終章 ささやかな報酬②
僕は、考える。
これも、僕のできることなんだろうか?先生に対して。
だったら、きちんと曲を練習しよう。なんだか釈然としないものを感じながら、そう思った。いくら先生の魔法がすごくても、この習得にはそれなりの練習がいる。僕はそれを知っている。先生がそんなに音楽が好きなのなら…、これを聞くことで、先生は時々楽しめるのかもしれない。そうなってくれると、僕はうれしいけど…。
…けど…。
なんか違うような気もする。
僕は、僕のできることを考える。
自分で考える、ということも大切なことなんだ。そう僕は習った。
でも、考えようとしても、僕の気は晴れない。
僕は、僕の力の無さを思い知った。
僕は先生を止めることもできなかったし、手助けすることもできなかった。ただ見ていることしかできなかった。
先生は僕に医術を教えてくれないかもしれない。
その理由は、実はまだよく分かっていない。でも、魔法使いとして生きていけ、という言葉が――、今、ぼくの中で一つのつながりを見せている。
僕はもっとお師匠様と話ができるよう、先生に頼むつもりでいる。
僕がもっとお師匠様と親しくなれば、僕は、すぐにでも魔法が使えるようになるという、お師匠様の、よりましとして。
そうすれば、僕は先生を助けることが出来る。こんな思いはもうしなくて済むかもしれない。
先生はどうやってお師匠様を守ったのか、聞いてみたかった。この人のことだから――、先生はお師匠様を、見事に守り切ったんじゃないか?そんな気がしている。今、守られている僕がそう思うのだ。
…僕は――。
僕は、―――先生の様に、なりたかった。
「リョータ、どうした?下向いて。」
「え?」
唐突に声をかけられて、僕は声のする方を振り仰いだ。
先生が、首をかしげながら、僕の方を覗き込んでいる。
僕たちは今、親方の家を退出し、宿に向かっているところだった。
これから宿の荷物を引き取り、夏の借り宿へと向かう予定だ。もう昨日、クィードさん一家には挨拶を済ませてある。荷物も運びだした。後は出発するだけだ。製薬の作業が遅れているので、今回は空を飛んで帰ることになっていた。
宿に向かう道すがら、僕はうつむいて考え込んでいたようだ。背中に軽い荷物、弦楽器の感触がする。それが歩くたびに自分の背中を叩いていた。
「…あ、なんでもないです。」僕はそう言う。実際は、何をどういっていいのか分からなかった。
「ほんとに?」
「はい。」
「……なんか、隠してる?話せないようなことか?」
「えっ?いや、ほんとになんでもないですよ?」
「…う~~ん。」
先生が僕を見下ろし、腕を組んで考え込んでいる。僕はどぎまぎとした。本当に、隠してるわけじゃないんだけどな。自分でも何が何だか、分からないだけなんだけど。話そうとしても、何をどう話していいのか。
「よし。師を呼ぼう。ちょっと待ってろ。」
「…はい?」
「…おいリゲル、そんな簡単に呼ぶなよ!お手軽すぎるだろ!」
僕は目を剥いた。ぎょっ!と、思わず足を止める。また一瞬だった。目を閉じた、と思ったら先生の声質ががらりと変わっている。幾分高いお師匠様の声だった。
…この声は、魂の波長が違うから、同じ口でも違う音程に聞こえるらしい。不思議だった。表情が大きく動き、ずいぶんと渋い顔を作っている。
「一回でコツをつかむとは…。…リゲルも侮れんな…。かなり無理に引っ張り込まれたわぃ。…というか街中で呼ぶなよ~~。わし、町、苦手なのに~~。」
とても情けない声で、とても情けないことを言ってくる。そそくさと動いて、僕の背中に隠れるように身を縮こませて立った。…完全にお師匠さまだ。すごい。こんな簡単に…。しかも、歩きながらだったよ?
