終章 ささやかな報酬①
ポーン…
親方宅の、少し広めの作業部屋で、五弦の楽器の音色が響いていた。
「よし、基本の運指はおぼえたな?」
「は、はいっ!なんとか…。」
「大丈夫、リョータ。こっちでも把握してる。」
そんな会話が交わされている。そして、何度も弦の音が生じるのだった。
ポーン…
僕は五弦の一本を弾く。きれいな音がした。
手元の楽器から真新しい木の匂いがする。先生が昨日、買ってくれたものだ。
弟子になったお祝いが、こういうものになるとは思わなかったし、僕もこのお守り以外でお祝いをもらえるとは思っていなかった。――僕にとっては少し大きいけど――、思い出の品になりそうだ。
先日の打ち上げの時、親方と話していた時だった。
音楽が聞こえ始めると、先生は耳をそばだて、目を輝かせて、そわそわとして、もう先生が先生でなくなってしまった。落ち着かない子供みたい。親方の話も聞いていながら、全然身が入っていない。
その時、その急変に、僕も親方も唖然としてしまった。いつの間にか親方の話も、もうそれで止まっている。そして先生はそれに気づいてもいない。
短い音楽が終わった時には、耳までふせてしょぼくれ、生気のない拍手をぺちぺちと歌い手たちに送っていた…。…半泣きにまでなってる?なんだこれ。こんな先生、初めて見た…。
「あの…、ああいった曲がお好きで?」
その親方の質問に、初めてそこに人がいたと気が付いたみたいに身を震わせる。あわてて答えてきた。
その話をきいて、町の音楽とか、曲に対して、先生がそんなに思い入れがあったなんて初めて知った。
「でも、あれはそんなにうまくないですよ?運指も雑だったし、三曲目まであるのに、一曲目で終わってしまった。伴奏が全然ダメですね。」
『はい?』怪訝な顔の僕らを前に、親方が困った顔で説明する。
「ああ、私の母は、酒場で弾き語りをしている芸人だったから…、私も多少、覚えがあるんですよ。一時期はそれで生きていくしかないか、と思って、かなり練習したから…、それなりのもんです。あれを本物と思ってほしくないなぁ。よかったら、一曲披露しましょうか?」
「ほんとですか?!」
むちゃくちゃ目を輝かせて先生が親方に食い下がった。すご…、親方が気おされてる。
「あ、ああ、ああ…はい。…あの、そんなに興味があるなら、弾き方、教えましょうか?それをこの件の報酬としてもいいですが?」
「…!!!ほんとですか?!!」
すごい。親方がたじたじしてる…。僕も先生の勢いにびっくりだ。
気おされつつも、親方がうなずくと、先生はすごい勢いでブツブツと何事かを言い始めた。
「すごい…、すごいぞ…!…楽器は買えばいいし…、一個くらいなら荷物にならないだろ…ああ、でもダメだ。製薬もあるし巡回もある。習うのにそんなに時間も取れない…、どうすれば…!」
ふと先生が僕を見た。その目が輝く!
「そうだ!リョータがいるじゃんか!」
僕は目をぱちくりとした。どういうこと?
