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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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三章 邪馬台国 七話 須佐之男の台頭

 月読が壱岐を服属させてから、三年の歳月が流れていた。

 山門壱国はかつてない繁栄を迎えている。港には倭の各地から船が集まり、市場には鉄器や絹布をはじめとする珍しい品々が並び、人々の暮らしは以前とは比べものにならないほど豊かになっていた。

 しかし、豊かさは新たな問題も生んでいた。


「最近、若い連中が元気すぎるな」


 訓練場を見下ろしながら呟いた那岐に、十五歳になった須佐之男が首を傾げる。


「良いことじゃねえのか?」

「元気なのはいいんだ。ただ、喧嘩ばかりされると困るな」


 国が豊かになり人口が増えれば、当然ながら力自慢の若者たちも増える。畑仕事や漁だけでは有り余る体力を持て余し、些細なことで拳を振るう者も少なくなかった。最近では若者同士の諍いが目立つようになり、村々の長たちからも頭の痛い問題として報告が上がっていた。

 その日も訓練場では、十人近い若者たちが入り乱れて乱闘騒ぎを起こしていた。


「やるか!」

「表へ出ろ!」


 怒号が飛び交い、拳と拳がぶつかり合う。最初は口論だったはずが、いつの間にか全員を巻き込んだ殴り合いへ発展しており、周囲の者たちも危なくて近寄れない有様だった。

 その乱闘の最中、不意に低い声が響いた。


「うるせえ」


 たったそれだけで、その場にいた全員の視線が声の主へ向く。そこに立っていたのは須佐之男だった。十五歳とは思えない巨体はすでに大人たちを見下ろすほどで、広い肩幅と太い腕は、見る者に本能的な威圧感を与えた。


 須佐之男は何も言わず乱闘の輪へ歩み寄ると、掴み合っていた男の一人を片手で軽々と持ち上げた。


「え?」


 男が間の抜けた声を漏らした次の瞬間、その身体は隣の男へ向かって放り投げられる。突然降ってきた仲間を受け止めきれず、二人はもつれ合ったまま地面へ転がった。

 須佐之男は腕を組み、居並ぶ若者たちを見回した。


「喧嘩したいなら俺が相手になるぞ」


 その一言だけで十分だった。先ほどまで威勢よく怒鳴っていた若者たちは揃って口を閉ざし、誰一人として視線を合わせようとしない。須佐之男が本気で相手をすると言えば、それは喧嘩では済まないと誰もが理解していた。


 以後、那岐は若者たちへ武器を与え、武芸の訓練を始めた。力を競う場を作れば無駄な争いは減るという考えだったが、その狙いは見事に当たり、若者たちは競うように稽古へ参加するようになる。


 当然、須佐之男もその中心にいた。そして那岐は、自分の判断を少しだけ後悔することになる。


「父上! 勝負だ!」


 木槍を構えた須佐之男が雄叫びと共に突進した。だが、身体に妖気を纏った那岐には通じない。妖気によって強化された身体能力は人の限界を遥かに超えており、須佐之男の槍はかすりもしなかった。

 那岐は横へ半歩動くだけで攻撃を避ける。


「少し遅いかな」

「くそっ!」


 須佐之男は何度も槍を振るうが、そのたびに那岐は紙一重でかわしていく。力任せの猛攻は一度として届かず、訓練場には須佐之男の荒い息遣いだけが響いていた。

 やがて地面へ大の字になって倒れた須佐之男が、悔しそうに空を睨む。


「なんで当たらねえんだよ!」

「まだ少し、動きが大きいかな」


 那岐は汗一つかいていない涼しい顔で答えた。

 数日後、壱岐から月読が帰省すると、その知らせを聞きつけた人々が訓練場へ集まった。久しぶりの兄弟対決を見ようと、周囲は見物人で埋め尽くされている。


「兄上! 勝負だ!」

「まあ、構わないよ」


 月読が木剣を構えると、合図とともに試合が始まった。

 次の瞬間、須佐之男が振り下ろした一撃は、月読の木剣を真正面から叩き砕いた。乾いた破砕音とともに木片が四方へ飛び散り、見物人たちから驚きの声が上がる。


「おい! 今の反則だろ!」


 周囲が騒然となる中でも、月読は慌てる様子を見せなかった。砕けた木剣を静かに足元へ置くと、訓練役から代わりの木剣を受け取り、何事もなかったかのように再び構えを取る。