「あー、リョータ。そうだな。リゲルがお前のことを心配している。上辺だけだとそう見えないかもしれないが、心の中はお前のことでいっぱいだ。お前が何を考えているか分からないらしい。――わしをムリに引っ張り込むくらい、心配しとる。それは分かってやってくれ。」
「あ…、は、はい。」
そう言われて、僕は複雑だった。でもちょっとうれしかった。僕がこの、もやもやとした感じで悩んでいることを、ちゃんと気付いてくれているんだ。
「重ねて、師として言っておく。“先生の様になりたい”というお前の想いは、少し間違っている。」
「えっ?」
「お前は、“先生”…リゲルにはなれない。永遠にな。大体、お前がリゲルになる必要はないんだ。お前はお前として、リョータはリョータとして、“先生”と同じことができる様になればいいんだ。分かるか?」
「……?僕は、僕として?」
「うん、そう。リョータはリョータとして、お前のできることをするんだ。その先で、“先生”と同じことができる様になればいい。――それだけでなく、“先生”には出来ないが、お前にしか出来ない、という物事が必ずある。そこはわしもリゲルも、お前に頼ることになるんだ。だから、考え方を間違うんじゃないぞ?」
「は、はい…?」
僕は今言われたことを考える。真上に上げていた顔を下ろして、お師匠様から視線をはずした。
僕は、僕としてできることをする。
そこは分かる気がするんだけど…、何だろう?何か…、引っかかっている。
「うん。お前は今、自分の問題点の把握に手間取っている。手伝った方がいいか?」
そう上から声が降ってきて、僕はもう一度上を見上げた。…その顔を前に、ためらいがちに頷いてみる。
「では、最近、お前が一番、イヤだと思ったことはなんだ?」
「先生を助けられなかったことです。」僕は即答した。
「うん。では、先生を助けるのに、先生になる必要はないな。実際、先生にならなくても、お前はすでに先生をすごく助けておるし。」
「え?」
「簡単な例を出そうか?今回、お前に音楽を覚えてくれ、と、リゲルは頼んだだろう?これはリゲルの甘えだよ。お前が一緒にいてくれる、と、意識せずに思っとるんだ。お前なら断らず、言うこと聞いてくれると思っとるんだ。――今、生きている人間で、こんな風にリゲルが甘えることができる相手は、お前だけなんだよ、リョータ。」
ぽかん、と口を開けて、お師匠様のいう意味を考える。
…そうなのかも、と思った。先生が、クォンにこんなこと頼むとは思えない。
「うん。そうだ。お前がいなくなったら、リゲルはまた一人ぼっちで旅を続けるだろう。リゲルはそれに、長くは耐えられん。お前は居るだけで、リゲルを助けてるんだ。」
僕は居るだけで、先生を助けている…。その言葉は、とても僕の胸の中に深く響いた。…たぶん、うれしかった。けれど…。
「そう。そこで引っかかる、ということは…、お前はそれだけでは足りない、と感じているんじゃないのか?ただ一緒にいるだけじゃ、いやなんだろ?」
僕はその言葉にうなずいた。その通りだ。
何も出来ないのは嫌だった。もう見てるだけの、無力なのはいやだった。
だってもう僕は知ってしまった。もう何も知らない子供ではいられない。先生は一人で闘いつづけてたんだ。そんな先生をこれから横で見続けるだけなんて、そんなの死んでもイヤだ。
そう、先生を止めることなんて、できやしない。
良く考えたらそんなの、僕が一番分かってる。こうゆう所は超くそまじめで、すっごく頑固で、ほんとうにバカな人なんだ。止められると思った、僕の方がもっとバカだった。
じゃあ、どうすればいいって言うんだ?僕に医術は教えない、っていうし…、お師匠様に頼るしかないのかな。
でも、僕は…。
僕は…、どうしたら。
「うん、ここまでくれば、大丈夫かな?…じゃあ、これからわしが、お前の命令をなんでも一つ、リゲルに聞かせてやる。思うことを、言ってごらん?」
「えっ?」
途端に先生の様子が変わった。表情が、目が…、いつのの先生の空気となる。
「はん、リゲル。わしを舐めるなよ?わしだって一回やれば、声の支配権だけを握ることくらい、簡単なんだからな?」
先生が自分の声に驚いて、自分の口を手で押さえている。…表情は先生、口調はお師匠様…、すごい、こんなことまで出来るの?
