↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯し火の番人・新章  作者: 天月 和宙 -sora-


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/14

【第2話】寂しさを言葉に、星空に還る遊園地


眠(ねむ)ることのない夜(よる)の底(そこ)に、静(しず)かな朝(あさ)が訪(おとず)れた。


 世(せ)界(かい)の境(きょう)界(かい)線(せん)の上(うえ)に立(た)つこの灯(とう)台(だい)には、現(げん)実(じつ)世(せ)界(かい)のようなまぶしい太(たい)陽(よう)は昇(のぼ)らない。


 ただ、窓(まど)の外(そと)の深(ふか)い群(ぐん)青(じょう)色(いろ)の闇(やみ)が、少(すこ)しずつ淡(あわ)い薄(うす)紫(むらさき)色(いろ)の霧(きり)へと薄(う)まっていくだけ。

 

 それが、この場(ば)所(しょ)における「朝(あさ)」の合(あい)図(ず)だった。


 私(わたし)は一(ひと)晩(ばん)中(じゅう)、真(しん)鍮(ちゅう)製(せい)のランタンに青(あお)い火(ひ)を灯(とも)し続(つづ)けていた。


 そのせいか、冷(ひ)え込(こ)みやすい私(わたし)の指(ゆび)先(さき)には、まだ微(かす)かなぬくもりが残(のこ)っている。


 一(いっ)階(かい)の居(い)間(ま)に降(お)りると、そこにはもう先(せん)客(きゃく)がいた。


 昨(さく)夜(や)、硝(がら)子(す)細(ざい)工(く)の揺(ゆ)り籠(かご)から目(め)覚(ざ)めた少(しょう)女(じょ)――ノアが、古(ふる)びた木(もく)製(せい)の丸(まる)椅(い)子(す)にちょこんと腰(こし)掛(か)けていた。


 彼(かの)女(じょ)の艶(つや)やかな黒(くろ)髪(かみ)は、薄(うす)紫(むらさき)色(いろ)の朝(ちょう)光(こう)を浴(あ)びて、静(しず)かな光(こう)沢(たく)を放(はな)っている。


 その手(て)元(もと)には、いつの間(ま)にか一(いっ)冊(さつ)の真(ま)っ白(しろ)な本(ほん)が広(ひら)げられていた。


 彼(かの)女(じょ)が白(しろ)く細(ほそ)い指(ゆび)先(さき)でそっと宙(ちゅう)をなぞると、空(くう)間(かん)から淡(あわ)く発(はつ)光(こう)する文(も)字(じ)が溢(あふ)れ出(だ)し、インクも使(つか)わずにその白(しろ)いページへと吸(す)い込(こ)まれるように、トントンと連(つら)なって記(き)録(ろく)されていく。


「あ、おはよう、番(ばん)人(にん)さん」


 ノアは指(ゆび)先(さき)を止(と)め、私(わたし)を見(み)てはにかむように微(ほほ)笑(え)んだ。


「おはよう、ノア。もう体(たい)調(ちょう)は大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)? 昨(さく)夜(や)はかなり無(む)理(り)をさせてしまったから、心(しん)配(ぱい)していたの」


「ええ、平(へい)気(き)よ。あなたの灯(とも)し火(び)が温(あたた)かかったから、私(わたし)の文(も)字(じ)も落(お)ち着(つ)いたわ。今(いま)はこうして、世(せ)界(かい)から零(こぼ)れ落(お)ちてくる『忘(わす)れられた言(こと)葉(ば)』を少(すこ)しずつ拾(ひろ)い集(あつ)めているの」


 彼(かの)女(じょ)は愛(いとお)しそうに本(ほん)のページを撫(な)でた。


 そこには、昨(さく)夜(や)私(わたし)たちがそっと受(う)け止(と)めた、あの激(はげ)しい文(も)字(じ)の塊(かたまり)――かつて誰(だれ)かが抱(いだ)き、そして置(お)いていくしかなかった切(せつ)ない未(み)練(れん)の言(こと)葉(ば)たちが、静(しず)かな詩(し)のようにならんでいた。


