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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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六章 倭国大乱 七話 三輪山動乱

 近畿一帯には、三輪山を中心とする勢力と並び立つ、もう一つの大勢力が存在していた。

 中部地方、熱田を本拠とする尾張の諸国である。


 熱田の首長・尾張壱彦が治める領域は、豊かな平野と深い山々、良港に恵まれた海を併せ持つ、倭でも指折りの豊かな土地だった。穀物は実り、木材や海産物にも不足はない。だが、その繁栄には一つだけ大きな欠けたものがあった。


 鉄である。


 当時、鉄の流通は筑紫を中心に行われており、遠く離れた熱田まで十分な量が届くことは稀だった。そのため、農具も工具も武具も慢性的に不足し、領内の発展を妨げる大きな要因となっていた。


 尾張壱彦は鋤の刃を手に取った。木や石とは違う重みが、掌にずしりと沈む。この刃が百、千と領内に行き渡れば、どれほどの田が拓けるか……その想像だけで、胸の奥が熱くなる。


 この時代、鉄とは単なる金属ではない。農業、土木、軍事、そのすべてを左右する、国力そのものを支える最重要の資源だった。




 ある日、その熱田を訪れたのが壱岐を治める月読だった。彼は船いっぱいに積んだ鉄を携え、交易を願い出る。


 そこに並べられていたのは、筑紫から運ばれた鉄剣や鉄槍、鋤や鍬などの鉄製農具だった。鈍く光る鉄器を前に、熱田の首長・尾張壱彦は思わず目を見張る。


「これほどの量を……」


 驚きを隠せない尾張壱彦に、月読は穏やかな笑みを浮かべた。


「今後も優先して鉄をお届けいたしましょう。ただし、その代わりに一つお願いがございます」


 尾張壱彦が無言で続きを促すと、月読は地図を広げ、その一点を静かに指差した。


「近畿の三輪山へ兵をお出しください。現在、三輪山の主は筑紫へ出陣しており、本拠は手薄になっております。もし三輪山を手中に収められたなら、その支配は尾張氏のものとして、大倭壱国連合が正式に認めることをお約束いたします」


 静まり返った室内で、尾張壱彦は並べられた鉄器と地図を何度も見比べ、提示された条件の重さを噛みしめるように深く思案するのだった。


 尾張壱彦の胸には、長年抱き続けてきた野望があった。己の支配地を倭一豊かな国へ育て上げ、やがては倭国最大の勢力となること。そのためには鉄を安定して手に入れられる地が必要だった。三輪山を手中に収めれば、鉄の流通を押さえ、周辺諸国に対して圧倒的な優位を築くことができる。そうなれば、倭を治める覇者の座も決して夢ではない。


 尾張壱彦はしばらく地図を見つめたまま考え込んでいたが、やがて静かに顔を上げた。


「……よかろう」


 その一言で評定の空気が一変する。尾張壱彦は居並ぶ家臣たちを見渡し、力強く命じた。


「全軍に戦支度を命じよ。三輪山へ進軍する」

「はっ!」


 家臣たちは一斉に頭を下げると広間を飛び出し、ほどなく法螺貝が各地に鳴り響いた。兵が招集され、武具や兵糧が次々と運び出される中、尾張の軍勢は迅速に出陣の準備を整え、三輪山へ向けて進軍を開始した。


 月読は船へ向かいながら一度だけ振り返り、かすかに口元を緩めた。


「踊っていただきましょう。舞台が崩れる、その時まで」


挿絵(By みてみん)


 その呟きは潮風に乗って消えていく。


 月読には分かっていた。尾張壱彦は確かに野心に富んだ優れた為政者だが、邇芸速日とは見ている景色が違う。邇芸速日は目先の勝敗ではなく、その先の国の行く末まで見据えて策を巡らせる男であり、尾張壱彦はいずれ勝利への欲望に囚われ、自ら破滅への道を歩むだろうと確信していた。


 この交渉の目的は熱田を勝たせることではない。ただ、邇芸速日を筑紫の戦場から引き離すことだけで十分だった。役目を終えた駒が、その後どうなろうと月読には何の興味もなかった。




 両国は険しい山々を境として対峙していたため、大軍同士が激突することは稀だった。しかし、山中の狩場を巡る争いは繰り返され、互いに一歩も譲らぬ対立が続いた。その結果、人の往来は途絶え、交易も久しく行われていなかった。


