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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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一章 徐福伝説 三話 望まぬ旅立ち

 紀元前二百十年 春。


 金立山での探索が始まって二週間が過ぎても、霊薬は見つからなかった。


 そんな中、邑長の館で宴が開かれた。広間には酒と魚が並び、村人たちが見たこともないような絹布や青い陶器が置かれている。それらは徐福が持ち込んだ貢物だった。


 磨き上げられた青銅鏡は灯火を反射して鈍く輝き、精巧な細工を施された剣は村人たちの目を引きつけていた。鮮やかな絹布に至っては、触れることすら恐れるように遠巻きに眺める者もいる。どれもこの地ではまず目にすることのない品ばかりだった。


 その光景に邑長は満足げな表情を浮かべ、通訳として呼ばれた漣と那岐は席の端に座っていた。


 徐福はゆっくりと立ち上がり、邑長へ感謝の言葉を述べた。漣がそれを訳すと、宴席には穏やかな空気が流れる。しかし徐福はそこで言葉を切り、広間に集まった人々を静かに見渡した。


「だが、この地だけでは霊薬は見つからぬようだ」


 漣が訳し終えた瞬間、それまで賑やかだった広間は水を打ったように静まり返った。徐福は傍らの弟子に目配せし、一枚の地図を広げさせる。獣皮に描かれた海岸線と島々、その先には誰も知らぬ海が続いている。徐福は指先を地図の上でゆっくりと東へ滑らせながら、静かな声で続けた。


「我らはさらに東を目指す」


 その声音は穏やかで、決して威圧的なものではなかったが、那岐はなぜか背筋に冷たいものを感じた。周囲の方士たちも驚いた様子を見せず、まるで最初から決まっていた話を聞いているかのように黙って頷いている。徐福の口調には意見を求める響きではなく、すでに定められた事実を告げる確固たる意思が滲んでいた。


「そのために、そこにいる通訳二人を借り受けたい。それと、船の作業や荷運びを手伝う人手も欲しい。数十人ほどだ」


 徐福の視線が漣と那岐へ向けられ、二人は思わず身を固くした。漣がその言葉を訳すと、広間には一斉にざわめきが広がる。数十人という人数は、一つの村にとって決して軽い負担ではない。村人たちは互いに顔を見合わせたものの、反対の声を上げる者はいなかった。徐福がもたらした鉄器や絹、陶器は人々を驚かせ、さらに文字や医術、農耕技術といった知識までも惜しみなく伝えてきたため、今や彼は単なる旅人ではなく、村にとって欠かせない存在となっていたのである。

 そんな人々の反応を見渡しながら、徐福は静かに微笑んだ。


「もちろん無理強いはしない」


 徐福は急かさなかった。ただ杯を手にしたまま邑長を見つめている。その表情には焦りも苛立ちも見えず、断られれば引き下がると言わんばかりの穏やかさがあった。

 しかし那岐には、不思議とそうは思えなかった。

 広間の空気そのものが、いつの間にか徐福を中心に動いているように感じられたのである。鉄器も陶器も絹も、この宴も、そして今ここにいる人々の期待や欲望さえも、全て徐福が海の向こうから運んできたものだった。

 邑長は決断を迫られているようでいて、実のところ選択肢など残されていないのではないか。

 そんな考えが那岐の脳裏をよぎった。

 邑長は腕を組み、しばらく黙ったまま考え込む。先ほどまで酒と笑いに満ちていた広間には、いつの間にか酒宴とは思えぬほど重い沈黙が落ちていた。そしてやがて、邑長は低く落ち着いた声で口を開いた。


