14 - 感慨も薄い初の試みにて
いわゆる自己洗脳というヤツをイザ実行してみて思ったことは、“案外何でことない”という素っ気ない感想だった。
何というか、感覚としては脳内の思考が“クリア”になった感覚すらする。
たぶん睡眠薬だのアルコールだのを飲んだときと似たようなモン。つまり洗脳の効果で思考力と呼べるモノ全般が削がれて、それで細かい余計なことを考えられなくなってるらしかった。言い換えてしまえば“雑念が湧いてこない”状態とか、そういうの。……こんくらいは回らなくなった頭でも、記憶からの参照で何となく分かる。
そりゃ俺の人生が他人より長いワケじゃなくても、人生“経験”なら他人よりかはちょっと多い自負くらいはあったからな。
まぁそんなことより、良かったことが一つ。
ただでさえ鈍かった右膝の痛みが輪をかけてさらに不明瞭になった感覚がする。思考力低下様様だ。
「っグ、うゥぅ……ぁ、ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ……‼︎」
俺は狂犬とかゾンビみたいな唸り声……そして雄叫びを上げながら、足に空いた風穴から血をさらに噴き出させながら、脚部全体に力を込めた。
別に変な演技で脅かそうとしてたとかそういうのじゃない、本気で、具体的な言葉が何一つ思い出せなかったのだ。もはや片手間にそんな余裕が無いくらいに、俺は全身の筋肉で生み出せる力を総動員してまた立ち上がる……つまり火事場の馬鹿力、俺自身からの命令の通り“死力を尽くして”。
「W, what...!?
(な、何……⁉︎)」
ヴァイオレットの顔にあからさまな恐怖の色が浮かぶ。
こんな見た目してる歳の小娘に、大の大人が本気で死力を尽くしてるような光景を見た経験があるとは思えない。こうなりゃ怯えるのも当たり前か。
「D, Don't come!!!!!!
(こ、来ないで‼︎‼︎‼︎)」
相変わらず吃りながら、ヴァイオレットは見るからにありったけ叫んだ。
それとほぼ同時にジャラリ……という音と共に散乱していた鎖それぞれが音を立て、そして続け様にジャギッという明らかに“鎖が何らかの力で引っ張られた音”。要するにそれこそ小娘の「牽制」が「攻撃」へと本格的に切り替わる音だったと直感的に気づいた。
鎖の先端の輪っかが後ろの連なりを率いて幾つも、それこそ蛇皮の艶みたいに反射光を放つ。
(…………)
しかし対する俺はというと、さっきから危機感が足りないのか洗脳の効果なのか、俺は焦りすらも感じづらくなった頭で問題ないと判断していた。相変わらず言葉は思い出せなかったが焦りはない。
そうこうしながら俺は、押し付けてたバネでも解放するみたいに足を踏み出す。体が、動く。
「ッ!」
まず右へと飛び込んで鎖の束を飛び越える。
ここから向きを変えて襲いかかってくる『鎖』は三本。他にも飛んでくるヤツ自体はもちろんそれだけじゃないが、今にも当たりそうなのはこれだけだ。やっぱり生きた蛇の動きと比べるには程遠い。
俺は急に向きを変えるように、つまり踏み出した右足を床に突き立てる。体の動きとは逆方向に力が掛かって塞がっていない傷口からは相変わらずビシャビシャと血が滴った。が、やはり膝からは鈍痛しか伝わってこない。……膝はまだ動く。
もはやどこまで足が動くかもよく分からないまま左側へと飛び退いた。そのまま身を伏せ、再びバネが力を溜めるみたいに体を下へ押さえつける。
「Bloody hell, Stop running about!!
(このッ! 動き回んないで‼︎)」
ヴァイオレットが躍起になって、更に弾丸を撃ち込むように鎖の軌道を変えるのが視界の端に映った。俺は反射的に両足で床を強く蹴って飛び上がる。誰もいなくなった空間を素通りして、鎖は床材にめり込んだ。
そして俺は右足でその先端部分を力強く踏み付ける。
さっきから言ってるみたいに右膝の痛みはもうほぼ無い。しかし、力を込めても右膝の動作が不安定なことにも依然として変わりはない。だったらもう怪我してるついでだ、とばかりに右膝で押し潰すように鎖を抑えつけた。
「For goodness’! Are you mad⁉︎ Using those blood-soaked feet to pull the chain…!
(ああもう! イカれてんの⁉︎ あんな血まみれの足で鎖を……!)」
見るからに苛立ちながら小娘は声を上げる。一方こっちの右膝はというと、若干ふらつきこそすれ未だ動く。
俺は右膝の下にある鎖の先端を引っ掴んで、右拳の中で握りしめた。この鎖がいくら磁力で引っ張られていようと、先端部分を物理的に握りしめていてはどうにもならない。
そのまま右腕を勢いよく振り上げる。当然、それに引っ張られて——
「ッッッ……‼︎」
「Wai, —eek!
