牡羊座の優等星⑨
「ホラ、まだ選挙中だから、ヒキ先輩を助けに行って!」
ディケヤミィが元気良く手を振り、黄金のお玉を軽く回しながら俺を急かす。
金色のポニーテールが跳ね、ミニスカートの裾が翻る姿は、この湿った霧と廃れた社殿の中で、まるで一輪の鮮やかな花のように目立っていた。
「あ、あぁ……。」
ミーシャを救いたいという想いと、ただの道具として使われるのではないかという疑念がせめぎ合う中、よく分からないまま流されている気がする。
だが、ひとりの少女を守り抜く——それが勇者らしい役割である事だけは、胸の奥に響いた。
「仕方が無い、やるしかない。」
俺が例え幻子になったとしても、勇者である事は変わらないんだ。
蛹の中で悶えたまま羽化しないあの頃の俺とは違うんだ。
俺は、ディケヤミィが現れた祭壇に目をやった。
古びた社殿の内部は、薄暗く淀んだ空気に満ちていた。
1人用の小さな階段には紅い鳥居が連なり、古い木で組み立てられた神棚は埃と苔に覆われ、かすかな腐臭を漂わせている。
大きな観音開き式の扉は、黒ずんだ木肌に無数の傷跡を刻まれ、まるでこれまで何人もの"幻子"が通り抜けた歴史を物語っているようだった。
霧が扉の隙間からゆっくりと流れ込み、内部の空気をさらに重くしている。
「…この中に入れば良いのか?」
「ソウデス。」
イメドダが簡潔に答える。
長い緑のロール髪が地面を這い、黄金の鎖をカチャリと低く鳴らせ、俺を急かせているようだ。
…と思いきや、彼女はディケヤミィたちをゆっくり見渡した後、再び俺の顔を真正面から見つめる。
エメラルドの瞳が、淡い光を吸い込んで底知れぬ深さを湛えていた。
「ユーシャ様、注意事項ガ御座イマス。」
「注意事項って?」
急ぐ気持ちはあったが、これからまた未知の領域に飛び込むのだ。
ちゃんと聞かないと——
俺は背筋を伸ばし、耳を傾けた。
「ヨウオカヒキ様、オヨビ、他ノ人物ニ、正体ヲ知ラレナイデ下サイ。」
「何でだ?俺はヒキの従兄弟だって言った方が話が早いと思うんだが?」
「監視者メシエ座の先星から排除されるからです。」
ルパヴェンが慌てた様子で横から割って入る。
白い羽が小刻みに震え、頼りない声が震えていた。
「その監視者メシエ座の先星って?」
さっきもチラッと聞いたが、何者なんだ?
肩書きからして、この町の管理者か、支配者か……あるいはもっと恐ろしい何かか…。
それに、先星っていうのも気になる。
彼女達が名乗っていた優等星と響きが似ているが、階級か何かだろうか?
胸の奥で不穏な予感が広がる。
「我々は監視者メシエ座によってこの町に存在しているのです。」
「何だよ、その監視者は創造主か神かそういう奴なのかよ?」
冗談半分で言ったつもりだったが、皆はそれぞれ明後日の方向を向いたり、視線を逸らしたりした。
社殿の中に重い沈黙が落ちる。
……マジかよ。
「厳密には我々星徒や有家名の創造主です。町の創造主は別に存在しているそうですが…。」
マジかよ……!?
俺等はその監視者なんたらに創られた存在なのか!?
星徒や有家名っていう事は、目の前にいる彼女達も、町の人々も、魔女達も、ミーシャも、そして俺も——全てが、誰かの手の平の上で作られた人形だったというのか!?