「私(わたし)たちは、出(で)会(あ)うべくして出(で)会(あ)った……ノアは昨(きの)日(う)、そう言(い)ってくれたわね」


 私(わたし)は彼(かの)女(じょ)の向(む)かい側(がわ)に腰(こし)掛(か)け、昨(さく)夜(や)からずっと気(き)になっていたことを尋(たず)ねてみた。


「私(わたし)の火(ひ)と、あなたの文(も)字(じ)。それが合(あ)わさることで、あの激(はげ)しい塊(かたまり)がすうっと消(き)え去(さ)った。それって、どういう仕(し)組(く)みなのかしら」


 ノアは群(ぐん)青(じょう)色(いろ)の瞳(ひとみ)を少(すこ)しだけ細(ほそ)め、窓(まど)の外(そと)の霧(きり)を見(み)つめた。


「私(わたし)の力(ちから)は、世(せ)界(かい)に溢(あふ)れる記(き)憶(おく)や感(かん)情(じょう)を『文(も)字(じ)』として形(かたち)にすること。でも、それだけだと、文(も)字(じ)はたくさんの人(ひと)の想(おも)いを吸(す)いすぎて、重(おも)くなりすぎてしまうの。昨(さく)夜(や)のように、行(ゆ)き場(ば)をなくして暴(ぼう)走(そう)してしまうくらいにね」


 彼(かの)女(じょ)は一(いち)度(ど)言(こと)葉(ば)を区切(くぎ)り、私(わたし)の手(て)元(もと)にあるランタンを指(ゆび)差(さ)した。


「だけど、あなたの灯(とも)し火(び)は、それらの重(おも)すぎる文(も)字(じ)を包(つつ)み込(こ)んで、純(じゅん)粋(すい)な『熱(ねつ)』へと還(かえ)すことができるの。つまり、私(わたし)が拾(ひろ)い上(あ)げた言(こと)葉(ば)を、あなたの火(ひ)が優(やさ)しく抱(だ)きしめて、あるべき場(ば)所(しょ)へ送(おく)り出(だ)す。だから、二(ふた)人(り)で一(ひと)つというわけ」


「なるほどね……。言(こと)葉(ば)を、火(ひ)に焚(く)べるのね」


 これまでは、ただ迷(まよ)える魂(たましい)の道(みち)標(しるべ)になるだけだった私(わたし)の灯(とも)し火(び)。


 それが彼(かの)女(じょ)の存(そん)在(ざい)によって、世(せ)界(かい)に溢(あふ)れるさまざまな想(おも)いを「受(う)け止(と)める」ための大(おお)きな力(ちから)へと変(か)わった。


 その事(じ)実(じつ)に、私(わたし)は不(ふ)思(し)議(ぎ)な愛(いとお)しさと、それ以(い)上(じょう)の責(せき)任(にん)を感(かん)じていた。


 その時(とき)だった。


 ジリリ、と居(い)間(ま)の隅(すみ)に置(お)かれた古(ふる)い真(しん)鍮(ちゅう)の電(でん)話(わ)機(き)が、けたたましい音(おと)を立(た)てて鳴(な)り響(ひび)いた。


 この電(でん)話(わ)が鳴(な)る時(とき)は、現(げん)実(じつ)世(せ)界(かい)で「誰(だれ)かの想(おも)いが大(おお)きく溢(あふ)れ出(だ)している」という合(あい)図(ず)だ。


 私(わたし)が受(じゅ)話(わ)器(き)を取(と)って耳(みみ)に当(あ)てると、現(げん)実(じつ)世(せ)界(かい)の雑(ざつ)音(おん)に混(ま)ざって、無(む)数(すう)の人(ひと)の楽(たの)しそうな笑(わら)い声(ごえ)、それから、それを引(ひ)き裂(さ)くような寂(さび)しい泣(な)き声(ごえ)が、砂(すな)嵐(あらし)のようなノイズと共(とも)に聞(き)こえてきた。


「ノア、お仕(し)事(ごと)みたい。現(げん)実(じつ)世(せ)界(かい)とこの境(きょう)界(かい)の狭(はざ)間(ま)で、寂(さび)しがっている記(き)憶(おく)があるわ」