「リョータ!頼みがある!…俺一人じゃ無理だけど、二人だったら、できることがあるんだ!」
その後の説明に僕は納得したが、親方は疑わしげだった。無理もない。先生の手を知らないんだから。
先生をよく知る僕には、『僕に音楽を写す』、というのも理解できるのだった。
そういうわけで、今僕たちは報酬を受け取っている。
お金での報酬は、家屋の魔よけの相談で、ずいぶんとたくさんの金額をもらえたから、診察の件の報酬はそれでいい、ということになっていた。まだ治療も本式で始まっていないし。
ちなみに親方に言わせると、支払うお金は手付金――、信頼できる商売仲間を確保するのは大切なこと。その分の色は付けている、ということだった。こういうのは最初が肝心、先生はそれに値する。懐の広いところを見せておきたいんだそうだ。…そんなことしなくても、先生はふつうに頼めばやってくれると思ったけど…、親方にそれをどうわかってもらえばいいのかが、分からなかった。
治療を自分でも受けてみて、先生に対する信頼はさらに高まったらしい。もう少し色を付けた方がよかったかな、と言い出す始末で、泡を食って先生が断っていた。
もう一つの報酬は、これから受け取ることになる。
「では、リョータ、レーンさんも、準備はいいですか?」
「しかし、本当にそんなこと、できるのかね?」
「はい、あなたの運指・運動機能は把握しました。手の大きさの違いによる、リョータとの運指のずれはもう修正できます。もうつなげます。」
そんな、僕には半分くらいしか分からないことを言ってくる。親方には全然分からないだろうな。
「では、いきますよ…。」
先生は並んだ僕らの後ろに控え、僕の首筋、親方の首筋に後ろからそれぞれ片手を添えている。目を閉じた。僕は先生の手からくる流れを跳ねのけず、受け止めるために体を楽にする。
「はじめ!」
親方が楽器を弾き始める。それに合わせて、僕の手足指先が勝手に動き出し、親方と全く同じ楽曲を踊るように奏ではじめた!…全く同じ調子、全く同じ音律、全く同じメロディー。並んだ楽器から二つの音が重奏される。自分の耳と、おなかのあたりから聞こえてくる音が重なって、不思議な感覚がもたらされた。
「こいつぁおどろいた!」
親方は口ではそう言いつつも、手は止まらずに滑らかに動き、軽やかな楽曲を奏で続けている。
僕の手がそれを追う。自動的だ。鏡に映したように、全く同じような動き。たぶん、親方のくせまで再現して、僕の手が勝手に、軽やかに動き続ける。軽快で、ノリのいい、うきうきするような調べ。それらが僕たちの手から生み出され、空気を震わせて踊り出していく。
これは先生のできる操体術の一つである。
先生は他人の身体を操る時、自分の運動機能と、他人の運動機能を、つないでしまえるのだ。
たとえば、手を握る、腕を曲げる、脚を組む、という動作には、頭からそういう指令が各部分へと届いて、それが発生している。その指令を送るつながりの配線――神経の配線をしっかりと分析すれば、どこにその回路があって、それとどこをどうつなげばいいか、分かるのだという。
つまりはこうだ。先生は自分の身体を動かす指令を、触れた手を通して、他人の配線につないでしまえる。これで先生は、他人の身体を自分の身体のように動かせる。歩行、運指、果ては武術、呼吸から心拍まで。
今回はそれの応用。今、先生は親方の頭の働きから、体を動かせ、という指令だけを読み取り、その指令だけをそっくりそのまま、僕の身体の配線につないで写してしまっているのだ。だから、今親方が体を動かすと、その動きの通りに僕の身体は動くことになる。とんでもないことだが、これはお師匠様にもできない、先生だけの特技らしい。お師匠様の体の動き、調節機構を、患者の体で模倣する必要があったときにできるようになったらしい。
軽やかに指がはね、和音を作り、動き回る。ノリに合わせて、揺らす体までおんなじ動きをしている。今、僕は考えない。体が勝手に動くままに任せる。先生に逆らうと失敗する。
やがて曲が三巡し、伴奏が軽快なリズムを作って跳ねるように和音を作り、余韻を響かせながら消えていった。
「すげぇ!本気で驚いた!全く私が弾いた通りじゃないか!」
親方は驚いているが、僕は驚かない。先生が今の調子を確かめている。
「うん…、うん…、よし、いいな。…レーンさん、これを何回か、お願いできますか?今の回路が脳に転写されるまで、何回か反復します。」
実はこれが僕たち独特の、練習法の一つだった。
僕もこれを応用することで、体術の正しい動き方、体の扱い方を覚えてきた。