「村の者は駄目だ。ようやく田が形になってきた。この春を逃せば収穫は減る。今さら働き手を失うわけにはいかん」


 広間のあちこちで安堵の息が漏れる。だが邑長は続けた。


「だが移民なら構わん」


 その言葉に、安堵の空気は一瞬で凍り付いた。


「もともと土地を求めて流れてきた者たちだ。徐殿について行けば新たな土地を得られるやもしれん」


 もっともらしい理屈だと、那岐には分かった。それは移民を守るための言葉ではない。村を守るための言葉だった。

 自分たちもまた、この村で畑を耕し、同じ汗を流し、同じ祭りに参加しながら冬を越してきたはずだった。しかし邑長にとって彼らは、この村を支える民である前に、いざとなれば切り離しても痛みの少ない存在に過ぎなかったのである。

 徐福は静かに頷いた。まるで最初からその答えを予想していたかのような落ち着きだった。


「希望する者を連れて行け」


 そう言って邑長が酒杯を持ち上げたことで話は決まり、那岐は唇を強く噛み締めた。隣では漣も顔を伏せている。二人とも理解していた。

 『希望する者』という言葉だけが美しく響いていた。だが那岐にも漣にも分かっていた。移民たちに、選ぶ余地など残されていない。




 出航前夜。

 家の中には重苦しい沈黙が流れていた。囲炉裏では小さな火が揺れているが、誰もほとんど口を開かない。母は夕餉の片付けをしながら何度も目元を拭い、妹たちも普段のようにはしゃぐことなく身を寄せ合って座っていた。那岐も何を話せばいいのか分からず、ただ赤く燃える炭を見つめている。

 やがて父がぽつりと口を開いた。


「行くなと言いたい」


 低く掠れた声だった。酒好きの父が一度も杯を手にしていないことに、那岐はそれだけで父の苦しみを理解してしまう。仕事を終えれば酒を飲み、嬉しいことがあれば飲み、辛いことがあっても飲む。そんな男だった父が、今夜だけは目の前に置かれた酒杯に手を伸ばしていなかった。


「だが、邑長に逆らってはここでは暮らせない」


 そう言って父は黙り込む。何かを言おうとして口を開いては閉じ、再び開いては閉じる。その姿は、どんな時でも迷わず決断してきた父とは別人のようだった。


 父はもともと土地を持たぬ男だった。新しい田を求めて金立へ流れ着き、何年もかけて荒れ地を開き、ようやく家族を養えるだけの畑を手に入れたのである。だからこそ那岐にも分かっていた。邑長に逆らえば全てを失う。那岐一人を守るために家族全員が路頭に迷うことになる。それでも父の顔には、息子を差し出さなければならない苦しみが隠しきれずに滲んでいた。

 長い沈黙の末、父はようやく絞り出すように言った。


「必ず帰れ」


 それだけだった。本当はもっと言いたいことがあったはずである。危険なことはするな、無茶をするな、腹を空かせるな、生きて帰れ――その全てを飲み込んだ末に残ったのが、その一言だった。

 父はもう一度同じ言葉を繰り返すと立ち上がり、背を向けたまま家の奥へ消えていった。那岐はその背中を見つめた。肩が小さく震えているように見えたが、それが本当に見えたものなのか、それとも自分の願望だったのかは分からない。

 しばらくして戻ってきた父の手には、一振りの小刀が握られていた。柄は長年の使用で黒く艶を帯び、刃には幾度も研がれた跡が残っている。幼い頃から見慣れた小刀であり、山へ入る時も木を切る時も、父はいつもそれを腰に差していた。父にとっては身体の一部のような道具だった。


「これを持っていけ」


 那岐は思わず目を見開く。


「でも、それ父さんの――」

「いいから持て」


 父はぶっきらぼうに言ったが、その声はわずかに震えていた。

 那岐は黙って小刀を受け取る。掌に伝わる重みは不思議なほど馴染み深く、幼い頃、父がこの小刀で木を削って玩具や笛を作ってくれたことや、山菜採りで枝を払い、狩りで獲物を捌いていた姿が次々と思い出された。那岐の記憶の中には、いつもこの小刀があった。


「お守りにもならんがな」


 父はそう言って笑おうとしたものの、結局うまく笑えなかった。那岐も何か言おうとしたが言葉が出ない。ありがとうと言えば泣いてしまいそうだったから、ただ黙って頭を下げた。