「で、だ。リゲル。今回の報酬だが、これはお前ばっかりいい思いして、リョータに迷惑かけ通しじゃないか。楽器の弾き方覚えて、リョータにばっかり練習させるんじゃ、リョータが割に合わん。不公平だ。だから対等に、お前からリョータへ、報酬を支払うこと。いいな?」
目を白黒させて、先生が自分の口を押え、戸惑っている。何か話そうとしてるのかな?よくわからない。
「リョータへの報酬は、お前がリョータの言うことを何でも一つ聞くこと。それに従うこと。それで公平ってもんだ。わかったな?」
「…ちょっとぉ、師匠?!」
突然、口調が先生に戻った。僕は目をしばたたかせる。この人たち、すごく簡単にやってのけてるけど…、たぶんこれ、すごいことだよね?
「さすが師匠だな…、声だけ奪う、なんて…。発声機能って、そんな単純じゃないんだけどなぁ。」
頭をポリポリと掻きながら先生が愚痴る。そして僕を見おろし、言ってきた。
「どう?師匠と話せた?」
「…あ、はい。話せました。」
「うん、で、どうだった?」
「なんか、先生に一つ、言うことを聞いてもらえ、って…。」
「あーー、そう言ってたな。…でも確かに師の言うとおりか。うん、じゃあ、何?リョータの言うことって。」
「えっ?」
「リョータは俺に、何してほしいの?」
「えっ?えっ?ええっ?」
いきなりの話で僕は混乱する。
そんな先生に言うこと聞いてもらえ、って言っても…、と疑問に思う。
なにかやってほしいこと、ってあったっけ?…と焦って考える。…考えて…、考えて…、いつの間にか僕は、ほとんど自覚せず、呼吸でもするようにするりと口にしていた。
「あっ、あっ、…じゃあ、僕に医術を教えてください。」
言ってしまって、その言葉の重みに気が付いた。硬直する。
『…えっ?』
呆然とする。
でも、その言葉を口にしたとき、いろいろな物事が、すとん、と自分の中で収まった気がした。
先生も驚いている。僕も驚いていた。二人で固まって、目を見合わせた。
しばらくの沈黙。
僕…。
僕、僕は結局、先生にして欲しいこと、あったんだ。自分でも気が付いてなかった…?
「…リョータ、もしかしてお前、“教えない”って言ったの、気にしてたのか?」
僕は自分でも驚いていたから、つい素直にうなずいてしまった。自分でも気が付いていなかった。
…とても驚いた。お師匠様って、すごい…。僕の分かっていないところまで、僕のことがわかったの?
