七章 大国主 七話 筑紫再侵攻
西暦百九十六年。
倭国大乱から七年の歳月が流れていた。
かつて飢えに苦しみ、明日の食糧さえ見通せなかった出雲の地にも、ようやく穏やかな季節が戻り始めていた。水路には絶えず水が流れ、荒れ果てていた田には再び青々とした稲が並び、決壊していた堤も築き直され、新たに拓かれた農地では老若男女を問わず多くの民が汗を流している。
倭国大乱の最中、出雲は幾度となく滅亡の淵へ追い込まれた。長く続いた寒冷化によって作物は実らず、川の氾濫が残された田畑まで押し流し、食糧を求めて始めた戦は多くの兵を奪い、働き手を失った村々を衰退させた。
須佐之男王が亡くなり、筑紫から兵が引き揚げた後も、出雲に残されていたのは勝利の栄光などではなかった。空になった倉、耕す者を失った田、夫や息子の帰りを待ち続ける家族、そして国中に漂う深い疲労と絶望だけであった。
その出雲を立て直したのが、大名持である。
大名持は宮に籠もって命令を下すだけの王ではなく、夜明けとともに田へ出て民と共に土を耕し、水路を掘る時には自ら鍬を握り、堤を築く時には土を詰めた籠を肩に担いだ。
川の流れを読み、水をどこへ導けば田が潤うのかを考え、土地ごとに育ちやすい作物を選び、青銅や鉄を扱う職人たちのもとにも足を運んでは、農具の形や刃の厚さについて意見を交わした。
食糧が不足すれば宮の倉を開き、働き手を失った家があれば周囲の家々に助け合うよう頼み、父母を失った子供には宮に住ませ仕事を与え、戦で身体を損なった者にも、それぞれができる仕事を用意した。
大名持が最初に手をつけた水路は、やがて幾つもの村へ枝分かれして乾いていた土地を潤し、放棄されていた田には稲が戻り、山裾には粟や豆が植えられた。洪水に苦しめられていた集落には堤が築かれ、海辺には新たな船着き場と倉が造られていった。
もっとも、成果が現れるまでには長い年月が必要であり、すぐに豊かになったわけではない。築いた堤が大雨で崩れ、掘った水路が土砂で埋まることもあれば、せっかく育てた稲が冷害によって実らず、冬を越すために再び食糧を切り詰めなければならない年もあった。
それでも大名持は諦めず、崩れたなら築き直し、埋まったなら掘り返した。失敗した土地では作物を変え、収穫の多かった村の方法をほかの地域へ広めながら、自ら考え、自ら動き、民にも繰り返し語りかけた。
「すぐに昔のようには戻らないだろう」
大名持は土に汚れた手で鍬を握りながら、集まった民へ静かに告げた。
「けれど、一つずつ直していけばいい。水路を一本通し、田を一枚増やし、来年のための種を残す。今日できることを、今日やろう」
その言葉は勇ましくもなく、神託のような神秘性もなかったが、民の前で誰よりも働き続ける大名持の言葉には、誰もが信じられるだけの重みがあった。
次第に、大名持の後ろには多くの者が続くようになった。それは農民だけではなく、鉄を打つ者、土器を焼く者、船を造る者、山から木を切り出す者、海へ漁に出る者たちであり、かつては互いの利益だけを考えていた豪族たちも、大名持のもとで出雲を立て直すために力を貸し始めた。
そうして七年が過ぎ、倉には再び穀物が蓄えられ、村々を結ぶ道には人と荷車が行き交うようになった。港には交易船が入り、出雲で作られた鉄器や農具が周辺の国々へ運ばれ、かつて他国から食糧を奪わなければ生き残れなかった国は、いまでは鉄器や作物を他国へ送り出すまでに回復していた。
出雲の復興は周辺の国々にも知れ渡り、大名持は、滅びかけた国を再び立ち上がらせた者、荒れた大地に水を通し、飢えた民に食を与えた者、戦によらず鍬と知恵によって国を救った王として知られるようになった。
いつしか民は、敬意を込めて大名持を別の名で呼ぶようになっていた。
――大国主様。
大いなる国の主。
その呼び名は宮が定めたものでも、大名持自身が望んだものでもなく、田を耕す農民の口から生まれ、職人や商人へ広がり、やがて出雲の外にまで伝わっていったのである。
「大国主様が水路を通してくださった」
「大国主様のおかげで、今年は冬を越せる」
「大国主様がおられる限り、出雲はもう飢えぬ」
そのような声を耳にするたび、大名持は困ったように笑った。
「国を立て直したのは、私一人ではないよ」
大名持は何度もそう言った。
「田を耕した者がいて、水路を掘った者がいて、鉄を打った者がいた。皆が働いたから、ここまで戻ってこられたんだ」
だが、民は知っていた。誰もが明日を諦めかけていた時、最初に鍬を握ったのが誰であったのか。誰も責任を負いたがらなかった時、失敗のすべてを自ら引き受けたのが誰であったのか。そして飢えた者に自分の食事を分け、疲れ果てた者の隣で最後まで働き続けたのが誰であったのかを。
大名持が自ら認めなくとも、民にとって彼はすでに大国主であった。
出雲の王となった大国主の存在を、八島士奴美は苦々しく思っていた。
かつて八千矛がまだ一人の少年に過ぎなかった頃、八島士奴美は彼を明らかに自分より下の人間として扱っていた。鉄器を作らせ、完成した品を自ら須賀の宮まで運ばせる。逆らうこともできず黙々と働く姿を見て、八千矛が自分と肩を並べる日が来るなど考えたこともなかった。
