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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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三章 邪馬台国 三話 神楽

 奴国から帰った姫は、それまで以上に物思いに沈むことが多くなっていた。


 奴国で目にした市場の賑わいも、港へ絶えず集まる商人たちの姿も強く印象に残っていたが、その中でも姫の心に最も深く刻まれたのは祭祀場で見た光景だった。


 老いた祈祷師が祭壇の前へ進み出ると、それまで思い思いに行動していた商人や漁師、旅人たちまでもが自然と頭を垂れ、同じ神へ祈りを捧げ始めた。そこには命令も強制もなく、武器を手にした者が人々を従わせているわけでもない。それにもかかわらず、誰もが当然のように祈りへ参加し、一つの心を共有しているように見えたのである。


 奴国から戻って以来、姫はその光景の意味を繰り返し考え続けていた。国をまとめるとは何なのか。人を従わせるとは何なのか。那岐は人望によって人々を導いているが、もし父がいなくなった後も同じように国をまとめ続けるのだとしたら、人々を結び付けるためには人望だけではない、別の力が必要なのではないか……そんな問いが、姫の胸の中で少しずつ大きくなっていた。

 そんなある日のことだった。


 祭祀の練習に励んでいた姫の周囲で、突然風が巻き起こった。祭壇へ供えていた木の葉がふわりと舞い上がり、吊るされていた鈴が誰の手にも触れられていないにもかかわらず澄んだ音を響かせる。予想もしなかった現象に姫は呆然と立ち尽くしたが、その様子を見た那岐はすぐに原因を悟った。


「……妖力か」


 それはかつて自分が目覚めた力と同じものだった。


 こうして姫は那岐から妖力の扱いを学ぶことになる。妖力を暴走させないための精神統一から始まり、自然の流れを感じ取る感覚、風や火へわずかに干渉する術まで、姫は驚くほど熱心に修行へ打ち込んだ。しかし、その一方で武のための妖術にはあまり関心を示さない。


「身を守る術も、少しは覚えておいた方がいいと思うよ」


那岐がそう勧めると、姫は迷いなく首を横に振った。


「必要ありませんわ」

「なんでかな?」

「須佐之男がおりますもの」


 あまりにも当然のように返された言葉に、那岐は思わず吹き出した。

 確かに須佐之男は日に日に腕白さを増し、戦士たちの訓練へ顔を出しては大人顔負けの勢いで動き回っている。森へ入れば獣を追いかけ、漁師たちと競い合い、とにかく身体を動かしていなければ気が済まない性格だった。


 姫の中では、自分が戦う必要など最初から存在していないらしい。

 その姿を思い浮かべた那岐は苦笑した。


「それなら、姫はその力で何をしたいのかな」


 那岐がそう尋ねると、姫は迷うことなく父を見つめ返した。


「わたくしは、巫女になります」


 予想外の答えに那岐は眉を上げる。


「巫女?」

「はい。国をまとめるためです」


 姫はそう言うと、奴国で目にした祭祀の光景を静かに語り始めた。商人も漁師も旅人も、立場の違いを越えて同じ神へ祈りを捧げていたこと。そして、その場にいた誰もが自然と心を一つにしていたこと。人々を結びつける力は制度や武力だけではなく、共に信じるものの中にも存在するのではないか……それが姫の辿り着いた考えだった。


 話を聞き終えた那岐は深く息を吐き、どこか諦めたような表情で肩を竦めた。


「つまり、祭殿を建てたい、ということかな」

「はい」


 姫は即答した。

 祭殿の建設は山門壱国でもかつてない大事業となった。

 まず山奥から巨大な杉や檜が切り出される。男たちは何十人もで縄を引き、掛け声を合わせながら巨木を運んだ。平地では石工たちが祭壇に使う石を削り、職人たちは柱や梁へ精巧な彫刻を施していく。各地の長たちも人手や資材を送り、祭殿は少しずつその姿を形にしていった。


 月読もまた建設に深く関わっていた。運び込まれる木材の数や労働に参加した人々の名を記録し、必要な資材の管理を任されていたのである。最初は計算違いや書き間違いも多かったが、持ち前の探究心で次第に仕事を覚え、いつしか大人たちからも頼りにされるようになっていた。


 一方の須佐之男は記録などには見向きもしなかったが、力仕事となれば誰よりも張り切った。まだ幼い身でありながら巨木を運ぶ男たちへ混ざり込み、石を運び、足場を組む職人たちの後を追いかけては叱られている。それでも本人は楽しそうで、祭殿が完成したら一番高い屋根へ登るのだと真顔で語り、周囲を呆れさせていた。