 すると父は何も言わず、その頭を乱暴に撫でた。子供扱いするなと言いたくなるほど強い手だったが、那岐はその温もりだけは決して忘れまいと思った。




 翌日、海岸には巨大な楼船が停泊していた。

 那岐は浜へ出た瞬間、思わず足を止めた。これほど大きな船を見たことがなかった。一隻だけでも村の長屋を横倒しにしたような大きさがあり、その周囲には大小無数の船が並んでいる。浅瀬から沖合まで船影が続き、高くそびえる帆柱は森の木々のように立ち並び、その光景は船団というより一つの町が海へ浮かんでいるかのようだった。

 甲板では水夫たちが縄を引き、荷役の者たちが米俵や水甕を運び込んでいる。銅鑼の音や怒号が絶え間なく飛び交い、船腹を叩く波音さえかき消されるほどの喧騒が海岸一帯を覆っていた。

 那岐の知る世界は金立山と周辺の村々だけだった。しかし目の前に広がる船団は、その狭い世界の外に存在する巨大な現実を否応なく感じさせる。何千人もの人間と膨大な荷を積み込みながら海を渡る船団など想像したこともなく、とりわけ中央に停泊する楼船は圧倒的だった。幾重にも重なる甲板の上には楼閣が築かれ、船首には龍を模した飾りが据えられている。その姿はまさに海に浮かぶ城そのものであり、那岐は無意識に唾を飲み込んだ。


 徐福は本当に海の向こうからやって来たのだ。


 昨日まではどこか現実味のない話だったが、この巨大な船団を前にすると理解せざるを得なかった。自分たちは倭の小さな村だけで生きているのではなく、大陸という巨大な世界と繋がってしまったのだと。

 その一方で、船団の周囲では不穏な光景も広がっていた。村人たちが遠巻きに眺める中、選ばれた移民たちは荷物を抱えて集められていたが、新天地での成功を夢見て自ら集まった者ばかりではない。徐福の弟子たちは表向きこそ希望者を募っていたものの、実際には若く健康な男たちから優先して名を書き留めており、とりわけ妻子を持たない独身者は抵抗が少なく、船の仕事にも使いやすいとして真っ先に目を付けられていた。

 その時、一人の若者が何度も首を横に振りながら後ずさった。


「嫌だ。俺は行かん」


 しかし兵士たちは聞く耳を持たない。屈強な男が肩を掴むと、逃げようとした若者を地面へ押し倒し、砂埃を巻き上げながら両腕を背中へ捻り上げた。


「離せ!」


 若者は必死に抵抗したが、兵士は容赦なく顔を砂浜へ押し付ける。


「俺は行かん! 離せ!」


 悲痛な叫びが響いたものの、周囲の村人たちは誰一人として動かなかった。動けなかったと言うべきだった。相手は海の向こうから来た巨大な船団であり、その背後には鉄器と兵士が控えている。逆らえば何が起こるか分からないという恐怖が、人々の足を縛り付けていたのである。

 やがて若者は縄を掛けられ、そのまま船へ連れて行かれた。母親らしき女が泣きながら追いすがったが、兵士に遮られて近付くことさえ許されない。徐福の弟子たちは笑顔で説得するふりをしながら、その逃げ道を巧みに塞いでいた。

 その様子を見た那岐の背筋には冷たいものが走った。隣の漣も険しい顔をしている。


「本当に行くのか」


 周囲に聞こえないよう声を潜めると、漣は小さく苦笑した。その笑みは普段の明るさを失い、どこか疲れた色を帯びている。


「選べると思う?」


 静かな返答に、那岐は言葉を失った。

 昨夜から何度も考え続けていた。どこかへ隠れられないか、逃げ出せないか、あるいは誰かが助けてくれないかと。しかし海岸には武装した兵士たちが立ち並び、移民たちは一か所へ集められたまま厳しく監視されている。考えれば考えるほど現実は変わらず、どの道を選んでも同じ結論へ辿り着くしかなかった。

