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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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一章 徐福伝説 四話 熊野

 紀元前二百十年 初夏。

 金立山を離れた徐福一行は、まず九州南部へと下り、入り組んだ海岸線に沿って船団を進めていた。

 船団の主力は帆を備えた外洋航海用の楼船であり、貴人を乗せる豪華な船ではなく、長い航海に耐える実用本位の造りをしていた。船底も河川用の平底船ではなく、外洋の波を切るため深く尖っている。

 やがて九州の南端が見えてきた。切り立った岬と深い緑に覆われた山々が連なり、那岐は船縁に立ってその景色を静かに眺めた。


「もう故郷は見えないな」


 那岐の呟きに、漣は海を見つめたまま静かに頷いた。

 それ以上言葉を交わすことはなかったが、二人とも振り返ろうとはしない。振り返れば戻りたくなることを知っていたからである。


 船団は薩摩半島を回り込み、そのまま東へ進路を変えながら、定まらぬ新天地を探して航海を続けていた。

 船団の中央にある大型船では、徐福が側近たちを集めていた。床には地図代わりの板が広げられていたが、それは航海で得た情報を書き足し続けた簡素なもので、正確な地図とは程遠かった。

 徐福は地図代わりの板を見下ろした。


「九州は難しい」

「土地は豊かですが、人が多すぎます」


 側近の一人が頷く。


「各地に村や小国家があります。新たな拠点を築けば争いになるでしょう」

「その通りだ」


 徐福は指で海岸線をなぞった。

 秦を出てからすでに数か月が過ぎていた。積み込んだ食糧も無限ではなく、海上生活が長引くほど人々の疲労も蓄積していく。いつまでも新天地を探して漂泊を続けることはできなかった。


 徐福は板の上の海岸線を見つめた。

 夏は確実に近づいており、海を知る者なら誰もが、その季節になれば嵐によって船団が一瞬で散り散りになり、大型船ですら無事では済まないことを理解していた。


「嵐が本格化する前に拠点を築く」

「は」

「海に近く、水があり、水田を作れる土地だ」


 徐福の声に迷いはなかった。

 不老長寿の霊薬探しは続けるつもりだったが、それも人々が生き延びてこそ意味を持つ。 まずは根を下ろす場所が必要だった。



 その頃、那岐は船上で木札を膝に載せ、筆を走らせていた。

 徐福から教わった文字を書き写しているのだが、思うように筆先が動かない。一本線を引くたびに形が歪み、見本とは似ても似つかない字になってしまう。

 しばらく睨みつけた末、那岐は諦めたようにため息を吐いた。


「難しい……」


 その様子を見ていた漣が横から身を乗り出し、木札を覗き込む。


「そこ違う」

「またか」

「この字はこう」


 漣は那岐の手から筆を受け取ると、空いた場所に手本を書いた。迷いのない筆運びで描かれた文字は整っており、まるで最初からそこに刻まれていたかのように美しい。

 那岐は感心したように目を丸くした。同じように教わっているはずなのに、自分の字とは比べものにならない。


「漣、本当に字が上手いな」

「昔から書いてたから」


 漣は少し笑った。

 徐福一行の言葉を理解できるようになれば、今後も通訳として漣を助けることができる。船旅の最中、那岐にできることは決して多くなかったが、それだけに彼は文字や言葉を覚えることへ真剣だった。そんな那岐の努力を知っているからこそ、漣もまた空いた時間のほとんどを教えることに費やしていた。

 漣が木札を指差すたびに、那岐は「水」「山」「海」と答え、正解するたびに漣は満足そうに頷いた。続いて示された文字にも「海」「船」「家」と迷わず答えた那岐は、少し得意げに胸を張りながら次の文字へ視線を向ける。徐福たちの会話が少しずつ聞き取れるようになっていた。

