27 - 追憶・堪えられない涙の中にて
さて。
ずっとショーゴの語りだったわけだけど、今だけはあたし:ヴァイオレット・キンケイドの話に切り替わることを許してほしい。この記憶はあたしの記憶であって、ショーゴの頭の中には無いからね。
「・・・・・・!」
……ちょっと何でよショーゴ、語りやってる人が交代しても別に変でも何でもないじゃん! てか、そっちがいきなりあたしの思い出とか語り出したらドン引かれるだけでしょ⁉︎
ま、ともかくコレに関しては正真正銘あたしの脳内にしかない思い出、だって誰にも話したことなかったから。……というよりも、ホントは思い出すのも嫌な記憶だから誰にも喋ってこなかったってだけなんだけど。
これは“こっちの世界”に来たときの一番初めの記憶。一応確認しときたいんだけど、ショーゴに消されたトラウマは「前の世界にいたときの記憶」って条件だったでしょ? だからこれは“穴抜けになっちゃった前の世界の記憶”よりも新しい時期のもので、だからこそ今でも覚えてるんだと思う。
そして、それはつまりあの悪魔:メフィストフェレスとの短い会話ってことになる。
言ってしまえばそれだけなんだけど、別に思い出そうとするまでもなく、それどころか未だに忘れられないでいるくらいのインパクトのある記憶だった。ホントに悪魔だったのかはともかくとして、名前の通った悪魔を名乗るだけある。まさに「看板に偽りなし」ってやつで。
その日。気がついたら、あたしは何もない真っ白な廊下にいた。
学校の廊下というにはもっと横幅が狭くて、そのくせやたらと壁も絨毯も何もかもが真っ白。絨毯の下の床材まで白い塗装という念の入り用だ。映画のセットとかそういうのみたいとしか思えない。壁の時代遅れな燭台には火のついた松明も載っていて、何というかこう実在感に欠けるというか……フルCGで出来た映像でも見てるみたいな……。
「ち、ちょっと待って……何ここ? 何処ここ……?」
そしてあたしの立つ場所の真正面にはこれまた白い扉。木製で、どこぞの教授の準備室みたいな、どことなくそういう場所で使われてそうな厳しい感じがする。取り敢えず、色に反してどこか重そうな扉だ。
それで、あたし何でこんなとこにいるんだろう?
今あたしが着てるのは学校の制服である白のシャツ・薄手のセーター・プリーツスカート・黒いタイツにハイソックス。誰がどう見てもイギリス人の女学生だ。これである程度はここに来る前の状況が分かるはず。
でも必死に前後の記憶を思い出そうとするけど何も思い出せない。まるで急にここでビデオゲームが始まって、いきなりここから『さぁゲームを始めてください』と言われたみたいだ。
……えっとつまり、要するにここに来るまでの記憶がまるで無いってこと。こんな真っ白な建物に入っていった記憶なんてないし、ホールからこんな廊下を通って来た覚えもない。それこそ何もないところからいきなり画面が始まったみたいな。
「……お、思い出して……あんたは何でこんなとこに突っ立ってるの……?」
あたしは思わずその場で自分に語りかける。頭の中の、自らの記憶を総ざらいして何とかここの情報を見つけ出そうとしていた。
記憶がまるで無いなんてありえない、だって現にあたしはここに立ってるんだから。
えっと、学校からはもう出てたんだっけ? 確かそう。
というか寮にはいた? それも確かそうだったはず。
本当に? ……自信ない。
さんざん自問自答してから首を振る。
そんなことをしていると突然、チリンチリンとドアベルの澄んだ音が鳴って、音もなく目の前の白いドアが開いた。扉の先の空間には誰もいない、まるで扉が自ら独りでに開いたみたいな。
「入れ」
今度は低く凛々しい声が響く。
明らかに成人以上の男の声……あたしみたいな子供にとっては怖い相手。でも抵抗があるのは間違いないはずなのに、何故かあたしは前に歩き出していた。
端的に言うと、部屋の中にいた男は極彩色だった。悪趣味なくらいに。
廊下と同じく真っ白な内装の部屋で、やっぱり真っ白なデスクに向かって男はノートPCのキーボードを叩いている。男はスーツ姿だったが確実にマトモなビジネススーツじゃない。だってこっちに向けている背中は極彩色というにふさわしい色でゴチャ混ぜ・色とりどりに染められている。
何だろうこの服、ナイトクラブから来た遊び人とか、それともマフィアとかそういうのだろうか?
