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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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三章 邪馬台国 六話 壱岐服属後編

 壱岐を発った船は南東へ進み、不弥国への航路を辿っていた。押見彦との会談は決裂に終わり、海人族の長たちは山門壱国との同盟を拒んでいる。このまま壱岐へ留まれば警戒を強められるだけであり、押見彦の情報網から一度離れるためにも、月読と那岐は不弥国へ向かうことになったのだ。


 穏やかな波が船腹を叩き、初夏の風が帆を大きく膨らませる。船尾に立つ月読は遠ざかる壱岐の島影を見つめながら、胸の内に残る疑問を振り払えずにいた。


「父上」

「どうしたんだい」

「本当に戦わずに従わせられるのでしょうか」


 月読は視線を海へ向けたまま問いかけた。


 壱岐は海人族の国である。代々海を渡り、交易によって栄えてきた誇り高い民であり、その頂点に立つ押見彦も簡単に頭を下げるような人物ではなかった。兵を集めて攻めれば勝てるかもしれない。しかし、それでは恨みが残る。征服できたとしても、反発は長く燻り続けるだろう。


「姉上はなぜ戦を選ばれなかったのですか」


 その問いに、那岐は海風に髪を揺らしながら小さく笑った。


「姫のやり方は外交での戦いだよ」


 思いがけない返答に月読は首を傾げる。


「外交ですか」

「ああ。戦は分かりやすい。敵を倒し、土地を奪い、従わせる。それだけの話だ。だが姫は違う。あれは敵を味方へ変えようとする」


 那岐は苦笑を浮かべながら続けた。


「同盟を結び、交易を広げ、婚姻で血を繋ぎ、相手に利益を与える。そして気付いた頃には、自ら進んでこちらの手を取るよう仕向けるんだ」


 月読は思わず感心したように息を漏らした。


 戦で奪われた国は反抗の機会を窺うが、自ら選んだ国は裏切りにくい。兵も失わず、田畑も焼かれず、それでいて支配圏だけが広がっていくのだから、確かに戦より堅実なやり方だった。


