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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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二章 国産み 九話 那岐の苦悩

 山門の地に春が訪れていた。

 那美が那岐と暮らし始めてから、十三年の歳月が流れている。

 幼かった少女は十六歳になり、かつて那岐の後ろを小さな足で追いかけていた面影を残しながらも、今では一人で船を操り、海へ出て漁をするほど逞しく成長していた。


 那美は昔から海が好きだった。浜辺で貝殻を拾い、漁師たちの船を眺め、水平線の向こうに何があるのかと目を輝かせていた幼い日の姿を、那岐は今でもよく覚えている。村が襲われ、家族を失い、心を閉ざしていた少女が、いつしか海風の中で笑うようになった。


 その変化を見守ることは、那岐にとって何よりの救いでもあった。だからこそ、思春期を迎えても那美が昔と変わらず懐いてくれることを、那岐は素直に嬉しく思っていた。


 普通なら、年頃になれば少しずつ距離ができるものだろう。父親代わりの男に対して素っ気なくなり、口数が減り、何かと反発する時期が来てもおかしくはない。ところが那美は、十六になっても変わらなかった。漁から戻れば真っ先に顔を見せに来るし、仕事で遅くなれば不満そうに待っている。夜中にふと目を覚ませば、いつの間にか寝床へ潜り込み、昔のように身を寄せて眠っていることさえあった。


 那岐はそれを、ただ微笑ましいものとして受け止めていた。

 家族を失った那美にとって、自分は安心できる居場所なのだろう。そう思えば、少しくらい甘えられても構わない。むしろ、あれほど心を閉ざしていた娘が、今も自分に心を許してくれていることが嬉しかった。


 だが、その日、那岐は自分の考えがあまりにも甘かったことを思い知らされることになる。


 朝から那岐は、新たに開く水田の視察に出ていた。山門壱国の人口は増え続け、耕地はさらに必要となっている。山裾を切り開き、水路を伸ばし、ため池を築き、低湿地を田へ変えていく作業は、容易なものではなかった。水は多すぎても少なすぎても人を苦しめる。流れを誤れば田は腐り、堤が崩れれば村を呑み込む。


 那岐は村人たちと共に堤へ立ち、地面に枝で線を引きながら説明していた。


「ここから水を入れる。ただし、大雨の時はこのまま田へ流すな。先に池へ逃がして、溢れた分だけこちらの溝へ落とす」


 集まった男たちは真剣な顔で頷いている。


「けれど、池が溢れたらどうする」

「そのために、もう一つ下へ逃がす道を作る。水は止めようとするより、逃げ道を決めてやった方がいい」


 人々は感心したように互いの顔を見合わせた。那岐にとって、それは徐福や方士たちから学んだ知識の一部にすぎなかったが、この土地の者たちにとっては暮らしを変える力だった。知識は人を救う。そう教えた者の顔を思い出すたび、那岐の胸には今も消えない痛みが走る。


 視察を終える頃には、空の色が少しずつ変わり始めていた。

 春の空にしては雲の動きが早い。海から吹き込む風にも湿った匂いが混じり、遠くの沖には黒い雲が低く垂れ込めている。那岐は堤の上から湾を見下ろし、眉をひそめた。


「今日は早めに船を戻した方がいいな」


 そう呟いた時、胸の奥にかすかな不安が生じた。

 那美は朝から漁に出ているはずだった。

 普段なら昼過ぎには戻っている。魚が獲れなくても、空模様が悪ければ無理はしない。そう教えてきたつもりだった。しかし、船着き場へ向かう道を歩きながら、那岐は嫌な予感を振り払えなかった。


 湾へ着くと、すでに何隻もの船が戻り始めていた。漁師たちは慌ただしく網を下ろし、帆を畳み、互いに声を掛け合っている。風はさらに強くなり、海面には白い波頭が立ち始めていた。