「続けよう」


 その後も試合の流れは変わらなかった。須佐之男は力任せの猛攻を繰り返し、振り下ろされる木剣は風を裂いて地面を抉る。しかし月読は決して正面から受けようとせず、最小限の動きで間合いを保ちながら、そのすべてをかわしていった。


「逃げてばっかりじゃねえか!」


 苛立ちを隠さず須佐之男が叫ぶと、月読は乱れない呼吸のまま静かに答えた。


「戦とは力比べではない」


 それでも須佐之男は攻撃の手を緩めなかった。渾身の力を込めた一撃を次々と繰り出し、月読を捉えようとするが、そのたびに空を切る。そうして攻防が続くうちに須佐之男の肩は大きく上下し始め、額から流れる汗が土の上へ落ちていった。


「まだだ!」


 須佐之男は吠えるように叫び、全身の力を込めて木剣を振り下ろした。その一撃はこれまでで最も重く、最も鋭かったが、それゆえに動きも大きかった。

 月読の目が鋭く細まる。


「終わりだ」


 次の瞬間、月読の身体が須佐之男の懐へ滑り込んだ。勢い余った木剣は地面へ深々と突き刺さり、その反動で須佐之男の体勢が大きく崩れた。振り返ろうとした時には、すでに月読の姿は背後へ回り込んでおり、木剣の切っ先は静かに首筋へ突き付けられていた。


「私の勝ちだ」


 訓練場は静まり返った。

 須佐之男はしばらく呆然と立ち尽くしていたものの、やがて悔しそうに顔を歪める。


「くそっ……」


 月読は木剣を下ろしながら静かに言った。


「力はお前が上だ。だが戦では、力だけでは勝てない」


 その言葉に、見守っていた若者たちは深く頷いた。圧倒的な武勇なら須佐之男が上であることに疑いはない。しかし戦場で兵を率い、勝利を掴む将としての技量では月読が一枚上手だった。同じ那岐の子でありながら、二人の強さの在り方はまったく異なっていたのである。


 その日の夜、那岐は鍛冶職人を館へ呼び出した。昼間の試合で、須佐之男が木剣を容易く砕いてしまった光景がどうしても頭から離れなかった。あの怪力では、普通の槍や剣を持たせても武器の方が先に壊れる。


「須佐之男には、普通の武器では耐久が足りないかもしれないな」


 那岐が腕を組みながら言うと、職人も苦笑しながら頷いた。


「はい。あれでは武器が持ちません」


 その答えを聞いた那岐はしばらく考え込んだ後、静かに口を開いた。


「なら、あの子の力に耐えられる武器を作ってあげるか」


 職人たちは数日間かけて試行錯誤を重ね、ようやく一つの武器を完成させた。だが、それを目の前にした職人たちの顔には、達成感より困惑の方が濃かった。


「こんな物、人が使えるわけありません!」


 鍛冶場に響いた悲鳴にも似た訴えに、那岐は完成した武器を見つめたまま平然と答える。


「大丈夫。あの子なら使えるよ」

「無理です!」


 完成したのは剣でも槍でもなく、鉄を大量に使って作られた巨大な金棒だった。もはや武器というより、鉄の塊そのものである。


 だが、当の須佐之男は目を輝かせながらそれを受け取った。


「おお!」


 歓声を上げるなり、常人なら持ち上げることすら困難な金棒を軽々と肩へ担ぎ、そのまま振り回してみせる。風を切る轟音が鍛冶場に響き、職人たちは揃って口を開けたまま固まった。