「あのまんまお前さんを観察するのは面白そうだが、何せ時間が無いからな。ちょーっと急がせてもらうわ。てぇか、むしろお前さんはここまで時間かけ過ぎだ」
「え? あ、ご、ごめんなさい……」
不意に、男が流暢なイギリス英語でそんなことを言いながらこちらを振り返るので、あたしは反射的に謝っていた。どうも何も考えずに部屋に入っていくのがこの男にとっての正解だったらしい。状況的にはけっこう無茶じゃない……?
振り返った男の肌は色黒で、恐ろしいまでに整った顔をしている。けど、あたしには上手く言葉にできない部分でとても苦手な顔だとも思った。くしゃくしゃにパーマした黒髪に気取った感じのヒゲ。何て名前だっけ、ハリウッドのある有名俳優を意識しましたという感じ。そして耳は妖精みたいに尖っているというオマケ付き。……変なコスプレだ。
(※当時は悪魔の実在だなんて知らない時点での感想って部分に留意されたし)
それでも多分、同級生連中にはモテそうなくらいの美形なのは間違いない(同級生は“キュート”とか“(日本語の)カワイイ”なんて言葉を使いたがるけど、少なくともあたしは遠慮したい)。ただ『セーリテキに受け付けない』とかいうやつだろうか?
ともかく、この男には何かが決定的に欠けている気がした。
「ま、謝るこたぁない。それよりもだな、お前さんにゃ自分の名前をこの紙に書いてみて欲しいんだ。あぁ自己紹介は別に良いぜ? これだけで“必要なことは分かる”」
「……な、名前だけ……? それってどういう……?」
急に、というか急な話を振られてあたしは聞き返してしまう。男が差し出した手には一枚の紙切れと万年筆が握られていた。ここに書けということらしいが……“名前を教えろ”ではなく“書け”って、聞かれ方も指示の内容も意味が分からな——
「“聞こえなかったか? 早くしろ”」
その声は冷静で、冷徹で。
あたしは思わず身を縮めて、床の上に這いつくばって紙切れに名前を書き込む。思わずというか、確かに抱いていたはずの疑念すら気にせずあたしは指示に従っていた。
「ふーむ、『ヴァイオレット・キンケイド』か。古き良きイギリス人淑女って感じの名前だ」
「そ……祖母が、つけてくれて」
「ちゃんと家族にも愛されてたワケだ、お前さんとこは問題なさそうで安心したよ」
「……?」
何か含みのある一言にあたしは思わず男の目を見る。ちょっとした疑問くらいの意味でだったが、次の瞬間には慌てて視線を落として何もなかった風に誤魔化していた。一瞬見えた、紙切れを見つめる男の目が異様に暗くて何も映してないように見えて。
一方の男はというと、あたしの視線にも気づかないくらい名前を凝視している。口元をなぜかニヤつかせながら。
「ははぁ、元から『持ってる』のを選んでるつもりだったがこりゃあ特大だな! “愛されてればこそ”だ、良いのが来た‼︎ ヴァイオレット・キンケイド、十六歳と五ヶ月で寮制高校の一年生になって日が浅い。一方で、“生きていた”唯一の肉親である父親が生業であるスクラップ屋としての作業中に事故死、天涯孤独になった身でもある。事故当時の状況は二百キロもの鋼材を永久磁石で吊り下げるタイプのクレーンで運搬していたところ——
「や、やめてっ‼︎」
あたしは当時苦手だった成人男性相手でも構うことなく叫んでいた。それこそあらん限りの力を喉に込めて。
何で、何であんたが父さんを……あの事故のことまで知ってる?
