06 - 回想の忌々しい部屋にて
最初に言っている通り、俺は“向こうの世界”から今いる“こっちの(異)世界”に渡ってきた。
これから思い返す内容はその『最初の記憶』にあたる内容だ。
時間で言えばもう五、六年は前か……あの悪魔め。
ふと気がついたら、俺は何もない真っ白な廊下に立っている。
長くて細い廊下の壁に取り付けられた扉を真正面にして、前後を壁に挟まれる形で。
朝に目が覚めたときって前後の記憶が上手く思い出せなかったりしないだろうか。いつハッキリ目を覚ましたのかもよく分からず、同じようにいつ眠りについたのかもイマイチ思い出せない、今の状況はそういう感じによく似ていた。
つまりいつここに迷い込んだのか、いつここまで歩いてきたのか、いつからここに立っていたのか。たしか俺はいつものように大学の帰りでバイト先に立ち寄って、それから……何も分からない。
夢遊病から目を覚ましたみたいな心地で周囲を見回す。
壁も、絨毯も、目の前にある扉も全部白い。壁の高い場所には、石膏だか何かで出来たこれまた純白の燭台が取り付けられていて、その上には不自然なまでにデカい火が明々と灯っていた。しかし、このまま放置していれば煤ですぐ黒くなるだろう天井は他と同じくやはり真っ白。何というか、現実感が無い光景だった。てことはやっぱこれは夢ってことでいいのか? と。
チリン、チリンとどこからか呼び鈴の涼しげな音が鳴って。
それから目の前の扉が音もなく開いた。
「入れ」
そして聞き間違えようもないくらい簡潔な指示が部屋の中から下される。プロ声優の朗読みたいに異様に耳心地が良くて記憶に残るような、それでいてどこか気味の悪い異質感が脳裏に残るような奇妙な声だ。
事態が何一つとして理解できないまま、俺は恐る恐るながら部屋の中へと足を踏み入れた。
その部屋の中はというと、気取ったハリウッド映画なんかで出てきそうな、廊下と同じくあらゆるものが白で統一されてるという西洋の執務室みたいな小部屋だ。どれもこれも白一色で色味の入ったものはどこにもない。……ある一点を除いて、だが。
部屋の真ん中に置かれたソファに“ソイツ”は寝そべっていた。
行儀悪く、先の尖った革靴に包まれた踵を革張りの肘置きにどっかりと下ろして。
「あー、まず質問が一つ。お前さんが『されて嫌なこと』って何かあるか?」
「……え、は? な、何スかあんた?」
「っていきなり聞かれて、まぁ正直に答えるワケないよな。その反応が返ってくるのもごもっともだ……いや何、こっちの“かける手間”が省けたら良いなって思ってたってだけだよ。失敬失敬」
その男はこちらも見もせず、ただ手元のリストみたいなペラ紙を眺めながら話しかけてくる。男の見た目は……何だ? 日本人にも海外の人間にも絶妙に見えない男は部屋全体の白とは正反対な、異様なまでに派手な背広を着ていた。墨流しとかいう技法で複数のインクを使ったマーブル模様を作って、更にそれをそのままスーツの生地に写しとったような、そういうクソ派手なホストみたいなスーツ姿。
髪型も妙だ。肩ぐらいまでの男としてはロングで、ウェーブがかかったみたいな……ウェーブというかソバージュとか言うんだっけか? 詳しくはないがそういう髪型。さらにいかにも気取ったおっさんみたいな口ヒゲやら顎ヒゲやらを伸ばしている。そんで髪の毛の隙間からはみ出している尖った少し長めの耳……何だコイツ、特殊メイクか?
(※これは異世界転移なんてもの信じてもいなかった頃の俺の感想だ、白々しいとかは言わないでくれ)
つーか言われた内容云々もやっぱ意味が分からない。『されて嫌なこと』を聞いて『手間が省けたら』って、微妙に意味が繋がってないんじゃないか……? ……ただ、意味が分からない以上に何かイヤな予感がしたのは確かだった。
さっきから馴れ馴れしく話しかけてくるのは良いとして、何というか声に“この初対面の男を信用してはいけない”というような直感が働く。働くのに、つい聞き入ってしまう。
「じゃーまぁ、覗かせて貰うしかないわな。お前さん、まずここに名前書いてくれないか? 日本語で良いから」
何だそりゃ?
「あぁ大丈夫、本当にただ名前を書いてくれるだけで良い。“読み取れる”からな、今みたいに」
余程分かりやすく顔に出ていただろうか?
