた。
「お待たせしました」
入ってきたのは、三十代くらいの男だった。
少し長めの髪に、緩く結ばれたネクタイ。
胸元には『中央生活支援センター』と書かれた名札を付けている。
「あっ、三浦さん!」
「どうも」
俺は思わず笑顔になった。
三浦さんとはもう長い付き合いだ。もう半年くらいになる。月に二、三回は会っているから、もう友達みたいなものだ。
「また大変でしたね」
「そうなんですよ!」
やっぱり……分かってくれてる。
この人は最初から分かってるんだ。
「スーパーで急に呼び止められて、警備員に身体まで触られて!」
「それは怖かったですね」
「しかも警察来たら、俺が悪いみたいに言われるし!」
「なるほど」
三浦さんは頷きながら、俺の隣に座った。
向かいの刑事さんが眉間を押さえる。
「三浦さん。まず事実関係なんですが」
「その前に」
三浦さんが片手を上げた。
「本人の精神状態を確認させてください」
「……どうぞ」
三浦さんが俺を見る。
「今、気分はどうですか?」
「最悪です」
「怖いですか?」
「めちゃくちゃ怖いです」
「怒っていますか?」
「怒ってます」
「帰りたいですか?」
「帰りたいです」
三浦さんは一つ一つ丁寧に頷き、端末へ入力していく。
「はい。強い不安状態と帰宅意思を確認しました」
「いやいやいや」
刑事さんが身を乗り出した。
「帰宅意思はともかく、今日は窃盗と傷害の話ですよ」
「窃盗という表現はまだ早いのでは?」
「本人が持っていったって認めてますよ」
「本人の認識では、生活維持のための食品取得ですよね?」
「それを普通は窃盗って言うんですよ」
「普通?」
三浦さんの眉がぴくりと動いた。
「その『普通』とは、誰を基準にされていますか?」
刑事さんが止まった。
「……いや」
「社会多数派ですか?」
「そういう意味じゃなくてですね」
「でしたら、具体的にお願いします」
「金を払わずに商品を持って店を出たら窃盗なんですよ!」
「なるほど」
三浦さんは端末へ何か入力した。
俺は横から覗き込む。
『多数派規範による価値判断あり』
さっすが三浦さん。
ちゃんと見てくれている。
「あと警備員の鼻が折れてます」
「本人は故意に殴ったんですか?」
「振り払ったそうです」
「では防衛反応ですね」
「その結果、鼻が折れてるんです!」
「結果だけで判断するのは危険ですよ」
「結果以外に何を見るんですか!?」
「本人の特性です」
三浦さんは少しだけ声を強めた。
「彼は突発的な身体接触に強いストレスを感じます」
「知ってますよ」
「でしたら、なぜ警備員は触れたんですか?」
「逃げようとしたからですよ!」
「逃げたのではなく、本人は帰宅しようとしたんですよね?」
「同じだろ!」
刑事さんが思わず机を叩いた。
バンッ、と大きな音が響く。
「ひっ!」
俺は肩を跳ねさせた。
「あっ」
「今の記録しました」
三浦さんが冷静に言った。
「……すみません」
「私ではなく本人に」
「……悪かった」
「怖かったぁ……」
「はいはい」
「はいはい?」
「あ、いや、悪かったって」
三浦さんがまた端末に何か打ち込む。
刑事さんは、それをものすごく嫌そうな顔で見ていた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて刑事さんが深く息を吐く。
「……で、結局どうするんです?」
「どうする、とは?」
「この人を」
「帰宅させます」
「は?」
「現在、本人の精神的負荷が高すぎます。この状態での事情聴取継続は適切ではありません」
「いや待ってくださいよ」
「後日、支援センターを通して日程調整してください」
「警備員は鼻折れてるんですよ?」
「治療を受けられているんですよね?」
「そういう話じゃない!」
「大きな声を出さないでください」
「……っ!」
刑事さんの顔が真っ赤になる。
でも何も言えない。
……可哀想に。きっと自分が間違っていることを、他人の前で認めたくないのだろう。
大人になるとそうだよな。見栄の方が大事になる。
……ほんっとにくだらない。
三浦さんが優しい目で俺を見た。
「植松さん。帰りましょうか」
「はい!」
三浦さんに続いて取調室を出る前に、一つ思いつき、俺は刑事さんへと振り返った。
「刑事さん」
「……何だ」
「スーパーの人にはちゃんと言っておいてくださいね」
「……何をだ?」
「俺に謝るように」
「……」
「勝手に身体触ったんだから」
「……」
「あと弁当」
「は?」
「あれ返してください」
「証拠品だ」
「俺の飯なんですけど?」
「店の商品だ!」
「またそれですか!? 俺はお腹空いてるんですよ!?」
刑事さんが両手で顔を覆った。
三浦さんが俺の肩を軽く叩く。
「植松さん、今日はもう帰りましょう?」
「でも夕飯……」
「センターで非常食を出しますから」
「あ、じゃあいいです」
俺は機嫌よく取調室を出た。
廊下を歩きながら、さっきまで苦しかった胸が少し軽くなっていく。
やっぱり、ちゃんと分かってくれる人はいる。
この世界も、まだまだ捨てたものじゃない。
三浦さんを始め、支援センターの人達は地獄みたいなこの世界に舞い降りた天使みたいだ。
「ねぇ三浦さん!」
「はい?」
「俺、間違ってないですよね?」
三浦さんは少しだけ黙って考えるように目を伏せ、そして微笑みながら答えた。
「少なくとも、あなたが怖い思いをしたことは事実ですね」
「ですよね!」
俺は笑った。
やっぱり俺は、間違っていなかったんだ。