僕は、先生に『医術を教えない』って言われたの、すごくイヤだったんだ。
先生の言うことは正しいことが多いし、従っている方がうまくいく。
野宿や旅で生きていく方法を教えてくれたのも先生だ。だから、疑問に思わず、イヤと思うこともないんだと思い込んでた。言われたことは従うもんだと思い込んでた。…全然、気が付いてなかった。イヤだったんだ、ぼく…。
僕は、医術を教えて欲しかったんだ。
「そっかぁ…、そういうことか…。」
先生ががりがりと頭を掻き、しゃがみこんで目線を合わせてくる。
今の僕はその視線を逃げずに受け止め、真っ向から見返す。
そうなんだ。ああ、そうなんだ、と思う。
もうわかった。自分の中がすっきりと透き通っているみたいだ。自分がどんな思いを抱えていたのか、それがきれいな形になった。
先生の全部を教えてもらえないのは、イヤだ。
先生の医術を受け継げない、というのは、ものすごくイヤだ。
僕に才能があるかないかなんて、関係ない、僕は医師になりたいんだ。
そもそも、先生だって魔法使いの才能は無いに等しかった、と聞いている。それなのにここまで上り詰めた。なら僕に医術の才能が無かろうが、関係ないじゃないか。
なんで先生があんなことを言ったのかは分からない。でもそれは、僕にとってイヤなことだった。
きっと、先生が言うことだから、ちゃんとした理由があるんだろう。それは分かる。
もしかしたら、とんでもない努力をしてきた、という先生だからこそ、僕にそうさせたくないと思うのかもしれない。先生は魔法使いの才能が全然なくて、目から血がにじんだり、ほんとうに頭がおかしくなりそうな修行をした、って聞いている。自分が起きているのか夢の中にいるのか、よくわからなくなったり、風を動かそうとして自分の血をうごかして、自分の手を爆発させたこともあったそうだ。…僕にそこまでの努力が出来るかどうかは分からない。でもやってみてもいないのに、僕が納得できるわけがないじゃないか。
僕はそういう道のりを超えて、今の医師になった先生をずっと見てきた。先生が何に命を懸けてきたのか、それだけの時間、見てきたんだ。それを教えてもらえないっていうのは、なんにも教えてもらえないのとおんなじだ。弟子になった意味がない。
「僕に医術を教えて下さい。お願いします。」
そして、どこからどこまでも嘘のない、心からの望みを口にした。
そうして今度は、僕があなたを助けるんだ。僕の命を、あなたが救ってくれたように。
あとの言葉は口にしなかった。きっと、聞こえていたのはお師匠様だけだろう。
「僕は医師になりたい。それじゃダメなんですか?」
助け合って生きていくのが人間なんだ、と、教えてくれたのが先生だ。僕はこの人の祈るような願いを、忘れてはいけない。それには先生の医術が必要だ。先生を助けるには、先生の医術が必要だ。
「………本気だな。耳の悪い俺でも、真摯な意がこもってる、と分かるよ。…師が聞いたら、泣いて喜んでる言葉だろうな。」
先生がはにかむように笑っている。…たぶん、そういう先生も喜んでいる。目じりに涙がたまっている。かすかでも、僕にはもうそれが匂いで分かる。
かくして、先生が口にした。
「では、お前に言っておくことがある。心して聞きなさい。」
「はい。」
「どこから話していいか分からないが、昨日のあれでは、言葉が足りなかったか。俺たちは教えないってわけじゃない。俺たちはまず、お前の本質の現れを見ようとしているんだ。」
「…本質の現れ?」
「うん。たとえば師は、“知の探究者”という側面を強く持っている。探究の為なら、他の全てを忘れてしまえるような性質だな。それが師の、“自然な現れ”なんだ。…すごく簡単に言えば、個性だよ。」
「個性…?」
