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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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四章 出雲王国 五話 櫛名田比売(くしなだひめ)

 出雲の海は荒れていた。

 須佐之男と那岐を乗せた小船は幾日もの航海を経てようやく出雲へ辿り着いたが、その道中は決して平穏ではなかった。海では海賊船に襲われ、陸へ上がれば今度は山賊まがいの賊に行く手を阻まれる。いずれも須佐之男の圧倒的な武勇によって退けることはできたものの、二人の胸には強い違和感が残っていた。


 海岸沿いの丘へ登り、那岐は眼下に広がる景色を見渡した。遠くには黒い煙が立ち上り、崩れかけた家々や放棄された畑が点々と続いている。人の姿は少なく、往来もほとんど見当たらない。その光景は、豊かな大国として知られる出雲王国の姿とはあまりにもかけ離れていた。


「出雲王国は大国だと聞いていたのだけれど……随分と話が違うね」


 那岐が困惑したように呟くと、須佐之男は肩に担いだ金棒を揺らしながら不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「国というより賊の縄張りだな」


 その言葉は乱暴だったが、那岐も否定できなかった。海上では武装した船が堂々と行き交い、陸では賊が好き勝手に暴れている。まともな統治が行われている国の姿には見えず、ここまで来る間に遭遇した賊の数だけでも異常だった。


「海賊の噂も、案外本当なのかもしれないね」


 那岐は海の向こうを眺めながら言った。


「だが、まだ誰がやっているかは分からん。もし出雲王が黒幕なら叩き潰すだけだ」

「決めつけるのは早いよ」


 那岐は小さく笑った。


「私たちは戦をしに来たわけじゃない。まずは真相を調べなくちゃ」


 須佐之男は納得していない様子だったが、それ以上反論はしなかった。父の言葉が正しいことくらいは理解しているのだろう。

 那岐は視線を巡らせ、少し先に立ち上る炊煙を見つけた。どうやら村があるらしい。


「まずはあそこで話を聞こうか。王や豪族の話よりも、民が何を見て、何に苦しんでいるのかを知りたいんだ」

「確かにな」


 須佐之男も頷き、二人は丘を下って村へ向かい始めた。

 だが、その村で出会う一人の娘との縁が、やがて出雲の運命を大きく変えていくことを、この時の二人はまだ知らなかった。


 那岐たちが辿り着いた村は、どこか異様な静けさに包まれていた。

 本来なら昼時の村には畑を耕す男たちの声や、子供たちの笑い声が響いているはずだった。しかし見渡しても活気はなく、道を歩いているのは白髪の老人や女たちばかりである。若い男の姿がほとんど見当たらない。


「妙だね」


 那岐が小さく呟くと、須佐之男も周囲を見回した。


「男がいないな」

「戦でもあったのかな」


 だが、それだけでは説明がつかなかった。

 二人が村へ足を踏み入れると、人々は露骨に警戒した様子を見せた。家の戸を閉める者。子供を抱いて奥へ引っ込む女。声を掛けても返事をしようとしない者。まるで余所者そのものを恐れているようだった。


「困ったね。警戒されていては話も聞けない」


 那岐は苦笑しながら背負っていた荷を下ろすと、袋の中から米や塩を取り出し、村人たちへ分け始めた。


 塩は貴重品であり、米も飢えた村人には何よりありがたい。最初は恐る恐る受け取っていた人々も、やがて二人が害意のない旅人だと理解し始めた。

 夕暮れが近づいた頃、ようやく一人の老人が口を開いた。


「……娘は隠せ」


 唐突な言葉に、那岐は首を傾げる。


「娘を?」

「若い娘だ。見つかれば連れて行かれる」


 老人の目には諦めにも似た色が浮かんでいた。


「あいつらは綺麗な娘を見つけると攫っていく。抵抗した男は殺されるから、若い男たちは戦って死ぬか、この土地を捨てて逃げるしかなかった」


 老人は村の方へ視線を向ける。


「この村だけじゃない。どこの村も同じだ」


 周囲で話を聞いていた女たちも俯き、誰一人として老人の言葉を否定しなかった。その沈黙だけで十分だった。娘狩りは噂話などではなく、この地では日常になっているのである。


