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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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三章 邪馬台国 一話 姫の成長

 那美が亡くなってから一年ほどの歳月が流れていた。


 山門壱国を吹き抜ける風は穏やかで、田畑には新しい命が芽吹いている。しかし、那岐の家から母の笑い声だけは消えたままだった。


 六歳になった姫は幼いながらも母の不在を埋めようとしていた。まだ四歳の月読の手を引き、一歳の須佐之男をあやし、那岐が仕事で家を空ける時には家の中へ気を配る。その姿はまるで小さな母親のようで、月読もそんな姉によく懐き、どこへ行くにも後ろをついて歩き、何をするにも真似をしていた。


 姫が文字を学び始めると月読も自然と隣へ座るようになった。最初は文字を覚えたいわけではなく、筆を握る姉の姿が格好良く見えただけだったが、姫は嫌な顔一つせず根気よく教え続けた。その甲斐あって月読も少しずつ文字を覚え、やがて姉と同じように学ぶことそのものへ喜びを見出すようになっていく。


 一方で須佐之男はまるで違った。

 歩けるようになった須佐之男は家の中に留まることを嫌い、外へ飛び出しては野山を駆け回った。二歳になる頃には庭で遊ぶ方を好み、三歳になる頃には村中を探し回らなければ見つからないほど活発な子供へ成長している。


 その性格は姫や月読とは正反対だった。書庫へ入り込んでは大切な竹簡を積み木代わりにして遊び、そのたびに姫から叱られるのだが、翌日には何事もなかったかのように同じことを繰り返した。


「須佐之男、それは遊ぶものではありません」

「だって積めるぞ!」

「読むものです」

「読まない」


 そう言い残して外へ飛び出していく弟の背中を見送りながら、姫は何度目か分からないため息をつく。三人は同じ家で育ちながらも、それぞれ異なる道を歩み始めていた。


 その中でも姫が最も心を惹かれたのは書物だった。山門壱国には時折、大陸から渡ってきた商人たちが立ち寄り、歴史書や農書、薬学書、医術書、占術書、天文書など様々な竹簡を持ち込む。そのたびに姫は目を輝かせ、手に入れた書物を何度も読み返しては、知らない文字や意味を那岐へ尋ねた。


 七歳になる頃には家にある竹簡だけでは満足できなくなり、


「父上、この竹簡だけでは足りませんわ」


 と真剣な顔で訴えるようになっていた。


「またかい」


 那岐は苦笑したが、


「まだ読んだことのない書物が沢山あるはずです」


 という娘の言葉に根負けし、交易船が来るたび商人たちへ声を掛けて新たな書物を買い集めるようになる。


 そうして年月と共に竹簡は増え続け、やがて家の一角は小さな書庫へと姿を変えた。姫は日が暮れるまでそこで書物を読み続け、その隣にはいつも月読が座っていた。




 姫が十歳になる頃には、月読も立派に文字を読めるようになっていた。二人は夜になると灯火の下で竹簡を広げ、その内容について語り合うことを何よりの楽しみにしていた。漁や狩りにはあまり興味を示さず、畑仕事も必要最低限で済ませてしまうが、その分、知識を得ることへの情熱は人一倍強かった。


 那岐はそんな二人を見ながら苦笑することもあったが、止めようとはしなかった。知識こそが人を導き、国を支える力になることを誰よりも理解していたからである。


 やがて姫が十一歳を迎える頃には、竹簡から得る知識は山門壱国の外へ、さらに海の向こうへと広がっていた。


 洛陽の都や楽浪郡、帯方郡の存在を知り、伊都国や奴国についても商人たちから話を聞くようになる。大陸には城壁に囲まれた巨大な都市が築かれ、何万もの民が暮らし、役人たちは文字によって命令を伝え、税を集め、法律を整えながら国を運営しているという。


 また、伊都国や奴国では交易が盛んに行われ、鉄器や青銅器、絹布や書物が絶えず行き交っていた。

 そうした話を知るたびに感心したが、同時に自分たちの国について考えるようにもなった。


 姫は幼い頃から、那岐の傍で国の仕事を見る機会が多かった。


 収穫の季節になれば各地の長たちが館へ集まり、田畑の出来や貢納について報告を行う。しかし、その話を聞くたびに姫は不思議に思うことがあった。


 ある村では収穫の十分の一を納めているのに、別の村では二十分の一しか納めていない。同じ山門壱国に属しているにもかかわらず、取り決めは村ごとに異なっていたのである。


 さらに交易の場でも似たようなことが起きていた。

 大陸から訪れた商人たちは時折不満を漏らした。


「前の村では鉄一振りで米十俵だった」

「こちらでは十五俵と言われたぞ」


 品の価値を定める明確な基準がなく、取引はその場の話し合いに委ねられている。揉め事になれば長たちが仲裁するが、その判断も人によって異なった。


 ある日、姫はそのことを那岐へ尋ねたことがある。


「なぜ村ごとに違うのですか」


 那岐は少し考えた後、


「土地も事情も違うからだ」


 と答えた。

 確かにその言葉は間違っていなかった。豊かな平野と山間の小さな村では事情が違う。人々の暮らしに合わせるなら柔軟な方が良いのだろう。


 だが姫は納得しきれなかった。


 長が変われば判断も変わる。人によって言うことが違う。今は那岐がいるからまとまっているが、もし那岐がいなくなればどうなるのだろう。


 同じ国でありながら決まりは曖昧で、人々はそれぞれの慣習に従って暮らしている。その姿は穏やかではあったが、どこか脆さも抱えているように姫には見えた。


 そして竹簡を読み、大陸の国々について学ぶほど、その違いは鮮明になっていく。

 さらに姫の興味を強く惹いたのは、漢という巨大な国を支える仕組みだった。


 ある時、大陸の商人が持ち込んだ竹簡には、漢の役人たちがどのように国を治めているのかが記されていた。そこでは民の数や田畑の広さ、収穫量までもが文字によって記録され、税や労働の負担も一定の規則に従って管理されているという。