だが、その少年は須勢理を娶って須佐之男の一族に加わり、やがて同じ軍を率いる将となった。遠征では戦果を挙げ、出雲へ戻ってからは荒れた田畑を拓き、水路を引き、堤を築き、飢饉に沈んだ国を立て直していった。
八島士奴美が父の名と武威に縋っている間にも、八千矛は民の中へ入り、自ら泥にまみれて働き続けた。その積み重ねによって人望を集め、ついには大名持の地位を継ぎ、誰もが認める出雲の王となったのである。
かつて見下していた者が、自分を追い越した。
その事実を、八島士奴美はどうしても受け入れられなかった。
いまや須賀の宮において、八島士奴美は須佐之男王の遺志を継ぐ者を自称し、父を慕う豪族や武人たちを集めて須佐之男派を形成していた。大国主を支持する者たちとは明確に距離を置き、宮中でも事あるごとに対立した。
しかし、その勢力は以前ほど強くはなかった。
出雲を飢饉から救い、田畑を広げ、民の暮らしを安定させたのは大国主である。豪族たちも、兵たちも、そして何より民衆が、その働きを知っていた。父の威光や過去の戦功を語るだけでは、大国主が築いた実績には及ばない。
八島士奴美も、それを理解していた。
内政で競ったところで、差はすでに開きすぎている。いまさら田を拓き、水路を整えたところで、大国主の後を追ったと見られるだけである。国を豊かにすることで人心を奪い返すことは、もはや難しかった。
須佐之男派の勢いを取り戻すには、別の成果が必要だった。
誰の目にも明らかで、大国主には成し遂げられぬほど大きな成果が。
そこで八島士奴美は、須佐之男王の仇を討つという大義を掲げ、再び筑紫へ兵を向けようと画策した。戦で目覚ましい成果を挙げれば、失われつつある須佐之男派の威勢を取り戻し、出雲国内における自らの影響力も再び高められると考えたのである。
当然ながら、その出兵には大国主をはじめとする国内の主流派から強い反対意見が相次いだ。ようやく飢饉と戦乱から立ち直り始めた今、再び多くの兵と物資を筑紫へ送り出すなど、出雲を再び疲弊させるだけだというのである。
協議は幾度となく開かれたが、両者の意見が交わることはなく、いたずらに年月だけが過ぎていった。
しかし八島士奴美は、その間も出兵を諦めてはいなかった。
須佐之男派の豪族たちに命じて鉄製の武器を作らせ、各地から兵を募り、密かに練兵を重ねていく。海を渡るための船も次々と建造され、港には出陣の日を待つ軍船が少しずつ姿を増していった。
彼ら須佐之男派は、そもそも大国主の王位を心から認めてはいなかった。
父の天之冬衣から大名持の地位を継いだとはいえ、大倭壱国と血の繋がりを持たぬ八千矛が出雲の王として振る舞うことを、須佐之男の一族に連なる者たちは快く思っていなかったのである。彼らにとって出雲の正統な主は、あくまで須佐之男王であり、その意志を受け継ぐ自分たちであった。
そのため、八島士奴美たちは大国主派の制止を意に介さず、独自に軍備を整え続けた。
大国主も、ただ黙って見過ごしていたわけではない。
だが八島士奴美を捕らえ、須佐之男派を力で抑え込もうとすれば、出雲は二つに割れる。須佐之男を今なお崇める豪族や武将は多く、強引な処断はそのまま内戦へ発展しかねなかった。
長い年月をかけ、ようやく田畑を戻し、水路を整え、民の暮らしを立て直したのである。その出雲を、今度は同じ出雲の者同士で荒らすわけにはいかなかった。
大国主は苦渋の末、八島士奴美たちの動きを黙認するしかなかった。
その間にも須佐之男派の豪族や武将たちは、独自に兵を差し出し、武器を集め、船を提供していった。準備はもはや一派だけの私闘として片づけられる規模ではなくなり、王である大国主の命だけでは止められないほどに膨れ上がっていた。
西暦百九十九年。
三年の歳月が流れた。
八島士奴美はその間も歩みを止めなかった。須佐之男派の豪族たちから鉄と食糧を集め、兵を募り、船を造らせた。各地から集まった兵は繰り返し調練を受け、港には大小の軍船が隙間なく並ぶようになっていた。
もはや単なる一派の独断で片づけられる規模ではなかった。
大国主派は最後まで出兵に反対した。ようやく立ち直り始めた出雲を、再び戦へ引き戻すべきではない。筑紫へ攻め込んだところで、得られるものより失うものの方が大きい。何度も協議が開かれ、何度も中止を求める声が上がった。
しかし八島士奴美は聞き入れなかった。
「父上の戦は、まだ終わっておらぬ」
須佐之男の志を継ぐという言葉のもと、八島士奴美は大国主派の反対を押し切り、ついに出兵を決行した。
倭国大乱が始まってから、十年。
出雲の港に、出征を告げる角笛が響き渡った。
軍船には武装した兵が次々と乗り込み、岸では家族たちが不安げな顔で見送っている。やがて先頭の船が岸を離れると、後続の船も一隻、また一隻と帆を上げた。
八島士奴美率いる出雲軍は、再び筑紫へ向かった。
大国主は港には姿を見せなかった。
出征を認めたわけでも、八島士奴美の決断を支持したわけでもない。見送りに立てば、それだけで王が戦を祝福したと受け取られるだろう。
それでも、船に乗っている者たちは出雲の民だった。
大国主は港から離れた丘に立ち、遠ざかっていく船団を見つめていた。
海上を埋めていた船影は、ひとつずつ小さくなっていく。やがて帆の先まで水平線の向こうへ消えても、大国主はその場から動かなかった。
見送ることはしなかった。
ただ、帰ってくることだけを願っていた。