 那岐は静かに息を吐いた。


「娘狩りが当たり前になっているのか……」

「出雲は修羅の国だよ」


 力なく呟いた老人の声に、須佐之男は眉間へ深く皺を刻んだ。握り締められた拳からは怒りが伝わってくる。


 その様子を横目に見ながら、那岐は内心で小さくため息をついた。末盧国での騒動を経て多少は落ち着いたと思っていたが、この話を聞けば黙っていられないだろう。もっとも、それは那岐も同じだった。


 怯えながら暮らす村人たちの姿は、かつて家族を失い、心を閉ざしていた幼い那美の面影を思い出させる。老人や女たちばかりが残された荒れた村の光景を見渡しながら、那岐の胸にも静かな怒りが湧き上がっていた。


 この地を支配している者たちは、決して許されるべきではない。

 まだ全容も見えない賊に対して、那岐が初めて明確な敵意を抱いた瞬間だった。

 那岐たちはしばらく村に滞在し、出雲の情勢について情報を集めることにした。


 しかし、その数日間だけでも、この地がどれほど荒れているのか嫌というほど思い知らされることになる。


 最初の賊が現れたのは滞在初日の夕方だった。十人ほどの武装した男たちが村へ押し入り、食料や金目の物を奪おうとしたのである。だが、運悪く須佐之男が村にいた。


 賊たちは金棒を担いだ巨漢の姿を見るなり青ざめ、逃げ出そうとしたものの間に合わなかった。須佐之男が暴れるまでもなく半数が地面に転がされ、残りは悲鳴を上げながら逃げ去っていく。


 二日目には別の賊の集団が現れた。今度は若い娘を探していたらしく、村人たちが慌てて家々へ隠れる騒ぎとなったが、結果は前日と変わらない。須佐之男が表へ出た瞬間、賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 三日目の昼過ぎには、また別の一団が村へ姿を現した。

 もはや那岐も驚かなかった。

 賊が去った後、那岐は村の入口に立ちながら呆れたように空を見上げる。


「数日で三回か……」


 そして大きくため息を吐いた。


「出雲は、ひどい場所になってしまったみたいだね」


 須佐之男もさすがに言葉を失っていた。末盧国で海賊被害の話は聞いていたが、実際に目にした現実は想像を遥かに超えている。海には海賊、陸には盗賊が溢れ、村々では娘狩りが横行している。国として機能しているとは到底思えなかった。


「これで大国だというのだから笑えんな」


 須佐之男が吐き捨てるように言うと、那岐も静かに頷いた。


「出雲王国そのものが弱ったのか、それとも別の勢力が国を食い潰しているのか……どちらにせよ、まずは原因を知らないとね」


 二人がそんな話をしていると、不意に村の外から女の悲鳴が響き渡った。


 村の外れから甲高い悲鳴が響き、那岐たちが振り返ると、一人の若い娘が森へ向かって必死に駆けていた。その後ろからは五人ほどの賊が追いかけており、逃がすな、捕まえろという怒号が辺りに響いている。


 娘は木々の間を縫うように逃げ続けたが、相手も慣れているのか距離は徐々に縮まり、やがて足を取られて地面へ転倒した。慌てて立ち上がろうとするものの間に合わず、先頭を走っていた賊の頭が娘の腕を乱暴に掴む。


