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邪馬台国叙事詩―神代建国譚―  作者: 月見


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二章 国産み 六話 侵略

 春の海は穏やかだった。山門の湾には青い海がどこまでも広がり、潮風に乗って海鳥たちの鳴き声が響いている。十二歳になった那美は裸足のまま浜辺を駆け回り、波打ち際で貝殻を拾っていた。暇さえあれば浜へ出て漁師たちの船を見送り、遠くの島々を眺めては、いつか自分も大海原を旅してみたいと夢を膨らませるほど海が好きだった。


 だが、その穏やかな日々は突然終わりを告げる。


 最初に現れたのは、北から逃げてきた数人の難民だった。ところが数日も経たないうちに、その数は何十人、何百人へと増えていく。


 山門壱国へ辿り着いた人々の姿は痛ましかった。腕に布を巻いた男。幼い子を背負ったまま疲れ果てて座り込む母親。血の滲む足で杖を突きながら歩く老人。着の身着のままで逃げてきた者も多く、子供の中には両親の姿が見えない者もいた。


 邑の広場には避難民が溢れ返り、炊き出しの周囲では空腹に耐えかねた人々が列を作る。那美も食事を配る手伝いをしていたが、泣き続ける子供や呆然と座り込む老人たちの姿に言葉を失った。


 彼らの証言はどれも同じだった。


「村が燃やされた」

「従わない者は皆殺しだった」

「男たちは戦って死んだ」

「奴国軍が来る」


 焼け落ちた家々を見た者。家族を失った者。目の前で村人が斬られる光景を見た者。その震える声に嘘はなく、語られる内容もまた驚くほど一致していた。


 北部の村々は次々と制圧され、従属を拒んだ集落は焼き払われている。奴国軍は陸路だけでなく船団を用いて海沿いの村々も制圧しながら南下を続けており、山門壱国の人々は初めて、自分たちの暮らすこの地にも戦火が迫っていることを実感したのである。


 報告を受けた那岐は直ちに有力者たちを招集した。集会所には重苦しい緊張が漂い、伝令たちは、奴国軍が陸海の両面から進軍していること、補給体制も整えていることを報告した。当時は現在より海面が高く、筑後平野一帯には広大な潟湖や入り江が広がっていたため、奴国軍は陸海の両方を利用して勢力を広げていたのである。


「迎撃するべきだ」

「このままでは山門壱国もやられる」


 若者たちが口々に声を上げる中、那岐だけは静かに首を横へ振った。


「北部の村々には退避を命じる」


 その言葉に広間はざわめいた。


「見捨てるのですか」

「違う。家や田畑は失っても作り直せる。けれど人は死ねば戻らない」


 那岐の落ち着いた声に広間は静まり返る。彼は木板に描かれた地図を指差しながら続けた。


「奴国は大国だ。平地で真正面から戦えば、多くの命が失われる。だが山門壱国には山がある」


 那岐の指先は国境沿いに連なる険しい山並みをなぞった。


「山道に柵を築き、各所に砦を設ける。敵を狭い道へ誘い込み、防衛に徹するのだ。こちらから攻める必要はない。山を越えなければ奴国は先へ進めないのだからな」


 有力者たちは顔を見合わせた。

 華々しい勝利を求める策ではない。だが、国を守るためには最も現実的な方法だった。


 その日から山門壱国は総動員態勢に入り、男たちは山へ分け入って巨木を伐り倒し、若者たちは木柵や見張り台、砦の建設に汗を流した。避難してきた人々も作業に加わり、山門壱国を囲む山々には次々と防衛拠点が築かれていく。


 そして幾日かが過ぎた頃、ついに奴国軍が南へ到達した。最前線の砦から伝令が駆け込み、敵影を確認したとの報告がもたらされると、那岐は自ら山上の見張り台へ登る。眼下に広がる谷へ視線を向けた瞬間、思わず息を呑んだ。


「……あれ全部?」


 遠く北の山道を埋め尽くすように人の列が続いていた。奴国の旗が幾重にも翻り、陽光を受けた槍の穂先が無数の光を放っている。先頭が谷へ差しかかっているにもかかわらず、その後方は遥か彼方の山陰まで続いており、低く響く太鼓の音が山々へ反響するたび、整然と進む兵の列は巨大な生き物が大地を這っているかのような不気味さを漂わせていた。


