09 - 古く暗い水路の傍らにて
突然だが、以前チラッと言っていた伝令札の原理を覚えておられるだろうか?
そう、翻訳の札の技術の大元になっているのは『精神伝達』から急速に発達した魔法技術で、っていうアレだ。精神伝達って字面から見て大体察せられるかもしれないが、これは言葉を正確に翻訳してるとかじゃない。頭で言葉にしようとした内容を声を通して出力してるだけの情報伝達術式らしい、ってのがミソ。
だから今回の英語小娘みたく、俺ら“元の世界から来た者同士”で会話するときには言葉を聴きとる「俺」側だけでなく言葉を発している「小娘の」方にも翻訳札がいる。つまり“元いた世界”風にいうんであれば「言葉の制約のないトランシーバー」みたいな代モノって話だった……確か。
まぁ、この理解の仕方については俺の直感でしかない上に、そもそもトランシーバーなんざこっちの世界には実物が無いのでこの表現が本当に正確なのかも知らない。
まぁ長々と前置きしたが、早い話が“両方ともに準備が必要”ってのは思いのほか面倒だなっつー話だ。
「To be honest, I really don’t want to be working as a gatekeeper at a time like this......, but what can you do⁉︎」
「クッソ、言葉が通じねェのって思ったよりストレスだな! ……イラついてんのだけは分かるけど」
英語小娘は以前にも見せた涙型の盾を宙に浮かせて襲いかかってくる。
相変わらず盾は薄くて、なおかつ鋭い。さすがにアレに当たったらアイスクリーム用の柄杓みたいなデカいスプーン(ディッシャーっつーんだっけ? もう長いこと見てないが)で掬われたみたいに体を持ってかれそうだ。盾の尖った部分が獣の牙みたいに喰らい付こうと俺に迫った。
こっちは咄嗟に身を右に翻して、さっきまで自分の頭のあった位置のレンガの隙間に深く盾が突き刺さる。盾はレンガの穴から逆噴射でもするみたいに飛び出て、羅針盤の針さながらにクルリと回って縁をギラリと光らせた。
「畜生、さすがにここじゃ……!」
スンドグレーンのヤツが暗い中で歯噛みしている声が聞こえてくる。この声だけでアイツは今どういう状態なのかが如実に伝わってきた。
要するに、昨日の第四進入口と違ってアイツは加勢できない状態なのだ。まぁそりゃ、ただでさえ隣に水路が陣取ってる地下通路のこの狭さじゃ加勢もクソもない。空間がそもそも限られているのだからあの針みたいな剣も簡単には振り回せないだろう。徒手空拳で暴れるのにも無理があるし、そもそも灯りだって手元の光る札だけに限られる。
……ってつまり俺が自分で何とかするしかない、のか……?
「だークソッ! ここだと手元も見れやしねェ……‼︎」
焦りで口元が緩くなってんのか、余裕が無いのと反比例するように独り言がまたこぼれ落ちていく。
そんな感じでイラつきながら懐に手を突っ込んでみた。目が使えない以上、もう今は触覚を頼りにまさぐるしかない。そんで指先に触れたのは“軽い”感触。
——あったのは紙切れ二枚、無線代わりの伝令札と通訳代わりの翻訳札の予備。
さすがに水に濡れて使えなくなってたので昨日のとは取り替えているものの、昨日捜査本部から持ち出してたのと同じヤツ二枚をまた持ってきてたってだけだった。クソッタレ。
「おい前科モン! 仕方ねぇ、壁に引っ付いて伏せてられるか⁉︎ オレがやる‼︎」
「やめとけって、こんな狭い通路で剣なんざ振り回すんじゃねェ‼︎」
狭い通路上でスンドグレーンが叫んで、俺は真っ向から反対する。こんなことしてる場合じゃないのは分かるが……。声が反響して必死の叫びはとんでもない音量になっていた。
「For goodness’ sake! Lot are so noisy!!」
そして当然ながら英語小娘も耐えかねるように叫びで返してくる。“言葉が通じないから喋っても意味がない”とかそういう段階じゃない、もはや苛立ちも耐えられる限界とかなんだろう。
しかしスンドグレーンは気にする様子もなく更に声を張り上げた。
「振り回すだぁ⁉︎ お前は刺突剣も知らねぇのかよ、まぁ見てろって!」
そう言ってアイツは剣を抜きつつ、俺の背後から俺を越え、小娘に向かって飛び込む。
針というには大きすぎる剣先が目の前の影を貫いた。
「......!!!」
いや、貫いてはいない。涙型の盾が間に割って入って鋭い剣先を僅かに逸らしていた。お互いの得物にも力が入る。言うなれば鍔迫り合い。
