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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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四章 出雲王国 十二話 出雲統一

 それから三年の歳月が流れていた。

 春の穏やかな陽光が出雲の海を照らす中、沖合には六隻の船がゆっくりと港へ向かっていた。先頭を進む三隻は壱岐の船、続く三隻は大倭壱国やまといちこくの船であり、帆にはそれぞれの紋が掲げられ、甲板には武装した兵たちの姿が並んでいる。護衛兵は合わせて二百名。単なる訪問ではなく、大倭壱国が国家として送り出した正式な使節団であることを誰の目にも示していた。


 港には早朝から大勢の人々が集まっていた。

 大倭壱国が姫を送り、出雲王国と婚姻同盟を結ぶ……その知らせはすでに出雲中へ広がっている。それは単なる婚礼ではなかった。須佐之男の新政権と古くから出雲を治めてきた天之冬衣あめのふゆきぬの一族を結び付けるものであり、長く続いた対立に終止符を打つ歴史的な婚姻だった。


 やがて船が接岸し、最初に姿を現したのは月読だった。

 三十一歳となった月読は、父の那岐によく似た整った顔立ちを残しながらも、一国の主としての威厳を身に纏っている。その後ろから現れた少女の姿に、港へ集まった人々は思わず息を呑んだ。


 田心姫たきりひめだった。

 幼かった面影はすでに薄れ、白い衣を纏ったその姿には巫女としての気品と王族としての風格が備わっている。落ち着いた足取りで桟橋を歩く様子は、多くの人々の視線を自然と集めていた。


 これから会う天之冬衣。これから暮らす出雲。

 田心姫は静かに前を見つめる。


挿絵(By みてみん)


 自らの婚姻によって結ばれるのは、二人の男女だけではない。出雲と大倭壱国、そしてその先にある未来だった。


 父や祖父、そして日巫女が願う未来のために、田心姫は静かに息を吸い込み、決意を胸に前を向いた。

 一行はその覚悟を胸に、天之冬衣の館へ向かうのだった。




 出雲でも有数の規模を誇る館の前には、多くの家臣や従者たちが整然と並び、今日の婚姻が単なる祝儀ではなく、出雲の未来を左右する重要な儀式であることを物語っていた。


 正門には天之冬衣が正装で立っている。三年前に那岐と初めて対面した頃の冬衣は、余所者である須佐之男に国を奪われた屈辱と出雲王としての誇りから、その反発を隠そうともしなかった。しかし今、その表情にかつての険しさはなく、長い葛藤の末に自らの役目と出雲の未来へ向き合う覚悟を定めた者の落ち着きがあった。


「よくお越しくださいました」


 冬衣が那岐と月読へ深く頭を下げると、那岐は穏やかに微笑みながら隣に立つ少女へ視線を向けた。


「こちらが田心姫です」


 紹介を受けた田心姫は一歩前へ進み出る。艶やかな黒髪を結い上げたその姿にはまだ少女らしさが残っていたが、その瞳には自らの婚姻が出雲の未来を左右することを理解した強い意志が宿っていた。

 那岐は集まった人々へ向けて静かに告げる。


「この子は、もはや壱岐の姫ではありません。日巫女の養女として迎えられた、大倭壱国の姫です」


 その言葉に館の空気がわずかに張り詰めた。

 冬衣はその意味を誰よりも理解していた。これは単なる婚姻ではない。大倭壱国が自分の血筋と立場を認め、その面目を守る形で姫を送ってきたのである。かつて抱いた屈辱も反発も、この瞬間にはすでに過去のものとなっていた。

 冬衣はゆっくりと頭を下げた。


「ありがたき光栄にございます」


 その声に偽りはなかった。


 やがて館の広間では婚姻の儀が執り行われ、祝詞が奏上される中で田心姫と冬衣は夫婦の契りを交わした。出雲王国の大名持と、大倭壱国の姫との結びつきは、一組の男女の婚姻にとどまらず、両国を結ぶ盟約そのものでもある。