胸の奥が激しく抉られるような痛みが走った。
同時に霧の冷たさが、急に肌に染み込むように感じられた。
指先が冷たく痺れ、息が浅くなる。
虚無感が再び大きく膨れ上がり、吐き気すら催した。
自分が、とある人物によって"勇者"という役割を演じさせられた人形だったなんて…。
「ユーシャ様も覚えていらっしゃらないかと思いますが、監視者メシエ座との契約に含まれているのです。幻子の正体は内密に、と。」
ルパヴェンがそう説明すると、ディケヤミィが何度も頷く。
「私ったらヒキ先輩に会えて嬉しくてつい自分の正体言っちゃいそうになったけど、私の事忘れてたみたいでセーフだったわ♡」
ディケヤミィがテヘペロとお茶目に舌を出して愛嬌を振りまく。
彼女の明るい笑顔が、この重い空気を一瞬だけ和らげた。
「皆さん、監視者メシエ座に関しましては話が長くなりますので、選挙が終わってからでも良いでしょう?」
スズスナが皆に提案すると、ディケヤミィが小さく頷いた。
「そうね、じゃあ終わってからのお楽しみって事で!」
そう言われたら俺は何も言えなかった。
勿論、監視者メシエ座のこと、幻子の正体、俺たちが"創られた存在"だという衝撃——知りたい事は山程ある。
だが、お喋りなディケヤミィが話を中断するほど長い話になるのなら、今は優先順位を間違える訳にはいかない。
今はヒキという少女を助けることが先だ。
胸の奥で焦燥と好奇心がせめぎ合い、指先が無意識にマントの端を握り締めていた。
「ユーシャ様。モウヒトツ、大事ナ警告。」
イメドダがもうひとつ、抑揚の少ない機械的な声で忠告する。
エメラルドの瞳が真剣な光を帯び、社殿の薄暗い空気をさらに緊張させる。
今度は何だろう…?
「ヨウオカヒキ様ニ、歌ヲ歌ワセナイデ下サイ。」
「歌?」
俺は思わず眉を寄せた。
何だ?
ヨウオカヒキの攻撃手段は歌なのか?
それとも何か儀式的なものか?
歌わせてはいけないという警告の意味が、すぐには理解できず、頭の中で疑問が渦を巻く。
「ヨウオカヒキ様の歌は、全てを破壊する力があります。」
「……何それ、チートじゃん。」
思わず本音が零れた。
世界を救った勇者だった俺が、歌一つで全てを破壊できる力を持つ少女を守るなんて——状況の異常さに、呆然とする。
「じゃあ、俺の力なんて必要ないじゃん。」
すると、スズスナが静かに、しかし重い声で口を挟んだ。
水色の前髪の下から、ワインレッドの瞳が細められる。
「ユーシャ様、全てを破壊するという事は、世界そのものも破壊するという事ですよ。」
「は?」
思わず声が出た。
世界を破壊……?
マジかよ。
一瞬、頭が真っ白になる。
「今までは風の夢喰い乙女がヒキ先輩の歌を止めに来て、そのついでで他の星徒達を蹴散らせたんだけど、昨日ちょっとトラブルがあって、風の夢喰い乙女は動けないの。」
ディケヤミィが珍しく真剣な顔で説明を続ける。
金色のポニーテールがわずかに揺れ、黄金のお玉を握る手が強張っていた。
「ヨウオカヒキ様を歌わせて選挙に勝ち進める方法を失って途方に暮れるところでしたよ。」
「は?」
耳を疑った。
正直、意味が分からなかった。
今まで世界そのものを破壊するっていうチート級の歌を利用して、風の夢喰い乙女という存在を呼び寄せて勝ち続けてきたって…。
コイツ等、善人振ってとんでもない事をしていたのかよ。
一歩間違えたら、この世界ごと破滅する危険を孕んだ力。
しかもそれを制御できなくなった今、俺が"幻子"として介入しなければならないというのか。
でも、そうか……。
彼女達は星徒同士、力が互角同士で戦い続けているからこそ、こんな極端な手段に頼っていたのか。
互角だからこそ、決定的な力を持つヒキの歌が"禁断の切り札"だったのだろう。
「成る程な、何でその子を護らないといけないのか分かったよ。」
要するに、そのヒキによってこの世界が破滅されるのを防ぎながら守り抜く——それが俺に与えられた新たな役割か。
勇者として世界を救ったはずの俺が、今度は"破壊の歌"を封じ、世界の破滅を防ぐ幻子になる。
胸の奥では、希望と絶望が激しく交錯する。
再び"勇者"になれるかもしれないという淡い期待と、もし失敗したら世界が終わるという重圧が、俺を押し潰さんばかりだった。
皮肉な運命に、苦笑いが零れそうになった。