 その光景を見下ろしていた見張りの若者が、ごくりと唾を飲み込む。


「こんな数……勝てるのか」


 誰かが思わず呟いた。その声には隠しようのない恐怖が滲んでいる。山門壱国の守備兵は決して少なくない。だが、谷を埋め尽くす敵軍を前にすると、その差はあまりにも圧倒的に見えた。しかも彼らの多くは実戦経験に乏しく、迫り来る大軍の威容は兵たちの心を確実に揺さぶっていた。


 そんな中、那岐だけは静かだった。山道を覆い尽くす軍勢をしばらく見つめていたが、やがて穏やかな声で口を開く。


「だから平地で戦わない」


 その一言は不思議なほど落ち着いていた。怒鳴るでもなく士気を鼓舞するでもない。しかし、その声を聞いただけで周囲の動揺は少しずつ静まっていく。


「見ろ」


 那岐は谷の入口を指差した。


「ここから先は山だ。奴国がどれだけ兵を集めようと、一度に通れる人数は限られている」


 険しい斜面と狭い山道へ視線を向けながら続ける。


「大軍は強い。だが、それは広い場所で戦えればの話だ」


 那岐は再び谷を埋め尽くす敵軍へ目を向けた。


「山は数を殺す」


 短い言葉だった。


 だが、その場にいた者たちは皆、その意味を理解した。目の前にいる敵は確かに巨大だった。しかし山々に囲まれたこの地では、その巨大さこそが弱点になる。那岐の言葉は、兵たちの胸に広がり始めていた恐怖を静かに押し留めていた。


 最初の総攻撃が始まったのは、到着から三日後の早朝だった。

 山肌を覆う朝霧の中、奴国軍の角笛が低く鳴り響く。数百人規模の兵たちが盾を掲げながら斜面を登り始め、その後方からはさらに多くの兵が続いていた。谷間に響く足音は地鳴りのようで、砦の上からそれを見下ろす若い兵たちの顔には隠しきれない緊張が浮かんでいる。