 那岐は近くにいた漁師へ声をかけた。


「那美は戻っているか」


 漁師は一瞬だけ顔を曇らせた。


「いや、まだ見ていません。朝は確かに出ていましたが……」

「どの辺りへ向かった」

「いつもの漁場です。ただ、今日は魚影が薄かったので、沖へ出た者もいます」


 その言葉を聞いた瞬間、那岐の胸の奥で何かが冷たく沈んだ。

 見上げれば、沖の空はすでに黒く潰れている。雷鳴が遠くで低く鳴り、海は先ほどまでとは別物のように荒れ始めていた。

 那岐は迷わなかった。


「船を出すな。全員、陸へ上がれ」

「ですが、那美が――」

「私が行く」


 言い終えるより早く、那岐の身体は地を離れていた。

 周囲の者たちが息を呑む声が背後へ遠ざかる。那岐は風を切って上空へ上がり、湾全体を見渡した。雨粒が頬を打ち始め、海面は鉛色に波打っている。小舟など一つ波に呑まれれば、たちまち見失ってしまうだろう。

 那岐は目を閉じた。

 視界に頼っても駄目だ。荒れる海の中で小さな船影を探すには遅すぎる。ならば、別のものを探すしかない。


 那美の気配。十三年間共に過ごした命の気配。笑い、泣き、眠る息遣いまで知っている少女の命の気配を、那岐は必死に手繰った。

 風が唸る。雨が強くなる。雷が雲の奥で裂ける。

 その中で、かすかに震えるような気配があった。

 海の上ではない。

 海の中だ。


「那美……!」


 那岐は弾かれるように飛び出した。

 荒波の上を駆けるように進み、気配のある場所へ向かって一直線に降下する。波間には砕けた船板が浮かんでいた。小舟が転覆したのだと悟った瞬間、那岐の全身から血の気が引く。


 考えるより早く、那岐は海へ飛び込んだ。

 冷たい海水が全身を包み、視界は泡と濁りでほとんど利かなかった。だが、那岐には分かる。沈んでいく命の気配が、暗い水の底へ引き込まれている。

 深く潜る。

 さらに深く。


 やがて、波に翻弄されるように漂う那美の姿が見えた。長い髪が海中に広がり、力の抜けた手足は人形のように揺れている。

 那岐は胸を締め付けられるような思いで腕を伸ばし、その身体を抱き寄せた。

 軽かった。

 あまりにも軽かった。

 幼い頃に抱き上げた時と同じように、けれど今は命の重みだけが恐ろしく失われているようで、那岐は奥歯を噛みしめた。


 海面へ向かって一気に浮上する。

 荒波を破って顔を出した時、那美は息をしていなかった。

 那岐は近くに見えた小島へ向かった。波を越え、風に煽られながら浜へ辿り着くと、那美を砂の上へ寝かせる。頬は青白く、唇からは血の気が失われていた。


「那美」


 呼びかけても返事はない。


「那美、起きろ」


 胸に耳を当てる。鼓動はかすかにある。だが、呼吸がない。

 那岐は迷わず那美の顎を上げ、口に溜まった海水を吐かせると、自分の息を吹き込んだ。胸を押し、再び息を吹き込む。何度も、何度も繰り返した。


 時間の感覚が消えていく。

 波の音も、雨の音も、遠雷も、すべて遠くなっていた。那岐の頭の中にあるのは、ただ一つだけだった。


 死なせない。

 この子だけは、死なせない。


 やがて那美の身体がびくりと震えた。口元から海水が溢れ、激しく咳き込む。那岐は慌てて身体を横へ向け、吐き出しやすいよう背を支えた。


「那美」


 那美の瞼がわずかに震える。

 しかし、意識は戻りきらなかった。呼吸が戻ったことを確かめる間もなく、那美は再び力を失い、那岐の腕の中でぐったりと目を閉じてしまった。


 生きている。

 だが、体温が低すぎる。


 那岐は周囲を見回した。雨は弱まり始めていたが、衣服は海水を吸って重く冷え、風が容赦なく体温を奪っていく。このままでは危ない。

 那岐は那美を抱え、島の岩陰へ移動した。流木や枯れ枝を集め、妖力で火を起こす。湿った枝はなかなか燃えなかったが、那岐が掌をかざすと、赤い火が小さく生まれ、やがてぱちぱちと音を立てて燃え広がった。

