一章 隠者の旅路 ⑧
重度の人の治療が終わると、次は先日予定を立てた人の治療が待っていた。
骨盤・脊椎の調整、皮膚病変の洗浄消毒・処置、腰痛の相談もあったので、治した。膝の痛みを訴える人もいたので、対処する。骨折や炎症などではなかったので、整体処置のみで事足りる。
後は、食べるものの指導。薦められるここいらに生えた薬草など。外傷の相談はなかったので、主にそういうものになった。
時折、リョータの様子を診ては、こまめに水分と栄養剤を取らせ、膀胱がいっぱいになると、小便に行かせる。
こんなことを繰り返すうちに、リョータは下ろして「小便」、と言えば、おのずと用を足しに行き、終わるとまた袋の上に戻って座り込み、“戻して”と俺を振り返って促すようになった。
…まったくもって、人間の中枢回路、慣れや習慣というものは恐ろしい。俺も周りの人もつい笑ってしまったが…、獣の子を手なずけた、として、俺の株は影で上がったようだ。
……結果が良ければ、全ていいか。
………ちなみにあまりに頻尿で、心配しすぎて、こまめに水分をとらせすぎたかな、と反省していたのだが…、それは黙っておいた。…ごめん、リョータ。
発熱の進んだリョータは苦しげで、幼い子供のそんな表情をみるのは忍びなかったが、今は耐えてもらうしかなかった。息もあらく熱い。熱は上がりすぎないように気を付けていたが、体力によっては、一度下げる必要があるかもしれない。
そんなリョータを杖にぶら下げて、家々を回る。患者は一人だけではない。各家族に、こまめに保水を頼み、少ないが栄養剤も渡した。具合が悪い人はこちらが調整を助け、必要な人は眠らせた。それぞれに生命力の働きを助け活性化する。自分の生命力を与えすぎないように気を付けた。
二日目の夜――抗菌薬が足りなくなった。当然だった。一人で運ぶ常備薬には限界がある。ここで作るしかなかった。
師によれば、薬は薬草などから作る天然ものが一番良い。材料の生命エネルギーが宿っているからだ、という。
だがいまはそうやって、天然ものを作っている暇も材料もない。では、どうするか?
魔法の出番だった。
本当に、師の医術は、化学・生物学・魔法と、いろいろなものが入り混じって複雑に絡み合った集大成だ。
かんたんに理屈だけを述べてみよう。抗菌薬は、水と空気とその辺の分子をくっつけて、あとは並び替えれば簡単に作れる。金のように重い物質を作るわけではないから手間もない。…これが、師の言である。
……確かに自分がやっても、七日七晩という時はかからないが…。
師ほどの知識の粋に達していない自分は、その理論を完全には理解していない。だが、“こうすれば作れる”というやり方は、完璧に伝授されていた。
実は、師に教わった術法は、全てそのようなものだった。
師の魔法は独特で、特異すぎて、誰でも一足飛びにたどり着けるようなものではない。
だが、師は弟子のため、呪文や魔法陣、各手順・儀式といった、手引書を作ってくれた。もしくは“はしご”と言っていいかもしれない。一足飛びにはいけない場所へ行くための、“はしご”。または、“地図”、“補助輪”、“誘導灯”。そんなようなものだ。
俺はその地図・誘導通りにたどらなければ、師の起こした奇跡のようなわざを再現できない。本来ならば、俺が得意とする操体術のレベルで、師のできた、あらゆる物事を起こせるはずなのに、である。師は実際そうしていた。
師の魔法の全ての起因は、第一原則――ただ一つの法則の理解から始まる。
だからこそ、師の理論は本当にとんでもないものだった。つまり、金を作るのも、人を癒すのも、同じだというのだ。現に俺にそう説明し、師はそれを実践していた。いかに師が天才で、俺が不出来な弟子だったか、これでわかってもらえるだろうか?