 ノアはしっかりと頷(うなず)き、座(すわ)っていた椅(い)子(す)から立(た)ち上(あ)がった。


 その白(しろ)い衣(い)服(ふく)が、静(しず)かな決(けつ)意(い)で微(かす)かに揺(ゆ)れる。


「行(い)きましょう、番(ばん)人(にん)さん。私(わたし)の本(ほん)が、次(つぎ)の迷(まよ)い子(ご)を呼(よ)んでいるわ」



――現(げん)実(じつ)世(せ)界(かい)、地(ち)方(ほう)都(と)市(し)の片(かた)隅(すみ)にある「廃(はい)遊(ゆう)園(えん)地(ち)」。


 私(わたし)たちは境(きょう)界(かい)の門(もん)を通(とお)り、その場(ば)所(しょ)に降(お)り立(た)った。


 周(しゅう)囲(い)は現(げん)実(じつ)世(せ)界(かい)のはずなのに、何(なに)かがおかしかった。


 空(そら)はどんよりとした灰(はい)色(いろ)に淀(よど)み、空(くう)気(き)は妙(みょう)に生(なま)暖(あたた)かく、まるで誰(だれ)かの「微(び)熱(ねつ)」の中(なか)に迷(まよ)い込(こ)んでしまったかのような、胸(むね)がそわそわする浮(ふ)遊(ゆう)感(かん)があった。


 錆(さび)ついた観(かん)覧(らん)車(しゃ)やメリーゴーランドの足(あし)元(もと)には、まるで重(おも)たい泥(どろ)のような「黒(くろ)い霧(きり)」が濃(こ)く立(た)ち込(こ)めている。


「空(くう)気(き)がお肌(はだ)にまとわりつくみたい……。寂(さび)しさが、ここに溜(た)まってしまっているのね」


 私(わたし)はロングコートの襟(えり)を合(あ)わせ、ランタンの火(ひ)をほんの少(すこ)し強(つよ)くした。


 青(あお)い光(ひかり)が私(わたし)たちの周(しゅう)囲(い)の黒(くろ)い霧(きり)を優(やさ)しく押(お)し返(かえ)すが、霧(きり)の奥(おく)からは、誰(だれ)かに気(き)づいてほしいような、押(お)し殺(ころ)した無(む)数(すう)の気(け)配(はい)を感(かん)じる。


「気(き)を付(つ)けて、番(ばん)人(にん)さん。ここは、ただの嫌(いや)な場(ば)所(しょ)じゃないわ」


 ノアは本(ほん)を胸(むね)に抱(だ)き締(し)めながら、周(しゅう)囲(い)をそっと見(み)回(まわ)した。


「たくさんの人(ひと)の『楽(たの)しかったお思(おも)い出(で)』と、それが終(お)わってしまったことへの『離(はな)れたくないという執(しゅう)着(ちゃく)』が混(ま)ざり合(あ)っているの。この場(ば)所(しょ)が閉(へい)園(えん)した時(とき)の、街(まち)の人(ひと)たちの『もっとここにいたかった』という強(つよ)い愛(あい)着(ちゃく)が、ここで大(おお)きな澱(おり)になっているのね」


 その言(こと)葉(ば)に応(おう)じるように、廃(はい)遊(ゆう)園(えん)地(ち)の奥(おく)から、キィ……キィ……と錆(さび)ついた金(きん)属(ぞく)音(おん)が響(ひび)いてきた。


 黒(くろ)い霧(きり)が中(ちゅう)央(おう)に集(あつ)まり、大(おお)きな形(かたち)を作(つく)っていく。


 それは、かつて子(こ)供(ども)たちを乗(の)せて走(はし)っていたであろう「小(ちい)さな汽(き)車(しゃ)の乗(の)り物(もの)」の形(かたち)をしていた。


 しかし、その車(しゃ)体(たい)からは無(む)数(すう)の黒(くろ)い影(かげ)が植(しょく)物(ぶつ)の蔓(つる)のように伸(の)び、車(しゃ)輪(りん)の代(か)わりに歪(ゆが)んだ文(も)字(じ)の塊(かたまり)が必(ひっ)死(し)に蠢(うごめ)いている。