 那岐は那美の濡れた衣服を脱がせ、近くの枝へ掛けた。自分の衣服も同じように脱ぎ、火の傍へ干す。


 ためらっている余裕はなかった。

 冷え切った那美の身体を抱き寄せ、できるだけ火の熱が当たるようにしながら、自分の体温を移していく。那美の身体は驚くほど冷たく、触れた瞬間、那岐は胸の奥が凍るような恐怖を覚えた。


 十三年前、家族を失って膝を抱えていた小さな少女。

 泣くことすらできなかったあの子を、自分は拾い上げた。

 食べ物を差し出し、言葉を教え、眠れない夜には隣で背を撫でた。初めて笑った日、初めて自分から手を繋いできた日、海へ走っていった日。その一つ一つを思い出すたび、那岐の腕には自然と力がこもった。


「頼む……戻ってきてくれ」


 掠れた声が漏れる。

 どれほど時が流れたのか分からなかった。

 嵐は次第に遠ざかり、雨音は静かな波音へ変わっていく。焚き火の炎が岩陰を橙色に照らし、那美の頬にも少しずつ血の気が戻り始めた。

 やがて、腕の中で那美が微かに身じろぎした。


「……なぎ?」


 その声を聞いた瞬間、那岐は全身から力が抜けそうになった。


「気がついたか」


 できるだけ穏やかに答えたつもりだった。だが、自分の声がわずかに震えていたことを、那岐は自覚していた。

 那美はぼんやりと周囲を見回し、焚き火、乾かされた衣服、自分と那岐の姿を順に見て、遅れて状況を理解したらしく耳まで赤くなった。

 那岐は視線を逸らす。


「寒くないか」


 那美は答えなかった。ただ、額を那岐の胸へ預けるようにして、そっと身を寄せてきた。

 まだ意識がはっきりしていないのだろう。そう思いながらも、那岐は彼女の体温が戻っていることに安堵した。

 火が音を立てる。

 波は穏やかになりつつあったが、夜の海を渡るのは危険だった。山門へ戻るのは夜明けを待った方がいい。そう判断しながら、那岐は那美の背を静かに支えていた。

 すると、那美の指が那岐の胸元を掴んだ。


「那岐」

「どうした?」


 顔を上げた那美の瞳は、普段とは違っていた。

 熱に浮かされたようでもあり、泣き出しそうでもあり、それでいて何かを決意したように真っ直ぐだった。那岐はその表情に言い知れぬ不安を覚える。

 次の瞬間、那美は震える声で言った。


「好き」


 那岐は言葉を失った。


「私は那岐が好き。ずっと好きだった」


 焚き火の音だけが、二人の間に響いていた。

 那岐はすぐに返事ができなかった。那美が自分を慕っていることは知っていた。懐いてくれていることも、頼りにしてくれていることも、誰より理解しているつもりだった。


 だが、その言葉に込められた響きは、那岐がこれまで受け止めてきたものとは明らかに違っていた。

 それでも那岐は、反射的に昔と同じように頭を撫でていた。


「私も那美が大好きだよ」


 口にした瞬間、自分でも分かった。

 これは逃げだ。

 那美を傷つけたくなかった。拒絶もしたくなかった。だが、真正面から受け止める覚悟もできていなかった。だから、親が娘へ向ける言葉にすり替えた。

 那美はすぐにそれを見抜いた。


「那岐は分かってない」

「ん?」

「全然分かってない」


 那美の声には、幼い頃にはなかった鋭さがあった。泣きそうで、怒っているようで、それでも必死に何かを伝えようとしている声だった。


 次の瞬間、那美は那岐の肩を押した。


 不意を突かれた那岐は、砂浜へ背をつける。押し倒された形になったことよりも、那美が自分の上へ覆い被さるように身を乗り出してきたことに、那岐は本気で困惑した。


「那美?」


 問いかけても、那美は答えない。

 両腕が那岐の首へ回される。震えている。勇気を振り絞っているのだと分かった。那岐は動けなかった。


 目の前の那美は、もう幼い子供ではなかった。


 十三年前に拾い上げた小さな少女ではない。海で日に焼け、風を受け、漁師たちに混じって船を操る、一人の若い女性だった。その事実を、那岐はこの時初めて突きつけられたような気がした。