(待っ、きゃあ!)」
——そして鎖全体が、予想外の方向からの牽引力でバランスを崩したのかあらぬ方向へと吹っ飛んだ。
小娘が即興で振り回していた武器の弱点はここだった。つまり、“武器全体が一つに繋がっている”って点。壁に勢いよく打ち付けられた鎖は衝撃と共に跳ねて、ヴァイオレットの周囲をも襲う。当然、向こうは反射的に身を縮めだってするだろう。
で、“思考”というある種の制御器を外していた俺の目にここはチャンスとして映った。
物理的にも力が入りづらくなった右足に替わり、次は左足で床を蹴りつける。とはいえこちらは元々怪我のない方の足で、しかも自己洗脳により“死に物狂い”なまでの力が込められていた。となれば。
「Gah—
(ぎゃっ——)」
踏み込みの時点で通常とは比較にならない程の力が踵に込められて、次の瞬間に俺はヴァイオレットに肉薄している。というか真正面から体の勢いが付きすぎて、小娘を気絶させていた。まぁ状態から言って、力加減なんてできるハズがない。
それとほぼ同時に、先ほどまで宙に浮かんでいた鎖は力無く床に落ちて、それから思い出したかのように鎖に残っていた磁力でガチガチと一塊にくっついていく。
……やはり鎖のあの蛇みたいな挙動自体が磁力のせいだったらしい。
「————ッ、ち、ちゃんと効果は切れてくれたか……」
そして意識の途切れたヴァイオレットの、ほぼ寝てるみたいな顔を視認した途端、俺は自分の頭で急速に理性が回復していくのを感じた。右足の痛みだって当然ながら帰ってきている。相変わらず血は流れ出ているし、ちゃんと手当てしないとこれ以上動かすことは出来そうにない。
俺はヴァイオレットから距離は空けつつも、結局は膝の痛みと疲労に耐えきれずその場に座り……イヤ、へたり込んだ。
スキルの効果が自動で切れてくれたのは咄嗟に思いついた工夫のおかげ……だと思う。俺が自分自身に掛けた洗脳の指示は『死力を尽くして小娘が暴れるのを止めろ』だ。つまり、指示の中心である“止めろ”を実行し終われば、指示内容は全て完遂されて洗脳は解かれると俺は踏んでのことだった……まぁ初めて実行した以上、賭けではあったんだが。
「コイツの経験値が足りてなくて助かった……」
へたり込んだままの姿勢のままでいるのすら怠くなって、俺は後ろに倒れ込む。完全に大の字だ。
そりゃ確かに、ヴァイオレットの磁力は強力だった。金属の物体を物理的に操れるのなんて脅威でしかないし、磁力の反発の威力でも使ってたのか鎖の先端部射出も一発一発があの速度だ。正確な速度とかはともかく、人間の体感からすれば音速とかと大差ない。
けど鎖という道具の性質上、後ろで尾を引いている長く余計な“部品”がある。そのせいでこちらを狙う先端部それぞれの位置関係とか軌道とかは分かりやすかった。つまり鎖本体のおかげで視認も可能だし、弾道の予測だってできる。そういう弱点をカバーするような力の使い方をしてこなかったのは正に経験値が足りてないことが原因なのはラクに想像できた。
イヤ、それはともかく。
姿勢は取り敢えず寝転んだままで置いとくとしてだ、いま考えとくべき部分が別にあるだろうが。
……例えばヴァイオレットが洗脳を自力で解除した方法は何かとか。
『お生憎。そういうの無効化する手段くらいもう持ってる、あたしらはね』
確かにコイツはそう言っていた。無効化する手段があったのなら、ヴァイオレットがここまで大人しく連行されてきてさっきまで暴れていた説明がつかない。この庁舎内部から刑事局をブッ潰そうとしたってことだろうか?
たまたま拘束されていた部屋がこの地下で金気にも事前に注意を払えたから、俺一人で何とか対処できたってだけで。
それ以上に、こう言ってたっつーことは俺の情報とかだってとっくに漏れていた危険も出てくる。俺がいるって分かってなけりゃそんな対策も取られないのは言うまでもないし……。
……と、ここまで考えて頭に限界が来た。いや正確にいうと体力のほうか。
さすがに四肢が岩のように重い、起き上がるなんてもっての外だ。俺は諦めて気絶することにした。ここまで体を張っといて、そこから更に意識を保ったまま捜査についてアレコレ考えるとかいう余裕はもう無い。
安らかに目を閉じる直前、俺はドタドタと捜査本部の連中が部屋に乗り込んでくるのが見えた。
実際に声は出せないが言いたいことはある。
俺からコイツらに掛ける言葉はだいぶ前から決まっていた。
——いや遅ェよ。