 こうして田心姫は冬衣の妻となり、長く続いた対立と隔たりは終わりを迎え、出雲統一に向けた最後の礎が築かれるのであった。




 夜になると、冬衣の館では盛大な宴が催された。

 広間には無数の灯火が並び、卓には海の幸や山の幸が所狭しと並べられている。楽人たちの奏でる音色が響き、人々の笑い声と酒宴の賑わいが絶えることはなかった。


 その広間の一角で、那岐、月読、冬衣の三人は静かに杯を交わしていた。

 しばらくは婚姻の儀を無事終えられたことや、出雲の近況について語り合っていたが、やがて月読が杯を傾けながら苦笑する。


「まさか私が娘を嫁に出す日が来るとは思いませんでした。三年前に父上から話を聞いた時は反対したものですが、こうして本当にその日が来ると不思議な気持ちになります」


 その言葉に冬衣が視線を向ける。


「やはり寂しいものか」

「ええ。田心姫は立派に育ちましたし、この婚姻が大切なものだということも理解しています。それでも父親というのは勝手なもので、幼い頃の姿ばかり思い出してしまうのです」


 月読は少し照れたように笑った。


「田心姫を甘やかしすぎだと、父上や姉上にはよく笑われたものですが、こうして嫁に出す日を迎えると、少しくらい甘やかしてもよかったと思ってしまいます」


 冬衣は思わず口元を緩める。


「王も父であることに変わりはない、ということか」

「そのようです。ですから、どうか田心姫をよろしくお願いします。あの子が出雲へ来て良かったと思えるようにしてやってください」


 月読が頭を下げると、冬衣も静かに頷いた。


「預かった以上は責任を持とう。出雲王としてではなく、一人の夫として大切にすると約束する」


 短い言葉だったが、その声には誠実さがあった。

 やがて月読が席を外し、広間の一角には那岐と冬衣だけが残る。

 酒宴の喧騒を聞きながらしばらく杯を傾けていた冬衣は、やがてぽつりと呟いた。


「私は長い間、意地を張っていたのだろうな」


 那岐は否定も肯定もせず、穏やかに微笑む。


「そうかもしれないね。でも王なら仕方のないことだと思うよ」


 冬衣は杯の中の酒を見つめながら続けた。


「須佐之男が現れた時から分かっていたのだ。あの男には人を惹きつける力がある。八岐大蛇を討ち、荒れ果てた出雲を立て直した功績もある。民が支持するのも当然だ」


 そこで言葉を切り、自嘲するように笑う。


「だが、頭で理解できても心は別だった。余所者に王を名乗られ、それを受け入れることがどうしてもできなかったのだ」


 その言葉には長年抱えてきた葛藤が滲んでいた。

 那岐は静かに酒を注ぎながら口を開く。


「大倭壱国はいずれ倭を一つにまとめたいと思っている」


 冬衣の表情がわずかに引き締まる。


「けれど、それは武力だけで成し遂げられるものではないんだ。王には王の誇りがあり、民には民の暮らしがある。それを力で押さえつけても一時的に従うだけで、いずれどこかで争いが起きてしまう」