「うん。お前がお前の本質を、ありのまま素直に表した時、どういったものが現れるか、という問題なんだ。俺たちは、それをゆがめたくないと思ってる。だから、それにとても気を付けている。…昨日、お前には癒し手が向いていないかもしれないと思った。それは本当だよ。お前の現れは、その方向じゃないのかもしれないと思ったんだ。」
先生はここでため息を一つ突く。
「…お前ももう、うすうすわかっているだろう?癒し手・医師の道は生やさしいものじゃない。…昨日の俺を見たな?、特に俺たちの場合、ああいうことがあるんだよ。向いていないのなら、わざわざつらい思いをする必要はないんだ。かわいい弟弟子を、むりやり踏み込ませたいなんて思っちゃいないよ。」
「……。」先生が苦笑いしている。僕は黙って聞いている。どう判断していいか分からない。それと僕の思いは、別のことだ。
「お前は、俺のあの姿を見ても、同じような医師になりたいと、そう思うのか?この手を持つと、避けることはできないぞ?」
「……」
急に聞かれて、頭がすぐには回らなかった。でも…
でも。今までみてきた。先生の姿が。
「はい。」
僕は自分でも気づかないうちに、そう答えていた。
「そうか、分かった。それがお前の選択か…。」
目を細め、笑っているのか、悲しんでいるのか、よく分からない表情を先生が見せる。
「人は己の意志で変わっていける。意志そのものが魂の性質であり、現れ方すら選ぶんだ。お前がそれに向いているかどうかは別の話。お前の意志は、それを選ぶ、ということなんだな…。よく、わかったよ。」
そうしてなぜか、不思議な含み笑いをする。こぼれるように言ってきた。
「…俺と師の影響か…、だとしたら、お前はどんな、“探究者”になるんだろうな…。ああ、言っていなかった。人と一緒にいれば、その近しい人とは、いやでも影響を受けるんだ。お互いに影響しあう。俺もまた、師から“探究者”という性質を受け継いだ。俺も師もそうなんだから、お前がこの性質を受け継ぐのは確定だ。でも、お前はどんな“探究者”になるんだろうな…?」
僕は全然意味が分からない。どういうこと?
「そんな顔するなよ。俺だって説明してもらってないんだ。俺の現れって、師なら分かってると思うんだけど…、教えてくれないんだよなあの人。でも、“探究者”の側面なら教えてくれた。師が“知の探究者”なら、俺は方向性が違うらしい。俺はどちらかというと、“道の探究者”なんだそうだよ。…そんな大したもんなつもりはないんだけど。でもまぁ、確かに師みたいに、何百年も引きこもって研究とかできないなぁ。巡回の方が、性に合ってるよ俺は。そういうことを言ってたのかもな。」
それは聞いて納得する。
この人には旅があっている。もう一部みたいな感覚だ。そういう意味での道なのかな。
「お前も、いずれ“探究者”となる。お前は何を、選ぶんだろうな。」
そうして、夢の中で聞いたような、魔法使いの言葉が語られる。
「…気づけよ?リョータ。お前が己を知り、ありのままのお前の本質を見出し、表した時、何を選ぶのか。…分かるか?これは、お前が何のために生きるのか、どう生きるのか、という問題なんだ。この答えは、俺たちには教えられない。答えを出した俺たちは、俺たちのわがままでそれをゆがめたくないと思ってる。だからこそ気を使ってる。お前の現れを尊重したいんだ。今回はそれに気を付けてたのが、逆に裏目にでた。混乱させた。すまなかった。」
そうして、先生が頭を下げた。
僕は、話の半分以上が分からない。混乱して、下げられた頭を見つめることしかできなかった。魔法使いの話は、いつもながら難解すぎる…。目を白黒させていると、顔を上げた先生が笑いかけてきた。