 熱田軍は正面決戦を避け、一つの大軍として進撃することはなかった。数十人から百人ほどの小部隊を各地へ散開させ、山道を越えて村々へ現れては食糧や物資を奪い、火を放って姿を消す。


 長髄彦は報せを受けるたび兵を率いて各地へ駆けつけたが、到着した時には敵はすでに山中へ退いていることがほとんどだった。追撃を試みても、険しい山々は熱田兵の庭のようなもので、狭い獣道へ逃げ込まれてしまえば捕捉は極めて難しい。


 一つの村を守れば別の村が襲われる。兵を分散すれば各個撃破の危険が増し、一か所へ集めれば他の集落が略奪される。長髄彦は敵の思惑どおり各地を奔走させられ、確かな勝利を得られないまま防戦を強いられていた。


長髄彦は険しい表情のまま宮へ戻ると、安日彦の前で深く頭を下げた。


「兄上……また逃げられました」


悔しさを滲ませる弟の報告を聞いた安日彦は、腕を組んだまましばらく地図を見つめ、やがて静かに口を開いた。


「……長髄彦。この侵攻、あまりにも出来すぎているとは思わぬか。交流も交易も絶えて久しい熱田が、なぜ邇芸速日様が筑紫へ出陣し、三輪山が最も手薄になったこの時を狙ったように攻め込んできた」


長髄彦は言葉を失い、地図へ視線を落とす。


「出来すぎている……まさか」


「偶然とは思えぬ。誰かが熱田を動かしたのだ」


その一言で長髄彦もすべてを悟った。


「大倭壱国連合……」


安日彦は静かに頷く。


「その可能性が最も高い。熱田は表に立っただけで、本当の狙いは邇芸速日様を筑紫の戦場から引き離すことではないか」


長髄彦は苦々しく息を吐き、ゆっくりと頷いた。


「……確かに。そう考えれば、すべて辻褄が合います」


 邇芸速日の不在を狙った侵攻であり、筑紫から引き離す策であることを理解した上で、安日彦は静かに口を開いた。


「邇芸速日様へ使者を送り、お戻りいただこう」


 長髄彦は腕を組み、不満そうに眉をひそめる。


「この程度の敵なら、我らだけで十分に対処できる。邇芸速日様のお手を煩わせるほどではない」


 しかし、安日彦はゆっくりと首を横に振った。


「問題は敵の強さではない」


 その一言に、長髄彦は黙って耳を傾けた。


「我らが誰に仕える者なのか、そのことを忘れてはならぬ」


 安日彦は静かな口調のまま続ける。


「出雲の須佐之男王でも、大倭壱国の女王日巫女でもない。我らが信じる主は、邇芸速日様お一人だけだ」


 長髄彦の表情から険しさが消えていく。


「邇芸速日様は、この地を豊かにし、人々に鉄をもたらし、田を広げ、争いを治めてくださった。あのような聡明な方を他に知らぬ」


 安日彦は真っ直ぐ弟を見据えた。


「その主君を、いつまでも筑紫の戦場へ縛りつけておく理由はない」


 しばらくの沈黙の後、長髄彦は深く頷いた。


「……その通りだ。我らの主は邇芸速日様だ」


「今回の侵攻は、帰還していただくには十分な理由になる。」


「すぐに使者を出そう。」


 長髄彦は力強く頷いた。


「承知した。必ず邇芸速日様を、この三輪山へお迎えする。」


 安日彦は広げられた地図から視線を上げ、長髄彦へ静かに告げた。


「これより先、山へ逃げた敵を追うことは禁ずる。我らが踏み込めば、地の利を知る敵の待ち伏せを受けかねぬ。守るべきは民と国土だ。山から出てきた敵だけを確実に撃退すればよい」


 長髄彦はなお食い下がろうとしたが、兄の冷静な判断にしばらく考え込んだ末、大きく頷いた。


「……承知した。功を焦らず、里へ現れた敵だけを討つ」


 その日のうちに使者が選ばれ、三輪山の現状を知らせるための早船が、追い風を受けながら筑紫へ向けて静かに出航した。


 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 日本神話や古代史に残された伝承をもとに、「神とは何だったのか」「国はどのように生まれたのか」という問いを、自分なりの解釈で物語として描いている作品です。


 歴史として語られる出来事と、神話として語り継がれる伝承。その境界には、今では失われてしまった多くの人々の営みや想いがあったのではないか。そんな想像を膨らませながら執筆しています。


 少しでも面白いと感じていただけましたら、感想や評価、ブックマークなどで応援していただけると励みになります。


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