「ようやく捕まえた」


 下卑た笑みを浮かべた男は、恐怖に顔を青ざめさせる娘を見下ろした。


「探したぞ、櫛名くしな

「離してください!」


 娘は必死に抵抗したが、男は構わず腕を引き寄せる。


「馬鹿を言うな。お前ほどの女なら高く売れるんだ」


 その瞬間だった。


 男の身体が突然宙へ浮かび上がったかと思うと、次の瞬間には木の幹へ叩きつけられ、そのまま力なく地面へ崩れ落ちた。


 何が起きたのか理解できず賊たちが呆然と立ち尽くす中、その背後から巨大な影がゆっくりと姿を現す。


 七尺を超える巨体に、巨大な金棒を担いだ須佐之男である。


「人攫いとは感心しないな」


 低く響く声に、賊たちは思わず後ずさった。


「な、何者だ貴様!」


「通りすがりだ。だが、お前たちは気に入らん」


 須佐之男が不敵に笑いながら金棒を構えると、その圧倒的な威圧感に賊たちの顔色が変わる。


 直後、唸りを上げて振るわれた金棒が地面ごと賊たちを吹き飛ばし、轟音と土煙の中で何人もの男が悲鳴を上げながら転げ回った。もはや戦う気力など残っておらず、賊たちは「化け物だ」「逃げろ」と叫びながら仲間を置き去りにして森の奥へ逃げ去っていく。


 賊たちの姿が森の奥へ消えると、その場にはようやく静けさが戻った。

 須佐之男は肩に担いだ金棒を軽く振り、息を吐く。


「まったく、弱すぎるな」


 不満そうに呟いたその時、背後から遠慮がちな声が聞こえた。


「あ、あの……」


 二人が振り返ると、助け出した娘が深々と頭を下げていた。風に揺れる長い黒髪に、素朴ながらもどこか気品を感じさせる整った顔立ち。その瞳は澄んで美しく、恐怖の色を残しながらも真っ直ぐ二人を見つめている。


「助けていただき、ありがとうございました」


 須佐之男は思わず言葉を失った。

 娘は不思議そうに首を傾げる。


「どうかなさいましたか?」

「い、いや。怪我はないかと思ってな」


 慌てて取り繕う須佐之男に、娘は小さく微笑んだ。


「はい。おかげさまで無事です。私は櫛名と申します」


 その笑顔を見た瞬間、須佐之男は再び固まった。

 隣で見ていた那岐は、その反応に思わず苦笑する。娘も息子も孫も育ててきた彼には、今の須佐之男がどんな状態なのか手に取るように分かった。


「分かりやすいね」

「な、何がだ」


 須佐之男は露骨に動揺した。


「別に。何でもないよ」


 那岐は穏やかに微笑むが、その目は完全に面白がっている。


「何でもない顔じゃないだろう」

「そうかな」

「そうだ!」

「私は何も言っていないのだけれど」


 那岐が肩を竦めると、須佐之男はますます焦ったように声を荒げた。


「礼を言われたから心配しただけだ! 変な意味じゃない!」

「うんうん」

「だから、その顔をやめろ!」


 二人のやり取りを見ていた櫛名は、堪えきれなくなったように小さく吹き出した。


「あははっ」


 鈴のような笑い声が響く。

 須佐之男はさらに居心地が悪そうな顔になり、那岐はそんな末息子と櫛名を見比べながら、穏やかな笑みを浮かべた。


 これは重症かな。

 胸の内でそう思ったが、口には出さない。今言えば須佐之男が拗ねるのは目に見えていたし、それ以上に、久しぶりに年相応の若者らしい顔をする末息子が、少しだけ可愛らしく見えたのだった。


 櫛名の案内で、那岐たちは村外れにひっそりと建つ家へ向かった。周囲を木々に囲まれたその家は、人目を避けるように建てられており、賊に見つからぬための隠れ家であることが一目で分かる。


 家へ招き入れられると、櫛名は湯を沸かして茶を振る舞った。粗末な器ではあったが、旅の疲れを癒やすには十分だった。


「大したものはありませんが……」


「気にしなくていいよ。温かいお茶をいただけるだけで十分ありがたいから」


 那岐は柔らかく微笑みながら礼を言い、須佐之男は茶碗を手にしたまま、ちらちらと櫛名の方を見ている。そんな末息子の様子に気付いた那岐は内心で苦笑したが、今は何も言わなかった。


 一息ついたところで、那岐は本題を切り出した。


「この辺りの様子を見ていて気になったのだけれど、どうして出雲はこんな状態になってしまったのかな」


 櫛名の表情が曇り、しばらく黙り込んだ後に重々しく口を開く。


「朝鮮半島から渡ってきた八つの豪族がいるのです。その者たちは海と鉄を支配しています」


 那岐と須佐之男は顔を見合わせた。海を握れば交易を支配できる。鉄を握れば武力を支配できる。その両方を押さえているという事実だけで、相手がただの賊ではないことが分かる。