『おいていかないで』


『もっとあそびたかった』


『どうして、なくなっちゃうの?』


 汽(き)車(しゃ)の周(しゅう)囲(い)に浮(う)かぶ文(も)字(じ)は、子(こ)供(ども)たちの純(じゅん)粋(すい)ゆえに激(はげ)しい、悲(かな)しみの言(こと)葉(ば)だった。


 それらは醜(にく)い怪(かい)物(ぶつ)などではなく、ただ、置(お)いていかれた寂(さび)しさに泣(な)き叫(さけ)ぶ心(こころ)の姿(すがた)そのものだった。


「ノア、あの言(こと)葉(ば)を受(う)け止(と)めるわよ! 準(じゅん)備(び)はいい?」


「ええ、いつでも!」


 ノアが本(ほん)を開(ひら)くと、彼(かの)女(じょ)の指(ゆび)先(さき)から、まばゆい金(きん)色(いろ)の文(も)字(じ)が次々(つぎつぎ)と紡(つむ)ぎ出(だ)された。


 その文(も)字(じ)は、汽(き)車(しゃ)の周(しゅう)囲(い)に渦(うず)巻(ま)く悲(かな)しみの言(こと)葉(ば)たちを、そっと宥(なだ)めるように包(つつ)み込(こ)んでいく。


 しかし、今(こん)回(かい)の想(おも)いは想(そう)像(ぞう)以(い)上(じょう)に重(おも)く、根(ね)が深(ふか)いものだった。


 汽(き)車(しゃ)は「まだここにいたい!」と叫(さけ)ぶような激(はげ)しい地(じ)鳴(な)りを上(あ)げ、ノアの文(も)字(じ)を力(ちから)任(まか)せに弾(はじ)き飛(と)ばした。


 黒(くろ)い霧(きり)の波(なみ)が周(しゅう)囲(い)に吹(ふ)き荒(あ)れ、私(わたし)たちは思(おも)わず足(あし)元(もと)をすくわれそうになる。


「くっ……! 想(おも)いがそれだけ強(きょう)烈(れつ)なのね……!」


「番(ばん)人(にん)さん、言(こと)葉(ば)の表(ひょう)面(めん)だけじゃ抑(おさ)えきれない! もっと、この場(ば)所(しょ)が本(ほん)当(とう)に抱(かか)えている『一(いち)番(ばん)深(ふか)い想(おも)い』を掴(つか)まないと……!」


 ノアの額(ひたい)に、うっすらと汗(あせ)がにじむ。


 彼(かの)女(じょ)の指(ゆび)先(さき)が、感(かん)情(じょう)の重(おも)さに耐(た)えかねて硝(がら)子(す)のように激(はげ)しくきらめき、今(いま)にもパチンと砕(くだ)けてしまいそうだった。


 このままでは、彼(かの)女(じょ)の身(から)体(だ)が人(ひと)々(びと)の強(つよ)い執(しゅう)着(ちゃく)に呑(の)まれてしまう。


(何(なに)か、この心(こころ)を解(と)きほぐすための鍵(かぎ)があるはず。この遊(ゆう)園(えん)地(ち)が、本(ほん)当(とう)にここに遺(のこ)していったものは何かしら?)


 私(わたし)はランタンを掲(かか)げながら、必(ひつ)死(し)に周(しゅう)囲(い)の景(け)色(しき)を目(め)で追(お)った。


 黒(くろ)い霧(きり)の隙(すき)間(ま)から、錆(さび)ついた汽(き)車(しゃ)の車(しゃ)体(たい)に、薄(うす)れて消(き)えかけた「文(も)字(じ)」が見(み)えた。


 それは、かつてこの遊(ゆう)園(えん)地(ち)を作(つく)った人(ひと)、ここで働(はたら)いていた人(ひと)が、訪(おとず)れる人(ひと)々(びと)へ向(む)けて刻(きざ)んだ、古(ふる)い真(しん)鍮(ちゅう)のプレートだった。


「ノア! あの車(しゃ)体(たい)の下(した)に隠(かく)れている文(も)字(じ)を読(よ)んで! あそこに、みんなの想(おも)いの出(しゅっ)発(ぱつ)点(てん)があるわ!」