まぁそういうことなら、本名知られたところで悪用も何もないだろうし別にサインくらい……。そうして手元に放られた紙切れに、硬い床を下敷きにして氏名を書き込んだ。そりゃ、床に這いつくばって事を済ませる俺はみっともなかったろうが。
紙切れを適当に投げつけられて拾うのにワタワタしたのには若干ムカついたが、だからって向こうと同じようにペラ紙を宙に放っても男があくせく歩き回るとは思えない。諦めて男にそのまま歩み寄って紙を手渡す。
一瞬、男がこちらを見てから手元に視線を戻すのが見えた。
顔に二つ付いてるってだけの目の影が異様に暗く、捉えどころがないくらいの伽藍堂に見えた気がした。
「はー、なるほど『草加 翔吾』ねぇ……親御さんがくれた立派な名前だ」
「親から? ……アレがンな殊勝なこと考えてたとは思いませんけどね。つか今どきそういうの古いですって、最近の親が自分の子供の名前で特に重視してるのって何か知ってます? “響き”が大事らしいっスよ、『自分が呼んで気持ちが良いか』『音の並びがカッコいいか』くらいしか考えないみたいで。そりゃ全員が全員そうじゃないとは思うけど」
「あぁ、親と“何か”あったパターンか。呼び寄せた甲斐あるわ」
……今度は俺の分かりやすいまでの拒否反応で色々察せられたらしかったが、それはまぁ別に気にしない。隠してどうなるものでもないし隠す気もないし。
一方の男はニヤニヤ笑いながら紙切れの、俺直筆・俺の名前を凝視している。さっき言ってた“読み取れる”ってヤツだろうか、筆跡で性格が分かるとかそういうのか? そして男は口を開く。
「おーっと、予想以上に『持ってる』のが来たな。こっちとしても助かるねぇ! 草加 翔吾、年齢は十九歳と八ヶ月・大学二年生で建築学を修めている最中、しかし苦学生。その生い立ちは不遇で、十一歳のとき両親が失業を機にカルト宗教へ入信、数年に及ぶ多額の献金による生活苦の末に両親は失踪か。……で、教団関係者に親が洗脳される様子を直に見せつけられたり、またその過程で直接自分が虐待されたりもした、と。思春期にこの流れはキッツイねぇ」
言ってることとは正反対にニヤニヤ笑うホストスーツ男、対照的に俺の顔からは血の気が引いていくのが分かる。
待て、待ってくれ。何でお前がそれを知ってる?
「でもって両親の失踪後は親戚によるたらい回しの果てに児童福祉施設へ。しかし施設ではもっと不幸な子供だって多くいる。で、十一歳までは普通だったことで逆に周囲から反感を買っていじめの被害に遭うようになり、逃げるように大学へ。現在は奨学金で学校へ通いつつも成人後に身を立てるため死に物狂いで勉強中……と。趣味は子供のときから一貫してTVゲームだったが、生活環境の悪化を機に現実逃避的にのめり込むようになり、しかもその上で親の借金のカタの一部として取り上げられたワケだ。んで、当時の草加少年の胸中には大きな喪失感だけが残った!」
「やっ、やめ、やめろ……し、喋るなアンタ……‼︎」
ほぼ反射的にそう叫んでいた。そりゃ自分が他人と比べてやや非凡な生涯を送ってきた自覚はある。けど言葉として自分の人生を読み上げられることがこれほど苦痛だとは思わなかった。
「で、こっからが本題だ。実はここにお前を呼び寄せたのは俺なんだけどな? まぁ、俺の目から見てもお前はなかなか不幸な目に遭ってきたワケだ。だから俺が一発逆転のチャンスをお前にやる! お前が今までいた世界とは全く別の世界に、超能力みたいなスーパーなスキルを持った状態で送り届けてやるワケさぁ‼︎」
男はソファからやっと立ち上がりながら満面の笑みで、それこそ大学の怪しい勧誘をしてくる先輩とかキャッチセールスの販売員みたいに力説する。
「前みたいなクソみたいな世の中、正直もうどうでも良いって思ってたろ? じゃあ善は急げだ、スキルの内容をとっとと決めてイザ行こうぜ! 新天地へ‼︎」
さっきからコイツは何を言ってる? 言ってることだって無茶苦茶だ。
そりゃ世間でも“異世界転生”とか何だとかが流行ってはいたが、コイツの言っていることは丸っきりそういうことじゃないか。現実離れとかそういう次元じゃない。しかもここで俺はよくある“チート的なスキル”とやらを授けられるらしい。
けど待て、そういえばここに来たとき。最初目の前のコイツは何と言った?