「今回も同じだよ」


 那岐は船首の向こうに広がる海原へ目を向けた。


「押見彦を屈服させる必要はない。あの男自身に、山門壱国と手を組みたいと思わせればいい」

「そんなことが本当に可能なのでしょうか」


 月読が眉をひそめると、那岐はどこか愉快そうな笑みを浮かべた。


「だから不弥国へ向かっているんだ」

「どういう意味ですか」


 月読が問い返すと、那岐はしばらく黙ったあと、不意に口元を吊り上げた。


「月神の使いを、少し演じてもらおうと思ってね」


 その言葉の意味が理解できず、月読はぽかんと父の顔を見つめた。しかし当の那岐はそれ以上説明する気がないらしく、楽しそうに帆の向こうの空を眺めている。

 嫌な予感しかしない。

 そう思いながら、月読は深いため息を吐いた。




 不弥国へ到着した月読を待っていたのは、予想していた外交交渉でも軍議でもなかった。

 那岐が最初に向かった先は市場であり、白布や飾り紐を次々と買い集めていく姿を見て、月読は首を傾げた。


「父上、何を探しているのですか」

「巫女装束を探しているんだ」

「……はい?」


 聞き間違いかと思ったが、那岐は真顔のまま土鈴や装飾品まで買い揃え、宿へ戻る頃には立派な巫女装束一式が完成していた。

 月読は胸の奥に湧き上がる嫌な予感を抑えきれなかった。


「父上」

「どうしたんだい」

「まさかとは思いますが」

「月読に、着てもらおうと思っている」


 即答だった。

 もともと月読は母に似て線が細く、整った顔立ちをしていた。白布を纏えば遠目には若い巫女にしか見えない。那岐が息子を選んだのも、その見た目を計算してのことだろう。


 月読は思わず天を仰ぐ。嫌な予感ほどよく当たるものであり、その予感は翌日から現実となった。

 那岐が始めたのは巫女舞の訓練だった。最初は土鈴を鳴らしながら歩いて舞うだけだったが、妖力を併用する訓練が加わった途端、その難易度は一気に跳ね上がる。


「少し浮いてみようか」

「簡単に言わないでください」


 月読が妖力を集中させると身体がふわりと浮き上がった。成功したと思った次の瞬間、その身体は制御を失ったように前方へ飛び出し、近くの木へ盛大に激突する。


「うわっ!」


 鈍い音とともに地面へ落下した月読は額を押さえてうずくまったが、那岐は平然と腕を組んでいた。


「今のは木が悪い」

「絶対違います」


 その後も失敗は続いた。浮上には成功するものの着地で転び、舞を始めれば妖力が乱れ、土鈴を鳴らそうとすれば集中が途切れる。気付けば横へ流され、何度も地面へ尻餅をついていた。

 半日も経つ頃には月読の身体は土埃だらけになり、息も絶え絶えになっていた。


「父上、本当に必要なのですかこれ」

「必要だよ。……たぶん」

「今、少し迷いましたよね」

「力だけならお前は十分だ。問題は繊細さにある。妖力とは力任せに振るうものではなく、呼吸をするように扱えて初めて意味を持つ」

「論点そこではありませんよ……」


 那岐は足元に落ちていた木の葉を一枚拾い上げた。

 次の瞬間、その葉はふわりと宙へ浮かび、風もないのに那岐の周囲をゆっくりと回り始めた。その動きはあまりにも自然で、まるで葉そのものに意思が宿っているようだった。


「これが出来るようになるといい」

「難易度がおかしいです」


 思わず叫ぶ月読を見て、那岐は楽しそうに笑う。


「大丈夫、そのうち出来るよ」


 結局その日も月読は日暮れまで訓練を続けさせられ、夕暮れには宿の庭先へ腰を下ろしていた。妖力を使い続けた反動で全身は鉛のように重く、頭の芯までぼんやりしている。

 すると那岐が、不意に口を開いた。


「押見彦殿の娘を、妻に迎えるんだ」


 月読は固まった。


「……は?」


 あまりにも唐突な話だったが、那岐は構わず続ける。


「そして、お前は壱岐に残る」

「……は?」


 意味が分からない。今日一番の衝撃は木へ激突したことだと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 月読はしばらく沈黙した後、ようやく言葉を絞り出した。


「父上、説明をお願いします」


 那岐は湯飲みを口元へ運びながら穏やかな声で答えた。


「国は武で支配するものではない。血で結ぶものだ。それが今の山門壱国の方針でもある」


 月読は黙って耳を傾ける。


「押見彦の娘を娶れば、押見彦は敵ではなく親族になる」

「ですが、それだけで従うでしょうか」

「きっと、受け入れてくれると思うよ」


 那岐は迷いなく断言した。


「親族となれば裏切りは難しくなるし、互いの利益も一致する。さらにお前が壱岐へ残れば海人族と山門壱国の繋がりは途切れない。押見彦が死んだ後も、その関係は子や孫へ受け継がれていく」


 月読は少しずつ理解し始めていた。武力で奪えば反発が残るが、婚姻なら違う。娘の夫は息子同然となり、その子は両国の血を受け継ぐ。少なくともこの時代において、血縁はどんな同盟よりも強い絆だった。


「だから姉上は戦を避けたのですか」

「ああ」


 那岐は静かに頷く。


「国を増やすとは土地を奪うことじゃない。味方を増やすことだ」


 その言葉に、月読は深く息を吐いた。父と姉が見ている景色は、自分が思っていたより遥か先にあるらしい。

 もっとも、その前に解決しなければならない問題が残っていた。


「父上」

「なんだ」

「婚姻の話は分かりました」

「うむ」

「ですが、その前に月神役を何とかしていただけませんか」


 那岐は声を上げて笑い、月読は本日何度目か分からないため息を吐いた。




 満月の夜だった。

 壱岐の南岸にある静かな入江には波の音だけが響き、雲一つない夜空から降り注ぐ白銀の月光が海面を鏡のように照らしていた。風もほとんどなく、天地そのものが息を潜めているかのような静寂が辺りを包み込んでいる。