「わかった……! あっ視(み)える、視(み)えるわ!」


 ノアは群(ぐん)青(じょう)色(いろ)の瞳(ひとみ)を限(げん)界(かい)まで見(み)開(ひら)き、激(はげ)しく暴(あば)れる汽(き)車(しゃ)の足(あし)元(もと)をじっと凝(ぎょう)視(し)した。


 彼(かの)女(じょ)の脳(のう)裏(り)に、かつてこの場(ば)所(しょ)が光(ひかり)に満(み)ち溢(あふ)れ、たくさんの笑(え)顔(がお)で満(み)たされていた頃(ころ)の光(こう)景(けい)が流(なが)れ込(こ)んでいく。


 それは、「終(お)わるのが寂(さび)しい」と思(おも)うほどに、ここで過(すご)した時(じ)間(かん)が幸(しあわ)せだったという、果(は)てしない「愛(いとお)しさ」の記(き)憶(おく)だった。


「……掴(つか)まえた!」


 ノアが叫(さけ)ぶと同(どう)時(じ)に、彼(かの)女(じょ)の本(ほん)から、これまでにないほど優(やさ)しく、ぽかぽかと温(あたた)かい光(ひかり)を放(はな)つ一(いち)連(れん)の文(も)字(じ)列(れつ)が飛(と)び出(だ)した。


「番(ばん)人(にん)さん、これを受(う)け取(と)って! あなたの火(ひ)に!」


「ええ、まかせて!」


 私(わたし)はランタンの蓋(ふた)を開(あ)け、ノアが紡(つむ)いだ「最(さい)後(ご)の言(こと)葉(ば)」を、その青(あお)い炎(ほのお)へと迎(むか)え入(い)れた。


 火(ひ)が勢(いきお)いよく燃(も)え上(あ)がる。


 青(あお)い炎(ほのお)は瞬(しゅん)時(じ)に大(おお)きく膨(ふく)らみ、夕(ゆう)暮(ぐ)れ時(どき)の太(たい)陽(よう)のように、どこか寂(さび)しげでありながらも芯(しん)から温(あたた)かい「茜(あかね)色(いろ)」へと姿(すがた)を変(か)えた。


「――ありがとう、たくさんの思(おも)い出(で)を」


 私(わたし)はノアの言(こと)葉(ば)を自(じ)分(ぶん)の声(こえ)に乗(の)せて優(やさ)しく語(かた)りかけ、突(とっ)進(しん)してくる巨(きょ)大(だい)な汽(き)車(しゃ)を迎(むか)え撃(う)つように、茜(あかね)色(いろ)の炎(ほのお)の光(ひかり)を毅(き)然(ぜん)と掲(かか)げた。


 光(ひかり)が汽(き)車(しゃ)を柔(やわ)らかく包(つつ)み込(こ)む。


 次(つぎ)の瞬(しゅん)間(かん)、激(はげ)しい地(じ)鳴(な)りは嘘(うそ)のように止(や)み、遊(ゆう)園(えん)地(ち)全(ぜん)体(たい)を包(つつ)んでいた生(なま)暖(あたた)かい微(び)熱(ねつ)は、一(いっ)気(き)に清々(すがすが)しい秋(あき)の夜(よ)風(かぜ)のような涼(すず)しさへと変(か)わっていった。


 黒(くろ)い霧(きり)はサラサラと崩(くず)れ落(お)ち、そこから無(む)数(すう)の光(ひかり)の粒(りゅう)子(し)が舞(ま)い上(あ)がる。


 それは、ここで泣(な)いていた「もっと遊(あそ)びたかった」という執(しゅう)着(ちゃく)が、本(ほん)来(らい)の「楽(たの)しかった」という純(じゅん)粋(すい)な思(おも)い出(で)に戻(もど)った姿(すがた)だった。


 それらは空(そら)へと昇(のぼ)り、淀(よど)んでいた灰(はい)色(いろ)の空(そら)を、満(まん)天(てん)の星(ほし)空(ぞら)へと変(か)えていく。


 大(おお)きな汽(き)車(しゃ)は姿(すがた)を消(け)し、そこにはただ、小(ちい)さな、古(ふる)びたおもちゃの汽(き)車(しゃ)だけが、ぽつんと地(じ)面(めん)に残(のこ)されていた。