「じゃあ、とりあえずは医術だな。習うだけ習ってみろ。こちらも教えるだけ教えてやる。…その上で、自分には無理だというのなら、遠慮なく言えよ?俺たちも気を付ける。その時は、医師とは別の生きる道…、現れの道を模索するから。」
……?…なんだか、妙だ。何か、引っ掛かる。まるで先生たちは…
「なんかおかしいですよ。まるで先生たち、僕が医術を習っても、医師にならないでいいみたいに言っている感じがする。弟子って、師匠の技全てを受け継いで、お師匠様のと同じことができるようにならないといけないんじゃないですか?」
「ああ、それこそまだ、お前は魔法使いの真髄に触れていない証拠だな。…俺たちはそういうものを受け継ぐんじゃない。自分たちの分身が欲しいわけじゃない。俺たちは、一つの道、一つの法を受け継ぐんだ。そういう仲間が欲しいんだ。そうして違うことをやっていても、同じ結果が出せればそれでいい。それだけのことなんだ。」
「???」
「ははぁ、かわいい弟弟子のために、もう少し詳しく説明してやっか。…でも、たとえ話は応用が利かない。ほんとうにたとえばの話なんだからな?」
こほんと咳払いを一つ。
「たとえば、医師として人を健康にし、幸せにすればそれでいい。料理人としてうまいメシを作り、人を幸せにすればそれでいい。音楽で人を幸せにしてもいい。ほら、道は違えど、結果は同じじゃないか。人を幸せにしている。ということはそれはつまり、大きな一つの大道に沿っているんだ。それを受け継ぐんだ。」
「……人を幸せにする、っていうのが、魔法使いの道なんですか?」
「たとえ話、っていったろ?でも俺にとっては近い答えではあるな。ただ正解ではないと思う。」
「…どういうこと??」
「聞くなよ。少なくとも、これはお前自身が、お前の言葉で出さなきゃならない答えなんだ。教えられただけをなぞっても、すぐに破綻する。わが身にあわなければ苦しむだけだ。これから学ぶんだ。リョータ。お前はお前自身のことを、これから学ぶ。今から答えを焦るなよ。」
全然わからないんだけど、なんだかその言葉には納得した。
僕は僕自身の事をこれから学ぶ。今から答えを焦るなよ。
「さてと、じゃあとりあえずは医術かぁ…、でも、ちょっと待ってなー?リョータはまだ、その段階まで来てなくて。」
「…えっ?」
「だって、化学の基礎事項しか教えてないし。…生物学や物理学は手つかずだろ?解剖学はすぐにでも始められそうだけど…、同時に生理学、生物学を全般的にやっていった方がいいだろうな。その方が分かりやすいと思う。薬理学…、薬草・植物学関係も手つかずかぁ。病理学、病態学とか遠いなぁ。病原生物学、寄生虫学もあるか…。」
「えっ?えっ?何?なんですって?」
「うんとね。脛骨・腓骨、尺骨・橈骨とか言っても、リョータ分からないだろ?肝臓・腎臓の働きも分からない。恒温動物・変温動物の違いもわかんないか。血圧の考え方も…、基本的な物理も必要だろなーやっぱ…。呼吸の意味、分子構造の薬理作用…。」
指折り数えていく先生をみて、僕ははてなマークがいっぱいだ。
「??????」
「…えーっとー…、たとえば、“僕は道を歩く”って文章があるだろう?リョータの場合をたとえたら、医学を学ぼうとしても、“僕”とか“道”とか“歩く”とか、それぞれの単語や意味がまず分からない状態。だからいきなり習っても、わけがわからないと思う。」
「えっ?えええっ?僕、この町ではすごく、頭のいい方だって…。」
「あー…、学校とかない、この町だとそうかも…。でもリョータお前それ、俺たちの医術を舐めてるぞ?リョータが今いきなり習いたい、って言っても、赤ん坊がこの楽器弾きたいって、言ってるようなもんだからな?」
が、がーん…!
この町でしばらく暮らして、僕の中にできていた小さな自尊心は粉々に砕け散った。
…ぼ、ぼく、赤ん坊?!