「……やっぱり鬼だ」


 誰かが呆然と呟く。

 その言葉は瞬く間に人々の間へ広がり、須佐之男の怪力は山門壱国中で語り草になった。




 そんな頃、北部の山沿いの村から急報が届いた。

 館へ駆け込んできた男は顔を青ざめさせ、肩で荒い息をしながら床へ膝をつく。


「大変です! 化け物猪がまた現れました!」


 その場にいた者たちがざわめく中、那岐は落ち着いた様子で男へ視線を向けた。


「落ち着いて、詳しく聞かせてくれ」

「最初はただの大猪だと思っていたんです。ですが違いました。あれは獣なんかじゃありません」


 男は恐怖を思い出したように声を震わせながら続ける。


「家ほどもある真っ黒な化け物で、牙は槍みたいに長いんです。畑を荒らすだけではなく、大人が両腕を回しても抱えきれないほどの大木を、体当たり一突きでへし折りました」

「怪我人はいるのか」

「畑は滅茶苦茶です。作業していた者も二人襲われ、命は助かりましたが骨を砕かれました。このままでは誰も畑へ近付けません」


 男は拳を握り締めた。


「どうか助けてください。このままでは村が潰れてしまいます」


 那岐は腕を組みながらしばらく考え込んだ後、確認するように尋ねる。


「どれくらい大きいんだ」

「大人が二人並んで寝転んだほどの長さがあります。何人がかりでも押し返せるとは思えません。」


 その言葉に館の空気が凍り付く。

 それはもはや猪ではない。牛ほどもある巨体が、槍のような牙を生やしたまま森を駆け回っているようなものだった。突進されれば木柵も家屋も紙細工同然だろう。

 だが、その話を聞いた須佐之男だけは目を輝かせていた。


「面白そうじゃねえか」


 不敵な笑みを浮かべながら立ち上がった須佐之男は、傍らに置いてあった巨大な金棒を軽々と肩へ担ぐ。


「行くぞ!」


 こうして山門壱国を騒がせる巨大猪討伐が始まった。

 しかし、いざ退治へ向かうと予想外の問題が発生した。肝心の猪がなかなか姿を現さないのである。山中を探し回れば、荒らされた木々や掘り返された地面、巨大な足跡など痕跡はいくらでも見つかる。だが、当の猪とは一向に遭遇できなかった。


 どうやら獣としての本能で須佐之男の危険さを察知しているらしく、人の気配を恐れるどころか、須佐之男の気配だけを避けるように山奥へ姿をくらませているようだった。


「逃げてるんじゃねえか?」


 不満そうに須佐之男が唸ると、那岐は呆れたように肩を竦める。


「猪に警戒される人間なんて、私も初めて見たよ」


 結局そのまま数日が過ぎ、村人たちの間では本当に退治できるのかという不安の声まで上がり始めていた。ようやく事態が動いたのは、晴れた昼下がりのことだった。


 辺境の村で畑仕事をしていた男が野菜の手入れをしている最中、茂みを突き破って現れた巨大猪が猛然と襲い掛かったのだ。


「助けてくれ!」


 悲鳴が村中に響き渡るや否や、須佐之男は一直線に駆け出した。だが、手にしていた金棒を途中で放り捨てると、


「待て!」


 と叫びながら猪へ正面から飛び付き、そのまま両手で鋭い牙を掴んだ。

 しかし、化け物じみた巨体が生み出す力は想像以上だった。須佐之男の足は地面へ深くめり込み、踏ん張ってもなお少しずつ後方へ押し込まれていく。全身の筋肉を膨らませて抵抗するものの勢いは止まらず、その光景を目の当たりにした村人たちの顔からはみるみる血の気が失われていった。


 その時だった。

 須佐之男の身体から黒い靄のようなものが噴き出し、周囲の空気が震えた。遠くで見守っていた那岐と月読は同時に目を見開く。


「今のは……まさか」

「妖気か」


 当の須佐之男には何が起きたのか分からなかった。ただ身体の奥底から凄まじい力が湧き上がり、血が沸騰するような熱が全身を駆け巡っていく。押し込まれていたはずの身体はぴたりと止まり、地面へさらに深く食い込んだ。