抗菌薬の生成には、三日ほどかかる。――実は昨晩から始めている。かかりきりになれないので、もう少しかかるかもしれない。だがちゃんと、三日で作り上げるつもりだった。眠る時間はあるだろうか。
人の個性は様々で、背の高い人もいれば、低い人もいる。体力のある人もいれば、そうでない人もいる。抵抗力もまたしかり。多くの患者が、それぞれのペースでそれぞれの免疫応答を行っている。その個々の患者にあった、対応をしていかねばならない。
発熱すると、どうして悪寒があったり、具合が悪くなる。食欲がなくなって、体力が落ちる恐れがあった。発汗で熱が下がった時に、十分に食べてもらう。さらに、こちらからも速やかな消化吸収を促進する。免疫の働きも助長し、誘導する…。
実は、一番の重要点は精神状態で、治っている・治りつつある、という感覚を維持すること。気楽にいること。気が滅入っていないこと。
不確かな気怠さからくるストレスは、こちらの調整である程度解消できる。血流循環を正すだけでもかなり違う。そのほかに生じる症状は、それぞれ個別に対応していく。背中の痛みや関節痛など。按摩や軽擦、脊椎矯正も我々の処置には含まれる。
手で触れて中枢に干渉・こちらが勝手に体機能を動かすのは、本来薦められない。その処置は減らしていく。ただし、それが効果高いと見込める時は別。霊体の光輝の交流・循環など、それらの処置まで行えればさらにいいのだが、そこまで精妙なことを行えば、こちらの身がもたない。リョータのみとする。
並行して、住人のほとんどにおいて、少しずつ、免疫応答を促進・調整をかけている。重症者が落ち着いてきたら、そちらに回しておいた薬を今度はこちらに回し、菌を撲滅していくつもりだった。
薬が足りなくなる。毎日おっつけで生成を開始。必要量の確保を図る。
自分がすべきこと、することでいっぱいになっていく感覚。人手が欲しい。自分の能力が足りていない。師ならば、独りでもこなせることなのに…。
リョータの熱が下がらない。免疫反応はうまく誘導できたが、激烈な頭痛、痙攣が起こってもおかしくないので、意識は昏睡にまで落としている。体の活動レベルを下げ、免疫力を最大限引き出す。大丈夫、と思われるときのみ意識を戻し、水と濃いめの栄養剤を飲ませた。
心細いのだろう。昏睡まで落とすとき、自分の手を握ってくるようになった。溺れる者が、必死に藁をもつかむのと同じだ。
大丈夫。触れてさえいれば、我々の手は魂にまで届く。大丈夫だよ、と、魂の奥深いところまで声を届けながら、深淵のゆりかごの中に落とし入れた。後は、師に頼むほかない。それでもまめに、触れるように心がけた。
すでに3日…4日目?にして、日付の感覚を忘れ始めた。まずい兆候。すべきことが、絶え間ない波のように自分へと押し寄せてくる感覚。
物質生成は、苦手なのだ。薬草の調合の方が、性に合っている。
人付き合いが負担になり、心をささくれ立たせる。生まれてこの方、集団生活というものに慣れていない。
患者にとっては、ただ一人の頼みの医師でも、医師にとっては、何十人の中の一人の患者。かかる負担の違いが、すれ違いを生じさせていく。
とはいえ、それを表に出すわけにはいかない。こちらの不安・疲弊は、すぐに患者へと伝搬する。患者の精神状態は健全に保つ必要がある。今は、だめなのだ。
人と接するときは、あたかも二重人格のように、人付き合いようの自分が己のオモテに顔をだし、ほがらかに対応してくれる。相対して、もう一人の自分の闇は深くなる。一人になると、その闇が顔を出した。
いけない、自分のことばかりを見ていると、自分のことしか見えなくなる。
自ら警鐘を鳴らしながらも、どうしようもできない。この精神的な幼さが、己の一番ダメなところだ。
――いけない、自己否定まで始まりそうだ。ダメだ、いけない。何とかしなければ…。