 那美は赤くなりながら、必死に言葉を探していた。


「……こういう時は、どうするの?」

「どうするとは?」

「だから……」


 那美は言い淀み、さらに顔を赤くする。


「好きな人同士って、その……何かするんでしょう?」


 ようやく意味を理解した那岐は、額に手を当てた。


「ああ、そういうことか」


 困った。本当に困った。


 目の前の那美は真剣だった。命を救われた勢いで口走ったわけでもなければ、気まぐれで言っているわけでもない。勇気を振り絞って伝えているのだと分かるからこそ、軽く受け流すことなどできなかった。


「誰にそんなことを聞いたんだ」

「みんなよ」


 那美の答えに、那岐は小さく息を吐いた。おそらく漁師の妻たちや娘たちの噂話だろう。知識としては耳にしていても、何も分かっていない。分からないまま、ただ必死に近づこうとしている。


「教えて」

「知らない」

「嘘。知ってるでしょ」

「さあね」


 那美は不満そうに頬を膨らませた。


「……むぅ」


 那岐はその顔を見て、思わず苦笑した。こういうところは昔と変わらない。けれど、昔と同じように扱ってはいけないことも、もう分かっていた。

 だから那岐は、ただ頭を撫でた。

 那美が今必要としているのは、拒絶ではない。けれど、受け入れることでもない。傷つけず、踏み込みすぎず、それでもそばにいる。その不器用な答えが、今の那岐にできる精一杯だった。


「子供扱いしないで」

「してないよ」

「してる」


 那美は不満そうに言ったが、それ以上は追及しなかった。やがて小さくため息をつき、那岐の胸へ顔を埋める。


「今日はこれで我慢する」

「うん。おやすみ、那美」


 那岐は静かに答えた。


 那美の呼吸は次第に落ち着き、やがて眠りへ沈んでいった。胸元に感じる重みは昔と同じようでいて、まったく違っていた。


 那岐は眠れなかった。

 焚き火の炎を見つめながら、胸の奥に沈んでいた記憶がゆっくりと浮かび上がる。


 漣。


 名を思い出すだけで、今も痛みが走る。

 あの頃の自分は、何も守れなかった。愛した人を救えず、死なせ、失い、その果てに人であることすら曖昧な存在になった。漣を抱いて泣いた夜から、自分の時間はどこかで止まっている。


 その止まった時間の中へ、那美は入ってきた。


 最初は守るべき子供だった。生きる場所を失った幼い娘を、ただ放っておけなかった。やがて笑うようになり、怒るようになり、甘えるようになり、海へ駆けていくようになった。那岐はその成長を嬉しく思いながらも、自分だけは変わらないままだと思っていた。


 だが、那美は変わった。

 変わってしまったのではない。成長したのだ。

 それを自分が見ようとしていなかっただけだった。


 那岐は眠る那美の髪をそっと見下ろした。まだ潮の匂いが残っている。嵐の海から引き上げた時の冷たさを思い出すと、腕の中にある命がどれほど大切かを嫌でも思い知らされた。


 失いたくない。

 それだけは確かだった。


 けれど、その感情が親としてのものなのか、一人の女へ向けるものなのか、那岐にはまだ分からなかった。分からないまま答えを出すことは、那美を傷つける。何より、自分の弱さを那美に背負わせることになる。