「うおおおおおおっ!」


 咆哮とともに全身へ力を込めると、大岩のような巨大猪の身体がゆっくりと持ち上がる。村人たちが息を呑む中、須佐之男はそのまま猪を頭上まで掲げ、一気に地面へ叩き付けた。


 轟音とともに大地が震え、土煙が空高く舞い上がる。叩き付けられた衝撃で地面は大きく抉れ、あれほど暴れ回っていた化け物は完全に動かなくなった。


 人が素手で巨大猪を倒すなど、誰も見たことがなかった。

 やがて煙が晴れると、窪みの中心には肩で息をしながら立つ須佐之男の姿があった。全身は土埃にまみれていたが、その身体に傷らしい傷は見当たらない。


「鬼神だ……」


 一人の老猟師が感嘆するように呟いた。

 その言葉に、周囲は静まり返る。


「鬼神……?」


 誰かが聞き返すと、老猟師は須佐之男を見つめたままゆっくりと頷いた。


「ああ。あれはもう、ただの武人ではない。山の鬼すら素手で捻り潰しそうな男だ」


 その言葉は不思議なほど自然に人々の胸へ落ちていった。


「確かに鬼神だ」

「鬼神様だ!」

「鬼神が猪を倒したぞ!」


 誰かが叫ぶと、それをきっかけに歓声が爆発する。


「鬼神様!」

「須佐之男様!」

「鬼神様!」


 人々は拳を突き上げ、互いの肩を叩きながら勝利を称えた。その声は村中へ広がり、集まった者たちの熱気はいつまでも収まる気配を見せない。

 少し離れた場所でその様子を眺めていた那岐は、苦笑を浮かべながら小さく呟いた。


「鬼神か」

「間違ってはいないな」


 隣に立つ月読も静かに頷く。

 一方で、当の須佐之男だけは何がそんなに騒がれているのか分からないらしく、倒した猪の牙を引き抜こうとしていた。周囲の歓声などまるで気にしていない様子に、那岐は思わず額へ手を当てる。


 こうして巨大猪を素手で打ち倒した日の出来事を境に、須佐之男は山門壱国で『鬼神』と呼ばれるようになった。その異名は旅人や商人たちの口によって各地へ伝わり、やがて倭中に広まっていくことになる。




 そして後日、訓練場では妖気を纏った須佐之男が満面の笑みを浮かべながら立っていた。巨大な身体から漏れ出る妖気だけで周囲の空気は張り詰め、見守る若者たちは誰も近付こうとしない。


「父上! 稽古だ!」


 須佐之男が金棒を肩へ担ぎながら叫ぶと、那岐は嫌な予感を覚えながら隣にいた月読へ視線を向けた。


「月読、今日は頼めないか」

「私は政務があります」

「さっき昼寝していなかったか」

「父上の見間違いです」


 二人がそんな押し付け合いをしている最中、須佐之男の金棒が唸りを上げて振り下ろされた。轟音とともに地面が砕け、土煙が舞い上がる。


 二人はほぼ同時に飛び退いた。


「月読、お願いだから相手をしてあげてくれないか!」

「父上こそ!」


 互いに責任を押し付けるように叫んだ後、那岐と月読は顔を見合わせる。そして次の瞬間には完全に意見が一致していた。


「今日は、少し無理かな!」

「今日は無理だ!」


 二人は揃って訓練場から逃げ出し、須佐之男は不満そうな声を上げながらその後を追い掛ける。妖気を纏った十五歳の怪物から逃げ惑う父と兄という異様な光景に、若者たちは呆然と立ち尽くしていた。


 その様子を遠くの祭殿から眺めていた日巫女は、深々とため息を吐く。


「本当に馬鹿ばっかですわ……」


 こうして山門壱国最強の武人となる須佐之男の伝説は、どこか締まらない形で幕を開けたのである。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。


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