三章 邪馬台国 十二話 大倭壱国宣言
勝利の凱旋でありながら、その行列に漂っていたのは、武威を誇示する空気ではなかった。守るべき民を守り抜いた者たちだけが持つ、静かな誇りだった。
大地を揺らすような足音が山門の地へ近づいていた。
先頭を進むのは、狗奴国との戦いを生き抜いた兵たちである。陽光を受けた槍の穂先は無数の光を放ち、風にはためく軍旗は青空を切り裂くように揺れていた。
その知らせはすでに山門中に広がっており、道の両脇には老若男女を問わず大勢の民が詰めかけていた。
「帰ってきたぞ!」
「山門壱国の軍が戻った!」
「女王日巫女様の軍勢だ!」
歓声は波のように広がり、幼い子供たちは背伸びをしながら兵士たちを見つめ、老人たちは何度も頷きながら無事を喜んでいる。
兵士たちの表情には長い戦いの疲労が刻まれていたが、その胸には誇りが満ちていた。自分たちが国を守り抜いたことを誰もが知っていたからである。
やがて民衆の視線は軍勢の中央へ集まった。
先頭に立つ那岐は黒髪を風になびかせながら堂々と歩み、その姿は三百年にわたり山門を支え続けてきた守護神そのものだった。
右には巨大な金棒を肩へ担いだ須佐之男が悠然と歩き、その威容はまるで戦神が人の姿を取ったかのようである。
左では整然とした鎧姿の月読が静かに歩を進め、勝利に浮かれることなく周囲へ冷静な視線を向けていた。その姿には戦場を支え続けた智将としての風格が漂っている。
三人を中心として幾重にも並ぶ兵が続く光景は、山門壱国連合の諸国を守り抜いた大軍そのものであり、民衆はその壮観な姿に息を呑んだ。
軍勢がやがて山門の中心にある主祭殿前の広場へ到着すると、白木で築かれた壮麗な祭殿と高く掲げられた幟が彼らを迎え、その周囲を埋め尽くす民衆の熱気が空気を震わせていた。
その時、祭殿最上段へ一人の女性が静かに姿を現す。
純白の祭服をまとった日巫女だった。
黄金の髪飾りは陽光を受けて輝き、その背後から差し込む光が神々しい輪郭を描き出している。その姿を認めた瞬間、広場を満たしていた歓声は潮が引くように静まり返り、広場を埋め尽くす民の視線が自然と彼女へ集まった。
神々の言葉を伝える巫女にして、山門壱国の象徴たる日巫女は、眼下に広がる軍勢を静かに見下ろす。
那岐、須佐之男、月読の三人はその視線を受けながら前へ進み出ると、背後に並ぶ幾重にも並ぶ兵たちと共に膝をついた。
広場を埋め尽くす民衆が固唾を飲んで見守る中、倭の歴史を変える勝利の報告が始まろうとしていた。
倭の国々を見据える女王と、その玉座を支える三柱の英雄。
まるで神話が現実となったかのような光景の中、那岐は静かに口を開いた。
「日巫女様。狗奴の軍勢は討ち払い、被害を受けた村々の復興も道筋が立ちました」
その声は静かな広場の隅々まで響き渡り、報告を終えた那岐は再び頭を垂れる。
日巫女は何も言わず、ただ静かに三人を見下ろしていた。
白い祭服の袖が風を受けてゆるやかに揺れていた。
主祭殿の高みから見下ろす広場は人で埋め尽くされ、槍を携えた兵士たちが幾重にも列をなし、そのさらに外側には子を抱く母や杖をつく老人、傷に布を巻いた若者たちが息を潜めるように立っている。
狗奴国との戦いを生き抜き、焼かれた村を立て直し、家族を失いながらも再び田へ戻り、海へ出て、子の手を握ってここまで歩いてきた者たち。そのすべての視線が今、日巫女へ向けられていた。
日巫女は静かに目を閉じる。