 姫は何度もその竹簡を読み返しながら感心した。民から穀物や労働力を集めること自体は山門壱国でも行われているが、漢ではそれらが人の記憶や慣習に頼るのではなく制度として整えられ、誰が治めても国が動き続けるよう多くの仕組みが築かれていたのである。


 その内容に触れるたび、姫は自然と山門壱国の姿を思い浮かべた。今は那岐を慕う人々が互いに譲り合い、国は穏やかにまとまっている。しかし、それは父の人望に支えられている部分も大きく、もし国がさらに大きくなり、村が十から百へ増えた時にも今と同じやり方で治め続けられるのかという疑問が胸に浮かんだ。


 人々が善良であることは大切だ。だが国を支えるためにはそれだけでは足りず、誰が治めても変わらず動き続ける仕組みがあってこそ、多くの民は安心して暮らせるのではないか。そんな思いが、少しずつ姫の胸の中で形を成し始めていた。


 十三歳になったある日の夕暮れ、姫は書庫の中で読み終えた竹簡を静かに閉じ、小さく息を吐いた。隣で文字を書いていた月読はその様子に気付き、不思議そうに顔を上げる。


「どうかしたの?」


 姫はすぐには答えず、窓の外へ視線を向けた。夕日に照らされた山門の村では、人々が穏やかに暮らし、一日の仕事を終えた者たちが家路についている。黄金色に輝く田畑の向こうには煙が立ち上り、その光景は平和そのものだった。


「このままでは駄目ですわ」


 静かな呟きに月読は首を傾げる。


「何が駄目なの?」

「山門壱国です」


 その言葉に月読はますます不思議そうな顔になった。


「良い国だし、皆が優しくて豊かで、争いも少ないじゃないか」


 それは偽りのない本音だった。山門壱国の人々は飢えに苦しむことなく暮らし、周辺の小国家と比べても豊かな土地を持ち、父である那岐を慕う者も多い。月読には、姉が何に不満を抱いているのか分からなかった。


 しかし姫は否定するように首を振るのではなく、穏やかな微笑みを浮かべながら答えた。


「ええ。だからこそですわ。良い国だからこそ、このままで良いとは思えないのです」


 そう言って窓の外へ目を向ける。その視線は村を見ているようでいて、そのさらに先にある世界へ向けられているようだった。


「竹簡を読めば読むほど分かります。外の世界はもっと広く、多くの国々が新しい知識や技術を取り入れながら変わり続けています。漢も、楽浪郡も、伊都国も奴国も、立ち止まることなく前へ進んでいるのです」


 姫はそこで一度言葉を切り、胸の内で長い間育ててきた願いを静かに口にした。


「わたくしは、その世界を見てみたいのです」


「外へ行きたいのか?」


「ええ。伊都国も奴国も、それ以外の国々も見てみたいですし、できることなら海の向こうの国々も見てみたいですわ。実際に人々の暮らしを見て、その国がどのように治められているのかを知りたいのです」


 月読はしばらく考え込んだ後、素朴な疑問を口にした。


「見たら何か変わるの?」


 姫はその問いに驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「変わると思いますわ。知らないままでは何も変えられませんもの」


 そして少し身を乗り出すようにして続ける。


「月読、わたくしはいつか倭中を見て回りたいのです。各地の国々を訪ね、人々の話を聞き、優れた仕組みや新しい知識を学びたい。そして学んだものを山門へ持ち帰り、この国をもっと豊かに、もっと強くしたいのです」


 その言葉を聞きながら、月読は姉の横顔を見つめた。そこには幼い頃から知る優しい姉の姿があったが、同時に、自分には見えない遥かな未来を見据える為政者のような面影も感じられる。


「姉上らしいね」


 月読が笑うと、姫も小さく微笑み返した。


 その胸に宿る願いは、まだ誰にも語られていない小さな夢に過ぎなかった。しかし、その夢は確かに根を張り始めている。より多くを学び、より広い世界を知り、山門壱国をさらに豊かな国へ導きたいという想いは年を追うごとに大きくなり、やがて倭全土を巻き込む大きな変革の第一歩となるのである。


 夕飯の支度を終え、月読と須佐之男を寝かしつけた後、姫は静かに書庫を出た。

 居間では那岐が灯火の下で竹簡に目を通している。そこに記されているのは、長たちから届けられた収穫の報告や港へ入った交易船の情報、周辺国とのやり取りなど、山門壱国を治める者として向き合うべき日々の務めだった。


 姫はその前へ進み、静かに正座する。

 気配に気付いた那岐が顔を上げた。


「どうした?」


 幼い頃から変わらない穏やかな声だったが、姫は真剣な表情を崩さなかった。


「お話があります」


 那岐は手にしていた竹簡を閉じる。


「聞こう」


 姫は一度だけ深く息を吸った。昼間から胸の中で何度も繰り返し、言葉を選び続けてきた想いをようやく口にする。


「父上は優しすぎますわ」

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。

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