「……終(お)わったわね、ノア」


 私(わたし)は深(ふか)く息(いき)を吐(は)き出(だ)し、茜(あかね)色(いろ)から元(もと)の静(しず)かな青(あお)へと戻(もど)ったランタンを見(み)つめた。


「ええ。とても温(あたた)かい言(こと)葉(ば)だった。寂(さび)しかったのは、それだけあの場(ば)所(しょ)が大(だい)好(す)きだったからなのね」


 ノアはそっと歩(あゆ)み寄(よ)り、地(じ)面(めん)に残(のこ)されていたおもちゃの汽(き)車(しゃ)を優(やさ)しく拾(ひろ)い上(あ)げた。


 その表(ひょう)情(じょう)には、激(はげ)しい戦(たたか)いの後(あと)だというのに、誰(だれ)かの大(たい)切(せつ)な宝(たから)物(もの)を守(まも)り抜(ぬ)いたような穏(おだ)やかさがあった。


 彼(かの)女(じょ)が開(ひら)いている本(ほん)を見(み)ると、新(あたら)しく調(ちょう)律(りつ)された遊(ゆう)園(えん)地(ち)の記(き)憶(おく)が、美(うつく)しい黄(おう)金(ごん)の文(も)字(じ)でしっかりと刻(きざ)まれていた。


「この街(まち)の人(ひと)たちの想(おも)いは、もう大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)。形(かたち)のある場(ば)所(しょ)がなくなっても、胸(むね)の中(なか)の楽(たの)しかった記(き)憶(おく)は、消(き)えずに残(のこ)り続(つづ)けるわ」


 ノアは誇(ほこ)らしげに、けれど優(やさ)しく微(ほほ)笑(え)んだ。


 その姿(すがた)は、昨(さく)夜(や)出(で)会(あ)ったばかりの儚(はかな)げな少(しょう)女(じょ)ではなく、人(ひと)の心(こころ)に寄(よ)り添(そ)う「灯(とも)し火(び)の番(ばん)人(にん)」の頼(たの)もしいパートナーそのものだった。


「帰(かえ)りましょう、ノア。私(わたし)たちの灯(とう)台(だい)へ」


「ええ、番(ばん)人(にん)さん。なんだかお腹(なか)が空(す)いちゃった。灯(とう)台(だい)に戻(もど)ったら、何(なに)か美(お)味(い)しいものでもあるかしら?」


「ふふ、簡(かん)単(たん)なものなら、私(わたし)が作(つく)ってあげるわ」


 私(わたし)たちは背(せ)を向(む)け、再(ふたた)び境(きょう)界(かい)の門(もん)へと歩(ある)き出(だ)した。


 背(はい)後(ご)では、新(あたら)しく調(ちょう)律(りつ)された美(うつく)しい星(ほし)空(ぞら)が、私(わたし)たちの去(さ)り行(ゆ)く道(みち)を静(しず)かに照(て)らしてくれていた。


 孤(こ)独(どく)だった私(わたし)の旅(たび)路(じ)に、ノアという確(たし)かな光(ひかり)が加(くわ)わった。


 誰(だれ)かの寂(さび)しさや、割(わ)り切(き)れない想(おも)いは、これからも世(せ)界(かい)に溢(あふ)れ続(つづ)けるだろう。


 けれど、それらは決(けっ)して醜(にく)い悪(わる)者(もの)などではない。


 彼(かの)女(じょ)の綴(つづ)る文(も)字(じ)と、私(わたし)の灯(とも)し火(び)があれば、どんな深(ふか)い闇(やみ)の底(そこ)からでも、その愛(いとお)しい想(おも)いをすくい上(あ)げ、静(しず)かに抱(だ)きしめることができるのだから。


 現(げん)実(じつ)世(せ)界(かい)の微(び)熱(ねつ)を後(あと)にしながら、私(わたし)たちは自(じ)分(ぶん)たちの愛(いとお)しい我(わ)が家(や)へと還(かえ)っていく。


 二(ふた)人(り)の番(ばん)人(にん)が紡(つむ)ぐ物(もの)語(がたり)は、まだ始(はじ)まったばかりだった。



第(だい)3話(わ)へ続(つづ)く。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。