 那岐はゆっくりと言葉を続ける。


「長く続く国を作るには、それぞれの土地が持つ歴史や誇りを受け入れながら結ばなければならない。私はそう思っているんだ」


 冬衣は黙って耳を傾けていた。

 那岐は少しだけ視線を遠くへ向ける。


「須佐之男には民を導く力がある。人々を惹きつけ、前へ進ませる力はあの子にしかない」


 そして今度は冬衣を見つめた。


「でも、君には君にしか持っていないものがある」

「私にか」

「そうだよ。君は苦しい時代も出雲を捨てず、民と共に耐え続けてきた。大名持として積み重ねてきた信頼と正統性は、須佐之男には決して真似できない」


 那岐は優しく微笑んだ。


「だから出雲には二人とも必要なんだ。須佐之男だけでも駄目だし、冬衣だけでも駄目だ。二人が手を取り合って初めて、本当に一つの出雲になるのだと思う」


 広間の喧騒が遠く聞こえる中、冬衣は何も言わなかった。ただ静かに杯の中の酒を見つめながら、那岐の言葉を胸の内で反芻していた。


 自分が守れなかった出雲を須佐之男が救った。その事実はずっと前から理解していた。だからこそ受け入れられなかったのかもしれない。


 八岐大蛇によって国土を奪われた屈辱。

 王でありながら民を守れなかった無力感。

 そして突然現れた余所者の英雄への複雑な感情。

 それらを抱え続けていたからこそ、須佐之男を認めることができずにいた。

 だが那岐は違った。

 冬衣を敗者とは呼ばず、出雲に必要な者だと言った。


 苦しい時代も出雲を捨てず、民と共に耐え続けてきたこと。大名持として積み重ねてきた信頼と正統性には価値があるのだと。


 その言葉は、不思議なほど素直に胸へ染み込んでいく。

 長い沈黙の末、冬衣は深く息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。


「……不思議な男だな、お前は」


 那岐が首を傾げる。


「そうかな」


「大倭壱国を築き上げた功労者でありながら、自ら王になろうとはしない。いや、それどころか他人を王にして、その王たちが争わぬよう奔走している」


 冬衣は苦笑を浮かべた。


「普通なら、自分が頂点に立とうと考えるものだろう」


 那岐は困ったように笑う。


「私には向いていないからね。王というのは人の上に立つ者じゃなく、多くの人を背負う者だろう? 私は畑を耕したり、水路を直したりしている方が気楽なんだ」


 あまりにも飾らない返答に、冬衣は思わず声を上げて笑った。

 その笑いは自然なものだった。

 気づけば胸の奥に長く居座っていたわだかまりも、少しずつ溶け始めている。

 冬衣は杯を置き、真っ直ぐ那岐を見つめた。


「分かった」


 その声に迷いはなかった。


「私は須佐之男と共に出雲を支えよう。大名持としての誇りは捨てない。だが、その誇りのために国を再び乱すつもりもない」


 那岐は穏やかに微笑んだ。


「ありがとう」

「礼を言うのはこちらだ」


 冬衣は静かに杯を掲げる。


「お前たちは私を敗者として扱わなかった。婚姻によって面目を立て、出雲王としての立場も守ってくれた。そのうえで本音まで聞かせてくれたのだ」


 一度言葉を切り、冬衣はゆっくりと続けた。


「ならば私も応えよう。須佐之男を王として認め、共に出雲を支える。それが今の出雲にとって最善なのだろう」


 二人の杯が静かに触れ合う。

 その夜、冬衣はようやく過去への執着を手放し、須佐之男と共に歩む未来を受け入れる決意を固めたのであった。




 数日後、出雲各地の有力者たちが須賀の宮へ集まっていた。

 新たな王となった須佐之男が座す広間には豪族や武人たちが居並び、その隣には妻となった櫛名姫の姿もある。誰もが今日の会合の意味を理解していた。

 やがて広間の外がざわめく。


「天之冬衣様、ご到着」


 衛士の声が響いた瞬間、広間は静まり返った。

 現れたのは、出雲王国の大名持、天之冬衣だった。その後ろには妻となった田心姫が続いている。誰も言葉を発しない。須佐之男と冬衣……出雲に二人の王が並び立っていた時代は、今まさに終わろうとしていた。