スンドグレーンは剣を右手で引き抜くようにして手前に引きつけ、それから柄を顔の位置まで上げてからまた刺突を繰り出す。命には関わりずらい腕を狙っているのだろうか、何度も何度も執拗に突く。そして銀色の盾の防御が毎回間一髪のタイミングで剣を弾き、闇で火花が派手に散った。
それでもなお、容赦のない刺突の猛攻がスンドグレーンの手首の動きに合わせて縦横無尽に、体の向きは真っ直ぐに小娘を押し込めていく。
(そうだ、あの剣は元から針みたいな形なんだった……つまり“突き刺す動作”に特化してんのか)
内心で俺は納得する。アイツの剣は日本刀みたいな斬りつけるタイプの剣じゃない。いくら通路が狭かろうと、自分の縦方向に直進できさえすれば問題ないんだった。そりゃこういう場面で勇み足にもなるワケだ。
が。
「な、刺突剣が……⁉︎」
突然スンドグレーンが呆気にとられる。
簡潔に起きたことを説明すると、アイツの剣が冗談みたいに右手からすっぽ抜けた。
そして飛んでいった剣はそのまま闇の中に消えて、もはや探すこともままならない。
「あ、おい! 何やってる⁉︎」
「こっちも分からん! 急に剣を引っ張られた‼︎ 柄を握り込むヒマさえ……!」
俺のツッコミにもアイツは困惑したような声を上げる。それほどまでに唐突な引っ張られ方だったのだろう、人の反射速度にだって限界はある。タイミング・力の向きが予想だにしないものだったてんなら尚更。さすがに引っ張って行った力の強さなんかは見ただけじゃ分からないが……。
……しかし、この“力の掛かり方”はもしかして……?
ヒュンっ
影の向こうから鋭い風切り音が聞こえた。
俺はイヤな予感を覚えつつ手に握ったままの発光札を頭上に掲げる。……予感は的中、スンドグレーンの剣は空中で一八〇度向きを変え、今や主人の喉に穴を開けようと狙っていた。しなってカーブを描く剣先がちょうど蛇の鎌首みたいだ。
「......」
小娘は獲物を追い詰めたようなせせら笑いを口元に浮かべて、闇の中からゆっくりこちらに歩み寄る。もちろんあの涙型の盾も一緒だ。
「……クソっ」
対するスンドグレーンは現在丸腰、強いていうならいつも着ている例の金属フレームみたいな飾りのついたあのスーツを着てるくらい。どう考えても立ち向かうには心許なかった。
翻って俺はここでどうすればいい、また見てるだけか? そう咄嗟に自問自答する。今の手持ちにある物で有効活用できそうなものはないか、使うとすればどういう使い道だ、今さら伝令札で応援でも呼ぶか……?
(いや違う)
内心で俺は頭を振る。あるにはある、策が一つだけ。
“本当に効くかどうか”だけが未知数としか言えないが……。
「スンドグレーン! ちょっとソイツ喰い止めといてくれ!」
「はぁ⁉︎」
「今の状況、なんとかしてやる! ……ホラ前見ろ、もう来てんぞ‼︎」
俺がそう呼びかける頃には、小娘が宙に浮かせていた剣をヒュンヒュンと高速回転させてスンドグレーンに襲い掛からせていたところだった。スンドグレーンは額の前で腕を交差させて即席の盾を作る。一瞬遅れて剣が交差する腕に縦一閃で食い込んだ。
「ぐっっ……‼︎‼︎」
やはりというか、なかなか痛いらしい。いくら突き刺すための剣とはいえ横からあのスピードで叩きつけられたらかなりの威力だろう。スンドグレーンのスーツの袖部分には血が滲み始めている。
そして相変わらず牙のような銀の盾の先端が、下方から抜け目なく無防備な脇腹に——
「ぉらッッッッ‼︎」
突き刺さる直前に俺はスンドグレーンの足元をすり抜けて盾も躱し、そして小娘の顔面に張り手を叩き込んでいた。正確に言えば手の平の内にある札の一枚、翻訳札を地肌に直接押し当てている。
「どうした、“イラついて”んじゃねェよ! 今すぐ武装解除しろっての‼︎」
俺は土壇場のテンションでどうにかなりそうになりながら小娘に叫んだ。
すると数瞬前まで確かに強張っていた小娘は急に力が抜けて腕をだらんと垂らし、宙を舞っていたあの盾も力なく落ちてガランガランと大きな音を立てる。
俺とスンドグレーンは途轍もない疲労感に、昨日と同じくまた暗闇の中で脱力してへたり込んだ。
ちなみに言っとくと、今は命の危機で必死だったワケで、つまり悪意なんてものありはしなかった。ってよりは他の感情を抱くヒマも無かったってのが正確だ。だからこそこんな土壇場で“効いた”んだろう。
今のが俺の数年ぶりに使った『洗脳』だ。