先生が僕の身体を動かし、何回も正しい動作を繰り返して、まず体に、正しい動きを覚えさせるのである。あとはその回路を記憶できるように操作して――、自分の意思で、自分の体重・筋力に合わせ、自由に応用できるように順応させていく。いつもやってきたことなので、僕には全く抵抗はなかった。
技術の転写。先生独自の魔法。僕がいたからこそ、思いつくことのできた応用法なんだそうだ。僕はちょっと、誇らしかった。
でも多分、同じことを十回以上は繰り返すことになる。親方にとっては面倒だ。それを先生が詫びると、親方は全く気にせず、楽しそうに言ってきた。
「いいよ、面白い。こんな魔法は初めて見た。ほんとうに写せるのかどうか、見てみたい。」
十二回か…、十五回くらいだろうか?その回が終わって、先生が声をかけてきた。
「よし、レーンさん、ちょっと聞いておいてくださいよ?…リョータ、いいな?」
僕はこくりとうなずく。さっきから触れられているので、僕は赤ちゃんのようにしか喋れない。恥ずかしいので、ずっと黙っている。
すぐに、僕の手が勝手に動き出し、さっきの曲をなめらかに弾きだした。親方が目を見張る。口笛を吹いていた。
「すごいな!ほんとうに私が弾くまんまじゃないか!」
先生は目を閉じ、僕の頭の中から、一定の流れで動いていた先ほどの曲の指令を、順に引き出すことに集中している。
僕も眼を閉じ、五回目くらいから先生を邪魔せず、動きを意識することに集中していた。ぼんやりと、自分の手がどんなふうに動いているか知覚するのだ。流れには逆らわない。でもこうするだけで、段違いに回路の作成は早くなる。半分は自分が動いている、という感覚があるからだ。頭の中に、その流れができあがる。
僕一人で弾くのを三回くらい繰り返してから、先生は言った。
「よし。あと、これを記憶野に放り込むよう夢で処理をして…、何度も一人で練習すれば、できるようになるな。最初はただ、同じことをなぞるだけしか出来ないけど…、そのうちに分割して弾けるようにもなるし、個別の和音も引き出せるようになるだろう。」
「…たまげた!大したもんだ!…魔法って、すごいんだなー…。でも職人にとっちゃあ、天敵かな?その力は。」
先生が振り返る。
「分かってます。人が苦労して会得した技術を、盗むようなものですから…。でもその苦労が無い分、応用させるのがすごく難しいんですよ?…たとえば、リョータはあなたの弾き方と、くせをそのまま再現するだけで、それを超えることはないでしょう。作曲も出来ない。応用させるには、結局はあなたと同じくらいの修練が必要なんです。」
「…ははぁ、結局は本物にかなわない、ってことかい?」
「そういうことです。…修練を積めば、超えることもあるかもしれないけれど…、でも、俺はしばらくは、レーンさんの演奏で十分満足です。すごく上手ですよ。大切に聴かせていただきますね。」
「…なんかうれしいことを言ってくれるねぇ。」
「そうですか?…だったら、良かった。」
先生が振り向いた。笑いかけてくる。
「これでお前が練習してくれるたび、俺は音楽を聴けるようになるわけかぁ。…そうなるとうれしいんだけど、リョータ、練習してもらえる?」
「はい。あの…。」
「うん?」
「先生、僕がこれを弾けるようになったら、うれしいの?」
「そりゃそうだよ!…もし、ちゃんと学んで、人に教えれるくらいにまでなったら、俺にも弾き方、教えてくれな?」
「…!はい!ぜひ!」
技術の転写はどうしても手を使う方がやりやすい細かい作業だ。なので、先生自身は手が埋まってしまって、自分自身には移すことが出来ない。
「そうなって、二人で合奏とかできたらいいなぁ。…旅の途中とか、夏の借り宿でさ。…あー、でも、楽器二つは荷物になるかぁ…。」
僕らの旅路は歩きだから、背負う重量と体積の関係で荷物は厳選される。この楽器は重くないが、かさばるのが難点だった。
「なんの。それならここに来て、私のを借りればいいじゃないか。」
『え?』
「私は、腕のいい医師で魔法使いを、簡単に手放すつもりはないよ?――できればクィードのように、友人として付き合っていければと思ってる。もちろん、仕事も頼みたいがね。まだまだこれから、付き合いは深めていくつもりだし、それにたぶん、お世話にもなるだろうから、ね。」
親方はそこできざったらしく、片目をつぶって見せた。
「それに一曲だけじゃ物足りないだろ?私の持ち曲はまだまだあるよ?興味はないかな?」
「…あります!!」
これには先生が食いついた。本当に子供みたいだった。僕は笑ってしまった。そして内心では少し驚いている。
さすが親方だなぁ、先生ともう仲良くなっちゃった。みんなが言うようにすごい人だったんだ、と、僕は改めて感心していたのだった。




