第5話 少年の話
家出っつっても、別に虐待とかじゃないんで。母さんは普通にいい人です。先に言っとくけど。
ただ、ちょっと——息が詰まっただけ。
俺んち、母子家庭で。父親は俺が二歳のときにいなくなった。離婚。理由は知らない。訊くと母さんが変な顔するから、小三くらいからもう訊かなくなった。写真も一枚もない。たぶん全部捨てた。
で、俺、父親の顔知らないんですよ。マジで一回も見たことない。
普段は別に、何とも思ってないんです。ほんとに。いないのが普通だったから、いなくて寂しいとかは、実はあんまない。友達に「父の日って何買う?」とか訊かれてもダメージゼロだし。
でも先月、進路調査ってのがあって。
担任がさ、面談で言ったんですよ。「お前は将来、何になりたいんだ」って。普通の質問じゃないですか。なのに俺、その日なんか変で、「わかんないっす」って言ったら、「自分のルーツを見つめ直すのも手だぞ」とか言われて。
ルーツて。
俺のルーツ、半分ないんですけど。半分、顔も知らないんですけど。
その夜、母さんが仕事でいない間に——悪いとは思ったけど——押し入れの古い箱、開けたんです。年金とか保険の書類の箱。そしたら、離婚届の控えがあって。
父親の欄に、名前と、本籍地が書いてあった。
本籍地、星ノ浦町。
検索したよね、秒で。海きれいだなとか、変な祭りあるなとか。で、名前のほうも検索した。同姓同名なんか山ほどいるだろって思ってたら——町の漁協のホームページに、いた。組合の名簿みたいなやつに、名前が。星ノ浦、人口四千人だって。たぶん、本人。
それから二週間くらい、ずっと考えてた。会ってどうすんだとか、向こうに家族いたら最悪じゃんとか、つーか俺のこと覚えてんのかなとか。考えすぎて、昨日、母さんと超くだらないことで喧嘩して——洗い物の順番とかそんなん——気づいたら家出てた。バイト代、全部持って。
母さんには「友達んち泊まる」ってLINEした。既読ついてる。返事は「了解。ごはんちゃんと食べな」。……それ見たら、ちょっと泣きそうになった。なんでだろうな。
会って、何を言うかは決めてないです。
「あんたの息子です」って言う度胸は、たぶんない。漁港まで行って、遠くから見るだけかもしれない。顔だけ。それでいいんです、今回は。だって——変な話、半分は俺の顔なわけじゃないですか、理屈上。十六年間、鏡見るたび「この顔のパーツ、どっちのだろう」って思ってきたんで。答え合わせがしたいだけ。
あと、これは今、先生とかじいちゃんの話聞いてて思ったんだけど。
もし、声かける勇気が出なかったら——灯籠、流そうかなって。生きてる人宛てでもいいんでしょ? さっき運転手さん言ってたし。
「あんたが何で出てったのかは知らないし、別に許してもないけど、俺は元気です。母さんも元気です。以上」って。
それだけ書いて、流して、帰る。
それでも、家出した意味、あると思うんすよね。俺は。
「ある」と言ったのは、浅井さんだった。「あるよ。理由持ってお前、ここに乗ってんじゃん。俺なんか理由なしだぞ」
「いや、あんたの話も結構良かったすよ。面接ばっくれたとこ」
「良くねえよ」
車内に、今夜いちばん柔らかい笑いが起きた。島さんの奥さんが「にぎやかねえ」と寝言のように言って、また静かになった。
雨音が、変わっていた。屋根を叩く音が、いつのまにか、ささやくくらいになっている。
「さて」と莉子さんが言った。「あとは——」
彼女は、車内をぐるりと見て、僕のところで視線を止めた。僕は、とっさに目を伏せた。心臓が、嫌な速さで打っていた。
「——の前に」
助け舟のように、声がした。
「私の番、でしょうな」
運転手だった。彼は運転席から立って、通路に立った。さっきまでと同じ、落ち着いた立ち方で。けれど車内の空気が、少しだけ張り詰めたのがわかった。言い出しっぺが話す番だと、誰もが思っていて、誰も催促できずにいたのだ。
「八木といいます。この路線、十二年と言いましたが——正確には、星ノ浦線に十二年、志願して乗っています」
「志願して?」と堀口先生。
「ええ。会社では変わり者扱いです。夜行は不人気路線ですから、普通は数年で代わる。私は替えてくれと言ったことが、一度もない」
彼は、手すりに軽く手を置いた。
「理由を話します。皆さんに話していただいたので、これは、その──お返しです」