 そんな二人のもとへ、徐福の弟子の一人が近付いてくる。


「二人とも、こちらへ」


 漣は眉をひそめ、中国語で何事かを言い返した。問い詰めるような口調だったが、男は困ったように首を振るだけだった。


「先生の命令だ。通訳なら陸でも務まる。だが、この先の旅にも必要になる」


 口調そのものは丁寧だった。しかし男の背後には武装した兵士が数人控えており、その存在だけで従わなかった場合の結末を十分に物語っていた。

 那岐は奥歯を噛み締める。悔しかった。自分たちの意思など最初から考慮されていない。通訳という名目は与えられているが、それは連れ去るための理由に過ぎず、実際には荷物や家畜と何ら変わらない扱いだった。

 拳を強く握る那岐の隣で、漣はゆっくりと息を吐いた。


「行こう」

「漣」


 思わず呼び止める。

 漣は一瞬だけ足を止めたものの、やがて静かに首を横へ振った。


「ここで逆らっても無駄よ」


 諦めを滲ませた声だった。だがその言葉が那岐を宥めるためのものなのか、それとも自分自身へ言い聞かせているのかは分からない。ただ妙に落ち着いたその声音に、那岐は何も返せないまま後を追った。

 二人は桟橋を進み、海上にそびえる巨大な楼船へと近付いていく。間近で見る船体は、歩を進めるたびに圧迫感を増していった。縄で仕切られた船倉には既に多くの人々と荷が押し込まれ、見張りの兵士たちが周囲を固めている。通訳として同行すると説明されてはいるものの、必要だから連れて行かれるだけだという事実は誰の目にも明らかだった。

 船へ向かおうとした時だった。


「那岐」


 不意に呼び止められ、振り返ると父が立っていた。いつの間に近付いていたのか分からない。人混みの向こうにいたはずなのに、気付けばすぐ目の前にいる。

 父は何か言おうとして口を開いた。しかし言葉は続かず、やがて唇を引き結んだまま視線を落とす。その先にあったのは昨夜託した小刀だった。


 父は小さく頷く。

 那岐も黙って頷き返した。

 交わされたのはそれだけだった。


 それなのに、その沈黙の中には言葉にできないほど多くの想いが込められているように感じられた。生きて帰れという願いも、無事でいてほしいという祈りも、そして本当は行かせたくないという父の本心も、その全てが。

 那岐は胸の奥が締め付けられるのを感じた。

 やがて銅鑼が鳴り響き、腹の底へ響くような重い音が海へ広がっていく。続いて帆が開かれ、風を受けた白布が大きく膨らむと、巨大な船体は軋みながらゆっくりと動き始めた。

 岸が離れ、村が少しずつ小さくなっていく。

 那岐は手すりを強く握り締めた。戻れる保証はない。いつ帰れるのかさえ分からない。その現実が胸の奥を重く締め付ける。

 隣に立った漣が、小さな声で言った。


「生きて帰ろう」


 那岐は黙って頷く。

 楼船は波を切りながら東へ進み、その後を追うように徐福の船団もまた水平線の彼方へ向かって動き始めていた。先頭の楼船最上部では徐福が静かに海を見つめている。その表情から感情を読み取ることはできなかったが、ただ瞳の奥にだけは、不老長寿への執念にも似た熱が静かに燃えていた。

 岸は遠ざかり、やがて人の姿は見えなくなった。それでも那岐はいつまでも故郷の方角を見つめ続けていた。

 海の向こうに何が待つのかは分からない。ただ一つ分かるのは、もう昨日までと同じ人生には戻れないということだけだった。


 夕陽の中で金立山の影がゆっくりと水平線へ沈んでいく。那岐は父から託された小刀を握り締め、その冷たい重みだけを、故郷との最後の繋がりのように感じていた。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。

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