 漣はくすりと笑った。那岐が一つずつ文字を覚えていく姿を見るたび、自分のことのように嬉しくなる。木札に向かう真剣な横顔を眺めていると、不思議と目を離せなかった。


 夜になると、那岐はなかなか眠りにつけなかった。

 故郷を離れて半月が過ぎたものの、目を閉じれば父や母の顔が浮かび、慣れない船旅の揺れと相まって胸の奥に寂しさが広がっていく。そんな様子に気付いたのか、隣で横になっていた漣がそっと身を起こし、那岐の顔を覗き込んだ。


「……眠れないの?」


 那岐はしばらく答えなかったが、やがて小さく息を吐きながら口を開く。


「父さんと母さんのことを思い出してたんだ。帰ったらまた一緒に畑を耕して、今までと同じように暮らすものだと思ってた。でも、本当に帰れるのかなって考え始めると眠れなくなる」


 弱音を吐くつもりはなかった。それでも夜の静けさの中では、不安だけが膨らんでしまう。

 漣は何も急かさずにその言葉を聞き終えると、暗闇の向こうへ視線を向けながら静かに呟いた。


「わたしもね、時々家族のことを思い出すよ。秦を出てから何年も経つのに、父さんや母さんの夢を見ることがあるの」


 その声には懐かしさと寂しさが滲んでいた。漣もまた故郷を失った者であり、二度と戻れないかもしれない場所への想いを抱えながら生きている。


「会いたいって思う?」

「もちろん」


 迷いのない返事だった。


「会いたいし、もし会えるなら一度でいいから顔を見たい。でも、それが叶わないかもしれないことも分かってる」


 そう言うと、漣はそっと手を伸ばし、那岐の手を包み込んだ。


「だからね、一人で抱え込まなくていいんだよ。わたしには那岐がいるし、那岐にもわたしがいる」


 柔らかな温もりが指先から伝わり、張り詰めていた心が少しずつほどけていく。


「……俺も、漣がいてくれてよかった」


 那岐がそう言うと、漣は少しだけ照れたように笑った。


「ふふっ、それならお互いさまだね。帰れるかどうかは分からないけど、どこへ行っても生きていれば新しい居場所は作れるはずだから」


 その言葉には不思議な力があった。未来への保証などどこにもないはずなのに、漣が言うだけで本当にそうなりそうな気がしてくる。


 船底を叩く波音が静かに響く中、那岐は握られた手の温もりを感じながらゆっくりと目を閉じた。故郷を失った者同士だからこそ分かち合える痛みと優しさに包まれながら、その夜の那岐は久しぶりに穏やかな眠りへと落ちていった。


 それからさらに十日ほど、船団は東への航海を続けた。途中、天候の悪化によって数日間停泊を余儀なくされることもあり、とりわけある夜の嵐は人々の記憶に深く刻まれることとなった。


 黒雲が空を覆い尽くし、荒れ狂う波が楼船の舷側へ容赦なく叩きつけられる。甲板には海水が流れ込み、船体はきしみを上げながら激しく揺れ続けた。那岐は倒されまいと柱へしがみつきながら、山で育った自分にとって海がどれほど恐ろしい存在であるかを改めて思い知らされる。もし船が沈めば誰一人助からない。漣も青ざめた顔で船縁を握り締め、必死に揺れに耐えていた。


 嵐は一晩中続いたものの、経験豊富な船乗りたちの働きによって船団は大きな損害を出すことなく乗り切り、翌朝には再び東へ向けて帆を張った。しかし、その後も状況は思うようには進まない。海岸線に沿って航海を続けながら、川や平地を見つけるたびに上陸して土地を調査したが、人が多すぎる場所もあれば耕作に適さない痩せた土地もあり、水源に乏しい場所もあった。どの土地にも何らかの欠点があり、徐福が求める条件を満たす場所はなかなか見つからない。


 そうして日を重ねるうちに、船団の空気には次第に疲労と諦めが滲み始めていた。

 そんなある朝のことだった。

 前方を監視していた見張りが、突然声を張り上げる。


「良い湾があります!」


 見張りの声に促され、徐福は甲板へ出た。


 その視線の先には、深く入り込んだ広い湾が広がっていた。入り江の背後には緑濃い山々が連なり、その山肌から流れ出た幾筋もの清流が海へ注いでいる。湾内の海は外洋とは思えぬほど穏やかで、波は静かに岸を撫でるばかりだった。