闇の中に浮かび上がるのは、幼い頃から見続けてきた景色だった。洪水に呑まれかけた村を救い、泥にまみれながら堤を築き、田を広げ、港を作って人々を守り続けた父。
その背を追って知を求め続けた月読と、誰よりも強く真っ直ぐに戦場へ立った須佐之男の姿もまた、記憶の中に鮮やかに浮かび上がる。
そして今、その眼下には万の民がいた。
山門壱国はもはや一つの邑や一つの国ではなく、数え切れない邑と民が支え合い、一つの意思のもとに結ばれた巨大な国家へと成長していたのである。
日巫女はゆっくりと目を開いた。
澄み切った瞳が広場を真っ直ぐ見据える。
「聞きなさい」
その声は驚くほど静かだった。しかし風に乗った言葉は広場の隅々へ染み渡るように届き、ざわめきは瞬く間に消えていく。
「我らは狗奴の侵略を退けました」
兵たちの胸が誇らしげに膨らむ。
「しかし、この勝利は誰か一人のものではありません」
日巫女はゆっくりと両腕を広げた。
「国を守るために戦った者、傷ついた者を支えた者、田を耕し、海へ出て、火を焚き、子を育て、この国を築いてきたすべての民の勝利です」
風が吹き抜け、祭服が大きく揺れた。
「山門壱国は、もはや山門だけの国ではありません」
広場の空気は弦を張ったように緊張し、誰もが日巫女の次の言葉を待っていた。
「倭の国々の中で最も大きく、最も多くの民を守り、最も豊かな未来を目指す国」
日巫女は天へ向かって声を放つ。
「これより我らの国を……」
一瞬、世界から音が消えた。
兵も民も、那岐も月読も須佐之男も、その場にいるすべての者が息を呑んで日巫女を見上げる。
「大倭壱国と称します」
その声は青空へ向かって真っ直ぐに放たれた。
「倭の壱の大国……大倭壱国です!」
刹那の沈黙の後、広場は爆発した。
「おおおおおおおおおおおおおおっ!」
大地そのものが震えるかのような歓声が巻き起こり、兵士たちは槍を天へ突き上げ、剣を掲げる。
「大倭壱国!」
「大倭壱国!」
「大倭壱国!」
その叫びは兵から民へ、民から港へ、港から田畑へ、そして田畑から山々へと波のように広がり、新たな国の名を乗せた風が大地を駆け抜けていく。
祭殿の前に跪く那岐は静かに目を細めた。
かつて故郷を失い、異国の船に乗せられて海を渡り、愛する者を失って不老の身を呪いながらも、それでも歩みを止めずに生き続けてきた自分が、まさかこれほど多くの民に囲まれる日を迎えるとは思わなかった。
隣では月読が穏やかに微笑み、その反対側では須佐之男が豪快に笑いながら拳を天へ突き上げている。その背後には戦いを生き抜いた兵たちが誇らしげに立ち並び、土に汚れた鎧も欠けた盾も、今は彼らの勲章のように見えた。
彼らは守り抜いたのである。
自分たちの国を。
自分たちの未来を。
歓声が渦巻く中、日巫女は高みから三人を見下ろした。
中央には父・那岐、その傍らには知を司る月読と、武を司る須佐之男が立ち、その姿はまるで国を支える三本の柱のようだった。
父が国を生み出し、月読が国を支え、須佐之男が国を守ったのなら、自分はその国を未来へ導く者になろう。
日巫女は胸の奥で静かにそう誓う。
遥か上空では、一羽の白鷹が大きく円を描いていた。その影は祭殿の屋根を越え、歓声を上げる民たちの上をゆっくりと滑っていく。
空はどこまでも青かった。
こうしてこの日、山門壱国はその役目を終える。
そして新たに……大倭壱国の時代が幕を開けたのである。
物語の中核になる主要人物達が登場していよいよ群像劇が始まります。
三章はみんな未来を見ていて書いていて楽しい章でした。