 冬衣はゆっくりと広間を進んだ。

 三年もの間、胸の奥には様々な思いが渦巻いていた。出雲王としての誇り、王でありながら国を守れなかった悔しさ、そして突然現れた英雄への複雑な感情。


 それらが消えたわけではない。だが今は、それ以上に大切なものがあった。出雲の未来である。

 冬衣は須佐之男の前で立ち止まると、静かに膝を折った。

 どよめきが広間を走る。


 出雲王が膝を折ったのである。しかし冬衣の表情に屈辱はなかった。そこにあったのは、一人の王として国の未来を選んだ覚悟だけだった。


「須佐之男王。私はあなたを出雲の王と認める」


 静かな声だったが、その言葉は広間の隅々まで響いた。


「私は出雲を守れなかった。だが貴方は民を救い、賊を討ち、失われた希望を取り戻した。それは私には成し得なかったことだ。今後は臣として出雲に尽くし、この命ある限り王を支えよう」


 深く頭を下げる冬衣を前に、広間は静まり返る。誰もが歴史の転換点を目の当たりにしていた。

 須佐之男はしばらく黙って冬衣を見つめていたが、やがて立ち上がると歩み寄り、大きな手を差し出した。


「頭を上げろ」


 冬衣が顔を上げる。


「お主を俺の一門に連なる者として、重臣に迎える。これからも出雲を支えてくれ。俺一人では国は治められん」


 その言葉に冬衣は目を見開く。

 しばしの沈黙の後、差し出された手をしっかりと握り返した。

 その瞬間、広間から大きな歓声が上がる。


 八岐大蛇によって分断されていた出雲は、ついに一つとなった。須佐之男と冬衣は争う道ではなく、共に歩む道を選び、出雲は新たな時代を迎えるのであった。




 那岐はその光景を静かに見つめていた。

 須賀の宮に響く歓声。人々の笑顔。未来を語り合う声。そのどれもが、かつて出雲を覆っていた混乱や恐怖とは無縁のものだった。


 気付けば、この地にはもう自分の手を必要とする者はいない。

 国の行く末を考える王がいる。民を支える者たちがいる。そして次の時代を生きていく若者たちもいる。それで十分だった。

 那岐は胸の内で小さく息を吐く。


 長い年月を生きていると、人はつい見守り続けたくなる。転ばないように、失敗しないように、手を差し伸べたくなるものだ。

 けれど、本当に大切なのは、自分がいなくても歩いていけるようになることなのだろう。

 出雲はもう大丈夫、そう思えたことが、何より嬉しかった。


 翌朝、まだ人々が眠りについている頃、那岐は誰にも告げることなく港へ向かっていた。見送りも別れの挨拶もない。必要なことを終えれば静かにその場を去る……それは昔から変わらない那岐の流儀だった。


 小さく揺れる船へ乗り込むと綱が解かれ、船はゆっくりと岸を離れていく。朝日に照らされた海面は黄金色に輝き、その向こうには遠ざかる出雲の山並みが霞んで見えた。


 山々の彼方には須賀の宮がある。須佐之男が築き、冬衣が支え、田心姫がこれから生きていく国。その景色をしばらく見つめていた那岐は、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。


「もう、私がいなくても大丈夫だね」


 その言葉は誰に向けたものでもなく、ただ風に乗って静かに海へ溶けていった。


 船は西へ進む。出雲には新たな時代が訪れようとしており、那岐はその始まりを見届けた満足感を胸に抱きながら、静かに筑紫への帰路に就くのだった。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。『邪馬台国叙事詩―神代建国譚―』は、日本神話や古代史に残された伝承をもとに、「神とは何だったのか」「国はどのように生まれたのか」という問いを、自分なりの解釈で物語として描いている作品です。


 歴史として語られる出来事と、神話として語り継がれる伝承。その境界には、今では失われてしまった多くの人々の営みや想いがあったのではないか。そんな想像を膨らませながら執筆しています。


 本作には史実や伝承を参考にした部分もありますが、多くの独自解釈や創作を含んでいます。一つの物語として楽しんでいただければ幸いです。


 少しでも面白いと感じていただけましたら、感想や評価、ブックマークなどで応援していただけると励みになります。


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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