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行き先だけが同じだった  作者: みき


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7/9

第6話 運転手の話

 十三年前まで、私はトラックに乗っていました。長距離の。


 二月の明け方でした。星ノ浦から二つ手前の、海沿いの県道。今夜のような雨の、もっとひどいやつが降っていて、私は予定より四十分遅れていました。 


 カーブの先に、ガードレールに刺さった軽自動車があったんです。


 事故から、おそらく数分後でした。ハザードも何もない、ただ雨の中に、ぐしゃりと潰れた白い車があった。私はトラックを停めて、駆け寄りました。運転席に、若い男性がいた。意識があったんです。私の顔を見て、何か言おうとしていた。


 私は、講習で習った通りのことをしました。119番をして、状況を伝えて、「動かさないでください」と言われた通り、動かさなかった。声をかけ続けてくださいと言われて、かけ続けた。「大丈夫だ、すぐ来るからな」と。


 彼は途中から、同じ言葉を繰り返すようになりました。雨の音と、彼の声が小さいのとで、最初は聞き取れなかった。耳を近づけて、ようやくわかりました。


「でんわ」と言っていたんです。「電話、して」と。


 私は、「した、した。救急車もう呼んだからな」と答えました。


 彼は少しだけ首を振って、それきり、目を閉じました。救急車は九分後に来ました。病院で、その日のうちに亡くなったそうです。


 お分かりになりますか。皆さん、もう。


 彼が言っていたのは、119番のことじゃなかったんです。


 あとで警察の方に聞きました。彼の携帯の発信履歴の一番上は、お母さんでした。星ノ浦の実家に帰る途中だったそうです。何年かぶりに。後部座席に、土産の紙袋が積んであった。


 彼は最後に、母親と話したかったんですよ。それで「電話して」と。電話なら、握れば手の中にあったんです。私が彼のポケットから出して、発信ボタンを押せば——間に合ったかどうかは、わからない。九分です。九分あった。一言くらいは、もしかしたら。


 でも私は気づかなかった。マニュアル通りのことを必死でやって、マニュアルにないことに、頭が回らなかった。


 責任の話と、後悔の話は別だと、先ほど先生がおっしゃった。まったく、その通りです。警察にも遺族にも、感謝されこそすれ、責められたことは一度もありません。私は正しく通報し、正しく動かさず、正しく声をかけた。


 正しさってのはね、皆さん。ときどき、何の慰めにもならんのです。


 四十九日のあと、私はお母さんを訪ねました。星ノ浦の、坂の上の家です。息子さんの最期に居合わせた者ですと言うと、お母さんは私を上げてくれて、お茶を出してくれた。私は「電話」のことを、話すかどうか、ずっと迷っていました。残酷でしょう、聞かせるのは。でも、隠すのは、もっと違う気がした。


 結局、話しました。畳に頭をつけて、申し訳ありませんでしたと。


 お母さんは長いこと黙ってから、こう言いました。


「教えてくれて、ありがとうございます。——あの子が最後に、私を呼んだんなら、それで充分です」


 それから、こうも言いました。「うちの町には、いい祭りがあるんですよ。あの子に言いたいことができたら、いつでもいらっしゃい。手紙は、海が運んでくれますから」


 翌年、私はトラックを降りて、バス会社に移りました。星ノ浦線に空きが出たとき、手を挙げました。以来十二年、この道を、月に何往復もしています。事故のあったカーブを通るたび、心の中で、彼に言うんです。「今夜も、預かっていくぞ」と。


 私のバスにはね、毎便、誰かしらの「言えなかった言葉」が乗っているんです。皆さんの今夜の話を聞いて、確信しました。やはり乗っている。だから私はこの路線を降りません。これは贖罪というよりまあ、配達ですな。

 

 灯籠は、私も毎年流しています。宛先はあの彼です。文面は十二年、毎年同じです。


「電話、気づいてやれなくてすまなかった。お母さんは元気だ。今年も様子を見てきた」


……以上です。長々と、失礼しました。


 ああ、それと——道路情報です。今、無線が入りました。片側交互で、四時半に通れるそうです。夜明けと同時に、出られます。


 誰も、すぐには動けなかった。


「運転手さん」と莉子さんが言った。「それ、ずるい。情報の出し方が、ずるい」


「すみません」八木さんは、少しだけ笑った。


 時計は四時前だった。窓の外で、雨はもう、ほとんど音を立てていなかった。山の稜線のあたりが、ほんのわずかに、夜の黒から藍色に変わり始めている。


「じゃあ、出発までの間——」


 浅井さんが言いかけて、やめた。やめたけれど、視線は隠さなかった。莉子さんも、拓海も、堀口先生も、島さんも。誰も急かさなかった。誰も「君の番だ」とは言わなかった。ただ、待っていた。


 僕が今夜、一言も話していないことを、全員が知っていた。


 僕は、リュックのファスナーを見つめた。この中に、白いままの便箋がある。十一か月、書けなかった手紙。「ただの旅行です」と言えば、それで済む。嘘でもいいと、運転手は最初に言った。誰も確かめないと。


 でも。


 廊下に立っていたSさん。最終面接の三秒。十二年前のグループチャット。四十一回目の六月。漁協の名簿の名前。雨の中の「でんわ」。


 今夜、この狭い車内で、六人が六人とも、言えなかったことを言った。


 僕だけが黙って星ノ浦に着いたら——僕はたぶん、浜に立っても、一文字も書けない。


「……あの」


 自分の声が、思ったよりずっと、掠れていた。


「最後に、僕の話を、してもいいですか」

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