「——運搬していたところ磁石を吊っていた機構そのものが外れ、そのまま永久磁石は鋼材ごと運転席に直撃して運転手は下敷きになった。当然死因は言わずもがな、父親の骨で原型をとどめていた部位は無いほどである。ハハッ、こりゃ酷いな。“あいつ”みたいな死に際だ」
男はあたしの言葉を無視して朗読を続け、そして笑う。それはもう楽しそうに。
「おっと、これは俺の個人的な思い出ってだけだから気にしないでくれ。失敬失敬!」
「……コイツ……!」
あたしはさっきこの男に抱いた直感が正しかったんだと思った。というか信じられなかった。
この世にここまで倫理観に欠けた人間がいたなんて。
悪夢の朗読会はまだ続く。……まだ終わらない。
「ここまでは普通の“不幸な死別を味わっただけの人間”って話だが、本番はここからだ。フツー事故の原因は当然クレーンの故障ってことでクレーンの製造元に責任がいくが……その製造元企業はあろうことか貴族が経営する“由緒正しき”メーカーで、コネの一点張りでマスコミから事故原因から何から何まで揉み消したワケだ! 更にその企業は犠牲者の肉親に復讐なんて気を起こさせないために一人娘をイジメ抜くことにして……」
「やめて……やめてよ……」
気がつくと、あたしは泣いて懇願していた。イギリスは今も立派なコネの社会だ。その後の、社会全体がゆっくりと敵に変わっていく生活なんて思い出したくない。
と、唐突に朗読会はお開きになった。
最初に男が言っていたことをやっと自分で思い出したからだ。
「ってそうだ、時間が無いんだった! 悪い悪い、お前さんの残りの人生も“堪能”したいとこだが先に本題に入っちまおう。どうせ後でゆっくり見れるし」
そして男は気味悪いくらい優しい声で切り出す。
サラッとあたしの肩にも手を回している。
「で、こっからが本題。泣かせて済まなかった、でも必要だったんだ。確かにお前さんをここに呼んだのは他ならぬ俺だ。でも理由は何でかっつったら、その生涯が不幸だったから。俺にだって分かるさ、お前さん自問自答してたろ。『あたしの人生何だったんだろう』って。だから、俺はお前さんに第二の、とびっきりの人生を用意したんだ」
ここまで男はあたしの目を真っ直ぐに見据えながら語りかけてきていた。……吐き気がする。
「日本のアニメで流行ってるだろ? ほら、イセカイにチートスキルを持って行くヤツ。俺はお前さんにそれをプレゼントすることにしたのさ。肝心の異能だってもう考えてあるぜ?」
コイツにとってあたしはどう見えているんだろう。
泣きながら慰められている小娘だろうか、それとも恨みのこもった泣き顔で睨んでくるガキだろうか。どっちにしろ、あたしは今の自分の顔なんて何も分からない。
「お前の持つその異能は……『磁力』、なんてどうだ? ……ブフッ、悪い、我慢できなかった、ギャハハハハハ‼︎‼︎‼︎」
最後の最後で、男は耐えられないとばかりに吹き出す。
途中までは体裁を整えようとしていたのだろう、でも最後に異能の部分で一気に突き落とす。きっとそんなつもりだったのだ。
でないと、あたしに『磁力』という異能突きつけてこんなにも笑うはずがない。
あたしは酷く惨めだった。
「……もう、何だっての……あんた……」
さめざめと涙をこぼしながら言う。許せなかった。
「ハァ……ハァ……何か言った?」
「あんたが何者なのか聞いてんの‼︎」
笑いすぎて息も絶え絶えになってる男にあたしは怒鳴りつける。そして肩を抱いていた男の手を振り解いて、立ち上がりながら男に向き直って睨みつけていた。
「……ヘッ、良い目だ。そう来ないと」
男はニタニタと口元を歪めながらせせら笑う。そして、
「名前なら教えても良いぜ? ……メフィストフェレス、って聞いたことあるだろ? ヨーロッパの古典作品オタクのお前さんならさ」
悪魔はそう言ってからパチンと指を鳴らした。
途端に部屋の床が抜けてあたしは虚空の、真っ黒な空間に落とされる。勿論というか、肝心のメフィストフェレスは落ちていない。白い部屋の床だけが消えて、部屋の家具はそのままの位置。いわゆる『言い逃げ』だ。
そうやって落とされながら、あたしは自分の趣味に心から感謝していた。ゲーテのファウストのことなら分かる、いつか絶対にあいつの寝首を掻いてやる!
もはや闇なのか虚空なのかも分からない中で決意した。
こんな経緯であたしもまた“こっち側”に送り込まれたってわけ。
そして運良くあの盗賊団に拾われて、異能の取り回しやすさから地下アジトの門番に採用されることになる。そこから流れ流れて今日ってことね。
盗賊団は男ばっかりで、いくら男が苦手でも慣れざるを得なかった。
今後の人生的に、そこだけは救いだったかな。




