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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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一章 徐福伝説 七話 野心

 紀元前二百八年 秋。


 熊野へ根を下ろしてから二年半が過ぎていた。

 山々は紅や黄金に色づき、村の周囲に広がる田畑では収穫の最盛期を迎えていた。重たく実った稲穂は頭を垂れ、人々は鎌を手に忙しく田を行き来している。徐福がもたらした農耕技術と灌漑設備は確かな成果を上げ、新たに開墾された田畑からは十分な収穫が得られたことで、倉には米や粟が豊かに蓄えられていた。


 海では漁船が魚を運び、山では薬草や木材が集められ、熊野の集落はもはや流れ着いた者たちが身を寄せ合う仮の居住地ではなく、一つの町として着実な成長を遂げつつあった。

 だが、その発展を眺める徐福の胸中は穏やかではなかった。


 館の一室では、徐福が机上に広げた地図を静かに見つめていた。

 机上の地図には筑紫や四国、さらに東方の海岸線までが描き込まれており、その上にはこれまで送り出した探索隊の航路が幾筋もの線となって記されていた。

 しかし、その多くは帰還することはなかった。

 いくつもの航路が途中で途絶えている様子を見つめながら、徐福は誰もいない部屋で小さく呟いた。


「まだ戻らぬのか……」


 二年前から各地へ送り出した探索船の多くは帰還していなかった。嵐に呑まれたのか、新天地へ定住したのか、それとも現地勢力との争いに巻き込まれたのか。その理由は分からない。だが確かなのは、徐福が自由に使える人員も船も少しずつ失われているという事実だった。


 始皇帝から託された使命は、不老長寿の霊薬を探し出すことだった。しかし成果は得られないまま年月だけが過ぎ、徐福の胸には焦燥が積み重なっていた。


 さらに徐福の胸には、側近たちにさえ明かしていない願望があった。もし不老長寿が実在するなら、それは始皇帝へ献上するためのものではない。


 熊野はわずか二年余りで一つの邑へと成長した。人々は徐福の指示に従い、田を開き、水路を築き、船を造った。始皇帝の命令を待たずとも、自らの知識だけで国は発展する。


 その事実が徐福の胸に危うい確信を芽生えさせていた。

 悠久の時を手にした者こそが、この国々を統べる資格を得る。いつしか徐福の胸には、臣下としてではなく王として生きる未来図が描かれていた。


 誰もいない部屋に漏れた呟きは静寂の中へ溶けていった。その瞳には、もはや始皇帝の臣下ではなく、一人の支配者として未来を見据える光が宿っていた。




 重苦しい思索に沈む徐福とは対照的に、その頃の漣と那岐は村外れの川で穏やかな時間を過ごしていた。

 秋晴れの空の下、漣と那岐は村外れの川で並んで釣り糸を垂れていた。川面には赤く染まった木々が映り、風が吹くたびに落葉が流れていく。

 やがて那岐の竿がしなり、一匹の魚が銀色の飛沫を上げた。


「ずるいなあ。那岐ばっかり釣れるじゃない」


 漣が頬を膨らませると、那岐は魚を籠へ入れながら肩をすくめた。


「俺の方が上手いからな」

「その言い方が腹立つんだって」


 二人は顔を見合わせて笑った。川のせせらぎだけが静かに流れる沈黙も、幼い頃から共に過ごしてきた二人には心地よいものだった。


 しばらく沈黙が続いた後、漣がふと思い出したように口を開いた。


「ねえ、那岐。もし故郷へ帰れなくなったとしても、わたしは案外平気かもしれない」


 那岐が不思議そうに視線を向けると、漣は川面を見つめたまま静かに続けた。


「帰れなくても……わたしは平気かもしれない」

「どうして?」

「だって今の暮らしも好きだから」


 そう答えたものの、それだけではない思いが胸の奥から込み上げてくる。漣は少しためらうように唇を結び、


「それに……那岐もいるし」


 言葉が口をついて出た瞬間、漣は自分でもその意味に気づき、慌てたように視線を逸らした。頬に集まる熱を隠そうとしても、うまくいかなかった。那岐もまた意外そうに目を瞬かせたが、否定することなく静かに川面へ視線を戻す。


「へ、変な意味じゃないよ?」

「俺も同じだ」


 那岐は川面に視線を向けたまま答えた。その声には気負いも照れもなく、ただ当たり前の事実を口にするような自然さがあった。


「帰れなくてもいい。漣がいるなら、それで十分だと思う」


 那岐が何気ない口調でそう言うと、漣は返す言葉を失った。川面を渡る風が二人の間を吹き抜けるが、先ほどまで自然に続いていた会話はどこかぎこちなく途切れ、思わず顔を見合わせた二人は気恥ずかしさに視線を逸らした。その耳だけが夕焼けに染まったように赤くなっている。


 気まずさを紛らわせるように、那岐は川へ視線を向けたまま話題を変えた。


「いつか家を建てたいな」


 漣が不思議そうに首を傾げる。


「家?」

「ああ。二人だけの家だ」

「そ、それって……」


 那岐は苦笑しながら続けた。


「徐福様や方士たちみたいになりたいんだ」

「先生になるの?」


 漣が目を丸くすると、那岐は少し照れたように笑った。


「ああ。文字や知識を教える人になりたいんだ。徐福様たちみたいに、人に何かを残せる人になれたらと思う」


 漣は嬉しそうに目を輝かせた。


「わたしもなりたい」

「漣も?」

「うん。薬草や医術を学んで、病気の人を助けられる人になりたい」


 二人はその後も夕暮れまで未来について語り合った。知識を伝える者になりたい那岐と、人を癒やす者になりたい漣。その夢はいまだ遠く手の届かない場所にあったが、胸の中ではすでに確かな輪郭を結び始めていた。



 数日後、その穏やかな日々を破るように見張り台の鐘が鳴り響いた。港は瞬く間に騒然となり、「探索船が戻ったぞ!」という声が海辺に広がる。

 鐘の音に導かれるように人々が海辺へ集まると、沖合には長い航海の痕跡を刻んだ一隻の船が姿を現していた。

 徐福が港へ駆けつけると、船から降りてきた男たちは皆、長い航海の疲労を全身に刻んでいた。しかし、その顔には疲れを上回る興奮が浮かび、何か重大な発見を持ち帰ったことを物語っていた。

 疲労を滲ませながらも興奮を隠しきれない隊長の様子を見て、徐福はただちに問いかけた。


「何があった」


 徐福が鋭く問いかけると、隊長は深く頭を下げた。


「東方の探索中、大きな山についての伝承を耳にしました」

「大きな山?」

「はい。雲を突き抜けるほど高い霊峰です。その麓には不老長寿の霊薬にまつわる伝承が残されているとのことです」


 徐福の瞳が鋭く光った。


「山の名は」

不死山ふしざん


 不死山、その二文字を聞いた瞬間、徐福は息を呑んだ。長年探し続けた蓬莱山。数え切れぬ失望の果てに、初めて現れた確かな手掛かりだった。これまで耳にしたどの報告よりも強く彼の心を惹きつけた。

 徐福は高鳴る鼓動を押さえながら即座に命じた。


「準備を整えよ。我々は東へ向かう……蓬莱山へ」


 徐福の命令を受けて方士たちは慌ただしく準備に取り掛かり、漣と那岐もまた遠征隊へ加わることになった。

 東方への旅は、新たな希望と数多の試練を運んでくる。そしてその先で、徐福の野望と漣たちの運命は大きく動き始めることになる。

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