 そして姫は、その間も巫女となるための修行へ励み続けていた。


 朝は祭壇を清め、昼は祝詞を学び、夕暮れには神楽を舞う。農耕祭祀や豊穣祭にも積極的に参加し、人々の前で祈りを捧げる作法を学んだ。さらに那岐から妖力の扱いを教わり、精神を静めて自然の流れへ意識を向ける鍛錬も欠かさなかった。


 とある夜、弟たちが穏やかな寝息を立て始めたのを確かめると、姫は起こさぬよう静かに寝所を抜け出した。月明かりだけが差し込む薄暗い部屋では、那岐がすでに横になっている。姫は何も言わずその布団へ潜り込むと、幼い頃からそうしてきたように那岐の腕へそっと身を寄せた。


 気配に気付いた那岐は薄く目を開いたが、驚く様子もなく慣れた手つきで姫を抱き寄せる。そして大きな手で頭をゆっくりと撫で始めた。


 二人の間に言葉はない。


 ただ一定のリズムで髪を撫でられているうちに、姫の胸に張り詰めていた緊張は少しずつほどけていく。


 昼間の姫は、那岐へ遠慮なく意見を述べ、時には政治にまで口を出すほど気丈で、背伸びをした少女だった。……しかし、この時ばかりは違う。

 那岐の温もりに包まれながら眠る、年頃の娘だった。 


 そうして季節は巡り、春が過ぎ、夏が訪れ、再び冬が去る。


 祭殿の柱は一本また一本と組み上がり、姫もまた巫女としての知識と技術を積み重ねながら成長していった。




 十五歳になった春。

 祭殿はついに完成する。

 春の陽光を浴びた白木の柱は眩しく輝き、山門壱国の人々は朝早くから祭殿の広場へ集まっていた。長たちも漁師も農民も、子供たちまでもが完成したばかりの祭殿を見上げながら、その日を待っている。


 やがて静寂の中、白い装束を纏った姫が祭壇の前へ姿を現した。春風に揺れる長い黒髪と凛とした立ち姿に、人々の視線は自然と引き寄せられる。十五歳となった姫は、いつの間にか幼い少女の面影を残しながらも、その場に立つだけで周囲の空気を変えるほどの存在感を纏うようになっていた。


 姫は静かに祭壇へ進むと鈴を手に取り、ゆっくりと神楽を舞い始める。澄み渡る鈴の音は春の空気を震わせるように祭殿へ広がり、その舞はまだ若さを残しながらも不思議なほど人の心を惹きつけた。集まった者たちは誰一人として言葉を発さず、ただ息を潜めるようにその姿を見守っている。


 やがて姫が祝詞を唱え始めると、祭殿を吹き抜ける風がふわりと強まり、祭壇へ供えられていた木の葉が舞い上がった。さらに吊るされた鈴がひとりでに鳴り始めると、人々の間から小さなどよめきが広がる。


「今のは……」

「風か?」

「いや……」


 しかし姫は微塵も動じることなく祈りを続けていた。その周囲だけが別の世界へ切り離されたかのような静謐さに包まれ、風にはためく白装束は陽光を受けて輝き、神秘的な光景を生み出している。


 最前列で見守っていた老人の一人が思わず呟いた。


「那美様のようだ……」


 その言葉に周囲の者たちも息を呑む。面差しは父である那岐によく似ている。しかし人々へ祈りを捧げる姿には、かつて誰よりも民を想い、人々から深く慕われた那美の面影が重なって見えたのである。


「まるで神がお降りになったようだ……」


 別の老人が目頭を押さえながら漏らした言葉を否定する者はいなかった。子供たちは目を輝かせ、大人たちは知らず知らずのうちに背筋を伸ばし、長たちでさえ言葉を失ったまま祭壇の前に立つ少女を見つめている。


 その光景を少し離れた場所から眺めていた那岐は、人々の眼差しに宿る感情の変化を静かに感じ取っていた。風に揺れる白装束、神楽を舞う姿、そして人々が向ける畏敬の眼差し。そのすべてを見ながら、もう姫は自分の庇護の下で守られるだけの娘ではなく、人々を導く者になろうとしているのだと胸の奥で理解する。


 やがて祈りが終わり、最後の鈴の音が静かに消えていく。しかし祭殿を包む静寂はすぐには破られなかった。その場にいた誰もが、今しがた何か特別なものを目の当たりにしたような感覚に囚われ、言葉を失っていたのである。