 その浜辺には押見彦と側近たちが集められていた。突然の呼び出しに戸惑う者もいたが、押見彦は黙って沖を見つめている。山門壱国の使者である月読と那岐が何を見せようとしているのか、誰にも分からなかった。


「本当に来るのか」


 側近の一人が不安げに呟いた、その時だった。


 ……シャラン。


 夜の静寂を震わせるように、澄んだ土鈴の音が海の彼方から聞こえてきた。

 押見彦たちは一斉に海へ目を向ける。

 月光に照らされた海面の上を、一人の白い影がゆっくりと進んでいた。


「な……」


 誰かが息を呑む。

 それは白い巫女装束を纏った月読だった。波打ち際でも浅瀬でもない場所を歩いているにもかかわらず、その足は海へ沈まず、まるで月光が描いた道の上を進んでいるかのように見える。


 白い衣は夜風に揺れ、長い袖は月光を受けて淡く輝いていた。月読が男であることを知らなければ、誰もが月神に仕える神子だと信じただろう。


 再び土鈴が鳴る。


 澄み切った音色が静かな入江へ広がると、それに合わせるように月読はゆっくりと舞い始めた。右手が天へ伸び、続いて左手が水の流れのように空をなぞる。そのたびに白い袖が月光を反射し、舞そのものが風や波の動きを形にしたかのような幻想的な光景を生み出していた。


 押見彦たちは息を呑んだまま、その舞に見入っていた。

 やがて誰かが震える声を漏らす。


「浮いている……」


 その呟きは驚愕へ変わった。

 月読の身体がゆっくりと海面から離れ始めたのである。


 最初は波の錯覚かと思われた。しかし違った。白い足袋は水面に触れておらず、その身体は確かに宙へ浮かび上がっていた。


 しかも舞は止まらない。


 土鈴の音色を響かせながら、月読は見えない階段を昇るように高度を上げていく。海面から人の背丈ほどの高さへ達しても動きは乱れず、満月を背負ったその姿は次第に人の領域を離れ、神話の存在へと変わっていった。


 月光を浴びた白い巫女服は銀色に輝き、長い髪は夜風に流れる。海と空の境界が曖昧になるほど幻想的な光景の中で、月読はまるで月神の使いが海へ降り立ったかのように舞い続けていた。


 だが、その優雅な姿とは裏腹に、月読自身は全神経を妖力の制御へ集中させていた。覚醒した力はまだ不安定であり、舞いながら浮遊を維持するなど本来なら不可能に近い。それでも破綻しないのは、沖合の闇に紛れた那岐が誰にも気付かれぬよう妖力を送り続けているからだった。


 夜の闇に溶け込むように立つ那岐は、誰にも気付かれぬまま息子を支え、見えない風でその身体を包み込んでいた。それは父子が力を合わせて作り上げた奇跡だったが、その真実を知る者は二人しかいない。


 押見彦たちの目に映るのは、ただ圧倒的な神威だけだった。海の上に立ち、月を背負いながら天空を舞う存在が人であるはずもない。戦場で幾度も死線を越えてきた海人族の長たちでさえ、知らず知らずのうちに膝を折り、頭を垂れていた。


 それは単なる恐怖ではなかった。

 人智を超えた存在を前にした時にのみ生まれる、本能的な畏敬だった。

 押見彦は震える手を砂浜につきながら膝を折り、思わず声を漏らす。


「神……月読神……」


 その呟きは押見彦だけのものではなかった。周囲の長たちも言葉を失い、ただ頭を垂れながら天空の奇跡を見上げている。


 海人族を率いる長として、押見彦はこれまで数多の荒波を越え、暴風雨や海獣、他国との争いを生き抜いてきた。しかし海の上で舞い、月を背負いながら天空へ昇る人間など見たことがなく、その光景は長年培ってきた経験や常識のすべてを容易く打ち砕いていた。