「あっあれっ?リョータっ?…おい、ちょっとー?落ち込んでる?ちょっ…!落ち込むなって!おーい?!」
がっくりと座り込んで、しばらく地面に(赤ん坊らしく)指をはわせる僕が、立ち直るのにしばらくかかった。
「ごっ、ごめんな?基礎がまだたくさんあったんだ。だから、その勉強過程で、リョータの様子を見ていくつもりだったんだ。基礎はいろんなところに応用が利くから。そこから、現れも見ていくつもりだったんだけど…。なんか、ごめんな?俺が早まったこと言って…、混乱させたよな!?」
「はい…。」
しょんぼりとした気分を抑えきれず、とぼとぼと歩く。…僕、赤ん坊…。
そんな様子を見かねたのか、僕に歩調を合わせる先生が、殊更に気を使って声をかけてきた。
「じゃあ、お前に整体術を教えよう。…これは素人でも患者を害さないくらいの手技がたくさんあるから、今のリョータでもできるよ?」
「え?」
「脊椎調整とか、手足を揉んだり、さすったりしてるの、見たことあるだろ?リョータも時々、俺の真似してやってくれたじゃんか。あれだよ。あれのちゃんとしたやり方を教えよう。この手技は全部、師の医術に通じているから…。手技だけでも覚えておくと、わかりやすいよ?」
「…ほんとですか?」
「うん。ただし、物まねじゃない。ちゃんとした医療技術だ。いろんな決まり事ややり方が隠れている。見た目がおんなじでもただの真似っこじゃあ通用しない。その点、これは俺の得意分野だし。ちゃんとできるまで妥協はしないと思う。だから、厳しいと思うよ。けど、やってみる?」
「…はい!やります!」
「そっか。じゃあ、それと並行して解剖学だな。体の各部分の名称は覚えてもらわないと、話が通じないから…。でも一緒にやってくと、覚えやすいよ。…うん、よろしい。ではお教えしましょう!」
「ハイ!よろしくお願いします!」
びしり、とアタマを下げたところで、先生がくすりと笑う。
「そっかぁ、リョータはここから入ることになるか…。ちなみに俺がリョータくらいの頃は、この整体術、だいたい全部、習得してたから。すごいだろ~~?」
「えええっ?そうなんですか?」
「おう。それだけじゃないぞ?解剖学と生理学終わって、もう病理に入り始めてた。…つまり、基礎は全部終わってたのだ。えっへん!」
ふんぞり返る先生を前に、僕はついつい声を荒げてしまう。
「えええ?うっそぉ!それなんかずっこい!…どーして僕には教えてくれなかったんですかぁっ!」
「えー、だってリョータ、よく友達と遊びほうけてたじゃん。」
「それ、先生だってよく遊んで来いって言ってたじゃないですか!」
「うん、そうだよ。だからリョータはそれでいいんだ。」
「????!どゆこと?!」
「その分、リョータはたくさん友達ができたし、村や町でどう過ごせばいいか、知ってるだろ?そういうところは、本当に俺はリョータを頼りにしてるんだ。子供たちがどんなふうに過ごしてるのか、どんなふうに遊んでいるのか、教えてくれたのはリョータなんだ。草笛の作り方、とか、川魚を捕まえる方法とか、戦争ごっこ…、俺もやってみたかったなぁ~。」
「えっ?先生やったことなかったの?」
そういうと、先生は一瞬だけさびしげな表情を見せた。それを押し隠すように、すぐに前を向く。
「うん。恥ずかしながら、実は一回もない。俺は師匠のそばを、ずっと離れなかったから。…それに、俺が子供のころは師の診察は早くて…、半日、長くて一日しか巡回先には滞在しなかった。でもそれだけで全部の患者に対応できたんだ。手伝ってたら、もう同じ年頃の子どもと遊ぶ暇なんてなかったよ。」
「……知らなかったです…。」
「あ、だからってバカにすんなよ?それでも旅の合間にする武術の練習や、謎解きみたいな師の勉強は、毎日すごく楽しかったんだからな?――だから、リョータよりちょっと、勉強は先に進んでたんだよ。」
そうだったんだ…。
僕は昔の光景を思い出す。先生はいつも、遊んで帰ってきた僕の話を楽しそうに聞いてくれていた。…全部、知らない事だったの?
…あ、あれ?…じゃあ…、もしかして、先生は小さいころ、友達がいなかったんじゃ…?
先生を見上げる。当の本人は僕の疑問に気がついてもいない。
「また、いろいろ教えてくれな?また今度、海に行こう?もぐり方を教えてくれるって約束だろ?町の繁華街だって、まだ連れて行ってもらってない。前にリョータがお土産にって、俺の分買ってきてくれた、あれ、麩菓子っていうの?おいしかったなぁ…。あれどこで売ってるの?子供のお菓子って聞いたけど…、大人の俺が買ったら変かなぁ。繁華街のあの辺って、人が多くて、いまだによく分からないんだよなー。」
その言葉を聞きながら僕は思う。
まさか、…僕はもしかしたら…、先生のともだちだった…?