 そしてこの日、人々の心には初めて一つの想いが芽生えた。


 祭壇の前に立つあの少女は、もはやただの姫ではない。


 神々の言葉を聞き、人々を導く存在なのではないか……と。


 祭祀が終わった夕暮れ、人々が帰り始めた祭殿にはなお鈴の余韻が残っていた。西の空を染める朱色の光は白木の柱を黄金色に照らし、その静寂はまるで新たな時代の始まりを祝福しているかのようだった。

 その中で、白装束を纏った姫は那岐の前へ進み出ると、深く頭を下げた。


「父上」

「どうしたの?」


 振り返った那岐へ向けられた眼差しは穏やかだったが、その奥には揺るぎない決意が宿っていた。


「お願いがあります」


 那岐が黙って続きを促すと、姫は顔を上げて真っ直ぐ父を見つめる。


「山門壱国の邑長を継がせてください。そして、王としてこの国を導かせてください」


 その言葉に、那岐はすぐには答えなかった。


 十五歳……まだ子供と呼ばれる年齢である。普通の親であれば、国を治めるなど早すぎると諭しただろう。もっと学び、もっと経験を積んでから考えろと言ったはずだ。しかし那岐には、その言葉を口にすることができなかった。


 なぜなら、自分自身もまた十五歳の頃には故郷を離れ、徐福の船へ乗り込み、見知らぬ土地へ渡っていたからである。大人たちに混じって働き、学び、時には命の危険に晒されながら生きてきた。守られるだけの子供であった時間より、自ら選び、自ら責任を背負って歩んできた時間の方が長い。


 だからこそ知っていた。人を測るのに年齢だけでは足りないことを。幼く見えても大人より遥か先を見据える者がいることを。


 そして目の前の姫は、まさにそうだった。


 祭殿を建てたいと言った時も、奴国へ行きたいと言った時もそうだった。そのたびに姫は那岐の予想を超え、自分自身で答えを見つけ出してきた。気付けば、もう父の後ろを歩く幼い娘ではなく、自ら未来を選び取ろうとする一人の人間へ成長していたのである。


 だから那岐は否定しなかった。ただ静かに問いかける。


「どうして、そう思ったのかな」


 それは父として娘を試す言葉ではなかった。一人の為政者として、未来を語ろうとする者の覚悟を聞くための言葉だった。


 那岐が静かに見つめる中、姫は祭殿の外へ視線を向けた。そこには長い年月をかけて那岐が育て上げた山門壱国が広がっている。


「わたくしは人々を導きたいのです。父上が築いた山門壱国は豊かで、人々は飢えることなく互いに助け合いながら暮らしています。ですが、奴国で学んだことで分かりました。倭にはまだ多くの国があり、多くの人々が暮らしています」


 夕風が吹き抜け、白装束の裾が静かに揺れる。


「国によって決まりは違い、人々の暮らしも違います。争いもあります。けれど皆がより良く生きたいと願っていることは同じです。だからわたくしはもっと学びたいのです。もっと多くの国を知り、その知識を山門へ持ち帰り、この国をさらに良くしたい」


 そこで一度言葉を切ると、姫は胸の奥に秘めていた願いを初めて口にした。


「そして、いつか倭の国々を一つにまとめたいのです」


 那岐の目が大きく見開かれる。

 山門壱国を豊かにしたいという話ではない。目の前の娘は、倭国全土を見据えていた。


「倭を……一つに?」

「はい」


 姫は力強く頷いた。


「争いをなくすことはできないかもしれません。ですが、人々が共に生きられる国を築くことはできます。そのために、わたくしは巫女になります。人々の心を繋ぐために、国々を結ぶために、そして倭を一つにするために」


 その声は静かだったが、決して揺らぐことはなかった。


 那岐はしばらく何も言わなかった。目の前にいるのは、ついこの間まで自分の後ろを歩いていた幼い娘のはずだった。しかし今、その瞳は自分より遥か遠くの未来を見据えている。


 かつて那岐は、人々が飢えず安心して暮らせる場所を守るために国を作った。だが姫が目指しているのは、そのさらに先にある未来だった。一つの国ではなく、倭そのものを変えようとしているのである。


 夕日に照らされた娘の姿を見つめながら、那岐は胸の奥で静かに理解していた。

 この子は、いつか自分を超える。

 姫はまだ十五歳だった。


 しかしその瞳は、山門壱国の先に広がる遥かな未来を見据えていたのである。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。

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