 徐福はすぐに小舟を出させ、自ら上陸する。漣と那岐もその後に続いた。


 浜へ降り立った徐福は川辺へ向かい、何度も水を手ですくって味と清らかさを確かめた。さらに土を握り締めて指先で砕く。掌に残ったのは黒く湿った肥沃な土だった。周囲を見渡せば、造船に必要な巨木が数多く生い茂り、澄んだ川には鮎らしき魚影が群れをなして泳いでいる。海の幸、山の幸、水、木材、そして豊かな土壌。その全てが揃った土地を目にし、徐福は倭へ渡って以来、初めてと言ってよいほどの手応えを感じていた。


 那岐もまた川の流れを見つめていた。水量は十分で、河口近くには広い平地が広がっている。水路を整備し開墾を進めれば、大規模な田を築くことも難しくはないだろう。

 隣の漣も同じことを考えていたのか、小さく頷いた。


 この土地には、人が暮らし続けるために必要なものが揃っていた。


 やがて方士たちは周辺の調査へ散っていった。川筋を辿る者、平地の広さを測る者、近隣の集落を探る者。それぞれが夕刻まで調査を続け、日が傾く頃になると徐福のもとへ戻ってくる。


 報告を聞くにつれ、徐福の表情は確信へと変わっていった。


「山が海際まで迫っているため耕地は少なく、人の数も多くありません」

「周辺に大きな集落は見当たりませんでした」

「平地は十分に広く、耕作地として整備すればさらに拡張も可能です」

「少し東には別の入り江もあり、港を築く場所にも困らないでしょう」


 次々ともたらされる報告は、いずれもこの地の将来性を裏付けるものばかりだった。報告を聞いた徐福はしばらく黙したまま遠くの山々を見上げる。豊富な森林は家屋や船の材料となり、絶えることなく流れる川は人々の生活と農耕を支え、湾内には濃い魚影が広がっている。


 海の幸、山の幸、水、木材、そして豊かな土壌。その全てが揃っていた。徐福は倭へ渡って以来、初めて確かな手応えを感じていた。


 周囲の景色を見渡しながら、徐福は確信していた。ここなら生きていける。そしてここなら、新たな村を築くことができると。


 秦を離れて以来、徐福は初めて人々の表情から不安が薄れていることに気付いた。子供たちは浜辺を駆け回り、女たちは川辺で水を汲み、男たちは森や山々を見上げながら、それぞれ新しい暮らしに思いを巡らせている。長い沈黙の末、その光景を見つめていた徐福は静かに決断を下した。


「ここを拠点とする」


 その言葉に、一同の表情が明るくなった。

 人々は初めてこの地に根を下ろせることを実感した。

 徐福は湾を見渡した。


「まず家を建てる、河口部に田を開き、港を整備する」

「そして、この地を拠点に定める」


 海風が吹く、那岐は広い空を見上げる。そこは故郷とは違う匂いに満ちた、見知らぬ土地だった。遠くに連なる山並みも、吹き抜ける風も、これまで生きてきた場所とは何もかもが異なっている。


 それでも不安ばかりではなかった。隣には漣がいる。共に歩めるのなら、この未知の地で生きていくことも悪くないと思えた。


 振り返れば、海を渡ってきた仲間たちがいる。那岐は潮の香りを胸いっぱいに吸い込み、静かに前を向いた。


 その日、徐福が下した決断は、ただ一つの開拓村を築くためのものに過ぎなかった。しかし後の世を生きる者たちは知ることになる。この熊野の地に根を下ろした者たちの血が幾世代にもわたって受け継がれ、やがて倭の歴史そのものへ溶け込んでいくことを。

 夕日に染まる湾を見つめながら、徐福は静かに目を閉じた。

 長い漂泊の果てに、ようやく辿り着いた安住の地だった。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。

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