「人々は彼らを八岐大蛇やまたのおろちと呼んでいます」


 櫛名の言葉に、那岐は少し興味を示したように首を傾げた。


「八岐大蛇?」

「はい。八人の頭目たちです」


 櫛名は膝の上で手を握り締めながら続けた。


「最初はただの海賊でした。でも今は違います。彼らは韓から鉄を運び込み、鉄剣や鉄槍を大量に作りながら、周辺の豪族を次々と従えていきました。逆らう者は殺され、従う者には重い税が課されます。若い男は兵として連れ去られ、娘は攫われる。今では出雲王国の半分以上が彼らの支配下にあり、海上交易もほとんど握られてしまいました」


 静かな家の中に重苦しい沈黙が落ちた。


 那岐は茶を一口飲みながら話を整理する。もはやそれは海賊集団などという規模ではなく、一つの支配勢力として出雲の地に根を張っていた。


「出雲王は何をしているの?」


 その問いに、櫛名は苦しげに首を横へ振る。


「戦っています。でも勝てないのです。兵も鉄も船も、八岐大蛇が握っています。私の友人も連れて行かれましたし、美しい娘がいると知れれば賊が現れ、抵抗した家族ごと殺されることも珍しくありません」


 須佐之男は拳を強く握り締めた。海賊、娘狩り、奴隷売買、重税。聞けば聞くほど怒りが込み上げてくる。

 一方の那岐は静かに目を伏せていたが、その瞳の奥には冷たい光が宿っていた。


「なるほど……海賊疑惑の真相だけ調べて帰るつもりだったのだけれど」


 そう呟いた那岐はゆっくりと顔を上げる。


「どうやら、少し事情が変わってきたみたいだね」

「許せんな」


 須佐之男の低く漏れた一言には、抑えきれない怒気が滲んでいた。

 櫛名は寂しそうに微笑みながら首を横に振る。


「でも、誰にも止められません。出雲王さまでも勝てないのです」


 兵も鉄も船も八岐大蛇が握っており、逆らえば村ごと焼かれる。助けを求めても誰も来ない。櫛名はそう語りながら静かに視線を落とした。


 その話を最後まで聞いた須佐之男は、ゆっくりと立ち上がった。


「なら俺が倒す」


 あまりにも当然のように放たれた言葉に櫛名は目を見開き、那岐は思わず額を押さえる。


「須佐之男……」


 しかし当の本人は気にした様子もなく、櫛名へ向き直ると自信満々に胸を張った。


「安心しろ。八岐大蛇だろうが何だろうが、全部叩き潰してやる」


 その声には一切の迷いがなかった。目の前の男は本気でそう思っているのだと伝わり、櫛名は呆然と須佐之男を見上げる。

 一方の那岐は深いため息を吐いた。


「まずは作戦を考えようか……」


 須佐之男は気付いていなかった。櫛名は気付いていた。そして那岐だけが全てを理解していた。

 これは完全に一目惚れだね。


 出会ってまだ半日も経っていないというのに、末息子の分かりやすさときたらどうだろう。昔から真っ直ぐな子ではあったが、ここまで露骨だとは思わなかった。


 苦笑する那岐をよそに、須佐之男は腕を組んだまま堂々と立ち続けている。その姿を見つめる櫛名の頬がほんのり赤く染まっていることにも気付かずに。


 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。『邪馬台国叙事詩―神代建国譚―』は、日本神話や古代史に残された伝承をもとに、「神とは何だったのか」「国はどのように生まれたのか」という問いを、自分なりの解釈で物語として描いている作品です。


 歴史として語られる出来事と、神話として語り継がれる伝承。その境界には、今では失われてしまった多くの人々の営みや想いがあったのではないか。そんな想像を膨らませながら執筆しています。


 本作には史実や伝承を参考にした部分もありますが、多くの独自解釈や創作を含んでいます。一つの物語として楽しんでいただければ幸いです。


 少しでも面白いと感じていただけましたら、感想や評価、ブックマークなどで応援していただけると励みになります。


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


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