「来るぞ……」

「思ったより多い……」

「本当に止められるのか……」


 誰かが震える声で呟いた。その不安は決して臆病から来るものではない。谷を埋め尽くすほどの大軍勢を前にして平静でいられる者などほとんどいなかった。

 だが、木柵の後方に立つ那岐は少しも慌てた様子を見せなかった。


「慌てるな」


 落ち着いた声が響くと、兵たちは思わず振り返る。


「敵は多い。だが、この山道ではその数を活かせない」


 那岐はゆっくりと前方を指差した。


「見てみろ。あれだけの軍勢がいても、ここへ辿り着けるのは前の数人だけだ。後ろに何千人控えていようと、この場所では関係ない」


 兵たちは改めて山道へ視線を向けた。谷を埋める敵軍は確かに脅威だったが、実際に進軍している道幅は驚くほど狭い。


「俺たちは逃げ場のない場所で戦っているんじゃない。この山そのものを味方につけているんだ」


 その言葉を聞くうちに、兵たちの表情からわずかに怯えが薄れていった。

 やがて奴国軍の先頭が木柵へ迫る。

 まだ遠い。


 那岐は静かに距離を見極めていた。敵兵たちの顔はまだぼんやりとしか見えない。焦って矢を放てば威力は落ち、無駄撃ちになる。


「まだだ」


 弓兵たちは弦を引いたまま耐える。

 敵はさらに近づいてくる。


「まだ待て」


 額に汗を浮かべる兵もいたが、誰も命令に逆らわない。やがて先頭の兵が木柵へ向かって駆け出し、顔の表情まで見える距離へ迫った瞬間、那岐の鋭い声が戦場へ響き渡った。


「今だ! 射て!」


 無数の弦音が一斉に鳴り響き、矢の群れが空を覆う。雨のように降り注いだ矢は盾の隙間や肩口へ容赦なく突き刺さり、奴国兵たちの悲鳴が斜面へ響き渡った。


「ぐああっ!」

「盾を上げろ!」

「止まるな! 前へ出ろ!」


 倒れた兵につまずき隊列は乱れたが、それでも後方から押し出されるように前進は続く。兵数の差を頼みに奴国軍は力押しで木柵を突破しようとしていた。


「押せ! 木柵を越えろ!」

「敵は少数だ!」


 怒号を上げながら兵たちが殺到する。その様子を見つめていた那岐は、砦の上に待機している兵へ視線を向けた。


「準備はいいな」

「いつでもいけます!」


 那岐は小さく頷き、静かに右手を振る。


「よし――落とせ」


 次の瞬間、轟音とともに巨大な丸太が斜面へ解き放たれた。何本もの丸太は勢いよく転がり落ちながら逃げ場のない山道を呑み込み、木柵へ迫っていた兵たちへ容赦なく襲いかかる。


「うわあああっ!」

「避けろ!」

「止まれ!」


 叫び声は混乱にかき消された。丸太は兵を弾き飛ばし、押し潰し、その勢いのまま後続の隊列へ突っ込んでいく。狭い山道は瞬く間に混乱へ包まれ、怒号と悲鳴が入り乱れながら谷間へ幾度も反響した。


 さらに守備側の兵たちは、待ち構えていた石を一斉に投げ落とした。

 狭い山道には逃げ場がない。石は盾ごと兵を叩き潰し、転げ落ちた者が後続を巻き込みながら斜面を滑り落ちていく。

 攻撃開始から半刻も経たぬうちに、山道は負傷者と死者で埋め尽くされていた。


 やがて奴国軍の角笛が再び鳴った。

 撤退の合図である。


 兵たちは負傷した仲間を支え、あるいは引きずりながら山を下っていった。砦の上では勝利を喜ぶ歓声が上がったが、その様子を見つめる那岐の表情は険しいままだった。


「喜ぶな。敵はまだ力を失っていない」


 山の向こうには今なお無数の旗が揺れている。一度の敗北で退くほど甘い相手ではないことを、那岐は誰より理解していた。


 一方その頃、谷の北側では敗走した兵たちが整列し直していた。

 軍勢の中央には、一人の老人が静かに立っている。


 白髪混じりの髪を後ろで束ね、深く刻まれた皺は長い歳月を物語っていたが、その背筋は若者にも劣らぬほど真っ直ぐだった。革と鉄を組み合わせた戦装束に身を包んだ体は年齢を感じさせないほど引き締まり、その佇まいだけで周囲の兵たちを圧倒している。

 老人は山上の砦を見上げながら、感心したように小さく息を吐いた。


「なるほどな」


 その言葉に側近の将たちが顔を見合わせる。


「武彦様、再度攻勢に出ますか?」


 進み出た将の問いに、老人……武彦は視線を砦へ向けたまま首を横に振った。


「するな」


 即答だった。

 将は納得できない様子でさらに言葉を重ねる。


「ですが敵は少数です。このまま押し込めば突破できるのでは――」

「だから負けたのだ」


 低く放たれた一言に、将は口を閉ざした。

 武彦はゆっくりと周囲へ視線を巡らせる。谷を縫うように伸びる狭い山道。左右から迫る急峻な斜面。道を塞ぐ木柵。そして高所から見下ろす砦と見張り台。

 それらを眺めながら、武彦は静かに言った。


「この地を選んだ者は賢い」


 その声音には敵への侮りではなく、純粋な評価が含まれていた。


「山の戦いを知っている」


 奴国はこれまで数多くの小国を従えてきた。平野へ大軍を送り込み、圧倒的な兵力で押し潰す。それでほとんどの戦は終わった。


 だが、この山門壱国は違う。


 敵は最初から決戦を避け、大軍の力を最も発揮しにくい地へ籠っている。平地での戦いを捨て、自ら有利な戦場を選んだのだ。


 山門壱国は筑紫でも有数の穀倉地帯であり、人口だけなら奴国にも匹敵する。武彦もこれまでは、豊かな田畑を持ちながらも文化や軍事の発展が遅れた後進国に過ぎないと考えていた。しかし実際に目の前へ現れた防衛線は、その認識を大きく覆すものだった。


 谷を塞ぐ木柵、山肌に築かれた砦、周囲を見渡せる見張り台。そのどれもが場当たり的なものではなく、地形を熟知した者が計画的に整えた配置である。しかも、この規模の国でありながら前線に出ている兵は決して多くない。