 夜は長かった。

 那岐は眠ることなく、火を絶やさないよう枝をくべ続けた。




 翌朝、嵐が嘘だったかのように海は静まり返っていた。夜明けの光が海面を銀色に染め、空には雲ひとつない。

 那岐は乾いた衣服を身に着け、那美の服も確かめた。まだ完全には乾いていなかったが、山門へ戻るには十分だった。

 浜辺へ出ると、那美も後からついてきた。顔色は戻っている。足取りもしっかりしていた。それだけで那岐は安堵した。

 海を眺めながら、那岐は静かに言った。


「帰ろうか」


 那美が小さく頷く。

 那岐は那美を抱き上げた。


「わっ……」

「しっかり掴まってろ」


 那美の腕が首へ回る。那岐はその重みを確かめるように抱え直し、ゆっくりと地を離れた。

 砂浜が遠ざかり、島が小さくなる。眼下には朝日に照らされた海がどこまでも広がっていた。昨夜、那美を呑み込んだ海とは思えないほど穏やかで、美しかった。

 那美が息を呑む気配がした。


「すごい……」


 その声には、幼い頃に初めて海を見た時と同じ輝きがあった。那岐は少しだけ胸が締め付けられる。

 この景色を見せられてよかった。


 生きているからこそ、驚き、喜び、胸を弾ませることができる。昨夜、あと少し遅れていれば、この声を二度と聞けなかったかもしれない。

 那美がそっと那岐を見上げていることに気付いたが、那岐は前だけを見ていた。視線を合わせれば、昨夜の言葉を思い出してしまいそうだった。

 しばらく進むと、那美の腕に力がこもった。


「怖いかい?」


 そう尋ねると、那美は首を横に振った。


「全然」


 迷いのない答えだった。

 その信頼が、那岐には重かった。

 那美は自分を疑っていない。海へ落ちても助けてくれる。怖い目に遭っても守ってくれる。きっと、そう信じている。十三年かけて築いた信頼が、今は胸に温かく、同時に苦しくのしかかっていた。


 那美は頬を那岐の胸へ寄せた。


 その仕草も昔から変わらない。だが、昨日までのように何も考えず受け止めることは、もうできなかった。

 遠くに山門の山々が見え始める。青く霞む峰々の麓には、人々の暮らす集落が小さく広がっていた。田があり、家があり、子供たちの声があり、那岐が守ろうとしてきた場所がある。

 そして、その中には那美がいる。


 どうしたものか。

 娘のように育てた少女が、自分を一人の男として見ている。好意を知ってしまった以上、もう以前と同じようには戻れない。突き放せば那美を傷つける。かといって受け入れれば、自分の孤独と過去まで背負わせることになる。


 那美は十六歳だ。まだ未来がある。人として誰かと結ばれ、子を成し、共に老いていく道を選ぶこともできる。老いることも死ぬことも許されない自分のそばに縛りつけていいはずがない。


 そう思うのに、腕の中の温もりを手放したくないと思っている自分もいた。

 那岐はその感情に気付き、静かに目を伏せた。


 山門の集落が近づいてくる。人々はまだ二人の帰還に気付いていない。朝の煙が家々から上がり、田の水面が光を返している。


 帰れば、また日常が始まる。

 那美はきっと何事もなかったように笑うだろう。あるいは昨夜の言葉を思い出して、少し照れた顔をするかもしれない。自分はどう応えればいいのか。どう距離を取ればいいのか。どうすれば那美を守れるのか。


 答えは出なかった。

 ただ一つだけ分かっていることがある。

 もう、那美をただの子供として見ることはできない。

 その事実こそが、那岐にとって何より苦しかった。

 朝日の中、那岐は那美を抱えたまま山門の空を越えていく。


 腕の中の那美は安心しきったように身を預けている。その温もりを感じながら、那岐は誰にも聞こえないほど小さく呟いた。


「困ったな……」


 海風がその声をさらっていく。


 けれど胸に生まれた苦悩だけは、消えることなく那岐の中に残り続けていた。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。

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