お師匠様の言葉を思い出す。
僕は――、僕は僕として、先生を助けていけばいいんだ。僕にしかできないことは、本当にあるんだ。
勢い込んで僕は言う。
「じゃあこんど、一緒に行きましょう!」
「うん、頼むね!…あと、俺の後は師も連れてってもらえるかなー。俺に降ろすから。いや、でもどーかなー?最初は嫌がっても、喜びそうな気がするんだけどなー。師匠にとっては、懐かしい場所のはずだから…。」
「はい!ぜひ!」
「お、元気出たな。よかった。」
そういった先生の笑顔は柔らかい。優しい人なんだよな、と思った。その先生が、ふと陽の高さを見上げる。
「遅くなってるな…、よし、宿まで走るか!」
「ええ!?」
唐突にそんなことを言いだし、先生は猛然と駆け出した!
「宿までかけっこだ!リョータ、遅れてるぞ?!」
そんないきなり、合図もなく競争だなんてむちゃくちゃだ!でも、僕もとにかく駆け出した!
「待ってください!」
「待たない!」
「待ってくださいってば!もー!」
大体足の長さが違うんだから!
ただのかけっこで勝負になるわけないじゃないか!
どんどん離れていく背中を見ながら…、でも、なんだか僕はほっとしていた。やっと、先生といつもの調子に戻ってきた。
…そうか、先生にとって、僕は親子で弟子で、友達なんだ。
多分、小さいころずっと欲しかったはずの、産まれて初めてできた、小さな子供の友達だったんだ。
僕は僕として、先生を助けていけばいいんだ。僕にしかできないことは、本当にあるんだ。
「リョーター!」
「何ですか―!?」
進んだ先でちょっと立ち止まった先生が、大声で言ってくる。
「一つ言うことを聞く、ってやつ、ちゃんと考えとけよ!」
「ええ!?それさっき頼んだじゃないですか!」
「あれは師として、兄弟子としてすることだ!だから、それに数えない!」
「ええええ?!」
「ちゃんと考えとくこと!」
そう言い捨てるなり、身をひるがえしてまた猛然と駆け出した。
あっ!この!せっかく追いついたと思ったのに!!
「待てってば!このーっ!!!!」
僕もムキになって走り出す。追いかけるべき背中を追いかけた。
なんだか、胸の内があったかくて、火がともっているような心地がした。
僕はまだ、何も答えを出していない。
僕は、どう生きるのか。
僕は、何のために学ぶのか。
でも、答えはこの先で見つかるんじゃないかと、そんな気がしてる。
多分、答えはこの先に。
僕はまだ、追いかけるべき背中しか見つけていない。
お師匠様の言葉がよみがえる。
“お前にもあったはずだ。これまでにうきうきとして、わくわくとして、そわそわしてどうしようもなく、いてもたってもいられずに、思わず何かに向かって走り出したような経験が。”
…うきうきして、そわそわして…、元気がいっぱい!胸の中が浮き立つような、この感覚!この力…!!
「リョータ―!遅れてるー!」
「はーい!!!」
全力疾走。体が軽い。さっきまでの重苦しさが、ウソのよう。
風がとても気持ちいい。
ぷかぷかと浮かぶ雲が、陽射しを隠し、涼しげな空気を作っている。
夏も終わりに近い、うららかな日。
僕は、魔法使い駆け出しだ。
追うべき背中を追って、いま、僕はほんとうに駆け出したばかりなのだった。
了
これにて、第二部、終了です。
お読みいただき、ありがとうございました。
このあと、書ききれなかった登場人物設定と、あとがきみたいなの残しておこうと思ってます