『お前さんが「されて嫌なこと」って何かあるか?』
さっきは出し抜けにそんなこと聞かれてテンパってたが、これから与えられるスキルとやらもそういうことじゃないのか。そう、あのときは意味が繋がらないように感じてたのって俺が”人としてのまともな人間関係”を大前提に考えていたからで、もし目の前のコイツが『害意』を前提に話しているのだとしたら。
「よーし、じゃあ似合いのスキルを考える時間だ。っつってもお前さんにピッタリの、それでいて上手い具合にチートなスキルはもう思いついてる」
男が前置きみたいに静かに言う。……明らかに笑いを堪えながら。
俺にだって話の流れはよく分かる。ここまでの流れでたどり着く自然な回答といえば……。
拒絶したい思いでいっぱいの俺を余所に、喜色満面のホストスーツ男はこれ以上ないほど楽しそうに言った。
「お前さんのスキルは『洗脳』だ! ……でもただ“洗脳できる”ってだけじゃつまらない。相手の心を理解して! そんで相手の感情を言い当てることが出来たら洗脳できる、ってのはどうよ⁉︎ お前さんが久しく触ってないTVゲームみたいなもんだろ? クイズに正解すりゃ相手は思いのままだ‼︎」
まさに人生を洗脳によって奪われた俺にとっては悪魔の宣告だった、ハズなんだが。
……こうやってはっきりと言語化されると、もうそれだけで一線を越えてしまったような感覚に陥る。そして越えてしまえば倫理観なんて案外あっけないもので、今まで自分は何を怖がっていたのかが一瞬分からなくなったような錯覚を覚えた。
「おっと、“されて嫌だったこと”でも思い出した? 別に良いだろ、ゲームみたいに取り上げられて今までプレイさせても貰えなかった代モノだぜ? あの日から理不尽に奪われて手が届かなかった人生、スキルで取り戻そう。な?」
コイツの言葉を聞いていると、まるで麻酔みたいに自分の中のわだかまりが消えていくのが分かる。
そうだ、俺は常に奪われてきたんだ。ゲームの負けてるほうと同じ、これから勝つには点数を奪い返すしかないじゃないか。
「あと残念だがもう後戻りは出来ないぜ? よく見ろ、お前が名前書いたこの紙切れ……ここになんて書いてあるか読めるかな……? そう! 契約書だ‼︎ ここにサインしちまった以上は————ん?」
「……アンタの名前は?」
「ん?」
俺はさっき尋ねられたみたいに、目の前の男に尋ねる。相手はキョトンとした顔だ。
でも構わずにこっちは続ける。
「アンタの名前だよ。ここがどこかも、これからどこに送られるのかも分からんけど名前だけは聞いときたい。つかアンタ、調子いいこと言ってるけど結局のところは『俺の“元いた世界”でのこれからの人生を奪った』んだ。これからの人生がゲームだってんなら、ラスボスはアンタだろ? いつか奪い返しに来てやるから聞いときたくてよ」
男はさらに拍子抜けした顔になって、それから腹を抱えて爆笑しだした。
けたたましいまでの笑いが部屋中の物を、空気を揺らす。
「ギャッハハハハハハハハハハハハハハハ‼︎‼︎‼︎ そりゃ“焚き付け”はしたけどよ、ここまでハッキリ挑発し返してきたヤツは初めてだわ、イヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ‼︎‼︎‼︎ はー、はー……いや、ゲーム感覚ってなぁ空恐ろしいよな……おし、名前は教えといてやる。ここまで戻ってこれる保証はなんも無いけどな? つか名前は有名なの一つ教えとけば事足りるよな。……メフィストフェレス、って聞いたことあるか? ま、無くても覚えときゃ良いさ。立派な古典文学らしいから教養にはなる」
そしてそんな風に名前だけ教えてくると。
「じゃ、おつかれさん」
突然、小部屋の床が消えて俺は闇の中へと落とされた。メフィスト何たらとか名乗ったあの男や小部屋に置かれてた家具・調度品なんかは宙に浮いたまんま。ズルい。
……そんなワケで俺は”こっち”に送り込まれた。
後はもう言ってある通り、数ヶ月の活動の後で授けられた性質の悪すぎるスキルによりこっちの治安組織に捕まって今に至るワケだ。