 兵力を温存しているのか。それとも別の狙いがあるのか。

 武彦にはまだ判断できなかったが、少なくともこの国を率いる者が凡庸な人物ではないことだけは確信していた。


 武彦は再び山上の砦へ視線を向ける。あの向こうにいる指揮官はどのような人物なのか。大軍を前にしても慌てず、地形を利用して持久戦へ持ち込もうとする相手は珍しい。


「面白い」


 老将の口元にわずかな笑みが浮かんだ。


「ようやく骨のある相手が現れたか」


 春の山風が谷を吹き抜け、奴国の軍旗を大きくはためかせる。

 武彦は揺れる旗の向こうに見える砦を静かに見据えていた。その目には焦りも苛立ちもない。ただ長年戦場を渡り歩いてきた武人だけが持つ静かな闘志が宿っていた。


 こうして奴国随一の名将・武彦は、初めて山門壱国を強敵として認識したのである。


 敵軍は幾度となく攻撃を繰り返したが、そのたびに押し返されて前進できなかった。もちろん守備兵にも負傷者は出たものの、平地での総力戦に比べれば被害ははるかに少なく、那岐の策は確実に成果を上げていた。

 戦いは数日で終わるものではなかった。砦を中心とした防衛戦は一か月、二か月と続き、季節が移り変わってもなお決着は見えない。奴国軍は何度攻撃を仕掛けても砦を落とせず、山門壱国側も不用意な反撃を避けて守りに徹していたため、両軍は山々を挟んで睨み合う膠着状態へと陥っていた。


 そんなある日のことだった。


 軍議を終えて疲れた足取りで家へ戻った那岐は、戸を開けた瞬間に思わず足を止めた。床一面に竹簡が広げられ、その中央で那美が腕を組みながら不機嫌そうな顔をして座っていたのである。


「父さま」

「どうした?」


 那美は並べられた竹簡を指差した。


「戦に勝つ方法が書いてあるやつを探して」

「那美は読めないのに探しても意味ないよ」

「漢の国の文字なんて分からないもん。父さまは読めるでしょ!」


 当然のように言い返す娘に、那岐は苦笑しながら近くへ腰を下ろした。そして一冊ずつ竹簡を手に取り、内容を確認していく。


「これは農業だな」

「違う」

「こっちは治水」

「違う!」

「薬学」

「違うって!」

「これは天文学か」


 那美の頬がみるみる膨らんでいく。

 しかし、その後も結果は変わらなかった。竹簡の内容は農耕や灌漑、薬草学、天体観測、暦の計算、土木技術などばかりで、戦に関する記述はどこにも見当たらない。

 一通り調べ終えた那岐は肩をすくめた。


「兵法書はないな」

「え?」

「一冊もない」


 那美は目を丸くした。


「なんで!?」

「そんなこと言われてもな」

「父さま、何百年も生きてるんでしょう!?」

「まあ、生きているよ」


 那美には認識を曇らせる術を施されていない。

 だからこそ、那岐が歳を取らないことを知っていた。幼い頃から抱いていた疑問をぶつけた結果、秘密を打ち明けられたのである。

 もちろん、その事実を他人へ話してはならないと約束していた。


「だったら戦の本くらい持っててよ!」


 那岐は真顔のまま答えた。


「私は村を豊かにするための勉強はしたが、戦の勉強はほとんどしていない」


 その言葉に那美は心底呆れたような顔をした。


「役に立たない!」

「おい」

「今、戦の真っ最中なのに!」


 那美は腕を組んだまま頬を膨らませる。


「ばかーっ!」


 那美の叫び声が家中に響き渡った。

 那岐は思わず吹き出した。山門壱国の命運を左右する戦の最中だというのに、娘は兵法書が一冊も残っていないことに本気で腹を立てている。

 外では今も砦の見張りが続き、奴国との緊張は終わっていない。それでも那岐は笑いながら思った。


 こうして無邪気に怒鳴り、くだらないことで言い争える日常こそが、自分たちが命を懸けて守ろうとしているものなのだと。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


流行りのジャンルでも、激しい格闘ものでもない作品ですが、テーマを出来るだけ伝えられるよう頑張っていきます。


もしよろしければ、反応いただけると執筆の励みになります。


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