 もし敵として刃を交えれば、風は逆巻き、海は荒れ狂い、船は沈み、人々は抗うこともできずに飲み込まれるだろう。勝てるかどうかを考えること自体が愚かだった。


 だが、押見彦の胸を満たしていったのは絶望ではない。

 あれほどの力を持ちながら、月読は壱岐を焼かず、船を沈めず、ただ月光の下で舞った。その意味を悟った瞬間、押見彦は理解した。

 山門壱国は海人族を滅ぼしに来たのではない。選びに来たのだ。


 神は海人族を見捨てていない。むしろ自分たちを認め、その力を示してくれたのだ……そう確信した瞬間、胸を満たしていた畏敬は深い敬意へと変わっていく。


 押見彦は深く頭を垂れ、その姿に続くように周囲の長たちも次々と膝をついた。もはや反対する理由はどこにもない。月光の下で舞う月読の姿は、彼らの心から抵抗という考えを消し去り、代わりに畏敬と信頼を深く刻み込んでいたのである。





 翌朝、押見彦は数人の長たちを伴い、月読たちの滞在する館を訪れた。

 館へ足を踏み入れるなり、押見彦は迷うことなく膝をつき、深々と頭を垂れる。


「先日の無礼をお許しください」


 同行していた長たちもそれに続いたが、月読は困ったように微笑みながら静かに首を横へ振った。


「どうか顔を上げてください」


 押見彦はゆっくりと顔を上げる。その視線の先にいるのは、昨夜満月を背負って海上を舞い、天空へ昇っていった存在ではなく、穏やかな眼差しを向ける一人の若者だった。


 あの光景は今なお鮮明に脳裏へ焼き付いている。長年海を渡り、幾多の嵐や戦を潜り抜けてきた押見彦でさえ、自らの常識が揺らぐほどの出来事だった。しかし月読は、その圧倒的な力を誇ることもなければ、壱岐を脅すこともしない。むしろ海人族の誇りを尊重し、長である自分へ礼を尽くしている。


 押見彦は黙ってその姿を見つめた。


 ふと後ろに控える海依姫へ視線を向けると、娘もまた月読から目を離せずにいた。昨夜の神秘的な姿に心を奪われたのか、それとも目の前にいる誠実な若者へ惹かれ始めているのかは分からない。だが、その表情に怯えや拒絶の色は見当たらなかった。


 その様子を見た押見彦の胸から、最後まで残っていた警戒心が静かに消えていく。


「押見彦殿は長年にわたり壱岐を守り続けてこられた立派な長です。私が頭を下げられるようなことはありません」


 そう言って月読は自ら深く一礼した。その姿に押見彦は思わず目を見開く。神威を持つ者ならば傲慢に振る舞っても誰も逆らえないはずだ。それにもかかわらず、月読は相手の誇りを尊重し、敬意を示している。


 かつて那岐は月読へこう教えていた。


「力ある者ほど驕ってはならない。人を従わせたいのなら、まず相手へ敬意を示せ」


 月読はその教えを忠実に実践していた。

 やがて広間が静まり返る中、月読は改めて口を開く。


「私は壱岐を奪いに来たのではありません」


 押見彦は何も言わず、その言葉の続きを待った。


「海人族は海を知っています。航路を知り、潮を知り、風を知っている。その力は山門壱国にとって欠かせないものです」


 穏やかに語る月読の声には偽りも驕りもなかった。


「私は皆様と争いたいのではありません」


 一度言葉を区切った月読は、押見彦を真っ直ぐ見据えながら静かに続ける。


「共に海を治めたいのです」


 その言葉が広間へ落ちると、誰もすぐには口を開かなかった。海人族の価値を認め、武力ではなく協力を求める月読の姿勢は、押見彦の胸に残っていた最後の警戒心さえ静かに溶かし始めていた。

 やがて月読は一呼吸置くと、押見彦を真っ直ぐ見据えながら続ける。


「もう一つ、お願いがあります。もし許されるなら、私は貴方の娘を妻に迎えたいのです」


 その瞬間、広間の空気が凍りついた。長たちは驚きに目を見開き、押見彦も思わず言葉を失う。


「それは……」

「婚姻によって海人族と山門壱国を結びたい。そして私は壱岐に残ります」


 月読の真摯な言葉に、押見彦は思わず息を呑んだ。


 娘を差し出せば壱岐は山門壱国へ取り込まれるのではないか。そんな考えが一瞬よぎる。だが月読は壱岐を滅ぼさなかった。それどころか、自ら壱岐へ残ると言う。


 つまり月読は支配者としてではなく、海人族の一員として生きる道を選んだのだ。


 押見彦の脳裏には、昨夜の光景が今も焼き付いていた。海上に立ち、月を背負って舞う姿は、人のものとは思えないほど神々しかった。だが、月読はその力を誇示して壱岐を脅したわけではない。ただ静かに力を示し、翌朝にはこうして自分たちへ礼を尽くしている。


 恐れるべき力と、信じるに足る誠意。その二つを同時に示されたことで、押見彦の中に残っていた迷いは静かに解けていった。


 この男なら、娘を託せる。

 この男なら、壱岐の未来を任せられる。


 押見彦はそう確信し、ゆっくりと背筋を伸ばした。

 しばらく考え込んだ後、押見彦はゆっくりと頷く。


「断る理由が見つかりませんな」


 その言葉に広間の空気が和らいだ。

 押見彦は立ち上がって月読の前へ歩み寄ると、その肩へ力強く手を置いた。


「娘の海依姫を託しましょう」


 そして満面の笑みを浮かべる。


「ようこそ壱岐へ、婿殿」


 その瞬間、海人族と山門壱国を結ぶ新たな絆が結ばれた。海上交易網を支えることになる同盟は、武力ではなく敬意と誠意、そして婚姻によって成立したのである。




 婚礼の日、壱岐は朝から祝祭の熱気に包まれていた。港には色とりどりの旗が掲げられ、海人たちは獲れたばかりの魚を振る舞い、女たちは歌を口ずさみながら宴の支度に追われている。浜辺を駆け回る子供たちの笑い声も絶えず、島中が新たな門出を祝福していた。


 祭壇の前では、月読と海依姫が並んで立っていた。白い装束に身を包んだ月読と晴れの装束を纏った海依姫が盃を交わすと、集まった人々から大きな歓声が湧き上がる。


 海依姫は緊張した面持ちで盃を受け取ったが、月読が静かに微笑むと、わずかに頬を緩めた。その表情を見ていた女たちからは安堵したような笑みが漏れる。


「おめでとうございます!」

「末永くお幸せに!」


 祝福の声に包まれる二人を見つめながら、押見彦は静かに目を細めた。

 やがて宴も終わりに近づき、港では一隻の船が出航の準備を整えていた。船尾に立つ那岐のもとへ月読が見送りに訪れ、二人は潮風に吹かれながら並んで海を見つめる。

 しばらく流れた静寂を破るように、那岐は穏やかな声で口を開いた。


「月読。国を治めるとは、人を従わせることではない」


 月読は父の言葉を逃すまいと真っ直ぐに耳を傾ける。


「人に望んでついて来てもらうことだ。力は人を畏れさせるが、畏れだけでは国は長く続かない。敬意を払い、信頼を積み重ね、人々が自ら支えたいと思う国を作れ。それが本当の統治だ」


 その教えを胸に刻むように、月読は深く頭を下げた。


「はい、父上」


 迷いのない返答に、那岐は満足そうな笑みを浮かべる。


「それなら、もう心配はいらないね」


 船はゆっくりと岸を離れ、白い波を引きながら沖へ向かって進み始めた。月読はその場に立ち尽くし、父の姿が小さくなってもなお見送り続ける。やがて船影が水平線の彼方へ消えると、彼は静かに振り返った。


 そこには妻となった海依姫が立ち、その後ろには壱岐の民がいる。守るべき家族があり、導くべき人々がいる。その光景を見つめた月読は静かに息を吸い込み、新たな長としての一歩を踏み出した。


 後に壱岐は山門壱国の海上交易を支える重要な拠点へと発展し、月読もまた海人族を束ねる指導者として大きく成長していくことになる。しかし、それらすべての始まりは、満ち足りた祝福と希望に包まれた、この婚礼の日にあった。




 後日談

 那岐は、巫女服で舞を踊っている月読の絵を描き、山門壱国の女王宛に送った。


「ぶっ……何をやらせているのですか、父上は!」


 呆れる娘であった。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。


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